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川と釣りと……
今月の川 埼玉県・大血川おおちがわ

奥秩父山塊の雲取山周辺に端を発する荒川水系の一支流。西谷と東谷というふたつの沢が清浄な沢水や湧水を集めて合わさった所に今回の舞台である大血川渓流観光釣場がある。自然河川を利用した釣り場の区間を過ぎて下るとそのまま北進し、荒川本流へと合流。流域は主に再生林だがミズナラやサワシバ、カツラ、トチノキなどの広葉樹が渓に緑のトンネルを作り、特に新緑の初夏は素晴らしい渓相での釣りが楽しめる。大血川渓流観光釣場は足場のよい川原となっているため、雰囲気のよい流れの中で、安全に老若男女だれでも渓流釣りを楽しむことができる(https://oochigawa-fishing.jp/

35年以上続く観光釣場

前編で紹介した大血川渓流観光釣場の名物「源流うどん」は、奥さんの吉田みね子さんが、ご主人のお父さん、初代の吉田和平さんから引き継いだ強いコシとつるつるのノド越しが特徴だ。

「まだ主人が単身赴任をしていたころで、手伝いに来ていたわたしが義父が教えてくれた通りに引き継いだのですが、なかなか義父のようにはいきません(笑)」とはいうが、秩父の冷水でギュッと引き締めたコシのある麺は、一度食べたら忘れられない味だ。観光釣場のお客さんのほか、近くの自然渓流に釣りにきた人が食事と休憩に立ち寄る店としても重宝されている。何を隠そう私もそのひとりだ。

人気の源流うどん。写真の肉汁うどんのほか、季節の山菜や野菜の天ぷらが楽しめるざるうどん(山菜天ぷら付き)や冷やしぶっかけうどん(7~9月のみ)もある。

ところで、「国際釣場」や「観光釣場」という釣り場の名前には歴史を感じるが、ここ大血川渓流観光釣場はいつから始められたのだろうか。真一さんに聞いてみた。

「確か昭和58年(1983年)頃でしたか。ここ大滝(かつては大滝村。2005年に秩父市、吉田町、荒川村と合併して秩父市となった)の村おこしのような格好でスタートしまして、当初は秩父漁協大滝支部会員とうちとの共同出資みたいな形で経営していましたが、その後、個人経営に代わり今に至っています。はじめたのはうちの親父とおふくろで、当時、伯父が秩父漁協の組合長だったものですから、弟である父にお鉢が回ってきたんですね。親父は釣り場をやりながら、自分がやってみたかったうどんを打ち始めたんです。私は大学を出たばかりで建築現場の仕事をしていましたので、たまに帰省時に手伝うぐらい。それでもそろそろ親父もリタイアかな……と思って、跡を継ごうと会社を辞めようとしていた矢先、2013年の大晦日に亡くなってしまったんです。私が正式に継いだのは2015年の3月から。だからちゃんとした引き継ぎもできないまま、手探りで5、6年かな。今に至っているというわけです」

先代のお父さんとお母さん。開業当初、食堂はなく、小さな券売小屋がひとつあるだけだったという。
取材日(2019年11月末)当日のマスエリア。安全な足場で渓流のニジマス釣りを楽しむことができる。ほかイワナやヤマメが狙える自然渓流さながらのストリームエリアもあり。
釣り場各エリアの概要とコンディション状況などが書かれた案内ボード。

先代のお父さんお母さんから奥さんが引き継いだ源流うどんは、近くの山や畑で採れる山菜や野菜が添えられる、渓谷部ならではの名物となった。そこに加えここ数年、もうひとつの名物が人気を上げている。それは真一さん手作りの「源流くんせい」だ。イワナ、ヤマメ、ニジマスを、ワイン樽と桜チップを用いたこだわりの独自製法で燻す山の幸。実は今回、私が取材にお伺いした理由のひとつに、この燻製があった。ワイン樽で燻すところを見せてもらいたかったのだ。

「親父はほとんどやらなかったんですが、私は釣りが好きなので、魚を釣ってはよく燻製を作っていたんです。いわばその延長ですね(笑)。当初はドラム缶を用いて8時間ほどかけて燻していたのですが、どうしても熱にムラがあるので、もう少し温度を安定させることができないか……と思っていた矢先にワイン樽をいただけることになりまして、それを自分で加工して活用するようになってからは6時間の燻製で仕上げることができるようになりました」

燻製の醍醐味は味もさることながら、その香りだ。真一さんの源流くんせいは、近くの山で採れるヤマザクラから削り出したスモークチップの香りにワイン樽の香りがほのかに添加され、さらに「隠し香」として爽やかな香りのクロモジが加わるこだわりよう。クロモジは魚の腹を開く支えに使うだけでなく、少しヤマザクラに混ぜて「追い香」を付けたりもする。「かつてはホオの実にこだわったこともあったんですけど、香りが安定する反面、少し苦みが出るんです。それが嫌で使わなくなってしまって……」

ワイン樽を利用して作られた燻製器。材やワインの香りも燻製の味わいに深みを与えている。
伯父の黒澤さん。近くの山で採れたヤマザクラの材を鉈で削りスモークチップを作る。リズムのよい音が川辺に響く。
ヤマザクラのスモークチップ。爽やかで上品な甘い香りが特徴だ。
「ああ、ミソッチョ(ミソサザイ)が鳴いてるね」と真一さん。カワガラスと並ぶ愛らしい渓流釣りの友。
前日には屋根に積もった落葉を湿らせる雨が降っていた。

もちろん煙で燻す工程は、最も重要な最後の仕上げと言えるが、こだわりはこの限りではない。実はそれ以前の仕込みが味を大きく分けるのが燻製作りの難しいところだ。

「味と香りを付けるための、いわゆるソミュール液ですよね。皆さん、ここに独自の割合でハーブを加えたりして、オリジナルの味を出しています。うちの場合は、まず最も多く入れるのがローズマリー。そして月桂樹。さらに山椒も少し入れてます。あと粒と粉のブラックペッパー。これをブレンドして15%の塩水になるように調整して一昼夜漬けこみます。漬けこんだものを取り出したら、まず一回、川の水で洗います。さらに浄水で洗って水切りをして、キッチンペーパーで水気を取って、吊り下げるためのひもと、腹を開くための串を打ちます。今度はそれを一晩干してから燻製に回す、という工程ですね」

探究心旺盛の真一さんが作る燻製はとても美味しい。だが、今もまだ追求の途上なのだという。そんなこだわりの味が人づてに評判となり、ほとんど燻製目的で釣りにくるお客さんもいるのだとか。季節限定の販売なので、事前に確認をお願いしたい。

一匹一匹、ていねいに開かれ吊るされる魚たちを見て

あとはワイン樽で燻すだけとなった状態のイワナとニジマスを見て、大好きな魚たちが一匹一匹、ていねいに手間暇をかけて扱われている姿にうれしくなる。私の渓流釣りの目的は、その川のイワナやヤマメに出会い美しさを写真に収めたいという欲求を満たすことにある。だからほとんど食べることはない。だが、食べ物としての渓流魚もまた好きで、ていねいに食材として扱われる姿には、水の中を泳ぐ姿に負けないほどの美しさを感じる。一匹一匹、ていねいにワタを除かれソミュール液に漬けられ、冷たい川の水で洗われ、川を通る風に当てられた魚たちが、首にひもをつけられてザルに並べられている。その姿はやはりとても美しい。渓流魚やヤマザクラを用い、川の水や風といった風土に問いかける試みを繰り返すこと。味として返ってくる答え。少しずつこの地の理解を試み、それを美味しさや楽しさとして人に伝える喜びを感じた。

これから燻されるのをザルの上で待つイワナ。
イワナとニジマスが吊るされた網を燻製器にかける真一さん。
20~30分おきに温度を記録し、仕上がり具合をはかる。
およそ6時間後に出来上がった燻製をあげる。
ワイン樽よりじわりと漏れる煙が鼻腔をくすぐる。
できたての源流くんせい。ふわりと漂う山の香り。さっそく一尾、皮をむいて味見させていただいた。しっとりした背中の身はホックホク。
試行錯誤を続けるご主人の吉田真一さん。ぜひ一度、釣りがてらに味わってほしい。
真空パックされて販売。1カ月ほど日持ちする。

自分の中の新しい風景を歩きたい

緑に包まれた大血川の流れ。正直、魚影は濃いとは言えないが、その水とロケーションに癒される川歩き。
天蓋から覗く青空を見ると、心がそわそわしてしまうのはなぜだろう。
青空と木々を映す水面に釣ったばかりのイワナ。

本当ならば、もう一度、今年の解禁当初に川を訪れ、イワナの無事を(釣ることにより)確認して、源流うどんを食べながら報告をしたいと考えていた。だが、あれよあれよの間に新型コロナウイルスの広がりによる釣りの自粛を余儀なくされ、県内とはいえ長い移動をともなう釣行は諦めることとなった。コロナ禍の影響といえば、私の釣りよりも大血川渓流観光釣場の営業だ。全国の管理釣り場の例にもれず、2020年の4月より5月中旬までクローズしていたが、今は営業を再開した。昨年秋の台風に次ぐ強い逆風には言葉もないが、一段落したらすぐに足を運びたいと願っている。

季節は奥秩父の渓が翡翠色に包まれる輝かしき新緑の頃合い。大好きな奥秩父の川とひさびさの釣りと、美味しいうどんと燻製と、この地での生業についてお伺いしたお話と……。自分の目の前に広がる風景は、どのように変わっていることだろう。それを今、とても楽しみにしている。

奥秩父の渓流で釣り上げたヤマメ。
艶かしい肌艶を持つ源流のイワナ。
天狗のうちわのような葉を広げるトチノキの新緑(5月)。
先を白く染めたマタタビの葉(6月)。
空気まで翡翠色に染まる初夏の奥秩父の渓流。釣れずとも贅沢な川時間。