1982年に日本人として初めてパリ・ダカールラリーに参戦したバイク冒険家の風間深志さん。1985年にはエベレストにバイクで登攀し、世界記録となる高度6005mを樹立した。さらに、1987年に北極点に、1992年には南極点にバイクで到達し、いずれも史上初の快挙を成し遂げた。そんな風間さんが1988年に始めたプロジェクトが「地球元気村」だった。地球元気村とはなんなのか、バイク冒険家がなぜ、このプロジェクトを始めたのか。風間さんご本人に語ってもらった。
植村直己さんの遺志を継いだ自然学校
数々の金字塔を打ち立てたバイク冒険家。 NPO法人「地球元気村」主宰。そのチャレンジスピリットは未だ留まることがない。
僕はバイク冒険家。そもそもはバイク少年でした。バイクにはオンとオフがあって、僕が好きなのは山や林道を走るオフ系のバイクです。その魅力は自然の魅力に他なりません。「自然を堪能して、どこまでもバイクで行くんだ!」という気持ちで北極や南極まで行ってきました。だから、僕にとっては「バイク=自然探求」なんです。
僕の認識する冒険家の先人に、日本人として初めてエベレストに登頂した登山家・植村直己さんという方がいました。植村さんは1984年に世界初となる冬季マッキンリーの単独登頂に成功し、下山途中で消息を断ちました。彼は「北海道の帯広に自然学校を作って、自然の魅力を伝えたい」という思いを持ちながら、志半ばとなってしまいました(*1)。
僕自身も、アカデミックな冒険をして帰って来ると、みんなの前で何か話してくれと言われたり、文字で表現する機会も増えていきましたが、それはそれで嬉しいのですが、本を一冊書くのになんと1年半もかかってしまったり、すっかり懲りちゃったんです(笑)。
バイク冒険家になる前の僕はある雑誌社で編集をやっていたのに…変な話ですけど(笑)。
それで、何とか書くこと以外で自然の魅力を伝える方法はないものか? と思うようになったのが「地球元気村」創設への第一歩でした。僕は山梨県の山育ちなので、日常空間に自然がたっぷりあり、遊ぶのはいつも野外でした。やがて、大人になって子育て真っ最中だった頃、東京都の練馬に住んでいまして、僕が子ども時代はごく当たり前に遊びはフィールドだったのに、東京のマンション住まいとなると、子どもをどう育てるか? ものすごく迷いました。
そこでやり始めたのがキャンプです。嫁さんと子どもを連れて川沿いに伸びる林道のどん詰まりに行ってテントを張り、暗くなるまで釣りをするんです。日常を離れ、あらゆるライフラインから逸脱したところで家族みんなが役割分担をこなし、みんながひとつになって一夜の安全を構築し、翌朝、素晴らしい朝を迎える。生活のための水を汲み、石を転がすという、とてもドラマチックでリアリティのある衣食住の体験でした。そんな素晴らしい感動を、出来たら皆んなに広めたい! と思ったんです。皆さんは何か大切なことを忘れていないか? と。
すると、先日亡くなったカヌーイストの野田知佑さんをはじめ、作家の椎名誠さん、ミュージシャンの宇崎竜童さんや俳優の故・根津甚八さんが、「おぉ風間、やれよ」と応援してくれたんです。そんな僕の普段からの遊び仲間だった豪華なメンバーが設立メンバーとなって、「地球元気村」がこの時(1988年)スタートしました。