言わずと知れた首都圏を流れる都市型河川。最初の一滴は有名な雲取山の水干。奥多摩山塊に源流域を持ち、小河内ダム(奥多摩湖)下流より多摩川と呼ばれると多摩丘陵と武蔵野台地を東進しながら都市郊外を流れ、東京湾に注ぐ。東京都の府中市と稲城市を結ぶ是政橋の周辺から上流にかけては、開けた川原に今も茅場が点在して残る。アユ、コイ、フナ、オイカワ、クチボソ、ウグイ、ナマズなど豊富な魚種がねらえる多摩川の中流域。今回、話に出てくる1980年代初めは水質汚濁がピークだった時代。それから現在にかけ水質は大きく改善された。最寄りの是政駅は西武鉄道多摩川線の終着駅で、川へ向かう方向とは反対側にある東京競馬場にとっても最寄の駅となっている。
あらためて1カ月後、今度は思い出の竿を持って
その1カ月後、今度は思い出の竿を持って、朝から是政へ向かった。グラス製3.7mの振り出し竿は、相模湖のバスやニゴイ、浦安のマハゼとともに是政でも最もよく使っていた竿だ。物が多く押し込まれた狭い事務所の奥深くから苦労して見つけ出したそれは、メーカーや名称は擦れて消え、穂先の蛇口のリリアンが取れてなくなっていた。だが伸ばして振ると意外にも軽くバランスのとれた良い竿であることがわかった。リリアンは近くの釣具屋で買って取り付けた。
真っ青な青空。土手に上がると南武線のはるか向こうに富士山が見える。少し肌寒いが風はほぼない。小春日和とも言える好天気に恵まれたが、前回から1カ月が経ち、水の中の季節はだいぶ進んでいるようだった。
前回同様、目の前に広がる風景に郷愁を感じることはなかった。そんなものなのかな?と思いつつ川辺へと向かう。
川はさらに減水し、橋脚周りのプールはわずかに残る小さな淀みとなっていた。カマツカやフナがたくさんいた南武線の橋脚は、工事のため立ち入り禁止になってしまっていた。しかたなくそのさらに少し上流まで歩き、堰が見えるあたりで小さな椅子を組み立てて腰を下ろす。
ふと、わずかな心の揺らぎを感じた。ただ、その揺らぎはとても小さく、思い違いだろうと思うくらい細やかなものだった。
仕かけ箱から道糸を出すと二重のチチワを作って穂先に付け、ゴム管を通してヨリモドシを介してハリスを結ぶ。玉ウキかトウガラシウキをセットして、板オモリで浮力を調節する。昔からウキ釣りはハゼでもクチボソでもコイでもバスでも全部この仕かけ。父に教わった仕かけだ。ひさびさにやってみると細かい作業が思いのほか面倒で、要領を得ない子供らに教えるのは難儀だったろうな、なんてことを思う。
練りエサを付けて川に投入し、ウキの動きを見るとすぐに「これは、違うな」と思う。ウキはこんなに早く流れていなかった。その場に止まっていた。もしくはもっとゆっくりだったはずだ。一方で記憶に残る風景の川は、もっと流れの変化に富んでいたようにも思う。いずれにしても、川は常に動いているものだ。マップ上に打たれた点がずっと同じ場所であるという考えは、川で釣りをする場合、ほとんど無意味に近いのかもしれない。
しばらくウキを繰り返し流したが、結局クチボソは釣れず、移動する前にコーヒーを淹れることにした。シングルバーナーで湯を沸かし、専門店で買ってきたキリマンジャロ・アデカの豆を挽いて、川辺でホーローカップにドリップする。小さな椅子に座ってキラキラと輝く川面と白い湯気を見ていたら、ここでまた少し心が揺れた。
挽きたてのキリマンジャロが湯気を立てる横に畳んだ竿を置きファインダーを覗くと、父がキリマンジャロを好んで淹れていたことを思いだす。最後の一滴までドリップされるのを待ってから飲んでいた。父からと一緒に使っていた竿と父の好きなキリマンジャロ。絵があまりにも整いすぎていて仏前のお供え物のような雰囲気となり、可笑しくなってしまう。
さらに上流へ。そして心の揺らぎのわけに気づく
たどるべきは同じ「場所」ではなく、あの時と同じ「川の流れ」だ。そんなことに気づき、堰を越えてさらに上流へと歩きはじめた。堰の上流側の湖のような水面が少しずつ狭まり流れが加わると、あたり一面はちょっとした荒野になっていた。
工事が入りショベルカーで整地された堰の下流側とは異なり、広がった川原には大水の爪痕がそのまま残されているように思えた。だだっ広い荒野に、セイタカアワダチソウやススキなどがポソポソと小さな島のように残っている。目指す目的地があるわけでもなく、頼りは川の流れの雰囲気のみだ。
どっちに進んでいいかもわからない。向かった先で釣れるかどうかもわからない。目の前にフェンスがある。越えていいのかどうかもわからない。こんなに何もわからないまま歩いているのはひさしぶりで、荷物が重く足取りも重く、顔から首にかけて汗もびっしょり。だが息せき歩きながら、少し懐かしさも感じていた。幼少時の自分が父や兄と行く釣りはこんな感じだった気がする。そこにはたどる道を用意されていない自由さがあった。正解など用意されていない自由。失敗する自由。またダメだったねと笑える自由――。
だいぶ歩いた。対岸に河岸段丘の小高い森が迫った場所まできて、流れを確認する。入り組んだ岸際のたるみが小魚たちのゆりかごのように働いている場所の前で荷物を下ろした。さっきコーヒーを飲んだばかりだというのに、今度は腹が減ってきた。椅子に腰をかけ、カップラーメン用の湯を沸かしながら昼下がりの陽光を反射する水面を眺める。やはり同じだ。心が揺れる。
なぜ、椅子に座って川を見ると心が揺れるのだろう? 何が違う? 引き金はなんだ?
しばらく考え、ハッと気が付いた。視線の高さだ。心を揺らしていたものは、幼い時の自分が川面を見ていた時間の記憶なのだろう。
ここでもウキは沈まなかった。そもそも昔だって、そんなに釣れていたわけではなかった……とは思う。でも釣りたかった。クチボソの顔を見たかった。釣果を求めてこの後、汗をびっしょりかきながら重い足取りで下流へと下り、是政橋を渡って対岸の川崎側に降りてやっと、テトラの隙間にクチボソの群れを見つけることができた。でも用意した練りエサに二、三度ついばんだだけで、あとはまったく反応がなくなってしまった。
太陽が傾くと、とたんに汗が冷え、寒気をもよおしてきた。このご時世、風邪を引くわけにはいかないと、いそいそと退散した。クチボソはまた今度だ。今度は子供たちを連れてこよう。そんなことを思いつつ、同時に「ならばこんな地味な釣りではなく、もっと鮮やかな体験を……」なんて思う自分もいる。
思い出の記憶には、大きく分けてふたつのタイプがあるように思う。ひとつは頭の中で意識され、言語化されて残っている記憶だ。それは語りやすい記憶とも言える。たとえばものすごく大きな魚が釣れたとか、滅多に行かない海外で釣りをしたとか、そんな鮮やかな思い出の記憶は意識をもって頭に残る。
もうひとつは意識下に眠ってしまった語るに足らない記憶だ。往々にしてそれは、言語よりも五感が呼び覚ます。たとえば、わかりやすいのは音楽だ。昔よく聞いていた音楽をひさびさに耳にした時の懐かしさは誰もが知るところだろう。音楽の場合は聴覚だが、視覚、嗅覚、味覚、触覚といった五感によって、ふと遠い昔の些細な記憶が蘇ることがある。五感で得た記憶は五感によって呼び覚まされる。
釣りという遊びには、鮮やかな出来事も多い一方、そんな語るに足らない思い出がとても多いのではないかと思う。語るに足らないからこそ時間が経てば忘れてしまうし、意識に上ることもなくなってしまう。だが、例えば斜めに射しこむ午後の木漏れ日とか、魚粉たっぷりの練りエサの匂いとか、定期的に頭上を通過する電車の音など、そんな五感が呼び覚ます記憶は、冷凍保存された「時間」が溶けて戻るかのように、思いのほか強く心を揺さぶることがある。
親の思惑とも無関係に、おそらくは鮮やかとか地味とかそんなことでもなく、当たり前のように過ぎていた時間。いつの日か心を揺さぶるのは、言葉にできない思い出としてふいに五感が解凍する、そんな時間なのかもしれない。
五感で遊ぶ釣りは、語るに足らない思い出をいくつも意識下に溜めこんでいる。