



中禅寺湖には、北側から流れ込む湯川のほか、日光国立公園内を流れて西側から流入する川が4本ある。外山沢、柳沢、横川、観音水だ。柳沢や外山沢では、かつて避暑に訪れる国内外のセレブがフライフィッシングなどを楽しんだこともあるが、現在は湖の西側全面とともにこれら4河川は周年禁漁区となっている。いずれの川も、比較的湖から短い距離で伏流してしまうが、繁殖期になると湖のトラウトたちが遡上・産卵を行う。元々は魚がいなかったとされる中禅寺湖で、野性味あふれるワイルドトラウトを狙える一端は、これら流入河川での再生産力にもあると言えるだろう。ちなみに中禅寺湖からの流出河川は、華厳の滝を介して流れ下る利根川水系の大谷川だけである。
トラウトの聖地、そして私の礎でもある中禅寺湖を訪ねる
栃木県奥日光の中禅寺湖は、毎年4月1日の解禁からシーズンを通して多くの釣り人が訪れるトラウトフィッシングの聖地である(2021年は9月19日まで)。「聖地」なんて簡単に付けられる形容詞でないことは承知のうえで、あえてそう呼びたいのは、この湖ならではの価値を多くの釣り人が認めていると思っているからだ。
まずは、なんといっても釣れるトラウトの種類が豊富だ。中禅寺湖は、おそらく国内で唯一7種類ものサケ科魚類が生息する湖だ。ざっと挙げるとホンマス、ブラウントラウト、レイクトラウト、イワナ、ブルックトラウト(カワマス)、ニジマス、ヒメマスとなる。なかでも近年トラウトアングラーが夢中になっているのは黄金色をしたヒョウ柄の立派な体躯を持つブラウントラウトと、日本ではこの湖にしかいないレイクトラウトではないだろうか。

これらバリエーションに富んだトラウトが釣れるロケーションがまた素晴らしい。海抜高度1269mの中禅寺湖の周囲には、ミズナラやハルニレ、ダケカンバなどの落葉広葉樹に加え、濃い緑色をしたコメツガやウラジロモミなどの針葉樹がアクセントとなり、湖のまわりを取り囲む。「山側」と呼ばれる湖南岸に立てば対岸の背後にそびえる男体山を仰ぎ見ながらキャストすることができる。木々の香りを運ぶ冷たい風を感じながら悠々と広がる裾野を生き物のように這い上がる雲を見ていると、日常とはかけ離れた別世界の時間を味わうことができる。
明治期から戦前にかけては西欧の外交官たちの避暑地として親しまれ、多くの大使館別邸が作られた。今でも湖の東側にはイタリア大使館やイギリス大使館の雰囲気を残した建物が残っていて、当時の趣を感じさせてくれる。往時、奥日光は避暑を兼ねた名士や実業家たちの社交の場であり、1915年(大正4年)にはイギリス人貿易商の父と日本人の母を持つ実業家のハンス・ハンターが『東京アングリング・エンド・カンツリ―倶楽部』を発足、中禅寺湖や湯川はフライフィッシングを中心とした社交倶楽部の本拠地となり「フライフィッシング発祥の地」と呼ばれてもいる。そんな豪奢な西洋の歴史も、中禅寺湖に来る釣り人にとっては大きな魅力のひとつだろう。
このようにトラウトアングラーが喜ぶ魅力をたくさん持つ中禅寺湖だが、私にとっては、さらにもう少しだけ、特別な意味を持っている。今から25年ほど前に、大学で淡水魚の生態を勉強していた私は、川で産卵するサケ科魚類の種間干渉をテーマとした修士論文に取り組んでいた。その研究のフィールドが中禅寺湖の流入河川だったのだ。



サケが海から川に戻ってくることを知らない人はほとんどいないだろう。だが、湖で暮らすトラウトたちが産卵のために川を遡上することは、あまり知られていない。中禅寺湖の場合、北側と西側に川や水路があり、湖のトラウトは産卵期になると、そこに遡上して産卵する。私が研究をしていたのは湖の西側にある千手ケ浜から流れ込む川で、秋になるとホンマスとブラウントラウト、そしてイワナが湖から産卵のために上ってくる。その時期は少しずつずれている。とはいえ、同じ川の似たような所を産卵場として利用するため、種と種の間には何らかの干渉(競争)が起こっているのではないか?と見立て、それぞれの産卵期と稚魚期の生態を調べるという研究だった。こう書くと難しく感じるが、やっていたのはそれぞれの魚がどこでどのように産卵しているかを期間中毎日のように歩いて調べることだった。ウェーダーを履いて毎日11㎞ちょっと、ひたすら川を歩いた。当連載のタイトルにもある「リバーウォーク」を、私は屋号としても用いているが、直訳すれば「川歩き」となり、その由来はこの時の経験に基づいている。
研究では、先に産卵するホンマスの産卵床(川底の砂利を掘って造る巣のようなもの)を、あとから産卵するブラウントラウトが掘り返して再利用することで、ホンマスの卵に影響を及ぼすのではないかという示唆を得た。ホンマスとは、中禅寺湖にいる湖沼型サクラマスの通称だ。中禅寺湖には古くから琵琶湖のビワマスや北海道のサクラマスなど、産地を異にするサクラマスの仲間が放流されてきた。それらが交雑してできたのがホンマスだ。湖に降る前の姿はヤマメやアマゴにとても近い。

一度私はこの川を観察していた際、30㎝ほどのブラウントラウトがホンマスの幼魚を浅瀬から陸地にまで追い込み、まるでオルカ(シャチ)のように体を半分乗り出して捕食するシーンを目撃したことがある。それはすごい光景で、魚食性の強さを垣間見た瞬間だった。稚魚や幼魚期はホンマスのほうが成長が早いため、ホンマスがブラウントラウトに競争で負けることは少なそうに思えたが、その後も河川に滞在して成長するタイプのブラウントラウトは、ヤマメの稚魚や幼魚の天敵になっている。ちなみにブラウントラウトは今、北海道を中心に放流や、そこからさらに海を介して分布域を広げ、在来種であるヤマメやイワナに及ぼす影響が懸念されている。一般的には「在来の魚に影響を及ぼす問題の外来魚」という認識が高まっている存在、とも言えるだろう。
それでも私は中禅寺湖のブラウントラウトがとても好きだ。ひとり黙々と川歩きを通して見続けてきたこの魚に、惚れこんでいるといってもいい。産卵期に川を遡上してくる隆々とした体躯も素晴らしいが、とても臆病な稚魚期も愛らしい。ザラメ糖を散らせたようなヒョウ柄にもゾクッとくるし、川にいる若齢魚に多い、白く縁どられた朱点も素敵だ。研究時に何度か食べたこともあるが、ほくほくとした身肉はとても美味しい。「中禅寺湖のブラウントラウトが好き」。私にとって、これは理屈ではなく、感情そのものだ。
ふと、中禅寺湖のブラウントラウトを、釣ってみたくなった。


狙うはワカサギを浅場に追い込む回遊タイプ
今回、釣りをしたのは解禁直後の賑わいが落ち着いた4月27日。雲の多い晴天の一日。
中禅寺湖のブラウントラウトと言えば、6月ごろから鳴きだすエゾハルゼミが木からポトリと水面に落ちたのをバクッと食べる、それを模したフライやルアーで狙うトップウォーターの釣りが有名だ。回遊を待って浮かせたフライを30分もそのままにしておく釣り方もあるという。セミにはまだ早いこの時期、ブラウントラウトが意識を向けるのは産卵のために岸に寄るワカサギだ。フライでは「ドラワカ」と呼ばれるドライ・ワカサギパターンが人気。産卵後にフラフラと浅瀬を漂うワカサギをイミテートしたフライをガツンとひったくりにくる……という釣りだ。
中禅寺湖のブラウントラウトの釣りで頭に浮かんだ知識はこれぐらいだった。実は中禅寺湖で釣りをするのは今回が2度目。5年ほど前に山側の急深な地形にスプーンを落とし込んでレイクトラウトを狙ったのが唯一、中禅寺湖で釣りをした経験なのだ。もちろんブラウントラウトを狙うのは今回が初めて。大好きな中禅寺湖の大好きなブラウンに、初めて釣りで挑むのだ。ならば事前学習は極力しない。理解する過程こそが釣りの最大の醍醐味なのだから。
現場に着いて遊漁券の販売員の方に近頃の釣れっぷりを聞くと、今ひとつとのこと。
「魚はいると思うんだけどねー。落ち着いちゃってるね。ワカサギ? ああ、山側の砥沢や阿世潟あたりには群れがいるみたいよ」。
その言葉を聞いて、とにかくワカサギのいる山側のワンドを目指す。セミパターンには早い今回、浅瀬に回遊してきてワカサギを捕食するブラウントラウト一択に狙いを絞る。そしてルアーも決めていた。ダイワ往年の名作である「ザ・ミノー」である。このルアー、90年代に発売された9㎝のブラックバス用フローティングミノーで、河口湖の浜などでよくバスを釣った記憶が残っている。ワカサギそっくりのシェイプ良し、フラフラ・キラキラとウォブンロールするアクション良し、シール張りの目玉も良しと、三拍子そろった大好きなミノーだが、唯一の弱点は飛ばないこと。重心移動システムを搭載する現代のミノーに比べると飛距離は半分も出ない。かなり飛ばない。せいぜい25mぐらいではなかろうか。だが中禅寺湖のブラウントラウト初挑戦となる今回の釣りをアレコレ考えているうちに、「ワカサギパターン+ザ・ミノー」が私の中で欠かせない存在として固まってしまった。ならば逆算をして、これで釣れる場所を選べばいい。回遊するブラウントラウトがワカサギを追い込み、なおかつルアーの飛距離を必要としない近距離勝負ができる場所。となれば「シャロー・ニア・ディープ」、つまりは深場から浅場への移行帯だろうと考えた。また、近距離勝負だけに、岸に立つ釣り人の存在はできるだけ消したい。そもそも単独釣行だが、周囲の釣り人との距離を意識して取れる場所を選んだ。
写真を撮りながら1時間ほど林道を歩いて、ワカサギの群れがいると教えてもらった阿世潟の手前あたりに到着。砂浜のワンドがいくつかあり、その両端は急深と思える岩場となっている。ブラウントラウトは回遊している魚だろうから、基本的には一度決めた立ち位置で一日中粘って投げ続けようと決めていた。だからこそ「ここならば釣れる!」と根拠のない自信の持てる場所にしたい。水面を見ながらカツラの木に寄りかかっていると「コココココ……」というキツツキのドラミングが聞こえた。これはいい。ドラミングを聞きながら静寂な水面にザ・ミノーを投じる。今にもリトリーブ中のルアーが引ったくられそうな、リアルな期待感を抱ければそれでいい。「ここにしよう……」と思い、斜面を降りたその時だ。
「ジャポンッ」
なんと目の前の水面が割れ、ブラウントラウトと思われる巨大な頭が飛び出した。岸からは10mほどだろうか。何を食べたのだろう。いや、ブラウントラウトは意味もなく頭を水面上に出す習性があることも知っている。いずれにせよ、ザ・ミノーの飛距離で十分に届く距離だ。ゆったりと準備するプランは一気に崩れ、ガイドにラインを通す手ももどかしく、焦り焦りファーストキャストをライズのあった場所の先へ投じた。
細い線を重ね、釣り方をデッサンする
予想はしていたが、そうそう簡単にアタリはない。だが釣りで楽しいのは、まだ見ぬ相手のイメージを自分の中で作り上げていく過程だ。イメージを作りながら、マイナスになりそうな要素をひとつずつ減らしていく。
朝イチにあった岸近くのライズもそうだが、前述したシャチのような岸に追い込む捕食スタイルも私の頭に焼き付いているブラウントラウトのイメージだ。岸際ギリギリで食ってくることも多い魚だろうから、そのチャンスを逃さないため水際から離れた位置に立つ。下がった位置から飛ばないルアーをキャストし続けている姿は、傍から見たらとても滑稽に映るだろう。それでも大切にすべきは、自分の中のイメージだ。
次にルアーを投げる位置。自分の立ち位置から右、正面、左と扇状に投げていく。回遊してくる魚を狙う釣りだから、全く同じコースに投げ続けても良いのだが、なんとなく。
そして、いざブラウントラウトがルアーを引ったくった時にちゃんとフッキング(ハリ掛かり)するための体勢も整える。参考にしたのは過去に数回経験したことのある海のアメマス釣りだ。アメマスとはイワナが海に降ったものだが、岸際ギリギリでも食ってくる習性や釣れるサイズの想定(小型で30㎝前後。大型だと70~80㎝)も中禅寺湖のブラウントラウトに近い。
あと重要なのはルアーアクションだ。接岸するワカサギを食べにくるブラウンを狙うのだから、ワカサギの動きを真似すればいいのだが、さてどうしたものか……? もう少し時期が進んだ産卵終期ならば、産卵後でヨタヨタと弱ったワカサギをイメージした動きにしたいところだが、まだ元気なワカサギを襲うイメージなら、もう少しクイックな動きがいいだろう。クイックな動きといえば、芦ノ湖などでブラウントラウトをミノーで狙う時に有効とされる「グリグリメソッド」が頭に浮かぶ。実は過去に、その名手と呼ばれた人物を取材したことがあり、「ジョリジョリッ、ジョリジョリッ」というカーディナルのクリック音とともに、そのテンポを鮮明に記憶していた。これで行こう。
いずれにしても岸際の浅場で釣りをすると決めた時点で、何かを捕食しにくるブラウントラウトを狙っていることになる。つまりは「食い気のある魚が相手」ということだ。ならば、多少アクションが適したものでなかろうと、目に入れば食ってくる……はず。大切なことは、休まずに投げ続け、常にルアーを水の中に入れておくことだろう。
このように、細い線を重ねてデッサンするように、少しずつ釣り方を組み立てていく。正解であるかどうかは釣れるまでわからないが、大切なことは正しいか誤りかよりも、自分が信じて釣りを続けられるかどうかにある。イメージさえ固まれば、いつ食ってくるかもしれない相手を待つドキドキ感を味わいながら釣ることができる。釣れていなくても、その時間はとてもエキサイティングだ。特に相手が思い焦がれた魚であればなおさら。
風が様々な方向に向きを変える。水面に波が立ち、また静かにおさまっていく。雲に隠れた太陽がまた顔を出す。何がきっかけになるかわからないので、自然状況の変化を感じるたびに、集中力を高める。
途中、ふたりの釣り人が50mほど離れた位置に入り、重ためのスプーンを大遠投しはじめた。ドボーン、ドボーンと、ルアーの着水音が響く。レイクトラウトを狙っているのだろうか? 2時間ほど投げ続けていたが、じきに諦めて移動していった。
美味しい淹れたてのコーヒーを飲もうとストーブとドリップバッグを用意していたが、肝心の水を沸かすヤカンを忘れたことに気付く。おまけに昼食はカップラーメンだ。しかたなく缶コーヒーを飲み干し、そこに水を入れて沸かした。熱効率が悪くぬるま湯で作った硬麺のカップラーメンをすすり、生ぬるいコーヒーをすする。
釣れない時間が続き、腰が痛くなってくると、痛みを和らげるために岩に座ってしばらくの間、ボーっとする。ふと、なんとも孤独な気持ちになる。心の中に厚い雲がかかったような、懐かしい気持ちだ。
オレンジ色の西日が感情を揺さぶる
夕方ギリギリまで粘ったが、結局ブラウントラウトは釣れなかった。アタリもなし。終わり際に岸際でライズを2回見たが、それだけだ。こうなると釣りはまた面白いもので、惜しかったのか、まるでダメだったのかもわからない。日が山に隠れると、途端にあたりが薄暗くなった。仕舞支度をしていると、背後の山でガサッと音がした。見るとサルが木に登っている。2頭、3頭、4頭……。途端に怖くなった。学生時代、ひとり川で調査していると、サルに取り囲まれたことがあった。牙をむき出し近寄ってくるサルに川原の石を投げ、なんとか追い払うことができたが、あれ以来、山で会うサルは苦手だ。ここから1時間弱は歩かねばならない。痛む腰をさすりながら、急ぎ足で山道を進む。
八丁出島を越えてしばらくしたところで、山あいから西日が顔を出した。新芽をつけたばかりの木々がオレンジ色に染まる。その中にポツンポツンとヤシオツツジだろうか、鮮やかなピンクが映える。水面に映り込む西日を見て、何かが心を突いた。学生だった時から25年が過ぎたのだ、というありありとした実感だった。それは丸々、社会人として過ごしてきた25年。でも人は案外、何も変わらないのかもしれないな、なんてことを思う。
写真・文:若林 輝