



今回は栃木県下を流れる川が舞台。鬼怒川は栃木県のほぼ中央を南北に貫く利根川水系の大河川。その西側を並行して流れる思川も、渡良瀬川を介して利根川に注ぐ。上流域は支流の黒川や関東随一の透明度を誇る大芦川とともに前日光を潤す渓流として釣り人の人気も高い。そして当連載『川と釣りと好きなものと』でも紹介した清流・那珂川。いずれも今回の主役であるサクラマス・ヤマメが棲む川だ。
釣り人が憧れる魚、サクラマス
サクラマスは釣り人にとって憧れの魚だ。50~60㎝を超えて砲弾型になった魚体、銀鱗に包まれた美しさ、そしてその体躯から繰り出す強烈なファイトは、釣り人に「一期一会」を感じさせる存在となっている。ほのかに甘味のある淡白な食味も、人気を支えている理由のひとつだろう。
自然環境下のサクラマスは上流域の渓流で生まれ、そこで1~2年を過ごしたのちに海へと降っていく。海へ出たサクラマスは北上してオホーツク海など北方の海域で約1年間の海洋生活を送りながら成長を遂げ、翌年の春に生まれ故郷の川へ戻る。川に入ると、春から夏の間に上流域へと溯上して、秋には生まれ故郷で産卵して生涯を閉じる。
一方、同じ親から生まれながら、海に降らずに一生を川で過ごすものもいる。「ヤマメ」と呼ばれるそれらは、サクラマスの河川残留型である。海に降らず川で成熟した河川残留型のサクラマス、いわゆるヤマメは、秋になると海から上ってくるサクラマスを川の上流の産卵場で待ち受け、ともに交わって繁殖を行う。
ヤマメの体側には小判のようなパーマーク(幼魚斑)が並んでいる。サクラマスやイワナ、サケなど多くのサケ科魚類は幼魚期までこのパーマークを持っているが、成長とともに消失する。ヤマメは成魚になってもこの幼魚斑が消えないのが特徴だ。一方、海に降ってサクラマスになるものも、幼魚期はパーマークを持っているが、海に降る数カ月前から徐々に消失し、体色は銀色へと変わっていく。「銀化」と呼ばれるこの体色の変化は、海水での生活に適した体に変わっていく表れだ。
多くの釣り人が狙うのは、海から川に入ってきたばかりのサクラマスだ。海中生活を経てきた証である銀ピカの魚体を求めて川辺に並び、ルアーやフライで誘う。
ところが、これがなかなか釣れない。一般的に川に戻ってきたサクラマスは獲物を捕食しないと言われており、魚を釣るうえで最も重要となる食欲に訴えることができないためだ。さらに川に入ったサクラマスは上流の産卵場へ向かうという目的を持っているため、立ち並ぶ釣り人の前に、いつまでも留まっているわけではない。食欲もなく、通過してしまう存在だから当然釣りづらい。実際ルアー釣りでは「3年に1度釣れるかどうか」とも言われている。ただ、裏を返せばこの釣りづらさもまた、サクラマス人気を支えている要素のひとつとなっているから面白い。
2020年、そんなサクラマスを、栃木県が釣り用に開発したというニュースを聞いた。釣り用のマスといえば当連載「川と釣りと漁場管理と」で紹介した群馬県の「ハコスチ」が有名だ。ハコスチは群馬県水産試験場が特徴的なニジマスをかけあわせて開発した。ルアーや毛鉤にヒットするとジャンプを繰り返す野性的な性質を持ち、上野村漁業協同組合管轄の神流川冬季釣り場などで釣ることができる人気のブランドマスだ。
ブランドマスの開発は、いまや各自治体にひとつはいるのではないかと思うほど全国的に著しい広がりを見せている。昨今ではニジマスとマスノスケ(キングサーモン)を掛け合わせた山梨県の「富士の介」や、ニジマスとサクラマスを掛け合わせた山形県の「ニジサクラ」など、主にニジマスを他魚種と掛けあわせたブランドマスが主流だ。「ジャパンサーモン」とも呼ばれ、鮨ダネやスモークサーモンなど高級食材として市場に出回っている。今やご当地のブランドマスは100種以上にもなるという。
だが、自治体が釣り用として開発したブランドマスは、私の知る限り群馬県と栃木県ぐらいだろう。しかも今回、栃木県が開発したのは釣り人に人気の高いサクラマスだ。いったいどのような特徴を持つ魚なのか。
開発に携わった栃木県水産試験場を訪ね、話を聞いた。

成熟せずに栄養を成長にまわす全雌三倍体
「栃木県の管理釣り場のハイシーズンは渓流釣りが禁漁を迎える9月ごろからとなります。サクラマスは見た目や食味、釣り味からとても人気のある魚種ですが、ハイシーズンの9~10月になると成熟してしまい釣りづらくなりますし、そればかりか冬になると死んでしまいます。そこでハイシーズンにも元気なサクラマスが釣れるようにならないだろうか、というのが開発の発端です」。こう話してくれたのは、釣り用サクラマスの開発に携わった栃木県水産試験場(以下、栃木水試)の森 竜也さん。実のところ、養殖のサクラマスは管理釣り場の釣魚としてすでに広く扱われている。

では今回、栃木水試が開発したサクラマスは何が違うのか?一言で言えば「成熟しない」サクラマスとなる。一般的にサケやマスは成熟すると釣りづらくなる。海から川に入ってきた自然環境下のサクラマスが釣りづらいのは、すでに成熟の準備段階にあるからなのかもしれない。淡水の池で養殖されたサクラマスは、ペレットで餌付けされることも影響してか自然環境下のサクラマスよりは釣りやすくなる。だが、秋になり成熟期を迎えると、やはり釣りづらさは増してくるようだ。さらに一度成熟すれば産卵期を経て冬には死んでしまう。ところが栃木水試が開発したサクラマスは、ハイシーズンの秋から冬にも成熟せず、銀ピカなまま元気に釣りの相手をしてくれるという。
この成熟しないサクラマス、専門的には「全雌三倍体サクラマス」と呼ばれている。全雌? 三倍体? 聞き慣れない用語に戸惑われるかもしれない。少し行数を割いて紹介しよう。
「三倍体」とは受精卵の温度処理などによってつくられた成熟しない個体のことだ。「染色体」という遺伝に関わる体内物質に手を加えることによって生産できる。さらに「全雌」とあるように、すべてがメスだ。通常、サクラマスのメスは3年で成熟すると身肉の栄養やエネルギーを卵へと注ぎ、その卵を産み終えると死んでしまう。ところが成熟しない三倍体のメスは、卵に注ぐはずの栄養を自らの成長に使うことができるため大型化する。さらに産卵をしないということは寿命も延びる、というわけだ。では、なぜメスなのかというと、オスの場合、三倍体化しても成熟してしまうからなのだそうだ。
「水産試験場は生産手法を開発するのが仕事なので、実際に釣り場に卸す魚を生産をしているわけではありません(一部は試験的に管理釣り場に放流している)。出荷サイズは生産する養殖業者と管理釣り場との間で決められますが、50~60㎝のサクラマスを放流している釣り場もあるようです」と森さん。
実際に三倍体サクラマスを飼養している池に案内してもらった。水を落とした池に胴長を履いて網を持った森さんがざぶんと入り、手際よく数匹のサクラマスをすくい上げて見せてくれた。……デカい! 私自身、宮城県の北上川でこれまで3匹のサクラマスを釣ったことがあるが、それら野生のサクラマスにも劣らない砲弾型の体躯に目を見張った。加えて養殖魚とは思えないほど伸びやかなヒレも印象的だった。こんな魚が管理釣り場のポンドとはいえ、ライトロッドにかかったらどうなるのだろう? そもそもルアーに口を使ってくれるのだろうか?








「昨年(2020年)、試験的に放流をして、今年(2021年)にはいくつかの養魚場で生産されたサクラマスが管理釣り場に放流されています。放流を告知することで一定の集客が得られているとの話も聞こえています。これから釣り人の認知度と需要が高まれば、さらに多くの釣り場で釣ることができるようになるはずです。サクラマスを狙って来場する人も多いようですし、なかには釣り方のコツをつかんで連発している人もいるようですよ」とのこと。うぅ……釣ってみたい。
ちなみにこのブランドマスの名称は、まだ正式には決まっていない。一般公募で募った名前から選ばれるという。栃木県のサクラマスだから「トチサクラ」はどうだろう? 名付けには全国から2,000件を超える応募があったという。どんな名称が付けられるのか、とても楽しみだ。
ところで栃木県が作ったブランドマスと言えば「ヤシオマス」が有名だ。全国に先駆けて昭和60年代に食用として開発され、今や各地の管理釣り場でもエース級の存在となっている大型のニジマスだ。ちなみにヤシオマスの名前は栃木県の県花であるヤシオツツジから取られている。
「ヤシオマスはニジマスの全雌三倍体です。試験場で開発した当初は全雌三倍体自体が新技術でしたからとても注目されましたが、今はもう目新しさはなくなってしまいましたね。今、栃木県では食味が一段階上の『プレミアムヤシオマス』を開発し、売り出し中です」と森さん。


プレミアムヤシオマスは脂肪中にイベリコ豚などでも有名なオレイン酸を豊富に含み、やわらかい肉質ととろける脂が特徴。オレイン酸含有量を含み、定められた7つの基準をクリアしたヤシオマスのみに「プレミアム」の名を冠することが許されている。食用としての徹底的な品質管理を要するため、釣り用として放流するのは難しいという。
帰りがけに、試験場の冷凍庫に保管されていた全雌三倍体サクラマスとプレミアムヤシオマスのフィレを一枚ずついただいた。刺身、寿司、焼きでいただいたが、言わずもがな、いずれも甲乙つけがたい絶品だった。プレミアムヤシオマスの豊潤な味わいはもちろん、サクラマス特有の上品な甘さも忘れられない味となった。





全雌三倍体サクラマスを釣りに、管釣りへ!
その三週間後、満を持してサクラマスを釣りに栃木県鹿沼市にある「発光路の森フィッシングエリア」を訪れた。聞けば35㎝ほどのサクラマスがポンドタイプの釣り場に放流されたばかりだという。スタッフに釣り方を聞くと「専門に狙うならミノーによるサイトフィッシングがいいと思います」とのこと。表層に浮いているサクラマスを見つけ、ミノーにアクションを加えつつ反応する動きを探していくのだという。


7㎝前後のフローティングミノーを付けて投げると時折、ギラギラッと体をひるがえして襲いかかってくるそぶりをみせるが、なかなか口を使うまでに至らない。「これは難しいか?……」と思いきや、1匹目はルアーをキャストした際に絡まったラインをほどいている間、水面に漂っていたミノーに襲いかかってきた。
ドスンッという引ったくるような衝撃の後は、カンカンカンッ……と金属的な引き味が手元に伝わる。かなりいいサイズ!?とドラグを調整しながら慎重にやり取りをする。上がってきたのは35㎝ほどのサクラマスだった。サクラマスの持ち味である美しい銀鱗と精悍な顔つきをじっくりと眺める。この見た目に惚れ込む釣り人が多いのもうなづける。
直後にまた食ってきた。グンッときた後にきたグネングネンというトルクのある引き味は身に覚えがある。思った通りニジマスだった。先ほどのサクラマスとはほぼ同サイズ。引き味は明らかに違う。特にルアーにアタックしてくる時の速さがサクラマスはとても速く、最初のドスンッとくる衝撃が印象的だった。

朝マズメと言える時間は過ぎ、サクラマスの反応は明らかに鈍くなった。時折、ゆるゆるとルアーの後をついてはくるが、一定の距離を保ったままだ。だが、やり続けているうちに、ルアーを泳がせる層を少し深くすることで追いが増えることがわかり、アクションの強弱やテンポによって急に反応する瞬間があることを知った。口を使いやすい距離もあるようで、しばらくただ巻きでよろよろ泳ぐルアーの後を追わせてから、ここぞという場所でロッドアクションを加えると反応を示す。そして2度ほどのフッキングミスでくやしさを味わった後に、ようやくドスンッというアタリを引き出すことができた。サイズは1匹目と同じぐらい。コツをつかめばもっと釣れるという実感まで得られたところでタイムアップ。
結局、午前中延々とミノーを投げて、2匹のサクラマスと1匹のニジマス、ほかアタリは複数という結果。マイクロスプーンを巻いている人やフライの人はニジマスをたくさん釣っていたが、サクラマスに狙いを絞ってミノーだけで楽しむ釣りに、かなり自分なりの満足を得ることができた。なにより手近な環境でサクラマスを狙って釣れるというだけで、それはやはり特別なことなのだ。




写真・文:若林 輝