未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。
日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。
当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
森林水文学研究者に聞く「緑のダムのためにできること」
緑のダムを弱らせる不健康な森とは
森に雨が降る。
雨粒は木々の間を通り抜け、あるいは幹を伝って、あるいは葉で集められて、地表へ届く。水はミミズなどがフカフカにしてくれた土壌の隙間に入り込んでから、ゆっくりと下向き、もしくは斜面に沿って斜め下向きに移動していく。そこへまた雨が降り、その圧力で押し出され、地下水となる。
濾過された水が集まって川へ注ぎ込み、やがては海へたどり着く。海の上でできた雲が山へ移動し、また雨を降らせる。
太古の昔から続けられてきた、壮大な水の旅。雨を受け止め、ゆっくりと流す森林は、水の循環の中で大きな役割を果たしてきた。こうした水源涵養(かんよう)機能によって洪水と渇水を和らげることから、森林は「緑のダム」とも呼ばれている。しかし、日本の森林の現状は、そうした森林の機能にもさまざまな影響を与えている。いったい何が問題なのか。森林と水循環の関係を研究している東京大学大学院の蔵治光一郎教授に話を聞いた。
「日本の森の4割は、木材生産だけを目的に、広葉樹林を伐採して作った人工林です。その8割は、1955~70年の15年間に造成されたものです。人工林は本数を多く植え、計画的に間伐を10年おきに3回ほど行うことを前提に植えられています。そのため、間伐を怠ると細くひょろひょろとした木がたくさん生えている状態になってしまいます。すると林内が暗くなり、保水作用を発揮する土壌が流失してしまい、緑のダムとしての機能が弱った『不健全な人工林』になってしまうのです」
また、近年は野生動物による獣害も増えており、それが緑のダムとしての機能にも大きな影響を与えているという。
「獣害には、動物が直接人間を襲うという害や、農作物を荒らしてしまうという害などもありますが、水源涵養機能を衰えさせるという害もあります。というのも、下草には土壌流出を防ぐ機能があるのですが、野生動物はその下草を食べてしまううえ、獣道も作ります。そのため、イノシシやシカなどの野生動物の数が増えすぎると土壌流出の原因になってしまうのです。また、林業などでは、伐採した森林に苗木を植えても野生動物が食べてしまい、植林が失敗することもあります。これもまた、獣害ですね」
現在、各地では獣害対策を行っているが、獣害を防ぐには、人が山に入って手入れをすることも大切なのだ。
動物の足跡。増えすぎたイノシシやシカは下草や苗木を食べ尽くしてしまう。
森を健康にするために考えるべきこと
では、水源涵養機能を上げるためには、どうすればいいのだろうか。
それは、間伐をはじめとした森林の手入れを継続的に行うことだという。
「水源涵養機能という面に限って言えば、地域によって適切な間伐率はそれほど変わりません。しかし、1haあたりの植林本数は、地域ごとの伝統や時代、リーダーによっても異なります。関西などは地域性から間伐率を抑える傾向にありますし。間伐する上では、こうした歴史的・伝統的経緯を踏まえる必要があるでしょう」
加えて、気候条件も考慮する必要があるという。
「間伐率を上げると、一時的に風や雪の影響を受けやすくなることがわかっています。もともとポツンと一本だけ立っている木は、重心が低くなるよう幹の下の方まで葉や枝を伸ばし、風や雨、雪などに耐えられる形に育ちます。しかし、密集して植えられる人工林では、葉や枝は上部に集中していて重心が不安定です。そのため、木と木は物理的に支え合っています。そのため、風の日に人工林に行くと、木が同じリズムで揺れているのがわかるでしょう。そうした人工林でいきなり大量に伐採すると、残された木は支えを失ってしまいます。すると、風が吹くと揺れ幅が大きくなりますし、雪の影響も強く受けてしまうのです。ですから、風や雪が多い地域では、注意が必要ですね」
森林と水循環の関係を研究している東京大学大学院の蔵治光一郎教授(蔵治教授ご提供)
法律で求められる地下水マネジメント
水を育み、洪水や渇水を和らげる機能を持つ森林。総面積の3分の2が森林に覆われている日本では、管理が欠かせない。しかし、木材価格の低下や少子高齢化、林業の担い手の減少など、さまざまな課題が山積し、源流地域だけで解決するのは難しい。
「日本では法律上、河川は国土交通省、農業用水は農林水産省、水道は厚生労働省、水力発電や工業用水は経済産業省、環境は環境省と、『どこを流れているか』『誰が使っているか』によって管轄の省庁が異なっていました」
そのため、工業用水、農業用水、生活用水として使う人たち、そして水源を守る人たちがバラバラに動いていた。その水がどこからきているか、意識されることも少なかった。「こうした中、自分たちが使う水の源流域に森林を購入し、水源を守ろうとする意識の高い事業者も出てきています。また、源流地域を中心に流域連携が行われるようになり、全国的に広まっていきました。こうした気運を受け、国民の貴重な財産を合理的に管理できるよう、2015年に水循環基本法が誕生したのです」
水循環基本法の意義は、森林の雨水浸透能力または水源涵養能力の整備について施策を行うことを初めて法的に位置付けたことだという。
「降った雨は大きく分けて地表水と地下水になります。地表水は川を流れているので、河川法によって管理者が定められていますが、地下を流れる水についてはこれまで法律がありませんでした。水循環基本法では、流域の自治体ごとの計画的な地下水マネジメントと、森林管理が求められています」
蔵治教授は、学識者として水循環基本法のフォローアップ委員会の委員を務めている。
「水循環基本法では、流域の関係者で協議会を作り、議論して水の管理を進めることになっています。また、行政の中に水をトータルに扱う部署を設け、現状の縦割り管理を徐々に外していくための計画作りも行われています。さらに、ゆくゆくは水庁を作ったらいいのではないかという意見も出ています。しかし、水循環基本法には強制力がないため、流域協議会がない地域もたくさんあります。また、地域によって地下水の状況も利用状況も異なります。地下水に関する条例は全国で700〜800あると言われており、地下水マネジメントに関して全国一律のルールを設けるのは難しい状況です」
森林に降った雨が蓄えられ地表水となる。その管理も重要な課題だ。
林業のかっこよさを子どもたちに伝えよう
地下水の状況を把握するには、まださまざまなハードルがあるが、健全な水循環を守る法律ができたことは、大きな意味を持つと言えるだろう。
そして、水源を守っていく上で欠かせないのが、林業の担い手だ。
「間伐をする補助金はあっても、担い手がいなければ間伐作業が進みません。林業の仕事はかっこいい仕事であると、幼少のうちから子どもたちに教育することも必要でしょう。子どもたちを林業現場へ連れていき、仕事を見せるとか、林業者が子どもたちのいる園や学校に来て、かっこいい仕事を実演するのもいいでしょう。そして、かっこいいだけでなく、国土保全の根幹を担っていることを教科書に書き、学んで欲しいですね」
東大で教鞭を執る蔵治教授は、さまざまな学部の1〜2年生を対象に森林リテラシー教育を行なっている。
「今の森林の姿は、50年前の人間が理想と考えた姿なのです。50年後の未来社会にどのような森を残せるかは、今の人間が考え、実行しなければ実現できません。学生たちには、森林に対する正しい認識を持った上でそれぞれの専門分野に進んで欲しいと思っています」
法律や行政、教育と、さまざまな分野で進められる、水の循環と森林に関する正しい理解。その動きは今後さらに広まっていくことだろう。
写真=田丸瑞穂
文=吉田渓
プロフィール
蔵治光一郎
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林教授。東京都出身。東京大学農学部林学科を卒業後、東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程を修了。2017年より現職。水循環基本法フォローアップ委員会 委員(幹事、地下水分科会座長)、矢作川森の研究者グループ共同代表。「気持ちよく納められる森林環境税とは?」(東京大学演習林出版局)ほか編著書多数。