源流の村が一番華やぐ季節
「11月上旬は、小菅村が一番きれいな季節ですよ」
そんな情報を村の人から教えてもらったのは、10月の取材で村を訪れた時だった。すでに山の空気は東京に比べてひんやりとしていたが、まだ木々には青さが残っている。多摩川源流域の小菅村。4月から通っている小菅村山々が最も美しい時期と聞いたら、源流探検部としては見ずにはいられない。
奈良県川上村の吉野川・紀の川源流を探検した数日後、源流探検部は小菅村を訪れた。冬木立の春、緑滴るような夏を経て、山は鮮やかに色づいていた。雲ひとつない乾いた空を背景に、山は深緑と明るい黄色と茜色のパッチワークを見せている。黄色はイタヤカエデやミズナラやシオジ、赤はコハウチワカエデだろうか。
都市に住んでいると花咲く春の賑やかさにばかり目を向けがちだ。けれど、村の面積の95%を森林が占める小菅村の秋を体験して、「山が最も華やぐのは秋なのだ」と実感した。
葉を落とす前の短い間、山々は一斉に色づく。見慣れた源流の村が、いつもより華やいで見えた。
1,000万ヘクタール。この数字が表しているのは、日本国内の人工林の総面積だ。日本の森林面積は2,500万ヘクタールだから、日本の森林の40%は人工林ということになる。
国土の約70%を森林が占める日本では、昔から山や木は人の暮らしや生業と密接だった。江戸時代には行きすぎた伐採によって洪水が発生し、下流に土砂が流出することもあったようだ。これを防ぐため、幕府が「諸国山川掟」を発令し、森林伐採を抑制するとともに、造林を推奨したように、この国では林業は重要な生業だったのだ。
その後の日本で、そして多摩川源流の小菅村では、林業はどんな推移をたどっているのだろうか。山梨県東部の上野原市・小菅村・丹波山村の3市村を管轄する北都留森林組合参事の中田無双さんは、山梨県東部の林業の推移についてこう説明してくれた。
「私たち北都留森林組合の管内で林業と言えば、1960年代頃までは炭焼きが中心でした。大消費地である東京に近かったため、炭の需要がかなりあったようですね。しかし、1950年代後半に起こった燃料革命でガスや石油が使われるようになり、炭は売れなくなってしまったのです。その時期に、国策として造林拡大が進められ、山では広葉樹を伐って経済性の高い杉や桧が植えられるようになりました」
小菅村の森では、切り株から新芽が生えて細い木が寄り集まった「株立ち」している木を見かける。炭焼きのために木を伐っていた時代の名残だ
実は、日本各地の山では1930年代後半から1940年代にかけて大量の木が伐採されている。軍需物資としての木材が大量に必要とされたためだ。そして、戦後も復興に必要な木材を算出するために、大量の木が伐採された。山林が荒れ、災害も頻発したこともあり、造林が行われたのだ。
「当時は足場丸太と呼ばれる、建築現場で使用される細い丸太の需要が高かったため、細い丸太が作られました。通常、1ヘクタールあたり3,000本程度の苗を植えるところ、倍の6,000本の苗を植えることで、細い丸太を作ったのです。しかし、単管パイプなどの新しい部材が生まれ、足場丸太の需要が減ってしまったのです」
高度経済成長に伴い、木材需要は高まったものの、輸入の自由化で流入した外国産材に押されるようになる。木を育ててもお金にならないため、山に人が入らなくなる。手入れが行き届かなくなり、シカやイノシシ、クマなどによる獣害が拡大しているというのは、vol.12でもお伝えした通りだ。
山の手入れをする人が減ったことで、鹿に苗木を、猪にワサビを食べられ、熊に若木の皮を剥がされたりと、日本中の山林で獣害が広がっている。
「日本の森林の5割は50年生を超え、伐期を迎えていると言われています。そのため、国としても、減少傾向にある国内木材需要と拡大傾向にある国内木材供給のミスマッチの解消、木材の生産流通の構造改革を目指すとともに、林業の成長産業化と森林資源の適切な管理を両立するための関連制度の見直しなどを課題として掲げています。これからの林業は、やる気のある事業体への経営集約化を進めるとともに、『マーケットインで付加価値の高い木材を供給する』という方向を目指すことになるでしょう」
市場のニーズに合わせて木材を供給するには、山をストックヤードと捉え、注文のあった樹種・長さ・太さ・本数の丸太を伐って運び、販売することになる。それらをスムーズに行なうためには、どの山のどの位置に、何の樹種のどのくらいのサイズの木があるか、細かく把握しておかなければならないという。
「ICT技術の活用で実現は可能ですが、林業は小規模零細産業なので、すんなりとはいきません。また、所有者が複数いる山もあり、発注を受けてから所有者の了解を得て伐るという流れではタイムロスが生じるため、長期委託契約の締結も必要になってきます。そうした課題があることから、北都留森林組合ではまだ実現できていませんが、必要な時に必要なものを必要なだけ供給できるシステムを目指したいと思っています」
山を守るためにみんなでできること
森林大国のはずの日本。その木材自給率は、2015年の時点で5年連続上昇しているとはいえ、わずか33.2%。日本全体で厳しい状況が続いているものの、林業に携わる中田さんたちの思いは熱い。
「現在、林業従事者は日本全体でも4万7,600人。一説には絶滅危惧種のニホンカモシカより少ないと言われるほど珍しい存在になってしまいました。けれど、私たちはプロの林業家であるという自覚を持って仕事をしています。プロのサッカー選手や野球選手のように、林業を『子供が憧れる仕事』にしたいと思うのです。そのためには、私たち自身が夢と希望と誇りを持って働き、キラキラと輝いている姿を子供達に見せてあげなければ」
戦後に植林された杉や桧が伐倒期を迎えた小菅村の森林。切り出した木を運び出すのも大変な急勾配の斜面も多いが、プロの林業家は年間を通して山を手入れしている。
そんな中田さんたちが今、取り組んでいることがある。
「地元の工務店さんや施主さんとともに、家づくりを行っています。私たち森林組合の仕事は山から丸太を原木市場まで運ぶところまで。それがどんな人の手に渡り、どんな施主さんの元でどんな家になるのか、なかなか見ることができません。だからこそ、顔の見える関係で家づくりに関わり、施主さんの喜ぶ顔が見られるのが、何より嬉しいですね」
林業は何十年もかけて山や木の手入れを行う、時間も手間もかかる仕事だ。そして、それは単なる産業にとどまらず、水を守り、そして災害から都市部を守るという役割をも担っている。
だからこそ、林業という産業を守るために、中田さんはこんな提案をしている。
「発展途上国で生産されたものを適正な価格で継続的に買い続けることで生産者を支える『フェアトレード』という仕組みがあります。これを、日本国内の一つの流域でも実現できたらと思っています。多摩川の上流の木を使っていただくことは、上流の森を守ることになります。ぜひ、このことを流域の皆さんにお考えいただけたら嬉しいですね」
多くの杉や桧が「伐り時」を迎えている小菅村を始め山梨県東部の森。人々の手で守り育てられてきた森の木を適正な価格で購入し、使用することもまた、自然を守ることにつながると言える。
手間と時間がかかる、木を育て、山を守る林業という仕事。林業には自然を守り、災害を防ぐという公益性がある。だからこそ、源流という自然の恩恵を受けている一人ひとりが、自分に何ができるか考えていく必要があるのかもしれない。
参考資料
- 林野庁「平成28年度 森林・林業白書」
- 林野庁「平成25年度 森林・林業白書」我が国の森林整備を巡る歴史