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未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
すべてが治山・治水につながるいにしえの源流の暮らし
源流の森を教材に自然再生を学ぶ
 木々の若葉が芽吹き始める春のある日。多摩川の源流に位置する山梨県小菅村においてワークショップが行われた。東京都の水がめである多摩川の源流にある小菅村は面積の95%を森林が占める。今回のワークショップは、小菅村の森林を教材に環境を改善するための考え方や手法を学ぶというもの。  ワークショップの講師は伝統的な手法を使って新潟市の海岸松林や吉野山など、各地の自然を再生している高田宏臣さんだ。その著書は8回も重版されるなど、今注目の人物だ。そのワークショップを通して高田さんが強調したことがある。それが前回(95回)でも紹介した、土中の健全な空気と水の動きの大切さだ。  「前回も述べた通り、土中の水や空気の動きを『通気浸透水脈』と呼んでいます。それは土中全体を涵養しながら流れを作り、さまざまな生命活動を動的に息づかせていくという点で、人間でいう血管にも例えることができます。山も川も里も海も、この『通気浸透水脈』の健全なつながりを保つことが重要なのです」  日本では今、荒れた山が増えているが、その原因の多くは『通気浸透水脈』の停滞にあると高田さんは見ている。  「『通気浸透水脈』の停滞を生み出す大きな要因は、土中環境の健全性への配慮がなされない、現代の土木、インフラ整備にあると考えられます。コンクリート排水側溝、コンクリート擁壁、堰堤、ダム、トンネルなどがその一例です。一方、昔は水と空気の通り道を考慮した工法が行われていました。道の脇につくられた素掘りの溝がいい例です。素掘りの溝は本来、排水するためのものではなく、浸透した水を高低差によって動かし、土中関係を育てていくためにあるもの。溝を通して土中の水と空気は活発に行き来します。しかし、今はこの溝を単なる排水路と見なしてU字溝を埋めて三面を固めてしまいます。すると、水と空気は、土中と地上(溝の内側)を行き来することができず、『通気浸透水脈』が遮断されます。その結果、周囲の土壌は滞水によって圧密が生じ、泥水となって流亡しやすい状態となるのです」
水と空気の通り道を保つ源流の知恵
 道づくりを見ても、昔ながらの土木工法は理にかなっているという。  まず、次の図1をご覧頂きたい。細かい石を敷き詰めてから大きな石を敷き、その両側に溝を掘る。道の谷側には石や枝、根株などを混ぜた土塁を築き、根が深い植物を植え、斜面は丸太を枝絡み(しがらみ)土留を行う。両側に立つ木の根が地中深く伸び、石を敷き詰めた道の下まで入り込むため、通気浸透水脈が道に寸断されずに保たれるのだ。 図1、その実例(写真
昔ながらの道づくりを横から見た図。道の部分に石を敷き詰めて溝を掘り、両側の植生で地形を安定させているのがわかる(NPO法人地球守提供)
わさび田上部の急峻な枯れ谷に今も残る石積み。わさび田への土砂流入を防ぐため、端を安定させるかつての造作の名残。年月を経た今もなお、通気性、浸透性ともに機能して谷を安定させている (NPO法人地球守提供)
 「山道や登山道をつくる際、最近は水を道の脇で浸透させるという視点がありません。道を流れ落ちる水を、単に横断溝によって集めてそれを斜面下部に流してしまうことが多く見られます。しかし、実はこれが谷筋を泥づまりさせてしまいます。その影響は『通気浸透水脈』を介して流域上部にまで影響してしまうのです。昔の人は、水が浸透して初めて大地が健全に安定することを知っていました。そのため、源流の暮らしでは暮らしの造作のすべてが山の涵養力を高めることにつなげられ、それが治水、治山、利水にもつながっていたのです」  それが分かるものを、高田さんは小菅村で見つけたという。  「わさび田です。わさびは綺麗な水でしか育たないため、湧水や沢のそばに階段状に石を積んでわさび田をつくり、上から下へと水を流していきます。人の手で落ち葉などを取り除いて常に綺麗な水が流しているワケですが、こうした場所ではサワガニが小さな穴を行き来しています。このサワガニなどが行き来する道は、そのまま水や空気の通り道になっているんですよ。しかも、サワガニは穴に詰まった砂をせっせと外に出し、『通気浸透水脈』を養生してくれます。このように、生き物の力を借りながら、わさび田はそれ自体が治水と治山、涵養といった役割を担っていたのです」  小菅村のわさび田に関してはこの連載(第8回)でも紹介したが、わさび田は源流を支える知恵そのものだという。  「小菅村の源流域、わさび田の上のガレ場のような急峻な谷筋に、まるで治山ダムのように段々状に連続する石積みが今も残っている箇所がありました。その石垣は苔むして、枯れた沢なのにそこだけは水が湧き出し、滴っていました。つまり、先人の石積み造作に伴って、そこは水と空気が健全に流れて安定しているということ。数十年、あるいは百年も前の造作が、今もなお山を安定させる機能を発揮しているのです。山が荒れてしまうと、わさびの生育に重要な伏流水が減少するばかりでなく、恒常的に土砂落石が流れ込んで、生業が成立しにくくなります。そのため、谷筋のわさび田の生業の一環として、治山、治水のための造作が普通に行われていたのです」
涵養力のある山に最短で戻す方法とは
 ワークショップでは高田さん流の「林床環境を育み、安定させてゆく枝粗朶(そだ)の置き方」も伝授された。  「等高線に沿って枝粗朶を置いたり、土留めするだけでは斜面は安定しません。古来の地拵(ごしら)えでは、現在のように単に等高線に沿って枝粗朶を置くのではなく、鍬で斜面を段切りしたうえで枝粗朶を絡ませます。等高線に沿って斜面を段切りすることで、水が浸透しやすい環境を作り、そこに枝粗朶を置くのではなく密に絡ませていく。それによって、その箇所では水は浸透しやすく、枝粗朶は円滑に分解され、菌糸に覆われた腐葉土状態となります。そこが樹木苗やどんぐりの発芽、生育の拠点となるのです。昔の人はこうやって、鍬一本で山をメンテナンスしていたのです」
高田造園設計事務所代表取締役・NPO法人地球守代表理事の高田宏臣さん。 昔ながらの手法を取り入れ、新潟市の海岸の松林を始め、日本各地で自然再生を行っている。
斜面を段切りしてから焼き杭を打ち、枝粗朶(そだ)を絡ませた「斜面を育てる」土留め。水や空気の通り道を確保できるため植生が育ち、地形が安定する(NPO法人地球守提供)
 「全国的な水害土砂崩壊の多発は、山林の涵養力・貯水機能の劣化に起因していると考えられ、健全な森の再生が急務となります。そのためには、増やしすぎた人工林の一部を杜に戻すノウハウも重要になります」  涵養力のある山は良い森があってこそ。  では、良い森の条件とは何か。  それは、植物の種類が豊富なこと、幼木・若木・成木とさまざまな世代が密集することなく混在し、菌類を含む微生物や動物が共存している森だ、と高田さんは指摘する。そうした森では風が穏やかに流れ、湿度が適度に保たれるため、夏は涼しく冬は温かいのだという。  「大切なのは、土地を傷めないこと。山道も上手につくれば、砂防効果が生まれます。源流にはもともと山を守る技術があり、体感を持ってその伝統知を身につけてきました。問題は、こうした昔ながらの知恵や技術が途絶えてしまうこと。『最先端の技術があれば問題は克服できる』と考える人も多いですが、その結果が現代の森林の機能劣化に伴う災害の広域化を招いていると言えるでしょう。今は治山、治水、利水、森林管理の対策がそれぞれ別々になされます。しかし、本来それらは一体でした。源流域のかつての暮らしの名残りを、『通気浸透水脈』という視点から見ることで、それがわかるのです」  水の流れを読んで土中環境を維持し、山を守っていた源流の暮らし。  その伝統知を今に活かそうとする高田さんと、その考えと手法を学びたい人がいる。  その新たな潮流は、日本各地の源流を少しずつ、しかし確実に変えていくことだろう。 写真=田丸瑞穂  文=吉田渓
参考資料
  • 「土中環境 忘れられた共生のまなざし、蘇る古の技」高田宏臣著 建築資料研究社