未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。
日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。
会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。
当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
水棲生物がバロメーター、ブナが象徴する源流の村の自然(旭川水系新庄川)
8年かけて源流の水棲生物を調べる理由
岡山県で最大級とも言われる、1,000haものブナ林が広がる新庄村。岡山三大河川の一つ、旭川の源流域の村だ。
「豊かなブナ林が残る」「源流の村」。そんな最強のカードを2枚持っている新庄村のすごいところは、「源流だから無条件にきれいだ、と言えるのか?」と考え、自然調査を行っているところ。しかも、その計画は8カ年と長期に及ぶ。
このプロジェクトにパイロット調査の段階から関わっている調査員の小林加奈さんは、なぜ自然調査が必要なのか教えてくれた。
「子供たちに自然の大切さを教える際、どうしても『ここは源流だからきれいなはず、だから自然をきれいにしましょう』となりがち。けれど、将来的にこの村の自然環境が変化した時、客観的なデータがなければ『昔はこうだった』という話は、ただの昔話にしかならず、なかなかアクションに繋がりません。だからこそ、自然を調査し、指標を残すことが必要なのです」
アメリカで野生動物の保護管理を学び、現在新庄村で水棲生物調査を行う小林加奈さん
8カ年計画の水棲生物調査は年に3回、村内の川で行われている
小林さんたちが調査しているのは、主に水棲生物だ。舞台となるのは、旭川の源流の一つである新庄川を中心とした、村内の川。7月、9月、2月と年三回、水棲生物の種類と数を調査している。
「村民の方と私の三人で、『今年はここ』と地点を決めて川の中に入り、潜って石をひっくり返したり、草むらをガサガサしたり。河川の水棲昆虫をメインに調査し、プラスアルファでオオサンショウウオなどを調べることもあります。以前は調査にもっと時間がかかっていたのですが、年を追うごとにスピードや技術が上がり、今では川での調査に1日、データ整理で1日と、2日間でできるようになりました」(小林さん)
小林さんたちの調査の結果、新庄村では127種類もの水棲生物が確認されている。その中には、オオサンショウウオやナガレホトケドジョウ、絶滅危惧種のトノサマガエル、日本固有のムカシトンボといった希少な生き物もいる。
しかし、調査対象が水棲生物なのはなぜなのだろう?
「自然環境や水に変化があった時、一番影響を受けるのは水棲生物、中でも水棲昆虫や両生類です。そのため、水棲昆虫の種類や数を調べることは、川の環境変化の指標になるのです。河川の水棲昆虫の調査は、人間で例えるなら血液の成分を調べるようなものなんですよ」(小林さん)
なるほど。地球を一つの大きな生き物と捉えたら、山の栄養を海へ運ぶ川は、地球上に張り巡らされた血管であり、流れる水は血液というわけだ。
自然と下流の人々を思いやる源流の村
こうした水棲昆虫の調査に加えて、2017年から村民参加型のホタル調査も行っているという。
「新庄村ではゲンジボタル、ヘイケボタル、ヒメボタルという3種類のホタルが生息しているんですよ。新庄村では昔から肉用牛の飼育が盛んで、牛を川原に連れていって草を食べさせていたんですね。すると、川原はホタルが棲みやすくなる。このように、里山では昔から人間の生業が生態系の維持に関わっていたのです。調査に参加してくださった村民の方から『子供が見たいというので行ったらすごく綺麗だった』『ホタルを意識するようになった』と言って頂けるのが一番嬉しいですね」(小林さん)
穏やかな笑顔でそう語る小林さんに、源流の魅力を聞いてみた。
「山に雨が降ると川の水が増えるとか、季節によって水量が違うとか、自然のサイクルを目で見て、実感できることですえ。しばらく雨が降らなくても新庄村では水に困ることはありませんが、村の方はすごく気にされるんですよ。『下流の人が水不足になるんじゃないか』って。また、新庄村の山林は広葉樹と針葉樹の混生林なのですが、よく手入れされていて、とても健康な状態です。私も村の子供たちと一緒に源流の自然を訪ねることがあるのですが、リアルな自然に触れることで、子供たちが自分でものごとを考えるきっかけになれば嬉しいですね」(小林さん)
絶滅危惧種のトノサマガエルを始め、127種類の水棲生物が新庄村で確認されている
150年先を見据えて守られた源流の山林
1,000haものブナ林を始め、豊かな山林が広がる新庄村。
そんな新庄村の山林の3分の1にあたる1,450haを所有しているのは、実は民間企業だという。国産材で住宅建築を行う國六株式会社だ。國六の社有林の特徴は、広葉樹を中心とした天然林と、スギやヒノキを植林した人工林をバランスよく残していること。社有林の一部は、隠岐大山国立公園にも指定されている。
しかし、なぜ一民間企業がこの豊かな山林を守り続けることができたのだろうか。國六株式会社の取締役山林部長兼所長であり、新庄村森林セラピー協議会で副会長を務める黒田眞路さんに尋ねた。
「出雲街道の宿場町だった新庄村は、昔から読み書きそろばんができる人が多く、『来る人拒まず』の村でした。120年前に岐阜の会社だった國六がこの村の山林を買い、150年計画で山林を管理することにしたのです」
150年先を見据えて順番に木を伐り、そして植える。伐った木で作った炭はたたら製鉄の燃料としても使われていたそうだ。
「第二次世界戦後、日本中で拡大造林が進められましたが、國六の社有林は半分だけ針葉樹にして、半分は広葉樹林を残したんです。『理由ですか?』 山が深く広く豊かだったので、広葉樹林のすべてに手をつける必要がなかったのでしょう。それだけじゃなくて、先輩たちは『全部を針葉樹林にしたらまずい』と本能的にわかっていたのだと思いますね。昔は『使い道が無いから木偏に無と書いて橅(ブナ)』なんて言われたけれど、とんでもない。保水してくれるし、その実は栄養たっぷりだし、無限の豊かさを与えてくれる木なんです」(黒田さん)
國六株式会社取締役山林部長兼所長の黒田眞路さん。生まれも育ちも新庄村だ
明治時代から150年計画で守られてきた広葉樹と針葉樹の混生林
しかし、山にはブナだけがあればいいわけではないという。
「ブナやミズナラなどの広葉樹は保水力があり、その実や葉は動物や土に栄養を与えてくれます。一方、スギやヒノキといった常緑の針葉樹は一年中光合成をしてくれます。木にはそれぞれ得意なことがあるし、いろいろな木があった方がいいんです」(黒田さん)
村内の毛無山は隠岐大山国立公園特別保護区となっていて、その麓は「ゆりかごの森」として整備されている。村認定の「森の案内人」と一緒なら、この豊かな森に入れるという。源流探検部も、森の案内人である黒田さんにブナ林を案内してもらうことになった。
「ゆりかごの森」がある毛無山は旭川水系新庄川の源流域。まさに命のゆりかごだ
自分の体を使って水を集めるブナの木
黒田さんが連れて行ってくれたのは、ゆりかごの森の中でも歩きやすい「ゆりかごの小径」。全長2kmのセラピーロードだ。最初にスギやヒノキの人工林を通り抜けると、葉を落とした広葉樹の森へ出た。落ち葉が降り積もった道はフカフカで、歩いていて気持ちがいい。
「これがブナの木。手を広げているように見えるでしょ。ブナの木は大きく広げた枝で雨を集めて、幹を伝って根元に水を落として、がっちり保水するんですよ」
広葉樹の森には、ブナのほかにミズナラやコナラ、トチノキもいる。ミズナラの樹皮は、乾いている時は薄い樹皮がミルフィーユのように何層にも重なって、コルクのような弾力がある。触ってみると、ミルフィーユのような薄皮が雨をたっぷり吸って、まるでティッシュペーパーのようだ。
「あ、ドングリが根を張ってる!」
近くにいた源流探検部のメンバーの一人が、葉を落とした木の根っこを指差した。地面に視線を落とすと、降り積もった落ち葉をかき分けるように、どんぐりがすっくと立っている。森の中に転がっているどんぐりはよく見るけれど、まっすぐに立って根を張っている姿を見たのは初めてだ。
ブナは腕のように大きく広げた枝から幹を伝わせて根元に水を集めていた
ミズナラの木の根元ではどんぐりが地面に根を張っていた
森には新庄川の源流も流れている。その流れは、細いけれど勢いがある。「水棲昆虫って、どんなところにいるんですか?」そう尋ねると、黒田さんは、冷たい水に手を浸して石をひっくり返した。砂粒みたいなものがくっついている。それを指差して、「これが水棲昆虫の巣」と黒田さんが教えてくれた。細い流れと地面の境目では、積み重なった落ち葉がたっぷりと水を含んでいる。
「これが水棲昆虫の餌。ココは、きれいな水も落ち葉もあるから、水棲昆虫が育つんです」
自然をよく知る人の目を通して見ると、源流の豊かさが良くわかる。広葉樹の林の途中には、牛を放牧していたという場所もあった。斜面が丸く窪んだ場所は、かつて炭焼き窯があった跡だ。どちらも人の生業を通して、この源流の森が守られてきた証だ。
見晴らしのいい場所に出ると、正面に山が連なっていた。針葉樹と広葉樹が混ざった山林は、遠目からでもきれいに手入れされているのがわかる。いつの間にか雨は上がって、山裾から霧のような雲が森の中を静かに流れていくのが見えた。
森に入る前は「雨なんて残念」と思っていた。けれど、雨の日だって源流の森は楽しさと魅力に溢れている。ブナが自分の体を使って水を集める姿は雨でなければ見られなかった。
「新庄村は、貴重な生き物の宝庫。だからこそ、いい形で次世代に引き継ぐ責任がある」と黒田さんは言う。 この村の人々は、未来を見据えて水と森を守り続けている。
源流とその自然を守る人々の懐の深さに触れたような気がした。
恐らく、かつて出雲街道の宿場だった村が日本の源流文化を牽引する立場と思える取材だった。いつまでも日本の源流を守るリーダーであって欲しいものだ。