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未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
世界遺産のまちの森づくり(和歌山県田辺市)
四つの水系の源流を抱く世界遺産のまち
 急峻な山々が連なる紀伊半島。この豊かな自然に寄り添うように、熊野三山、高野山、吉野・大峯の三つの聖地がある。この三つの聖地を結ぶ参詣道は熊野古道と呼ばれている。2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録され、多くの人々を惹きつけている。  熊野古道には、「中辺路(なかへち)」「大辺路(おおへち)」「小辺路(こへち)」「伊勢路(いせじ)」「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」「紀伊路(きいじ)」などがあり、熊野三山へと繋がっている。熊野三山とは熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の総称である。  近畿地方の市町村で最も大きな面積を有する和歌山県田辺市には、平安時代後期に「熊野御幸」と称され、上皇や女院の参詣が盛んに行われた時の公式経路である中辺路をはじめ、すべての経路が通過している。  田辺市は2005(平成17)年に、旧田辺市、龍神村、中辺路町、大塔村、本宮町が合併して誕生したもので、その広大な市域には海岸沿いから平野部、山間まで多彩な自然環境が広がっている。  中でも、市の北西部に連なる果無(はてなし)山脈は、日高川、富田川(とんだがわ)、日置川(ひきがわ)、熊野川の四つの水系の分水嶺となっている。つまり、田辺市は世界遺産のまちであるとともに、四水系の源流を抱える源流の郷なのだ。田辺市農林水産部森林局山村林業課山村振興係の係長・新家誉博さんは、田辺市の自然について、「田辺市には奈良県との県境にある高野龍神国定公園や熊野本宮大社から海まで広がる吉野熊野国立公園があるほか、果無山脈や笠塔山(かさとうやま)、安堵山(あんどさん)、千丈山(せんじょうざん)や大塔山(おおとうさん)、法師山(ほうしさん)から連なる大山塊を形成している大塔山系、源流域の百間山渓谷を含む日置川などが県立自然公園に指定されています。また、富田川の下流域が天然記念物のオオウナギの生息地となっており、大塔山にはニホンカモシカが数百頭生息するなど、生き物も豊か。田辺湾の入り口の天神崎は、日本におけるナショナル・トラスト運動発祥の地として知られています」と話す。  彩り豊かな自然に彩られた田辺市。その面積は1,026㎢と、近畿地方の市町村としては最大の広さを誇る。  一方で、「歴史的にみても、田辺市では、上流、中流、下流部の各地で河川の氾濫が起こってきました。それは今後も起こりうるものですから、そうした自然災害への対応は大きな課題です。加えて、この自然資源の価値や魅力が、市民の皆さまを含めて知られていないというのが現状です。自然に触れていただく機会を増やし、認識を深めていただくことも今後の課題ですね」といった課題もあるという。
深い原生林に覆われている百間山渓谷の様子。約3kmに渡って大小の滝が連なる。
木の国の過去・現在・未来
 海に近い市街地を中心に、県内有数の経済・産業都市となっている田辺市。その森林率は88%と高い。山地が連なっている内陸部は温暖多雨で樹木の成長に適しており、和歌山県を指す「紀の国」はもともと「木の国」だったと言われるほどだ。 「紀伊半島は沖合に黒潮が流れ、雨も多く温暖な一方、山は急峻で、大部分が海抜200以上です。田辺市の山地はかつて、シイやカシ、ツバキ、モミやツガなどが混成した森林が広がっていたとみられています」  明治後半から大正にかけて植林が広がり、現在では民有林の人工林率は7割に達している。この地域の人工林はスギよりヒノキが多く、スギ、ヒノキの苗は、1haあたり3,000本程度植栽されることが多いが、じっくり手をかける林業が行われてきた。「龍神地域では1haあたり6,000本もの苗木を植え、目の詰まった紀州材を育てている方もいらっしゃいます。その方は、『今はどうしても作業効率を優先し、植える数を少なくして負担を軽減するという流れだが、密植して丁寧に木を育てるのがこの辺りの林業や』とよくおっしゃっていますね」
森林率88%の田辺市。豊かな木と水に恵まれている一方で、その管理にかける労力は大きい。
 じっくり手をかける林業に取り組む林業者がいる一方で、近年は手入れの行き届いていない山や、所有者が県外在住のため手入れができない私有林が増えてきている。 「しかし、こうした私有林を自治体が管理することはできませんでした。ところが、2019年に森林経営管理制度が創設され、さらに森林環境税及び森林環境譲与税に関する法律が成立したのです。一定の条件を満たした私有林を自治体が管理できるようになり、その財源として森林環境譲与税が充てられることになりました。これを機に田辺市では『田辺市森づくり構想』を策定したのです」  「田辺市森づくり構想」では、50〜100年後の森林の将来像を示すとともに、「環境」「社会」「経済」の3分野それぞれに森林を関連づけて基本方針となる政策を示している。「持続可能な森を目指し、森林の持つ公益的機能が高度に発揮できるような施策を今年度から行っているのですが、この10年が重要だと考えています。田辺市の森林面積は広大なため、まずは所有者の方からお預かりした森林の適正管理を加速していきたいですね」  面白いのは、昔からこの地域に伝わる山との関わり方が森づくり構想に取り入れられている点だ。 「この地域には、昔から『天空三分(てんそらさんぶ)』という言葉があります。これは、頂上や尾根筋など、上部の3割は人工林とせず、クヌギやコナラといった広葉樹を残しておこうという先人の教えです。戦後の拡大造林でこの部分にもだいぶ植林が行われましたが、これを広葉樹に誘導し、山の機能を高めていきたいと考えています」  市の補助金などを使い、田辺市発祥の紀州備長炭の原料となるウバメガシをはじめ、クヌギやコナラを植える動きも始まっているという。
『天空三分』の言葉通り、山の頂上付近には広葉樹が残されている。
自然を守ることが熊野古道を守ることに
 森づくり構想では、山の手入れの担い手の育成や、小中学校の床や机の木質化といった地域産材の利用促進、林業の振興・支援を行うほか、山村の生活空間にも目を向けている。「森づくり構想に基づき山村地域の生活空間を守る新たな取り組みが始まっています。里地里山では耕作放棄地も増えており、獣の隠れ家となっています。獣害の防止や里地の景観を守るため、令和4年度に草刈機を市が購入して自治会に貸し出すことにしています。また、人工林が風で倒れて民家を直撃するのを防ぐため、伐採費用の一部を支援するといった取組を行っています」  山村の生活空間を守ることは住民の命や財産を守ること。加えて、山や田畑などを含めた人々の営みや文化的景観にが、その価値を認められ世界遺産となった熊野古道を守ることにも繋がっているのだ。  源流域をはじめとした貴重な自然を育み、世界遺産とともに歴史を刻んできた田辺市の森。その50〜100年先を見据えた森づくりが今、始まる。 文=吉田渓 写真提供=田辺市