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未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
ほぼ全世帯が森林組合員、森と生きる根羽村(矢作川源流)
なぜ全世帯が山持ちになったのか
 水、そして源流を育むのは森だ。だから、源流の郷では人々は森とともに歴史を重ねてきた。そんな中、村のみんなが森と生きている源流の郷がある。それが、矢作川の源流に位置する長野県南端の根羽村だ。  ここ根羽村では全世帯が山持ちとして森林組合員となり、村長が森林組合長を兼任するというシステムを早くに確立している。根羽村スタイルとも言える独自のシステムはいかにして生まれたのか。根羽村の大久保憲一村長に教えてもらった。  話は江戸末期から明治始めにさかのぼる。同じ長野県の木曽谷には当時、国有林や御料林があったが、根羽村のほとんどが民有林で、その半分以上は村が管理する公有林 (この民有林や公有林とは国有林や御料林ではない森林を指す) だったという。  「明治に入り、村が管理する公有林をどう管理していくかが村の課題になりました。そこで、村と村民の皆さんで一緒に管理していく方法として考えられたのが、分収林契約を結ぶというものでした」  分収林とは、土地の所有者と、その土地で植林や保育をする人が契約を結び、その木を伐採する際の収益を分け合うシステムを採用している山林のこと。「当時、村に23あった集落ごとに、村と分収林契約を結ぶことになりました。各集落では1戸あたり3haの分収林が用意されたため、集落に20戸あれば60haの山の分収林契約を村と結ぶことになります。そこに植林を行い、伐採で得た収益を八分二分で分け合うことになりました」  つまり、収益の8割が植林した人(集落)に、2割が所有者である村に入るという仕組み。ちなみに、現在はこの割合が九分一分となっている。  「村の全戸に対し、村有林を分収林として分配したわけですが、さらに貸付林もありました。これも明治時代に、馬や牛の採草地として、1戸あたり2.5haの貸付林を村の全戸に与えられたもの。つまり、村の全戸が分収林3haと貸付林2.5haの合計5.5ha+若干の私有林という形で、山林経営を行う形になったのです」
根羽村の大久保憲一村長。村役場職員時代からトータル林業に取り組んでいる。根羽村では村単独の森林組合にほぼ全世帯が加入しており、村長が森林組合の組合長を兼任している。
明治時代に村有林を全世帯に分配した根羽村。そのため、村の全世帯が山林経営を行うという、林業立村を貫いてきた。植林も盛んで美しい根羽スギや根羽ヒノキで知られる。
材価が下がっても山を守らなあかん
 この地域の山林では、里山の薪炭林として利用される一方、江戸時代の篤農家・古橋源六郎らの影響を受けて、早くから植林が行われていたそうだ。こうした歴史的背景もあって、分収林や貸付林にこぞって植林を行っていたという。 「貸付林を分配した時点で、村内の山ではすべて地籍調査が完了し、個人に所有権が移っています。そのため、山の頂上まで全部所有者がわかるのですが、これも、根羽村の特徴ですね」  森林組合は日本各地にあるが、行政単位を超えた地域で結成されている場合も多い。しかし、ここでは根羽村単独の根羽村森林組合が存続している。その森林組合に村有林を分配された全戸が加入し、村長が組合長を務めるという珍しいスタイルとなっている。  根羽村には、分収林や貸付林として村民に分配した山林以外にも、村有林があった。そのため、官行造林も進められた。これは、大正9年(1920年)にできた公有林等官行造林法による植林で、町村が所有する山林に国が造林や伐採を行い、その収益を折半するというもの。根羽では約1,300haの官行造林が行われた。昭和32年(1957年)にはその山林で伐採が行われ、平成20年までの間に42億円の立木総売上があり、収益の半分が村に入った※(1)。  「その収益から再造林が行われるとともに、役場や道路、水道がつくられました。村民のみなさんは、こうした山の売上の恩恵を受けてきたことを肌で感じてきました。だからこそ、昭和39年の木材輸入の自由化以降、材価がどんどん下がってきても、『なんとか守っていかな~あかん』と山を守り続けてきたのです」  時代が変わり今、根羽村では一次産業(木材生産)から、二次産業(木材加工)、三次産業(販売・利用)までを行うトータル林業に取り組んでいる。これは、民間と行政が一体となって山を守り、木を伐って、販売・利用するというもの。村単独の森林組合にほぼ全世帯の村民が加入しているため、林業に対する合意が得られやすいことも根羽村の強みだ。  そのきっかけとなったのが、村唯一の製材工場が平成7年(1995年)に閉鎖された際、村が買い取り、新たに製材工場を整備したこと。材木に付加価値をつけて販売する方法を模索した結果、信州木材認証製品となった根羽スギや根羽ヒノキのブランド化に成功した。  「時代の変化とともに形を変えながら森を守っていこうということです。そして、そのベースには恵まれた森林をきちんと守り、育てて繋いでいこうという根羽村の思いがあるのです」
村では早くから根羽スギや根羽ヒノキのブランド化に成功しており、住宅や商業施設の建材としても使われている。芯の部分が赤いのが根羽スギの特徴の一つだ。
根羽村では生産から加工・流通までを一貫して手がけるトータル林業を行っている。行政と民間が一体となって山を守りながら産業として継続し、次の世代へとつなげている。
日本のデンマークを支える矢作川源流
 源流の郷・根羽村の自然を守っているのは、根羽村だけではない。根羽村に源流がある矢作川は、愛知県と岐阜県の県境を流れていき、愛知県安城市を通って三河湾に注ぐ。  その安城市の台地では水の確保を溜池に頼っていたが、江戸時代に矢作川から水を引き込もうという計画が持ち上がった。領主や農家の反対や困難に遭いながら、悲願の水路が通ったのは明治13年(1880年)のこと。明治用水と名付けられたこの水路に水が通った5年後には、安城市を中心に4,600ha、50年には8,100haもの水田が誕生した。この地域は農業先進国デンマークになぞらえて「日本デンマーク」と呼ばれるまでになったという※(2)。  しかし、矢作川は小さい川なので、天候によっては山が荒れ、水が枯れてしまう。そこで立ち上がったのが、当時の明治用水土地改良区の為政者だったという。大久保村長が言う。  「大正3年(1914年)、『水を使う者は自ら水を作れ』という崇高な理念で、源流域の根羽村に564haの山を購入されたのです。水源涵養林として植林・育林されたその山林は、今も受け継がれています。今となっては各地で行われていますが、100年以上も前から下流の人々が源流の森を守ってきたことは、非常に先見性がある流域だと言えると思います」  明治用水土地改良区との交流をきっかけに根羽村と安城市との交流も盛んになった。昭和50年代には、安城市の中学生が課外学習を行う野外教育センターが根羽村に完成した。  「さらに、安城市のお子さんが根羽村の農家民宿に泊まったり、根羽の子どもたちが安城市の七夕祭りに招待されたりと、行政レベルでの交流が深まっていきました。」現在はそれが市民レベルに広がっており、NPOエコネットあんじょうが水源の森を守る活動を行っている。
根羽村から始まる矢作川は愛知県を通り、三河湾に注ぐ。そのため矢作川流域の愛知県安城市や矢作川の水を使用する明治土地改良区の人々が一緒に源流の自然を守ってきた。
 昭和63年(1988年)に森林法が改正されると、上流と下流の自治体で森林整備協定を結べるようになった。それを受けて平成3年(1991年)に、根羽村と安城市は森林整備協定を結んだ。  「森林整備協定の第一号が根羽村と安城市なのです。その舞台となったのが、官行造林を進めた村有林でした。先ほどお話しした通り、この村有林に国が造林し、伐採した収益を村と国で折半していたのですが、伐採地域が次第に源流域に近づいていきました。村では水源の機能を残すために買い取りたいと考えたのですが、非常に広かったため、買い取るためには村が国に1億5,000万円を支払う必要がありました。そこで、48haに及ぶその山林を安城市が水源涵養林として購入してくれたのです」  その水源涵養林を安城市と根羽村が共同で行ってきたが、30年の契約期間が2021年に満期を迎えた。その更新にあたり、「安城市のお子さんたちがどんな活動ができたら楽しいか、どんな環境教育ができるかなど、安城市と相談しているところです。今後は、環境林としても使いやすい山にできたらと考えています」  日々の暮らしが源流と森林に支えられていることを実感として知っている矢作川源流の人々。だからこそ、大切にしたい思いがあると大久保村長は力を込める。「近年は、都市に人を集めたほうが効率的だという意見もあります。しかし、源流に人が住まなくなれば、今ある資源は枯渇してしまいます。あるものは管理していかなければなりませんから、人が住み続けられる仕組みを作っておかないと。それは、中流域も下流域も同じこと。そうしたことを考え、全国の源流を含めて交流していくのが大事だと考えています」  都市には都市の、農業地帯には農業地帯の役割があるように、源流には源流の役割がある。森と生きる源流の村の歴史は、その価値を知る人々と互いに支え合う歴史そのものだった。 文=吉田渓 写真提供=根羽村役場
参考資料
バックナンバー
源流を支える森、日本と世界はどう違う?
若手がつくる源流の村の新たな潮流(矢作川源流)
ほぼ全世帯が森林組合員、森と生きる根羽村(矢作川源流)
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