言わずと知れた首都圏を流れる都市型河川。最初の一滴は有名な雲取山の水干。奥多摩山塊に源流域を持ち、小河内ダム(奥多摩湖)下流より多摩川と呼ばれると多摩丘陵と武蔵野台地を東進しながら都市郊外を流れ、東京湾に注ぐ。東京都の府中市と稲城市を結ぶ是政橋の周辺から上流にかけては、開けた川原に今も茅場が点在して残る。アユ、コイ、フナ、オイカワ、クチボソ、ウグイ、ナマズなど豊富な魚種がねらえる多摩川の中流域。今回、話に出てくる1980年代初めは水質汚濁がピークだった時代。それから現在にかけ水質は大きく改善された。最寄りの是政駅は西武鉄道多摩川線の終着駅で、川へ向かう方向とは反対側にある東京競馬場にとっても最寄の駅となっている。
記憶に残る2020年の夏
2020年の春から夏にかけてのこと。新型コロナウイルスの感染拡大を受け緊急事態宣言が発せられ、県外への釣りが仕事でも趣味でもしづらかった頃。私は埼玉南部にある事務所でのデスクワークの合間に近所の川をたくさん歩いた。
今でも忘れられないのは6月下旬、夕方に肌を撫でる風の吹く川沿いの広い田んぼを歩いていた時のことだ。
ジーンズのポケットに入れたスマホがブルル……と震えた。少し身構えながら画面を見ると、意外にも着信は父からだった。
「意外にも」というのは、「身構え」は父の身に何かが起こったという知らせに対するものだったからだ。なんだろう?と電話に出ると、ゴホゴホと咳き込みながら話してきたのは、少し前に送った手紙に対する感謝の気持ちだった。植えられたばかりの苗を揺らす柔らかな風を受けて暮れゆく空を見ながら父の声を聞いていた。時間がしばらくの間、止まってくれたらいいのにな……と思った。
父はそれから数日後に他界してしまった。担当医にはもう厳しいと言われながらも何度かその読みが外れては「これは奇跡です」なんてことを言われていたし、ちょうど緩和ケア病院への転院が決まったところでもあったから、突然と言えば突然だった。奇跡を起こすのにも疲れたのかもしれないな、なんて思いながら、コロナのおかげでゆっくりと看取る時間を得られなかった母のために、もう少しだけ生きてほしかったな……とも思った。
送った手紙には、楽しかった思い出や感謝とともに、幼少時の釣りのことを書いた。
父はよく釣りに連れていってくれた。住んでいたのはグローブライド社のある東久留米市と隣接する田無市(現在は西東京市)で、まずよく通ったのは田無駅そばにある「なんろく」という室内釣り堀だ。たしかコイや金魚をサシ(蛆虫)で釣っては1匹が10円となるポイント制で、駄菓子や観賞魚やカメなどと交換することができた。
他にもたびたび神奈川県の相模湖でブラックバスやニゴイ、千葉県の浦安でマハゼを釣りに行った。車がなかったので交通手段は常に電車。くたくたになった帰路、電車に揺られながら眠る心地よさの感覚もおぼろげに残っている。最も足しげく通ったのが、多摩川の是政だった。
田無からは西武バスで武蔵境まで行き、そこから西武多摩川線に揺られて終点の是政駅へと向かう。自宅から田無駅までも自転車で10分ほどはかかったから、結構な時間をかけて通っていたことになる。
そこでねらうのは、クチボソとダボハゼという小魚だ。クチボソはモツゴ、ダボハゼはヨシノボリ。いわゆる地方名なのだろう。ヤマベ(オイカワ)やハヤ(ウグイ)はもう少し釣るのが難しい特別な魚。普段釣れるはクチボソとダボハゼで、青い網に緑の布地の箱が付いたビクに、どれだけたくさん溜められるかを楽しんでいたことを覚えている。
父との釣りに、とりわけ鮮やかな出来事が起こった記憶はない。電車に揺られて釣り場へ行く。釣りをする。電車に揺られて帰ってくる。その繰り返しだ。忘れてしまったのかもしれないが、そもそもそんなに鮮やかな出来事は起こらなかったのだと思う。それでも釣り竿を抱えて川面に立っていた、その時間の記憶は体温をもって残っている。
30年振りの是政へ
幼少時の思い出とは、どのように保存されているものなのだろう? そんなことを知ってみたくなったことが、実に30余年ぶりに是政に足を向けた理由だった。本当は今も当時と変わらぬ場所にある実家からバスと電車を乗り継いで現地へ向かおうとしていたが、荷物のことを考えると車を選んでしまった。まずは竿を持たずに短時間の下見へ。
カーナビに是政橋が映ると、すぐ近くに東京競馬場があることに気が付いた。30余年ぶりと言ったが東京競馬場には成人したてのころ毎週のように通っていた時期があり、決まって是政駅を利用していたことを思いだす。幼少時も成人ほやほやの頃も、今やはるかはるか昔だ。
是政駅近くのアパートのベランダから、洗濯洗剤の香りが鼻をかすめる。やや強めの、昭和の香り。先に言うとこの日、思い出をかすめたのはこの瞬間だけだった。
巨大な是政橋を仰ぎ見ながら多摩川の河川敷に降りると、上流にも下流にも青や黄色のショベルカーが入っていた。昨年の豪雨災害以降、各河川で見られる国土強靭化に向けて取り組む風景だ。記憶の中の是政は、もっと荒野然した雰囲気で、玉石が流れに洗われ、大きな石が沈む淵もあったように思う。是政橋ももっとこじんまりしていた。調べてみると今の是政橋は2011年3月に完成したもので、やはり1980年代当時の雰囲気とはだいぶ変わったようだ。
この日見た川の流れは渇水気味なのか思ったよりも細く緩く、底石の表面には茶色いノロが溜まっていた。それでも是政橋や、その上流の南武線の橋脚周りのプールには、本流から取り残された小魚たちの姿をたくさん見ることができた。特に南武線の橋脚周りのプールには、フナやクチボソ、おそらくカワムツの幼魚に加え、たくさんのカマツカも見ることができた。魚がいることを確認しての帰り際、オニグルミの木が数本並び立つ場所を見た。子どもの頃の記憶にはない。暖かな陽光に照らされた小さな動物や木の実を観察して川を後にした。