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川と釣りと……
今月の川 栃木県 中禅寺湖流入河川

中禅寺湖には、北側から流れ込む湯川のほか、日光国立公園内を流れて西側から流入する川が4本ある。外山沢、柳沢、横川、観音水だ。柳沢や外山沢では、かつて避暑に訪れる国内外のセレブがフライフィッシングなどを楽しんだこともあるが、現在は湖の西側全面とともにこれら4河川は周年禁漁区となっている。いずれの川も、比較的湖から短い距離で伏流してしまうが、繁殖期になると湖のトラウトたちが遡上・産卵を行う。元々は魚がいなかったとされる中禅寺湖で、野性味あふれるワイルドトラウトを狙える一端は、これら流入河川での再生産力にもあると言えるだろう。ちなみに中禅寺湖からの流出河川は、華厳の滝を介して流れ下る利根川水系の大谷川だけである。

奥日光、中禅寺湖、そしてブラウントラウトについて

翌日は湖西側の千手ケ浜に流れ込む流入河川を歩いた。学生時代に研究のフィールドとしていた川であり、今でも秋にホンマスやブラウントラウトの産卵行動観察に訪れる川だ。中禅寺湖は西側を周年の禁漁区としており、これらの川もすべて禁漁区となっている。とはいえ、行けば必ず魚影が見えるというわけでもなければ、今は産卵期でもないので、魚を期待していたわけではない。ただ、久々に川を覗いてみたくなったのだ。

千手ケ浜へ行くには1時間ほど歩くか、もしくは戦場ヶ原の南東端にある赤沼車庫から出ている低公害ハイブリッドバス(季節運行)に乗っていく必要がある。以前は一般車も走れた舗装道なので、自転車でスイスイ走っていくこともできる。私は時間があれば歩いていきたい派だ。今にも雨が降り出しそうな暗い雲が垂れ込めているが、それでも湿原や原生林の残る日光国立公園内の森を歩くのはとても心地よい。

ここで少し、中禅寺湖周辺環境の成り立ちに触れておこう。

今から約2万5千年前、男体山が噴火して、現在よりも北側を流れていた大谷川水系が溶岩で堰き止められ、中禅寺湖や、戦場ケ原の原型となる古戦場ケ原湖が生まれたという。古戦場ケ原湖はその後の火山の噴出物や土砂の堆積により、今では標高約1400mの高地に広がる広大な湿原・戦場ヶ原となっている。さらに約6千年前には三岳の噴火により湯川が堰き止められ、湯ノ湖が生まれた。中禅寺湖、湯ノ湖ともに火山の溶岩により元々の川が堰き止められた堰止湖であり、あふれた水の出口が長い年月により浸食され、それぞれ有名な景勝地である華厳の滝(高さ97m)と湯滝(高さ70m)ができあがった。現在、湯滝に落ちた湯ノ湖の水は戦場ケ原を蛇行して流れる湯川を通り、竜頭ノ滝を経て、中禅寺湖の北岸にある菖蒲ケ浜へ注いでいる。そして中禅寺湖の水は唯一の流れ出しである華厳の滝を落下して、利根川水系の大谷川へと注いでいるのだ。

当日の華厳の滝。かつてここから落下したホンマスが大谷川に戻ってきたという話を聞いたことがある。そんな馬鹿な……とも思う。イワツバメが気持ちよさそうに舞っていた。
戦場ケ原の西方にある小田代ケ原。秋の風景。中央のシラカバは「白い貴婦人」と呼ばれ、シンボルツリーとなっている。

ここでひとつ、中禅寺湖の魚たちを知るうえで重要なことを書いておこう。

中禅寺湖をはじめとする華厳の滝よりも上流の川や湖には、元々魚が棲んでいなかったと言われている。つまり、中禅寺湖やそこに注ぐ湯川、さらにその上の湯ノ湖に現在生息する魚たちのすべてが、放流魚もしくはその子孫である、というわけだ。奥日光は山岳信仰の聖地であったことから、中禅寺湖に魚を放流することは禁じられていたが、1873年(明治6年)に200匹のイワナを放流したことを皮切りに多魚種の放流が行われるようになった。コイやフナ、ウナギやドジョウ、ワカサギなどなど。そして釣りや食品として有用であるサケ科魚類の移入も次々と試みられてきた。定着はしなかったがホワイトフィッシュやサケ(シロザケ)も移入されている。いわゆる外来種には、海外から持ち込まれた「国外外来種」と、国内のある地域から元々いなかった地域に持ち込まれた「国内外来種」がいるが、中禅寺湖や湯川、湯ノ湖について言えば、そのすべてが「国外外来種」もしくは「国内外来種」、というわけだ。

人の手によって放された魚たちは、別天地である奥日光の豊かな水環境を舞台に新たな生存競争を繰り広げ、隆盛や衰退を繰り返してきた。それに加え最初の放流から約150年もの間、絶え間なく「管理者」である人間好みの魚が運ばれ、増やされ、放流されてきた。中禅寺湖の現在の魚類相は、変化する環境条件の中で繰り返されてきた自然選択と人為的干渉の結果だ。長い間、中禅寺湖の名産といえばヒメマスとホンマスだった。両種の資源量を増やすために毎年、たゆまぬ増殖努力が払われてきた。魚食性の強いブラウントラウトやレイクトラウトは、ヒメマスやホンマスの稚魚や幼魚を食べてしまうことも懸念されてか、初期の放流以降はほとんど増殖措置を取られてこなかった魚たちだ。彼らはほとんど自分たちの力によって、一方は湖の底で、もう一方は主に西側の流入河川で自然繁殖を繰り返し、一定のニッチを獲得してきた存在なのである。

最後の大遡上だった2017年のヒメマスの群れ(許可を得て撮影)。風物詩でもあったこの風景を再び見ることのできる日はくるのだろうか。

全国的に見れば、ブラウントラウトが日本に最初にやってきたのは1892年。ブルックトラウトの卵に混じって移入されたのが最初だと言われている。漁協や自治体等による公的な放流は中禅寺湖や芦ノ湖、本栖湖などの一部を除けばほとんど知られておらず、大部分は養殖魚の逸脱や私的な放流によって、北海道を中心に不連続的に分布している。魚食性が強く、また北海道では一部、海を伝って分布域を広げていることもわかっており、在来のイワナやヤマメ(サクラマス)、サケ稚魚などへの影響が懸念されている存在だ。自然への影響を評価する科学的知見が数多く集まっている現代において、行く末に責任を持ちえず公的な記録も残らない個人の私的放流は、たとえ規則に定められていなくても、たとえどんなに魅力的な釣魚であろうと慎むべきだ。このような考えがむしろ魚や自然に親しみ遊ぶ釣り人側から発せられてもよい時代に差し掛かっていると私は考えている。

ブラウントラウトが産卵をする川へ

赤沼車庫に車を停め、戦場ケ原の西側にある小田代ケ原までは未舗装の散策路を歩く。湿地を流れるスプリングクリークの湯川をまたぎ、ミヤコザサの林床に今にも動きだしそうな古い倒木を見ながら進む。ここにくるといつも、小さな鳥の声がわかれば面白いのにな、と思う。わかるのはいつもカケスばかりだ。小田代ケ原からは低公害バスの行き交う舗装道を歩く。勾配を上ると、この道路で最も標高の高い弓張峠だ。それを境に湿原から森へと景色が変わり、季節を数週間巻き戻したような感覚に襲われる。どことなく薄暗く感じるのは、山あいの谷を進むことになるためだ。徐々に舗装道の脇の川筋が見えはじめるが、まだ水はない。進むにつれて枯れ沢に少しずつ水が現われ、それがつながりひとつの川となる。

湿地を流れる湯川。フライフィッシング発祥の地とも言われている。1902年に英国スコットランド出身の貿易商であるトーマス・ブレーク・グラバーが、アメリカから輸入したブルックトラウト(カワマス)の卵を孵化させて湯川に放流して以来、この川はブルックトラウトの釣れるスプリングクリークとしてルアーやフライを楽しむ人たちの憧れとなっている。川で自然繁殖した美しいブルックを釣ることができる。
ミヤコザサが繁茂する林の中を歩く。至る所に倒木があり、そこにはキツツキの掘った穴が開いている。
シカの食害を避けるために小田代ケ原周辺には柵が張り巡らされている。
渓流釣りや川歩きの友であるカケス。「ジェー」という独特の声と、ヒラヒラ舞う姿に癒される。
日陰には残雪があった。
まだ新緑には遠い小田代ケ原。秋の芝もみじは実に見事。

シカによる林床の食害は、以前よりも減ったようにも感じるが、それでも角を研いだ跡の残る木が所々に見られたり、草には食痕が目につく。それよりもカラマツの幹に巻かれた白いテープが気になった。説明書きを見ると、クマやシカによる樹皮剥ぎ被害を防止するためとある。道路脇にはイノシシに掘り起こされたような跡も目に付いた。

川の水量は昨秋よりも減っていた。雪解けはまだなのか? 冬から春に繁殖期を迎えるニジマスの産卵行動を見ることができないだろうかと淡い期待を抱いていたが、産卵床らしきものもない。カワガラスが石の上でピッと鳴いて、矢のように水面ぎりぎりを飛んでいった。水中を覗けば、昨年の秋に産卵したホンマスやブラウントラウトの稚魚を見ることができたかもしれないが、水の流れが滞留する「たまり」には、姿を見ることができなかった。

小さなシカの角が落ちていた。
クマによる樹皮剥ぎだろうか。予防用の白いテープが巻かれていたが……。
至る所にクマへの注意を喚起する看板が備え付けられていた。
禁漁区の看板。
中禅寺湖流入河川の外山沢。水量がだいぶ少なくなっているのは季節的なものだろうか。ホンマスやイワナ、ブラウントラウトにとっては大切な産卵河川。
石の上で周囲を見回すカワガラス。アオシギらしき鳥も飛び去っていった。

昨秋見て感じたホンマスとブラウンの現在

陽光に包まれた秋の外山沢。

昨年の10月中旬にこの川を訪れた時、観察しようとしていたのはホンマスだった。ホンマスの産卵期のピークは10月中旬で、これまでブラウントラウトの産卵行動が見えたのは11月に入ってからだったからだ。ところがホンマスの姿はなく、確実にこれがそうだと言える産卵床も見てとることができなかった。代わりに湖から遡上したブラウントラウトが上流を目指す姿を観察することができた。なかには産卵行動中のものもいて、激しく水しぶきを上げるオス同士の争いに固唾をのんだ。

産卵行動中のブラウントラウトオスの突進。激しい水しぶきが上がった。
遡上中のブラウントラウト。時折顔を水面上に上げる習性を持っている。

生涯に一度海から遡上して産卵をすると生涯を閉じるサケやカラフトマス、それにホンマスの仲間であるサクラマスなどは、遺伝子にプログラミングされたような強い不可逆性を帯びた産卵行動を見せる。川底の砂利を掘るメスの尾ビレはボロボロになり、産卵終期には中の骨が露出するほどだ。遡上にも一心不乱の勢いを感じる。対してブラウントラウトやイワナは複数年産卵を行う。中禅寺湖のブラウントラウトを見ていると、一心不乱というよりも、もう少し遊びがあるというか「今年がだめなら来年があるさ」というような気楽さを感じる。いや、自然界で生命を繋ぐ行為に気楽さなどないのかもしれないが、それぞれの個体ごとの行動に「己の意思」を感じてしまうのだ。たとえば、上流へ行ったと思ったら、一気に下流へと流されていくのを楽しんでいるようなやつがいたり、ほとんど水面から体が出てしまうほどの浅瀬で休んでいるようなやつがいたりする。

産卵床を掘るブラウントラウトのメス。

それにしても、ホンマスはどうしたのだろう? ここ数年、遡上量が激減しているヒメマスとともに、資源量の減少を囁かれているのがホンマスだ。ヒメマスとホンマスは、漁協が増殖に力を入れている魚種だ。毎年、菖蒲ケ浜から漁協の水路に遡上したものが親魚として捕らえられ、人工ふ化放流が行われてきたが、その親魚の確保も危ういほど減っている。一説には、増えたブラウントラウトやレイクトラウトによる食害が影響しているとも言われているが、科学的な確証は得られていない。母川回帰性が極めて強いヒメマスは、ほぼ漁協による人工ふ化放流で命を繋いでいる(一部、遡上水路や湖岸でも産卵を行っているはずだ)。対してホンマスは漁協による人工ふ化放流に加え、流入河川での自然繁殖が一定の資源量を担保していると考えられてきたのだが……。単純に昨年は全体的に時期が前倒しになっていただけかもしれないが、長年観察してきた私には、ちょっとショッキングな光景だった。

ハルニレの巨木を通り過ぎ、千手ケ浜に着くと、すぐに雨が降り出した。今日も湖の向こうでは熱心に竿を振るトラウトファンの姿があるだろう。男体山が悠々と湖に浮いている。どんな天候でも中禅寺湖は素晴らしい。そして中禅寺湖のブラウントラウトに会いたかったとまた思う。おそらく湖を回遊するブラウンは、繁殖期のそれとはまた違った顔を持っていることだろう。ハルゼミが落ちる前にザ・ミノーを持って、もう一度狙いに行きたい。ハルゼミの時期に合わせてセミのフライで試してもみたい。大好きな中禅寺湖に棲むブラウントラウトのイメージを、このさまざまなことを考えさせてくれる異国からやってきたトラウトの輪郭を、もう一段くっきりしたものとして自分の中に描いてみたいのだ。

河口部はほぼ閉じていた。ポツポツと雨が落ちる中、対岸で竿を振る人たちを思う。
いろは坂を下り、華厳の滝の下流に当たる大谷川をのぞく。川辺の木々はすでに新緑の季節を迎えていた。

写真・文:若林 輝

参考文献:『日本の淡水魚』(山と渓谷社)/日光自然博物館の展示も参考にさせていただきました。