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未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
広大な森を守るキーワードは開発と保護(千曲川上流域)
江戸時代の脇街道と山の暮らし
 「脇街道」という言葉をご存知だろうか?   江戸時代、幕府が整備した五街道(本街道)に対し、藩が整備した主要な街道を脇街道という。大笹街道は、信州の福島宿(須坂市)と上州の大笹宿(嬬恋村)をつなぐ脇街道だ。上州側では「仁礼街道」または「信州街道」と呼ばれていたそうだ。信州と上州を結ぶ安全な道といえば中山道があるが、本街道は参勤交代など公用の人馬が優先だったため、商用の人馬は時間もお金も余計にかかったという。大笹街道は峰の原・菅平を越える険しい山道だが、短い距離と少ない日数でお金をかけずに移動できるのが強み。そのため商用で重宝されたが、山越えの危険と過酷さは冬になるとさらに増した。街道沿いには、山越えで命を落とした人や馬を供養する供養塔や、安全を祈願する石仏が今も数多く残っている。
大谷不動奥の院や善光寺を参詣する人々にも大笹街道は使われたという(vol.78で紹介)
 さて、そんな大笹街道を起点の福島宿から鮎川に沿って進むと、仁礼宿がある。この仁礼地区で、宇原川と仙仁川が合流して鮎川になるのだ。  「須坂市にはこの鮎川と百々川、松川の三つの水系があり、すべて千曲川に注いでいます。そして、江戸時代には、この水系ごとに入会地が定められていたのです」この地域の共有林を管理する一般財団法人・仁礼会の理事である目黒照久さんが言う。入会地とは、村落で共同所有する山林や草刈り場のこと。  「このあたりは、昔は小作で農林業をしていた人がほとんど。自分たちの山(入会地)で炭を焼いて現金収入にしたり、キノコやアケビを採ったり、草を刈って馬にやったり。田んぼの面積は小さいけど、そぶ水(鉄や硫黄が混じった水)が多いこのあたりでは珍しく、宇原川はきれいな水なので、昔から美味しいお米ができたんですよ」  家を建てる時も、入会地から伐り出した木を使って自分たちで建てたという。そして、自分の孫の代で使えるよう、木を植えたそうだ。「昔は日常的に人が山に入っていたから、自然と森が手入れされていたんですね。また、昔の人には山のスキルがありました。木を見るスキル、枝打ちをするスキル、炭窯をつくるスキル、木を炊くスキルといった具合に」
人々の暮らしを支えてきた山は共有財産だ。今も道や山林は丁寧に整備され、守られている。
攻めの姿勢が守った広大な入会地の山
 しかし、戦後の日本の変化は、豊かな山の暮らしに大きな影響をもたらした。エネルギー源が電気へ置き換わり、現金収入源だった木炭の需要が減った。木材の輸入が自由化され、安価な外国材が大量に入ってきて林業が衰退。高度経済成長によって農山村から都市や工業地帯に人が流出し、日本各地の山村で過疎化が問題となった。  「この地域では、木を伐って売る以外の方法で共有地である山林を守れないかと考えました。そして挙がったのが、40万坪の土地を寄付する代わりに県に土地開発をしてもらい、利益の一部を地元に還元してもらうというものでした」と、この半世紀を振り返るように、仁礼会理事長の若林武雄さんが語った。  地元の申し出を受けて、長野県は1967年(昭和42年)に視察を実施し、峰の原高原で別荘やペンションの土地分譲、スキー場とホテルの建設を行うことを決定。スキー場の運営は地元が行うことになった(後に業者に委託)。そして、1971年(昭和46年)の事業開始に合わせて一般財団法人・仁礼会が設立された。仁礼会の会員は、この地域で入会権を所有している世帯だという。  「須坂市の面積1万4,967haのうち仁礼会所有の山林は1,703haと、凡そ10分の1を占めています。まったく手をつけずに自然保護をする方法もありますが、私たちは県と進めた事業での利益を原資に、この広大な山林を守ってきたのです」  開発を通して多くの人に存在を知ってもらい、楽しんでもらうことで山を守ってきた仁礼会。山で災害があれば、地元の人が総出で出動するのは今も変わらないという。また、2年に一度、山に入って手入れをしながら、山の境界線を確認するのも大切な仕事だ。  「子孫にきちんと山を申し伝えるためには必要なこと。入会地以外にも山を持っている人がいますが、最近では山に入る人が減りましたね。それは他の地区も同じ。最近では、近隣地区の人々と一緒に山に入って、その人たちに境界線を教えることもあるんです」  ちなみに、水道施設や遊歩道、スポーツ施設といった公共施設には無料で土地を貸し出しているという。
企業、大学、NPO…山の自然を守る新しいかたち
 仁礼会は、長野県が2005年(平成15年)に始めた「森林(もり)の里親促進事業」にも参加している。これは、企業が森林の里親となり、里子となる地域の森林を整備する資金や労働力を提供するというもの。  「仁礼会は、2005年の制度開始からグローブライドにご協力いただいています。5年毎の契約も三度目となりました。これはすごいことなんです。県内でも一つの企業がこれほど長く里親となっているケースは稀です」  「森林(もり)の里親促進事業」では、植林や間伐、下草刈りなどの作業を行うと、それに応じた森林CO2吸収量の認証書が里親である企業に発行される。15年間でグローブライドとして認証されたCO2吸収量は累計2,520t。面積では約144haとなる。  さらに、グローブライドでは年に一回、社員が仁礼の森を訪れ、下草刈りなどの作業を行っている。山林と源流の自然を守る大切さを、身体で体験するのだ。また例年、新入社員研修もこの仁礼の森林で行われている。  「水や空気、山を守ることはとても大切なこと。しかし、それがなぜ大切なのか、そしてどうやって守っていくべきか。グローブライドの皆さんと一緒に活動することで、そのヒントをたくさんいただいています。私たちにとっては当たり前のことも、皆さんには初めてのことだと気づいて、教え方を工夫するようにもなりました。その経験が、自分たちの山をいろいろな人に知ってもらう原点となっています」  仁礼会が所有する峰の原高原では近年、峰の原高原観光協会やNPO法人が中心となって、筑波大学と一緒に高山植物や山野草の保全活動も行われている。昭和30年代までは、馬の餌となる草の採草地だった場所だ。ここでユウスゲやカラフトイバラなど、希少な在来山野草の草原を守り広げて行こうというもの。
グローブライドの社員は仁礼会の皆さんに道具の使い方を教わりながら、下草刈りなど森林の手入れに携わっている。
山野草を保護する峰の原高原ではウツボグサ(写真)や貴重なカラフトイバラ、オダマキなどが花を咲かせていた。
 森づくりでも、この土地に合ったスタイルを目指しているという。「昔植えたカラマツやスギは、ある程度育ったら倒れる前に間伐しています。災害に強いのは雑木の森、つまり広葉樹が生えている森。そのため、グローブライドの森にナラの木を植樹するほか、場所によっては間伐後に植林はせず、天然更新で広葉樹が生えてくるのを待っています。今後は林業だけにこだわるのではなく、アウトドアスポーツや自然体験など様々な形で活用していけたらいいですね」  昔から村落で大切に守ってきた入会地の森。  21世紀を迎えた今、それは企業や大学など様々な人が一緒になって守られている。水を育む源流の森林は、また新しい形で多くの人に愛されていくことだろう。 写真=田丸瑞穂 取材・文=吉田渓 ※メイン画像のみ=岡田亮
参考資料