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未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
バイク冒険家・風間深志が語る自然に触れる喜び
 1982年に日本人として初めてパリ・ダカールラリーに参戦したバイク冒険家の風間深志さん。1985年にはエベレストにバイクで登攀し、世界記録となる高度6005mを樹立した。さらに、1987年に北極点に、1992年には南極点にバイクで到達し、いずれも史上初の快挙を成し遂げた。そんな風間さんが1988年に始めたプロジェクトが「地球元気村」だった。地球元気村とはなんなのか、バイク冒険家がなぜ、このプロジェクトを始めたのか。風間さんご本人に語ってもらった。
植村直己さんの遺志を継いだ自然学校
数々の金字塔を打ち立てたバイク冒険家。 NPO法人「地球元気村」主宰。そのチャレンジスピリットは未だ留まることがない。
 僕はバイク冒険家。そもそもはバイク少年でした。バイクにはオンとオフがあって、僕が好きなのは山や林道を走るオフ系のバイクです。その魅力は自然の魅力に他なりません。「自然を堪能して、どこまでもバイクで行くんだ!」という気持ちで北極や南極まで行ってきました。だから、僕にとっては「バイク=自然探求」なんです。
 僕の認識する冒険家の先人に、日本人として初めてエベレストに登頂した登山家・植村直己さんという方がいました。植村さんは1984年に世界初となる冬季マッキンリーの単独登頂に成功し、下山途中で消息を断ちました。彼は「北海道の帯広に自然学校を作って、自然の魅力を伝えたい」という思いを持ちながら、志半ばとなってしまいました(*1)。
 僕自身も、アカデミックな冒険をして帰って来ると、みんなの前で何か話してくれと言われたり、文字で表現する機会も増えていきましたが、それはそれで嬉しいのですが、本を一冊書くのになんと1年半もかかってしまったり、すっかり懲りちゃったんです(笑)。
 バイク冒険家になる前の僕はある雑誌社で編集をやっていたのに…変な話ですけど(笑)。

 それで、何とか書くこと以外で自然の魅力を伝える方法はないものか? と思うようになったのが「地球元気村」創設への第一歩でした。僕は山梨県の山育ちなので、日常空間に自然がたっぷりあり、遊ぶのはいつも野外でした。やがて、大人になって子育て真っ最中だった頃、東京都の練馬に住んでいまして、僕が子ども時代はごく当たり前に遊びはフィールドだったのに、東京のマンション住まいとなると、子どもをどう育てるか? ものすごく迷いました。

 そこでやり始めたのがキャンプです。嫁さんと子どもを連れて川沿いに伸びる林道のどん詰まりに行ってテントを張り、暗くなるまで釣りをするんです。日常を離れ、あらゆるライフラインから逸脱したところで家族みんなが役割分担をこなし、みんながひとつになって一夜の安全を構築し、翌朝、素晴らしい朝を迎える。生活のための水を汲み、石を転がすという、とてもドラマチックでリアリティのある衣食住の体験でした。そんな素晴らしい感動を、出来たら皆んなに広めたい! と思ったんです。皆さんは何か大切なことを忘れていないか? と。
 すると、先日亡くなったカヌーイストの野田知佑さんをはじめ、作家の椎名誠さん、ミュージシャンの宇崎竜童さんや俳優の故・根津甚八さんが、「おぉ風間、やれよ」と応援してくれたんです。そんな僕の普段からの遊び仲間だった豪華なメンバーが設立メンバーとなって、「地球元気村」がこの時(1988年)スタートしました。
「与太者」が広めた大人の外遊びの楽しさ
 「地球元気村」の名前は、宇崎竜童さんの奥さんで作詞家の阿木燿子さんがつけてくれたもの。宇崎さんが「火から水から、基本的なことを考えるような活動を、なんて言ったらいいかな」と奥さんに相談したところ、じっくりと考えて命名していただいた名称です。  正直、最初は「なんだか変な名前だなあ」と思ったのですが(笑)、34年経ってもまったく飽きないし、「みんなで地球の元気と社会を考えよう」という地球元気村の精神をよく表している、いい名前だなあと感謝しています。  地球元気村のテーマは「遊びの体験を通じて自然に触れ、理解し、本当の元気を取り戻すこと」。どこか1ヶ所に拠点をつくって活動するのではなく、いろいろな地域の自然を舞台に、アウトドアの体験イベントを通じて地域づくりを行ってきました。  例えば、山梨県にある「天空のはたけ」では、野菜の植え付けや収穫をします。さらには味噌作りをしたり、田んぼの稲刈りをしたり。長野県ではアースバッグハウスを作ったり、東北の被災地に学ぶプログラムで海の清掃活動を行なったり、全国さまざまな地域で活動を行っています。  地球元気村を始めた当時は、大の大人たちがカヌーに乗って遊んだり、焚き火をしたりしていると、「超変人?」などと世間には思われていましたね(笑)。当時は、人は勤勉であることが良いとされていて、野外活動といえば陸上や登山などの定番のスポーツをすることでした。だから、カヌーや焚き火なんて与太者、つまり不良や怠け者のやることだと思われていたようです。川に足を突っ込んで本を読んでいたら、「本を読むなら家で読めよ」と言われたり…(笑)。
山梨県の「天空のはたけ」で行なった地球元気村の活動の様子。 じゃがいもの収穫に多くの人が参加した。
 そういう時代だったけれど、すでに機は熟していたんです。僕がラジオで「植村直己さんがやりたくても出来なかった自然学校を山梨県早川町の廃校で始めます」って言ったら、たちまち沢山の参加希望者が集まってきましたから。思いっきり遊んで、釣りも、山歩きも、罠漁もみんなでやって、夕方には自然のことを考える座学を行い、「昼間の野外体験+夕方の座学」をそのプログラムにしていました。    当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの大物俳優だった根津甚八さんが、こんな話をした覚えがあります。「素晴らしい演技には自然観がある。自然の中に人間がいて、どんな行動や感情が生まれるのか? それをベースにシナリオができる。だから、素晴らしい自然を知らない俳優は、素晴らしい演技ができない、俳優講座もまた自然の中で成り立つカテゴリーなんだ」と。  こうした僕らの活動に対して世間からは多くの反応があったし、社会にインパクトを与えているという手応えがありました。応援してくれる人もたくさん出てきて、そうした追い風を受けながら、地球元気村はどんどんと全国に広がっていきました。
地球元気村の活動は、地域によってさまざまなプログラムがある(地球元気村のイベントの様子)。
「自然で飯は食えないよ」と言われても…
 こうして、やがて全国110の市町村にまで広がった地域で、地球元気村の活動は行なわれました。当時はバブル期で、東京への一極集中が進んでいましたから、地球元気村を通して、その地域の人々が「我が町の川や自然に都会の人が目を向けてくれる」ということが、心地よかったのだと思います。  しかし、1995年頃でしょうか、地方自治体のある方に「風間くん、自然で飯は食えないんだよ」と言われたのには大きなショックを覚えました。2000年に入って平成の大合併も進んで、地球元気村を行う自治体の数もかなり減りましたしね。  地球元気村は常にニュートラルでありたいという思いから、長くコマーシャルベースを排除してきました。立ち上げ当初はNPO(特定非営利活動法人)制度もなかったので、任意団体としての活動でした。  そうした活動方針に対し、「社会的システムのあり方を考えれば、収益性を高め、次の活動に繋げるべきであり、そのためには、いっそ株式会社にしたらどう?」などという声も上がりました。  日本社会はこれまで、収益性や効率、大量生産・大量消費でどんどん前に進んできました。そんな中で、僕は「遊びの純粋性(地球元気村の体験学習)」を大切にすべきだと思ってきたんです。利益や仕事という視点を持ち込むと、純粋に自然を見られなくなってしまう。地球元気村を10年間やったあたりから、みんながそういったことに気づきはじめたのかも知れないですね。  人々が未来ではなく足元を見るようになって、進化したテクノロジーが若者のライフスタイルを作り、ますます大量消費が止めどもなく進んでいく。ここ10年くらいは僕自身も悩んできました。果たして、こうした流れがまだこれからも続くんだろうか? と思い悩んでいたところに、今回のコロナパンデミックです。何かが僕の背中をたたいたように、思いがけなく、未来への期待感をここで感じるようになって、「ここから、今また再び頑張らなきゃっ!」と思うようになりました。
街の明かりを楽しみながら、自然に触れる大切さを考える(「天空のはたけ」でのキャンプの様子)。
 地球元気村を始めて以来、今年(2022年)で35年目を迎えます。  参加してくれる人たちを見ていると、人間の本質は変わらないなと感じますね。自然に触れる喜び、価値観は時代が進んでも変わらないんですよね。  キャンプ道具が進化して、野外でも快適に過ごせるようになりましたが、そこから見えるものは神秘に満ちた自然、優しくも厳しくもある自然と、今日も触れ合える喜びなんです。自然が人間に生きる喜びを感じさせてくれることは、普遍的なものだと思います。常にそういうものを掴みながら、自然と向き合い、みんなで遊び、喜怒哀楽を未来永劫、分かち合っていけたらなと思います。

 自然の中で、大人も子どもも純粋に遊びを追求する。  それまでなかった価値観を日本社会にもたらし、人々のライフスタイルや価値観を変えた風間さんや地球元気村の活動。コロナ禍で自然と触れ合うことに目を向ける人が増えている今、その活動は再び人々にさまざまな気づきと体験をもたらすことだろう。  次回は風間さんが今年から新たに取り組む「水のワークショップ」について紹介する。 文=吉田渓 写真提供=風間深志事務所
バックナンバー
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