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未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
狼と多摩川の神がいる丹波山村 (多摩川源流 丹波川)
森と水の豊かな暮らし
 多摩川の源流、丹波川が村を東西に走る源流の郷、山梨県丹波山村。人口533人の小さな村(参考資料1)のあちこちで最近、目にするのが「狼」をモチーフにしたグッズだ。狼が描かれた焼酎や手拭い、マグカップ、さらには絵本も出版されている。こうした狼グッズは村の道の駅やインターネットで販売されている。丹波山村のシンボルとも言える狼だが、なぜ、狼なのだろうか。  東京都と埼玉県との県境に位置する丹波山村には、百名山の雲取山の登山道がある。雲取山へ向かう道中、通るのが七ツ石山だ。その名前は山頂に七つの岩があることに由来するのだが、敗走した平将門の7人の従者が岩と化したと伝えられている。  ここにある七ツ石神社の狛犬が狼なのだ。  山々に囲まれた丹波山村には昔から猟師がおり、狼を山神の使いとして崇めていたという。これを知った地域おこし協力隊のメンバーが狼伝承を伝えたいと活動を始めたのをきっかけに七ツ石神社も再建され、狼が丹波山村の象徴となっていったのだ。  現在も村の面積の約97%を山林が占める丹波山村(参考資料2)。就職を機に甲府市から丹波山村にやってきた丹波山村役場振興課の磯部智博さんは、源流の村との出会いとそこでの暮らしについてこう語る。  「ここに移り住もうと思ったのは、山に囲まれ、水が流れる源流の綺麗さからです。丹波山村を知ったきっかけは、高校時代の同級生が丹波山村出身だったことでした。丹波山村は村内に高校がないため、高校進学を機に村を離れる人が多いのです。山に囲まれたこの村にはコンビニもスーパーもありませんが、慣れてしまえば特に不便と感じることもありません」  そして何より驚いたのが、食の豊かさだという。 「村の人たちにきのこ採りや狩猟に連れて行ってもらうようになり、私も狩猟をやるようになりました。猟に出てシカやイノシシを獲って解体して食べる。街中で普通に生きていたのであれば、なかなか味わえないことですよね。お腹が空いたときも、村の方が畑から採ってきた野菜をもらったり・・・。あらゆるものが現地調達なんですよね。そして、何より水が美味しいですね。飲むことができる湧き水も、探せば村内にありますから」  同じく、就職を機に県内から丹波山村に移り住んだ丹波山村役場温泉観光課の堀内麗暖さんもこう話す。 「もともと一人が好きなタイプなので、知り合いが誰もいないところに行ってみたいなぁと思ってきたんです。でも、今では地元の同世代の人と毎月のように遊んでいます。自分は狩猟をしないのですが、山の登り方や川での魚の捕まえ方、キノコの見つけ方を教わったりしています。そういったことを、自分と年齢の近い人が教えてくれるんですよ」  源流の暮らしは、この地に移り住んだ二人を魅了しているようだ。
秋の丹波川の様子。この美しい自然に魅了されて丹波山村に移り住む人も多い。
丹波山村産ヒノキの枝葉を湧き水で蒸留した精油。自然の恵から新たな特産品を作ろうと若い世代が動き出している。
山林を守った多摩川源流の「神」
 自然とともに暮らし、その恵みをしっかりと受け取る源流の人々。  だからこそ、自然への想いは強い。 「水をきれいにしようとか、山を守ろうというのは、村の人々にとっては当たり前のことなのだと思います。村には、全国的にみてもかなり早い段階から下水管が通っていて、下水道普及率も100%近くあります。また、丹波山村の森林の約7割は東京都の水源涵養林。東京都水道局によって整備が行われています」と磯部さんが語った。  この村で育まれた水が東京都へと流れ、多くの人の暮らしや命を支えているという事実も、人々の自然への意識をさらに強めているのだろう。  江戸時代から江戸に水を送ってきた多摩川。  その源流の山林は天領、つまり幕府の直轄地だった。明治時代に入ると官有地や御料地となったが、入会権(いりあいけん)が認められたことから伐採や開墾が進み、荒れていった。    水源の荒廃を不安視したのが、当時の東京府と東京市だ。丹波山村などの御料地の払い下げを宮内省に申請し、水源涵養林の経営に本格的に乗り出した。その際、派遣されたのが、東京府の林業監守・中川金治だ。現在の岐阜県飛騨市出身の中川金治は、帝国大学農科大学(現:東京大学農学部)で篤志林業夫として学んだ人物だ。  荒れた山林を蘇らせるため、中川金治は山小屋に泊まり込み、植林や林道工事を行った。また、仕事で東京に出た時は、村の子どもたちにみやげを買って帰ったという話もある。そんな彼を村の人々は「山の御爺」「奥多摩の主」などと呼んで慕ったという。  中川金治は昭和10年に東京府を退職したのちも、太平洋戦争末期に郷里に戻るまでこの地に留まったという。村人たちはサオラ峠に祠を建てて中川金治を神とする中川神社を建てた。その後、昭和と平成に建替えられ、記念祭が行われるなど大切にされてきた。そんな中川金治は、多摩川の恩恵を受けるすべての人にとって恩人と言えるだろう。
東京都水源涵養林の様子。丹波山村は約97%が山林だが、そのうち約70%が東京都の水源涵養林である。
多摩川源流に吹く新しい風
 山梨県でありながら、東京都の水源涵養林として守られてきた丹波山村。ここに住む人々の源流への想いは、形として見ることができるという。 「村では年に三回、環境美化活動の日があります。この日は村民全体で掃除を行う日で、自分の家の周りの草刈りなどを行います。そのため、河原に近い方は、河原も掃除しているんです。また、最近では丹波川クリーンアップ大作戦が年に何回か行われています。これは、たばやま観光推進機構を中心に、川に詳しい漁協関係者の方や地域おこし協力隊といった有志が集まり、川の掃除をするというもの。地元のお子さんたちにも川を知ってもらう機会にもなっています」と、堀内さんが言葉にした。  豊かな森が育む源流は、地域の人々のこうした日々の積み重ねによって守られているのだ。最近では、県外から移住して地域おこし協力隊として活動した後、村内で林業事業体を立ち上げて林業に取り組んでいる人もいるという。 村の人々と、新たな住人が守っている丹波山村の源流。 自然環境とともに、その豊かな源流文化もまた、新たな風が吹くたびに少しずつ形を変えて次の世代へと受け継がれていくことだろう。
参考資料