群馬、埼玉、長野の県境にある三国山に源流を持つ関東地方屈指の清流。広葉樹林帯を流れる源流部は素晴らしい渓相を誇り、清らかな水を集め本流に注ぐと河原の開けたアクセス容易な川となる。今回、訪れたのは最上流域となる上野村漁業協同組合(以下、漁協)管轄区域。それより下流の神流川漁協管轄区域で神流湖(下久保ダム)へと注ぐ。美しい青緑色の三波石の産地として知られるダム下流域を過ぎ、北北東に進むにつれて流れは緩やかになり、利根川支流の烏川と合わさってすぐに利根川に合流する。
釣り人が満足する釣り場ってなんだろう?
ここ数年、そんなことをよく考えている。
たとえば然別湖にミヤベイワナを釣りにくる釣り人を対象としたアンケート調査によると、一日に釣り人が満足する数は6~15匹だそうだ。私も然別湖で釣りをしたことがあるが、その時は5匹ほどのミヤベイワナをボートからスプーンの巻き上げで釣って、とても満足した記憶がある。もちろんそこにしかいないミヤベイワナを一目見たい気持ちは強かったが、それを果たしてしまうと、静かな湖面を取り囲む深い森やクリアブルーの湖水など、周囲の素晴らしいロケーションに目を奪われ、それ以降、何匹釣ったとかはどうでもよくなってしまっていた。
もっと身近な渓流釣りで自分が満足する匹数を言うならば、イワナでもヤマメでも18cm以上が一日2匹も釣れれば、ほとんど満足してしまう。私の場合、自分が「釣る」よりも「出会う」ことのほうが大事だから、たとえば同行者が尺近いイワナを釣りあげようものなら、自分が15cmほどのちびイワナ1匹しか釣っていなかったとしても、満足してしまっていたりする。
でも一般的に「満足できる一日の匹数」は、もう少し多いのかもしれない。その根拠のひとつは漁協が定めたルールである遊魚規則等で決められている尾数制限である。たとえば今回紹介する上野村漁協を含む群馬県では、20尾の尾数制限が設けられている。これは「釣った数」ではなく「キープする数」で、個人的には随分と多く感じる。でも、県や漁協も適当に決めているわけではないだろうし、釣り人の声も少しは反映されているのだろう。
冒頭からこんなことを書いたのは、今回、足を運んだ群馬県の上野村漁協が、全国でも指折りと言えるほど、バラエティーに富んだ釣り場管理を行っている漁協だからだ。
上野村漁協が管轄している区域は神流川の上流~源流域だ。神流川は群馬・埼玉・長野の県境となる三国山を源流とする利根川の一支流で、途中、神流湖として有名な下久保ダムのある神流川漁協管轄区域、さらにその上流の南甘漁協管轄区域を過ぎて上ると、上野村漁協のエリアとなる。
上野村漁協管轄区域の下流部では夏場のアユ釣りも盛んだが、今回は上流部の渓流釣りに絞って話を進めたい。
- 一般釣り区間
- C&R(キャッチ&リリース)区間
- 毛ばり釣り専用区(本谷・中ノ沢)
- 禁漁区
- 川の駅特設釣り場〈期間限定〉ルアー・毛ばり専用区
上野村漁協の管轄区域には、ざっとこれだけの区間が設定されている。私は神流川源流域にいるオレンジ色の斑点を持つ野生のイワナが好きで、中ノ沢の源流域に、年に数回は足を運んでいるが、釣りをする区間はC&Rでも毛ばり専用区でもなく、いわゆる「一般釣り区間」だ。尾数制限(20尾以内)や体長制限(15cm以下はリリース)など、一定のルールは定められているが、それ以外の区間に比べれば自由度の高い釣りができる。同様の一般釣り区間は、東・南・北を囲む山々に伸びる他の支流に加え、国道299号沿いの本流にもあるが、釣り人の感覚からすると、国道沿いの本流にある一般釣り区間と中ノ沢源流域の一般釣り区間とは、ロケーションにしても釣れる魚にしても、趣はだいぶ異なる。
国道沿いにある一般釣り区間は、河原が開けて釣り人のアクセスがしやすく、老若男女、入門者でも楽しめる渓流釣りの入り口のような釣り場となっている。そこではイワナやヤマメの放流も多めに行われ、特に解禁当初は魚影が濃いのも特徴だ。釣り人も多い。一方、私が通っている源流域の一般釣り区間は、車止めからしばらく歩かなければならず、また、苔むした大岩がごろごろしたうっそうとした渓相で、慣れないと危険な場所も多い。長い間、放流も行われてはおらず、魚影が濃いとは言えない(もっとも、一般釣り区間は釣った魚を持ち帰る人も多いので「魚影が濃い」と言う意味では、C&R区間や毛ばり専用区のほうが上だろう)。
ではなぜ、私は中ノ沢の源流域に通っているのか?
ひとつはロケーションの美しさ。苔むした岩を流れる透き通る水は、頭上に張り出すサワシバやミズナラ、カツラなど広葉樹の緑を映して艶やかなエメラルドグリーンに輝いている。新緑の時期は若葉を通す光で空気までが翡翠色に染まる。さらに、そこで釣れるのは、オレンジ色の斑点を持つ、この川で命をつないだ色鮮やかな野生のイワナだ。
ここで「野生」と書いて「天然イワナ」と書かないのは、過去に放流の経験があることを知っているからだ。渓流魚を語るうえで「天然=ネイティブ(Native)」と「野生=ワイルド(Wild)」はよく出てくる言葉で、両者には違いがある。それは後述するとして、いずれにせよこの地で生まれ育ち、命をつなぐ「地のイワナ」を釣ることに私は大きな喜びを感じている。たとえ一日一匹だとしても、そこで出会えたイワナの生い立ちとこれからを想像して、その一日の釣りに幸福感を得ることができるからだ。
そんな理由もあり私の釣りはキャッチ&リリースで、釣った魚はほとんどの場合逃がしてしまう。それは私の趣味として。
キャッチ&リリースが私の趣味であるのと同じく、釣った魚を食べるのも趣味であり、大きな喜びであることも知っている。何匹釣ったか数を誇るのも趣味だし、サイズにこだわる趣味もある。人の趣味は多様だ。
もちろん、日本には無数の川があるわけだから、自分の趣味に合う釣り場に釣りに行けばいいのだろう。だが、私は上野村漁協のような、多くの釣り人の趣味を取り入れたバラエティー豊かな釣り場管理を行っている川に興味をそそられる。なぜならば、北海道を除いて日本の渓流釣りが、基本的には漁協により管理された釣り場で行う遊びであることを自覚しやすいからで、そこに意味があると感じているからだ。
その自覚は「自然から得られる資源が有限である」ことを、常に意識させてくれる。
ハコスチに会いたい。できればその引き味を味わいたい!
今回、釣りに訪れたのは12月5日。上野村漁協での渓流釣りは3月1日~9月20日までとなっており、9月下旬から2月いっぱいまでは禁漁期となっている。ただ、漁協では「冬にも渓流釣りを楽しみたい」をというニーズに応える形で、本流の限られた区間を川の駅特設釣り場〈期間限定〉ルアー・毛ばり専用区として開放している。対象魚は「ハコスチ」と呼ばれるニジマスだ。ハコスチは、群馬県が長年、継代飼育して作り上げた人馴れした成長のよい「箱島系」と呼ばれるニジマスに、野性味の強いスチールヘッド(降海型のニジマス)を交配させ、引きが強く激しくジャンプもする「釣り味」を持ちながら、しかも育てやすいという特徴をもつニジマスの一品種。釣り場には30cmクラスの銀ピカなものと、黒点とレッドバンドがくっきりと出た50cmクラスの大物が期間中、随時成魚放流される。3月からは、ヤマメとイワナが追加放流され、5月末まで予約制エリアとして楽しめる。期間限定の釣り堀的な管理だから、先に書いたその川での「生い立ちとこれから」の想像を楽しむことはできないが、カッコいいニジマスの容姿を一目見たいと(そしてできれば、その強烈な引き味を味わいたいと)上野村を訪れた。
甚大な被害をおよぼした令和元年の台風19号
令和元年10月12日に日本列島を襲った台風19号は、多くの山や川に甚大なる被害を及ぼしたが、神流川もその例に漏れず、山からは濁流とともに多くの土砂が流れ込み、釣り場の渓相は一変してしまった。川沿いは流れのおもむくままにえぐられ、普段は水がほとんどないような細い支流からも山が崩れるように土砂が流れ込んだ。
人気の毛ばり釣り専用区となっている本谷には、上流のダムからシルトの混じる白濁した水が流れ込み、その影響はそれより下流の管轄区域全体に及んだ。瀬も淵も砂利でならされたように真っ平になってしまった川底に、新たな流れが一筋の溝を刻んでいたが、10月といえば、ちょうどヤマメの産卵期のど真ん中となる時期だ。どんなに大水が出ても渓流魚は川に残る、なんてことも言われるが、川底質が重要となる産卵に与えた影響は小さくはないだろう。
この影響を受け、冬季ニジマス釣り場も例年より1カ月以上遅い、11月23日からのスタートとなった。急場をしのぐ形で限られた区間に重機を入れ、魚が溜まる淵を掘り起こすなど人工的に変化を設けた釣り場にハコスチが放流された。
オープンから2週間ほど経った当日は、だいぶ流れが落ち着いており、ニゴリもほとんど気にならなかった。漁協の組合長がダム管理業者とかけあい、常時行われていた濁った水の放流を1週間おきとしたことで、本来の清流とまではいかずとも、釣りができる状態にまで回復させることができたという。
この日は私を含めて20名ほどの釣り人がルアー、フライ、テンカラでハコスチ釣りを楽しんだ。私は途中、組合長へのインタビューもあり(特別編で掲載)、短い時間、毛針を振って挑んでみたが、結果は得られず。だが終了前ギリギリ、魚が水面を意識したタイミングで巨大なハコスチが一度自分の毛針をくわえこんだシーンはしっかりと頭に焼き付けることができた。そして隣で釣りをしていた常連の井出直行さんがテンカラで53cmの立派なオスを釣り上げ、ハコスチとの念願の対面を果たすことができた。