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源流の郷未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会 ~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。 会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
「たたら製鉄」が育んだ源流の自然を守る源流の町・奥出雲町(斐伊川源流)
「たたら製鉄」が唯一残る源流の郷
 四角い炉に砂鉄や木炭が投入されると、まばゆい炎が大きく燃え上がる。火が絶えないよう、昼夜を問わず鞴(ふいご)で風を送り続けること4日。炉の下から溶岩のように真っ赤に燃えた、鉄滓(てっさい)であるノロが流れ出てくる……。  日本に伝わる製鉄技術・たたら製鉄。千年余にわたって受け継がれてきた製鉄法として知られる。その様子を、アニメや映画などで知った人も多いのではないだろうか。かつては中国地方を中心に各地で行われていたが、明治時代から大正時代にかけて、近代化の波に押されて次々と「たたらの火」は消えていった。そんな中、今も昔ながらの「たたら製鉄」が行われている場所が、斐伊川の源流域に位置する島根県仁多郡奥出雲町だ。  源流の町で「たたら製鉄」が行われていたのは、偶然ではないらしい。そこで今回の源流探検部は、「たたら製鉄」と自然を同時に守る奥出雲町へ向かった。  出雲では、日本中から神様が集まる旧暦10月は神在月と言われる。その出雲から南東に位置する奥出雲町の山々は、すでに黄色と赤に染まっていた。訪れた鳥上木炭銑工場は、株式会社日立金属安来製作所の施設だ。国の重要文化財である日本刀を作るには、「たたら製鉄」によって生み出される玉鋼が欠かせない。「たたら」の技術を保存伝承し、刀匠に玉鋼を安定供給するため、日本美術刀剣保存協会(日刀保)が文化庁の支援を受けて「たたら製鉄」を1977(昭和52)年に復活させたのだ。 「日刀保たたら」に携わっているのは、日立金属安来工場の社員8名と刀匠4名で構成される「たたら養成員」だ。20代から60代までの「たたら養成員」を取りまとめているのが「村下(むらげ)」で、国選定保存技術保持者の木原明さんだ。「村下」とは、「たたら」の作業の責任者のこと。18歳で日立製作所(現:日立金属)安来工場に入社し、砂鉄精錬や純度の高い木炭銑鉄の生産に携わった後、「たたら」の復活に関わることになった。
「日刀保たたら」の責任者である「村下(むらげ)」を務める木原明さんは現在83歳
現在、日本で唯一「たたら」の操業を行っている「日刀保たたら」
 ここはもともと、松江藩の9鉄師(たたら経営者)の一人だった卜蔵(ぼくら)家のたたら場があった地域だったため、鳥上木炭銑工場が建設された。昭和8年には隣接地に靖国たたらが建設され、その建物と地下構造が保存されていたことから「日刀保たたら」として復活したのだ。 「現在は年に3回、ここでたたらの操業をしています。12月中旬から準備を始めて、実際の操業は1月中旬から。たたらの炉の温度が下がらないうちに、3回続けて行うんですよ。それ以外の季節は山から砂鉄を採取したり、炉で燃やすための木炭を作ったり。この『日刀保たたら』は、砂鉄や木炭などの材料調達から炉作り、玉鋼の製造、日本刀製作まですべて行う『自給自足のたたら』なんです」(木原さん)
「たたら操業」に不可欠な工業用の木炭も鳥上木炭銑工場の作られている
冬の操業前に焼いた膨大な工業用木炭が倉庫に収められていた
 いったん火を入れたら三日三晩、炉から目を離すことはできない。 「炉で起こる化学反応は、すべて火に表れます。ですから、40本ある送風管のすべての穴から炉の火勢(ホセ・火の様子)を見て、砂鉄や木炭の量や入れる場所やタイミングを調整するのです」(木原さん)  玉鋼は昔ながらの「たたら製鉄」でしか生み出せない。炉の温度が1,000度を超える過酷な現場では、人力で風を送り続け、砂鉄や木炭を入れ続ける。 「たたらには体力、精神力、感性といった人間力が必要です。私どもは機械のない時代のものづくりをしているので、現場が原点。養成員は現場で経験を積み、その中で感性を活かしていくのです」(木原さん)  そう語る木原さんは、1935(昭和10)年生まれの83歳。ピンと伸びた背筋に、「たたら」への情熱と使命感がにじむ。 「今、村下代行は2人ですが、今年度からその数を増やし、技術を伝えていきたいと思っています」(木原さん)
「日刀保たたら」では、材料調達から刀鍛冶まで一貫して行う。この日も刀匠が刀を研いでいた
「たたら」の神様である金屋子神が工場内に大切にお祀りされている
 木原さんは山口県出身だが、この地で暮らして60年以上になるという。 「斐伊川の源流である奥出雲町には、春夏秋冬それぞれの美しさがあります。私も毎朝、山々を眺めています。追谷地区の棚田はとても美しいですよ。この土地でたたらを続けるためにも、自然を大切にしていきたいですね」(木原さん)
「たたら製鉄」があったからこそ、山が守られた
 ところで、なぜこの地で「たたら製鉄」が行われていたのだろうか。  その疑問に答えてくれたのが、奥出雲町役場 地域づくり推進課 課長の高尾昭浩さんだ。 「奥出雲では昔から山々から砂鉄を採取し、薪炭林としても利用してきました。たたら製鉄が興隆を極めたのは江戸時代のこと。この地域ではたたら場の数を制限しながら循環利用してきました」(高尾さん) 「たたら」では一度の操業で膨大な木炭を使用する。そのため永続的に「たたら場」が操業できるよう、山を輪伐して木を伐り尽くさないようにしてきたという。 「伐採した切り株からは新たな芽が生えてきます。それを育てて新たな森林に育てることを萌芽更新と呼ぶのですが、30年ほどで伐採すると萌芽再生力が高くなるとされています。そのため、30年周期で輪伐したのです」(高尾さん)
奥出雲町の資源循環型農業について教えてくださった奥出雲町地域づくり推進課課長の高尾昭浩さん
「たたら」を続けるため、鉄師は木を輪伐し、山を守っていた(奥出雲町提供)
 山を切り崩して砂鉄を採取することを「鉄穴(かんな)流し」と呼ぶ。切り崩した土砂を水に流すことで重い砂鉄は沈み、軽い土砂は流されるため、効率よく選別した。しかし、土砂を流すと下流の川は茶色く濁ってしまうため、農閑期である秋の彼岸から春の彼岸の間に行っていたそうだ。 「切り崩した山から砂鉄を取り切ると、その場所を田んぼにしました。鉄穴流しで使った水路が通っていたので、田んぼにできたのです。大学の研究者の方が行った調査では、奥出雲町にある田んぼの約3分の1は、こうした鉄穴流しの跡地が棚田に再生されたものであることが分かっています。切り崩した土砂で埋めて作った田んぼも含めると、奥出雲町の田んぼの大半はたたらに由来する、という話もあるほどです」(高尾さん)  また、鉄師は鉄を運ぶために数多くの牛馬を飼っていたという。そのため、この地域では牛の品種改良が盛んに行われたほか、牛糞堆肥を田畑に活用したという。 一方、炭を作るために伐採した山林は焼いてからソバを蒔いて収穫もしていた。 「このようにたたら製鉄は林業、農業、畜産業と密接に結びつき、森林を守りながら資源循環型農業のシステムを構築したのです。現在も、奥出雲にはたたら製鉄を由来とした資源循環型農業が残っています」(高尾さん)
山を切り崩して土砂を水に流し、砂鉄を採取する「鉄穴流し」。町内には鉄穴流しで使った水路の跡が今も残る
「日刀保たたら」で使う砂鉄はこの地で採取され、炉にくべる木炭も地元の森林組合から仕入れた原木を焼いて造っている。また、出雲そばや奥出雲和牛、しいたけ、お米といった特産品も豊富だ。中でも仁多米は「東の魚沼、西の仁多米」と称されている。源流に近く、鉄穴流し跡に作られた棚田が多い追谷では、作ったお米を「棚田源流米」として売り出している。 「専業農家さんだけでなく、ほかに仕事を持ちながら自分たちが食べる分のお米やしいたけなどを作っている家庭もまだまだ多いですね。奥出雲町では歴史的な背景を大切にしながら、時代に即した資源循環型農業を守っています」(高尾さん)  こうしたダイナミックな資源循環型農業のシステムは、日本だけでなく世界に広く認められるべきものといえるだろう。現在、世界農業遺産・日本農業遺産への認定を目指している。
鉄穴流し跡に造られた追谷地区の棚田。ここで作られるお米は「棚田源流米」として販売されている
 源流域の豊かな自然に支えられた「たたら製鉄」。一大産業として発展した「たたら」は人々の生活や文化だけでなく、結果的に水源地の自然を大切に守ることにつながったと言えるだろう。 自然が人の暮らしや命を支えたように、人々の真摯な営みが自然を守ることがある。源流の町・奥出雲町の人々が守り続ける伝統技術と生活スタイルには、人と自然が共生するためのヒントがたくさん詰まっていた。