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未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
源流の町で林業家が挑む小さな林業 (鳥取県千代川源流)
江戸時代から続く智頭林業
 鳥取県の南東部に位置する智頭町(ちづちょう)。この町に源流がある千代(せんだい)川は、中国山地から砂を運び、日本海へと運んで鳥取砂丘を形づくる。そんな千代川の源流の町・智頭町は、総面積の9割を森林が占める。350年以上前から植樹が行われて、吉野や北山とともに林業地域として知られてきた。そんな智頭町には樹齢300年以上の人工林が現在も見られ、「慶長杉」と称されている。そんな歴史あるこの町では、山と生きる20〜40代が増えているという。智頭の山はなぜ若い世代を惹きつけるのか、そして彼らはどう生きているのか。智頭町の林業家、大谷訓大さんに語ってもらった。  僕が林業を始めたのは今から12年前のこと。27歳だった僕は自営業をしたいと思っていました。その頃、地元学で知られる民俗研究家の結城登美男さんの「『ないものねだり』から『あるもの探し』へ」という言葉を知りました。それをきっかけに、自分の周りを見回すと、40haの持ち山と、1haの農地があったのです。  そこで、「林業」「椎茸の原木栽培」「お米づくり」の3本柱で事業をスタートしました。のちに法人組織にしたのですが、その会社の名前は「皐月屋」と言います。というのも、僕が住んでいるのが「五月田」という地名でして、そこから皐月屋にしました。「林業をやろう!」というより、「五月田の土地を使って自営業をしていこう」と考えていたのです。だから、もし持ち山がなかったら、きっと林業はしていなかったでしょうね。  やってみると、思った以上に椎茸栽培は大変でした。椎茸栽培に使う原木を岡山から買っていたこともあって、利益率があまり良くありませんでした。しかも、椎茸は出始めたら寝る間もないほど収穫に追われますし、片手間ではできないと悟りましたね。「これは『二足の草鞋』を履くパターンか、それとも『二兎を追う者は一兎をも得ず』のパターンになるのか、どちらだろう」と考えて、一番やりがいを感じていた林業に集中することにしました。  当初は一人で山に入ってやっていたので、自分のペースで時間にとらわれずに仕事をしていました。5年目あたりから人を雇うようになり、常時1〜3人は雇用しています。中には独立して智頭町に根付いた人もいて、いい関係を築けています。
鳥取県智頭町の林業家、大谷訓大さん。自伐型林業のトップランナーとして注目を集めている。
安定雇用のため雨でもできる仕事をつくる
 林業をメインにしている今、自分の山の手入れのほか、他の山林所有者の方から山の手入れを請け負っています。そのほか、薪や製材品の販売、林業就業支援者講習の受託事業などが収益の柱になりつつあります。  今、日本で流通している薪の多くは広葉樹を使ったものですが、僕たち皐月屋が販売しているのは針葉樹の薪。というのも、昔から林業が盛んだった智頭町は広葉樹がとても少なく、針葉樹がほとんど。日常的に任されている山では、広葉樹に巡り合うことがありません。椎茸栽培に使う原木を岡山県から買っていたのもそのためです。  身の回りにたくさんある針葉樹ですが、一般的に広葉樹に比べて針葉樹の薪は火持ちが悪く、すぐに燃えてしまうと言われています。しかし、メリットもあります。まず、瞬発力がありますし、価格も安価に抑えることができます。こうした針葉樹の薪を使うことで、僕らのような小さな林業家を応援してもらえたらという願いを込めて、薪を販売しています。  というのも、山には入れない日が多いのです。雨や雪が降れば休みになりますから。自分だけならなんとかなりますが、年間を通して人を雇用するのはなかなか難しいもの。安定雇用するためにも、雨や雪の日でもできる仕事を作ろうと、薪や製材の販売を始めました。  また、薪を通して経済やエネルギーの地域内循環ができたらと思っています。そこで、大工の友人と組み、スギやヒノキといった針葉樹の薪を燃やすのに適した薪ストーブの販売も行っています。地域のレストランなどでも、すでに使われています。  智頭町は江戸時代から林業が盛んな土地。林業を始めたばかりの頃、北海道の林業支援所に行ったら、「智頭林業から来たんだね」と言われたのが印象に残っています。「北海道の人も知ってくれているんだ」と、とても誇りに思いました。智頭林業を誇りに思っている人は多いと思いますよ。  智頭の老舗林業家にホームステイした人が「この町で子育てしたい」と移住して始めた「森のようちえん」もありますし、林業に限らず、智頭の土地が人を呼んでいる気がします。楽しそうにしていると、どんどん人が集まってくるのだなと実感しています。
針葉樹が多い智頭町。針葉樹の新しい活用を提案していくことで、地元の発展につなげたいと大谷さんは語る。
木を傷つけないことが自分の命を守る
 僕のやっているのは「自伐型林業」です。自分の山など決まった場所をフィールドに、適度な道幅と小型の機械で、丁寧な間伐をコツコツ続けていくというもの。最近は「小さな林業」なんて呼ばれることもあります。  小さな林業では、美学を持って続けることが大事だと思っています。僕にとっての美学は、間伐後に木の配置から道の曲線まで美しい人工林をつくること。あとは機械を丁寧に扱うことです。機械を丁寧に扱うことは自然や木を丁寧に扱うことになりますし、何より自分の命を守ることにもつながります。  うちでは「一番大切なのは命で、二番目が機械、三番目に木に傷をつけないこと」と言っています。言い換えると、木に傷をつけるような人は機械を傷つけてしまいますから、収益が出ないのです。安全を確保しながら収益と美学のバランスを取るのは難しいですが、とても大切なこと。林業は気を抜いたら赤字になってしまいますから。  智頭は千代川の源流の町。うちには裏山が6ヘクタール(60,000 平方メートル)ほどあるのですが、そこからの水を集落の全世帯が飲んでいます。うちが所有する山ではあるけれど、山には公共性があるのですよね。  僕らも田んぼに使う農薬を極力抑え、基本的に土にはナチュラルなものだけを返すようにしています。また、林業で気をつけているのは、道を崩さないこと。道を崩してしまうと河床が上がってしまいますから。  10年先がどうなるかわからない今、国に依存せずに暮らすために大事なのは地域や仲間です。経済やエネルギーを地域内で循環させ、自給率を上げることができれば、地域として生きていけるのではないでしょうか。自分の子どもにも、「英語とパソコンが使えれば、いろんな地域や世界と仕事をしていけるよ」と言っています。子どもには選択肢の幅を広げてあげたいと思っていますが、智頭を子どもたちが「帰りたい」と思うような安心できる場所にしていきたいのです。智頭では「林業×本屋」など、副業を持ちながらやっている人も多いですね。副業にはその人の個性が出ますし、個性を活かせるのがこの小さな林業だと思います。自己満足度の高い働き方ができる人、幸福度が高い人が増えれば、町自体の熱量や満足度、幸福度もグッと上がってくるのではないでしょうか。
美学をもって林業に挑む大谷さんの間伐は、木の配置から道の曲線まで美しい人工林を目指す。道を崩さないことも大切だ。
 江戸時代から350年以上続く林業地であり、源流の町でもある鳥取県智頭町。「山と生きる」と決めた若手林業家がさまざまな挑戦を続ける姿に刺激を受けて移住者が集まり、新たな林業家が生まれている。次回は、そんな智頭町で活躍するもう一人の林業家に林業とまちづくりについて話を聞くことにしよう。 文=吉田渓  写真=大谷訓大さん提供