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川と釣りと……
今月の川 静岡県・河津川

静岡県・伊豆半島の河津町を南へ流れる流程16.4kmの中規模河川。天城山脈の南嶺に源流を発し、途中で荻ノ入川、奥原川、大鍋川、佐ケ野川など支流を集めて半島の南東より相模湾に注ぐ。流域には随所に度重なる火山噴火の痕跡が見られ、ジオサイトとしての人気も高い。降水量が多く多湿で落葉広葉樹と照葉樹、それに植林されたスギやヒノキなど多くの木々に覆われた森の中でマイナスイオンを感じられる渓相となっている。ヤマメとアマゴの分布境界で両亜種の特徴をもつ魚を釣ることができる。

伊豆半島のアマゴとヤマメ、その境界を彷徨う

河津七滝の上流にある猿田淵の名の由来に「天狗様である猿田彦が『ヤマメ』を釣った淵だから〜」という説明書きを見て、私はあることを思い出していた。自らが出版する渓流釣りの本『RIVER-WALK First Issue』に掲載した静岡県奥大井・田島地区の「ヤマメ祭」だ。大井川の源流にあたるこの地域で釣れる魚には朱点がある。分類学的にはヤマメではなくアマゴである。ヤマメ祭は釣ったアマゴを神饌とする全国的にも珍しい祭だ。彼の地では昔から朱点を散らしたこの魚をアマゴではなくヤマメと呼び、それが祭の名にもなった。もしかすると河津川の周辺でもアマゴはその昔、ヤマメと呼ばれていたのかもしれない。そんなことを思い、町村史を調べてみたくなった。

河津七滝から急ぎ、図書館のある河津川最下流域まで下りてきた。すぐ目の前に太平洋が見える。七滝から20分もあれば海に出てしまう。

その前に、アマゴとヤマメの語源を少し紹介しておこう。一般的にヤマメを漢字で書くと「山女」もしくは「山女魚」となる。その可憐な姿は「渓流の女王」とも称されるほどだから、女性的な美しさからくるイメージなのだろう。また、ヤマメは「やもめ」が転じたとする説もある。やもめとは寡婦のこと。本来は夫のいない女性のことを表す言葉だが、「男やもめ」という使い方も多く、いつしか妻のいない男性にも使われるようになったという。前回の『リバーウォーク・ストーリー〜川と釣りとサクラマスと』で詳しく紹介したように、ヤマメは海に降ると大型のサクラマスになるが、雄ほど海に降らず川に残る習性が強いものだから、川で見るのはオスばかりの魚=やもめ=ヤマメ、というわけだ。

このようにヤマメの語源には諸説ある。その中で私が好んでいる説は雨にまつわるものだ。漢字で書けば「山雨」でヤマメ。

先にも述べたようにヤマメの一部は川から海に降り、大型化して川に戻ってきたものをサクラマスと呼ぶ。一方、アマゴが海に降るとサツキマスと呼ばれる。だが、これらの名称も昭和初期に大島正満博士に名付けられたもので、それ以前から各地で使われてきた名前ではない。サクラマスやサツキマスの古称は広い地域で「マス」だが、なかには「アメ」や「アメノウオ」というものもある。アメとは「雨」であり、アメノウオは「雨の魚」である。これは雨が降って水かさが増すと一気に動き出す彼らの習性によるものと思われる。

ある地域でサクラマスやサツキマスが「アメ」や「アメノウオ」と呼ばれていたとする。「山にいるあの魚は実はアメと同類だ」となれば、「山に棲むアメ」で「ヤマ・アメ」転じて「ヤマメ」。「あの魚は実はアメの子どもなのだ」となれば、「アメの子ども」で「アメ・コ」転じて「アマゴ」(「アメゴ」と呼ぶ地域もある)。こんな説を私は好んで信じているのだ。

小さなカエデのみずみずしい新緑。
河津のツバキはとても美しい。

川沿いに南走して訪れたのは「河津町立文化の家」。すでに16時を回っており、閉館まで2時間もない。地域史のコーナーを案内してもらい、急いで調べる。

ところが町村史を見ても民話を見ても、ヤマメもアマゴも出てこない。ウナギ、アユ、ズガニ(モクズガニ)は出てくるが、渓流魚がなかなか見当たらない。もちろん見逃しているだけかもしれないが、かろうじて私に見つけることができたのは、筑波大学国際総合学類『平成16年度フィールドワーク実習調査報告書 静岡県 河津町』にある老舗旅館の聞き取りに「昔は今よりウナギやヤマメなどの川魚が獲れた」とあるぐらいだった。ここでもやはり呼称は「ヤマメ」だ。

また、親切にも図書館の係の方が協力をしてくださり『広報かわづ』2013年9月号に、町の郷土史研究の第一人者である稲葉修三郎さんのコラムを探してくれた。「連載 歴史の散歩道 天城のみちすがら」の第九話として、そのものずばり「猿田淵」の解説があった。内容は猿田淵にあった看板とほぼ同じ。猿田彦命がヤマメを一発で釣り上げたとある。

さらに、ふと目についた1982年発行の『静岡県の淡水魚類』を書架から取り出してアマゴの頁を繰ると、冒頭に重要なことが書かれていた。アマゴの方言として、多くの河川では「ヤマメ」と呼ばれていたことが記されていたのだ。静岡県を代表する大井川や富士川、安倍川、興津川にまじり伊豆半島の狩野川や河津川でもアマゴの方言に「ヤマメ」とある。そのうえ『伊豆大辞典』(2010年)のアマゴの項には「伊豆ではヤマメともいっているが、ヤマメは伊豆には生息していない」とも書かれていた。

総合すると、おそらく河津川流域ではかつてアマゴのことを「ヤマメ」と呼んでいたのだろう。そして、あくまでも想像の域は出ないが、朱点のあるアマゴも朱点のないヤマメも区別なく「ヤマメ」だったのではないかとも思う。そう思うのは、町村史や民話の類にほとんどヤマメやアマゴが見られないためだ。10kmちょっとも下れば海に出る河津川流域の人たちにとって、ヤマメやアマゴは食料としての重要度が他の内陸の山村に比べて低かったのではないか。伊豆は海の魚にとても恵まれている。人との交渉が乏しければ、その生き物は民話にも昔話にも登場はしない。もし、ヤマメやアマゴが地域の人にとってそれぐらいの関わりだったなら、朱点の有無など気にもされていないのかもしれない。ましてや微妙な中間形がいくつもいるわけだから……。

その日、宿泊したのは昭和8年に創業した老舗旅館だった。翌朝、宿のご主人に「この辺の渓流魚はヤマメですか? アマゴですか?」と聞いてみた。「ヤマメですね」と即答のあと「いや、アマゴだったかな?」と続く。その違いも曖昧のようだ。聞けば川沿いでもこの辺り(河津川の下流域)の宿で食事に出すのは、主に海の魚だという。しばらく考えてから「やっぱり昔はヤマメと言っていたと思います。今はなくなってしまいましたが上流のほうに『ヤマメの宿』という名前の民宿もあったかと思いますので」と教えてくれた。

前日とは別の支流に入渓。景色はさほど変わらず、流量は前日よりもやや多め。

丸いパーマークの理由を妄想する

さあ今日は、どんな魚と出会えるのだろう。心躍らせながら、前日とは違う支流を上る。水量はある。まだ朝早いうちの曇り空ということもあるが、岩も苔むしてジメッとした雰囲気。ところどころに薄桃色の山桜(河津桜?)が色を添えている。この日もミラー2gを結び、何となしにキャストした。すると拍子抜けするほどいきなり食ってきた。ネットに収めると25㎝弱のアマゴだ。

一見して野性味あふれた雰囲気を感じる。求めていた魚に違いない。丸いパーマークとBLACK SPOTS、なによりも腹側に散ったオヤジの剃り残したヒゲのようなまだら模様は、エラ蓋にまで広がっている。背中は擦り傷だらけ。そして小さく暗い朱点が無造作に散らばった体側はサーモンピンクに染まっているではないか!

この川の自然が長い年月をかけて作り出した色彩美。そう思いながら、しばしの間うっとりと眺め、愛でて、元の流れに放した。

いきなり釣れたアマゴはいかにも原種を思わせる風貌。朝の曇天で撮影条件は悪かったが、それでもこの魚の雰囲気は伝わるはず。
サーモンピンクの上に丸いパーマークが散らばる。そして朱点とまだら。さらに擦り傷も多数入っていた。
とろんとした飴色の尾ビレは両端が朱に染まっていた。
大きくはないが、長い時間をこの沢で暮らしてきた風格を感じる面構え。

余韻に浸りつつ、先へ進む。水際の砂地に、ほんの少し前までイノシシが掘り起こしていたと思わしき痕跡が現れる。先に進むと、またイノシシの痕跡。まるですぐ先を行く釣り人の足跡を追っているようだ。もちろん、緊張感はそれ以上にある。

イノシシの痕跡がなくなったあたりで小さなアマゴが釣れた。丸く小さなパーマークの形がところどころで乱れている。そこに控えめな朱点がパラパラ。

続けて輪郭のくっきりした小判形のパーマークを持つアマゴが釣れた。その先に、大きなナメ滝が現れた。魚留めの滝だ。滝の途中で釣れた小さなアマゴはパーマークも小型で丸く、BLACK SPOTSもくっきりしている。いやがおうにも原種の残りやすい滝の上に期待が膨らむ。

ところが滝を越えた先の沢で釣れたのは、思いと反して丸型ではなく小判形のパーマークが整然と並び、大きめの朱点が散ったアマゴだった。次に釣れたアマゴのパーマークはさらに細い。こうなるともう、迂闊なことはなにも言えない。ともかく釣れてくる魚の紋様に幅があることは確かだ。

さらに川を上っていくと、またしてもパーマークは丸くなっていく。朱点も少なくアマゴともヤマメとも思える魚が釣れた。時刻は9時15分。まだ時間は早く、さらに上流を詰めてみたかったが、楽しみは次回に取っておこう。それよりも釣りをしながらずっと考えていたことの答えを探しに、ここで退渓することにした。

イノシシが掘り起こしたと思われる痕跡。川辺の砂地のあちこちにあった。ミミズでも探しているのだろうか? 緊張感が漂う。
ナメ滝に登る手前で釣れたアマゴ。朱点は控えめ。丸型のパーマークがところどころで崩れたりくっついたりしていた。
これもナメ滝手前の1匹。輪郭のくっきりとした小判形の細長いパーマークを持っていた。
何段にも重なっていたナメ滝。おそらくは魚留めの役割を果たしているだろう。途中の淵にもアマゴはいた。上流から落ちてきたのか、放流されたのか。
ナメ滝の途中にある淵で釣れた小さなアマゴ。はっきりした丸いパーマークとBLACK SPOTSがたくさん並んでいた。
滝を登りきったところで釣れたアマゴ。整然と並んだ細長いパーマークは放流魚を思わせたが、果たして……。
続けて釣れたアマゴのパーマークはさらに細長く間隔も広かった。ぼたぼたと落ちていたツバキの花とパチリ。
川辺にひっそり自生していたワサビ。近隣にはワサビ畑がたくさん点在しているが、どこからか運ばれたものだろうか。
まだしばらくは良さそうな渓相が続いたが、林道との距離感がつかめなくなったため、安全第一で引き返すことにした。

お椀を伏せたような鉢ノ山に登る

向かったのは、お碗を伏せたような形の鉢ノ山。山頂の標高は619.1m。伊豆東部火山群のひとつだ。約3万6千年前の噴火で吹き出したスコリア(吹き上がったマグマが飛散冷却してできる岩の塊)が降り積もってできたものだという。駐車場から山頂までは、山を半周巻くように登る「森林セラピーロード」で1.5kmほど。ツバキやマンリョウなどの照葉樹と、落葉広葉樹であるシデの仲間の新緑が作る緑のトンネルを進む。色のアクセントは真っ赤なツバキと薄桃色の山桜、そして春を告げる黄色いキブシ。途中、やたらと道端の茂みからカサカサと音がするので注意深く見てみると、カナヘビやトカゲがたくさんいる。ムッとする香りはヒサカキだろう。そして山頂に近くにつれ、スコリアの小さな粒が目につくようになってきた。それを見て、思わずニヤついてしまう。妄想の世界を遊ぶ。

山頂へと繋がる「森林セラピーロード」はとても気持ち良い散策道。道の左右で明るさが違うことがわかるだろうか。道の左側は主に照葉樹のツバキ、右側は落葉広葉樹であるシデの仲間が新緑の葉を広げていた。
マンリョウ。赤い実をつけていた。
ユニークな展葉をした実生がたくさんあった。
見上げると若葉の新緑の向こうにうっすらと青空が。時折、陽も射した。

山頂近くのパノラマ展望からは、なんと海が見えた。利島や新島、三宅島も見える。山の尾根には風力発電の風車が連なっていた。さらに噴火口である山頂へ登ると、そこはしんとした気配に包まれていた。朽ちて倒れた木から生える新たな照葉樹。大木を覆い尽くすように天へと伸びゆくツルアジサイ。そして薄暗い中央には1737年に安置された石仏群があった。独特の表情、頭を失ったもの、代わりに石を乗せられたもの。苔むし、倒れ、積まれ、新たな命を宿ったような石仏たちに、レンズを向けることができなかった。

頂上付近のパノラマより。太平洋の水平線に大小の離島が浮かぶ。左で木に囲まれるように見えるのは伊豆七島の利島。
向きを変えると中伊豆の山々が雲から見えていた。
平らになった山頂部あった朽ちた倒木。
カサカサと枯葉を鳴らす主を探したら、保護色に身を包んだニホンカナヘビが現れた。
木の幹を覆うように伸びるツルアジサイ。
山頂からの下り道。この季節、山には様々な濃さの緑があった。

最後にもう1匹だけ。そう願って本流の近くへ入渓

鉢ノ山を下山した時点で11時。最後にもう1匹だけ河津川水系のアマゴを見たいと思った。これまで通り過ぎていた本流との合流部からさほど遠くないところに入渓する。流れに降り立つと、思いのほか岩が大きい。そして水量が豊富で水押しも強い。まさにルアーにうってつけと言える渓相だ。少し上流には巻かないとそれ以上先へは行けない大岩があり、釣りをしたのは100mほど。それでも狙いすましたように1匹のアマゴがルアーを食ってきてくれた。25㎝ほど。薄いオリーブ色のしっとりとした地肌に小判形のパーマークが並び、側線よりも背中側に鮮やかな朱点が散らばる、絵に描いたような美しいアマゴだった。

最後に入った支流の下流域。薄日の差し込む渓には初夏を思わせる清々しさがあった。
今回の釣行で最もサイズの良かった25㎝級のアマゴ。ベージュに染まった地肌と端を朱に染めた尾ビレが見事な1匹。パーマークは細長く、鮮やかな朱点が数多く散っていた。
ロッドは3ピースのワイズストリーム49L-3、リールはバリスティックFW LT1000S-P。ミノーよし、スピナーよしの万能タックル。
右上より時計回りに。シルバークリークミノー44、シルバークリークスピナー3.0、パンサー3g、ミラー2g。フックはすべてシングルバーブレスに交換。

私はこの1匹で、すっかり満足してしまった。この時の私にはこの魚が原種であるかどうかなど問題ではなく、この瞬間に出会えた1匹に感謝の気持ちが湧いた。だがそんなさなかにも、伊豆半島の丸い斑紋を持つアマゴ(もしくはヤマメ)のことが頭を離れることはなかった。昨日からずっと釣りをしながら考えて続けていたことがある。

なぜ、伊豆のアマゴはパーマークが丸いのだろう?

私は釣りをしながら、その理由に思い当たった(気がした)。理屈はつまり、保護色だ。環境に色が馴染めばそれだけ外敵に襲われづらい。特に稚魚期、サギ類やカワセミなど水面上から狙われやすい浅瀬にいる時は保護色の効果が生死を分けるのではないか。

その時期の稚魚が群れるのは、岸際にある流れの緩い場所だろう。実はそこに保護色の元となるものがあった。鉢ノ山の山頂付近でも見られたそれは、艶やかで透明な流れの底で、色とりどりに、小さく丸い斑紋を描いていた。まるでアマゴのパーマークのように。

個人の大いなる妄想力。いにしえの火山が吹き上げて散らばり、川の流れが丸く磨いたスコリアの小さな粒が、私にはそのように見えた。

スコリアの茶色い粒に桜の花びらが散る。
鉢ノ山の山頂付近で見たスコリア。
スコリアなど溶岩由来の石粒が川に磨かれて丸くなる。妄想家にはこれが丸いパーマークに見えてしまったのだ。
浅く流れの緩い「たまり」に集まるスコリア由来の石粒。ヤマメやアマゴの稚魚が群れるのもこんな場所だ。

写真・文:若林 輝