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未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。 会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
かつて出雲街道の宿場だったブナ林に囲まれた源流の村(旭川水系新庄川)
県内最大級のブナ林が残る源流の村
 秋の陽気が続いた師走に、やっと冬らしい寒さが訪れた日、源流探検部は中国山地を車で走っていた。車の窓にみぞれの粒が落ち始めた頃、到着したのは岡山県の新庄村だ。ここは、松江と姫路を結ぶ出雲街道の新庄宿として栄えた宿場町だ。時代をさかのぼると、後鳥羽上皇や後醍醐天皇もこの土地を通ったとされる。  そんな新庄村の現在の人口は約1,000人。旧出雲街道沿いに137本ものソメイヨシノが並ぶ「がいせん桜通り」には、開花の頃には5万人の観光客が訪れる。しかし、源流探検部のお目当ては桜ではなく、天然のブナ林が残る新庄川の源流域だ。ちなみに、この新庄川は、岡山3大河川の一つである旭川に合流し、瀬戸内海へと注ぐ。 「新庄村には、岡山県内のブナ林の3分の2があると言われているのです。ブナは保水力が高く、ブナ林は緑のダムと呼ばれるほど。源流の村として新庄村のミッションは大きいと考え、村内のブナ林の一部を県に公有林として買い上げてもらったのです」  そう熱く語ってくれたのは、新庄村の小倉博俊村長だ。  実は、小倉村長は全国源流の郷協議会の発起人の一人。源流を守るため、いち早くアクションを起こした人物なのだ。
第二回全国源流サミットが行われた新庄村を率いる小倉博俊村長
 新庄村(岡山県)として、源流の自然環境を守る取り組みを始めたのも早かった。1995年(平成7年)には、全国に先駆けて「環境美化及び源流保全対策条例」を制定。これは、村をあげて旭川源流の自然を村として次世代に引き継いでいこう、という決意表明だ。村内でゴミを不法投棄したり、水質を汚した場合、罰則もある。 「また、隣接する真庭市(旧美甘町)と共同で、岡山県では唯一の土壌浄化法という技術を採用した下水処理施設、美新浄化センターを建設しました。土壌浄化法とは、微生物や土の中の生き物の力を借りて汚水や汚泥を分解、浄化するという技術のこと。汚水処理装置を土の中に埋めるため、臭いや病原菌の発生も抑えられるのです」(小倉村長) しかも、土壌浄化法は、低コストで環境に優しいのが特徴だという。  自然に寄り添う村づくりを進めてきた新庄村の人々。源流への強い思いを支えているのは何なのだろうか。 「私は昭和22年生まれなのですが、子供時代は川が遊び場であり、自然が教室でした。野になっている柿や栗、野いちごがおやつでね。都会から見れば新庄村は周辺部ですが、源流域に住める幸せがここにはあります。水が生まれる場所のお米や野菜がどれほど美味しいものか、ぜひ知っていただきたいのです。21世紀は水源がクローズアップされる時代。平成31年から創設される森林環境税・森林環境贈与税をどう活用するか、という点も重要ですね」(小倉村長)  今後はこうした税収入を有効活用しながら、自然に対する尊敬の念を政策に反映させなければ、と小倉村長は語る。 「『お金になるから木材を市場に出す』ではなく、自然のサイクルを大切にして山林を生かすことが大切です。そのためには、国と自治体、民間が意識を共有しなければいけません。先人が残してくれた小さな村のまま、持続可能な自然環境を次世代に残すこと。それこそがこの村が目指すところなのです」(小倉村長)
総面積の9割を山林が占める新庄村には広葉樹と針葉樹の混生林が広がる
豊かな水が生んだもち米が村を豊かにする
 新庄村は、かつて「たたら製鉄」が行われていた場所。木炭を山から伐り出した木で木炭を作ってたたらの炉に使っていたこともあり、林業は基幹産業だ。和牛の産地としても知られるが、中でも今、村全体で注力しているのが、もち米「ヒメノモチ」の栽培だ。  このヒメノモチ栽培には、源流の村であることのメリットが生かされているという。それを教えてくれたのは坂本茂樹さんだ。坂本さんは昨年まで新庄村役場で農業振興に携わっており、現在は農業委員や農作業受託会副会長を務めている。取材に訪れた12月は、餅製造の最盛期だ。 「岩手県の農業試験場で誕生したヒメノモチは寒さに強いんです。昭和50年に村に入ってきた当時、主に自家消費のために栽培されていましたが、昭和55年の冷夏で他のお米はダメだったのに、ヒメノモチはきちんと収穫できたんです」(坂本さん)  そのため、昭和62年以降、新庄村はヒメノモチに特化していくことになった。東北で生まれたヒメノモチがこの地に適している理由は三つあるという。 「まず一つは、源流の村で水が豊富であること。ココには、ため池がないのに、100haの田んぼで米作りができるんです。二つ目は、土壌が良いこと。この地域では昔から肉用牛の育成が盛んで、有機堆肥が使われてきたのです。三つ目は、夏の朝晩の寒暖差が大きいこと。そのため、ヒメノモチで作った餅はきめ細かく、甘みがあると評判なんですよ」(坂本さん)
自身も米作りを行う坂本茂樹さんは小学校の出張授業も行う
 村内のヒメノモチの作付面積は、平成元年には39.7haだったが、順調に増え続け、現在は66haにもなる。村ではヒメノモチの集荷を一元化しているほか、二つの加工場を設立して餅の製造販売に力を入れている。道の駅「がいせん桜 新庄宿」で、毎日作りたての餅「ひめのもち」を販売するほか、年の瀬には岡山市内の百貨店・天満屋で、村人が餅搗きの実演販売を行うのが恒例となっている。 「百貨店での実演販売は、最初の数年は全然売れなかったですねえ。でも、餅搗きの様子がテレビで放映されたり、食べた人の口コミで少しずつ認知度が上がり、5年目から突然、行列ができるようになったんです」
水が豊富な新庄村。村内の田んぼ100haのうち66haでヒメノモチを育てている
 この日、道の駅で餅搗きが行われると聞き、見に行くことにした。餅搗きが始まるまで少し時間があったので、先に道の駅のレストランでお昼を食べる。券売機には、牛丼やうどんに混じって、「ひめのもち」のお雑煮のボタンがある。「これは食べなければ!」とさっそくお雑煮をオーダーした。  お雑煮の大きめのお椀から、かつおダシの香りがふわりと立ち上る。おつゆを一口飲んだら、さっそく餅に箸を伸ばす。真っ白なひめのもちは噂通りの柔らかさ。きめ細やかな舌触りは、まさに餅肌だ。源流の味・ひめのもちを存分に味わったところで、餅つきが始まった。  新庄村に昔から伝わる餅搗きは、ちょっと独特だ。  餅搗きは普通、臼の中のもち米を杵で搗く人と、もち米を返す人の二人一組で行われる。けれど、ここ新庄村の餅搗きではもち米を返す人はいない。杵を持った四人が臼を囲み、順番に餅を搗いていくのだ。そのリズミカルな動きに、思わず見入ってしまう。四馬力の餅搗きとあって、大きめの臼いっぱいのもち米は5分足らずで搗き上がった。
四人が杵を握る餅搗きは新庄村ならでは。5分も経たずに餅が搗き上がった
源流の村の特産品となった「ひめのもち」は甘くきめ細やかな舌触りが特徴
 自然と人々の生業が育てた、新庄村のもち米と餅。これもまた、源流文化だ。  村の子供は小学一年生になると学童農園でヒメノモチの堆肥入れから田植え、稲刈り、脱穀までを経験するという。新庄村の源流文化は、豊かな自然とともに、これからも受け継がれていくことだろう。我々も、全国源流の郷協議会を発起した村の将来を見続けていきたい。