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未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
探検家・関野吉晴さんが見た世界の源流(アマゾン川前編)
法学部の学生を医大生にしたアマゾン川の魅力
 遥か昔、アフリカで誕生した人類はユーラシア大陸を横断し、北米大陸を経てついには南米へと到達した。気の遠くなるようなその道のりを、イギリス人考古学者のブライアン・M・フェイガンはこう名付けた。「The Great Journey」。  この人類の壮大な旅を、南米からアフリカへと遡行しながら辿った日本人がいる。  探検家の関野吉晴さんだ。  「グレートジャーニー」と名付けたそのプロジェクトが始まったのは1993年のこと。南米最南端のナバリーノ島をカヤックで出発した関野さんは、カヌーや自転車などの人力のみで5万3,000mを踏破。そして2002年、人類最古の足跡が残るタンザニア(広大な大自然で知られる東アフリカの国)のラエトリに到達した。  今回、源流探検部は人類の歩みと世界中の自然を身体で知る関野さんにインタビュー。アマゾン川の源流とはいったいどんなところなのか、そこにはどんな文化があるのか教えてもらった。  関野さんには、人からたびたび聞かれることがある。それが「どうして関野さんのグレートジャーニーでは南米からアフリカへと逆行したんですか?」という質問だ。  その疑問を解く鍵は、ある出会いにあった。  「僕がそれ以前に20年間付き合ってきた南米の先住民の人々って、日本人と顔がよく似ているんです。彼らがいつどこからどうやってここに来たのか、知りたかったんです」  関野さんの壮大な旅の始まりは一橋大学法学部の学生だった頃に遡る。  探検部を創設し、アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川を下ったのだ。「それ以来、10年はアマゾン川流域ばかり行っていました。次の10年はアマゾンだけでなくアンデスやパタゴニア、ギアナ高地などにも行きましたが、すべて南米でしたね」  何度も通ううちに南米での医療の必要性を実感した関野さんは、一橋大学卒業後に横浜市立大学医学部に入学。外科医師として病院に勤務しながら南米へ通い詰めた。そのきっかけとなったアマゾン川について、「アマゾン川は、ラプラタ川やオリノコ川とともに『南米三大河川』と言われています。しかし、ラプラタ川もオリノコ川もアマゾン川にはかないません。数多くの支流を持つ巨大なアマゾン川の流域面積は日本の国土の約19倍もありますから」と、関野さん。
一橋大学在学中だった1971年、マデイラ川源流を訪れた関野さん。
アマゾン川が見せる驚きの光景
 ダイナミックなアマゾン川。  関野さんはその源流をカヌーで下ったこともあるという。  「アマゾン川は支流が多く、何千もの水源が集まってあの大河になっているのです。インカ帝国の都があったクスコの人々が飲んでいたのも、マチュピチュを取り巻くように流れているのも、アマゾン川のたくさんある水源の一つ。その中でも河口から最も遠い場所を地理的水源と言います。アマゾン川の地理的水源は、ベルーのアンデス山脈にある標高5,500mのミスミ山。その氷河の舌端(先端)の一滴がアマゾンの地理的水源なのです。ただ、源流をカヌーで下ろうとしても下れませんでした。なぜなら、水量が少ないから。地理的源流から山を下りていくと、標高4,500mくらいから人間の暮らしが見えてくるんですが、そこでも水はチョロチョロとしか流れていない。その水量では農業もできないから、牧畜民がアルパカを飼っているんです。さらに下っていくと急に急流になって、そこでは農業をやっていました。アマゾン川はミルクコーヒーみたいな濁った色のイメージが強いけど、急流の水は透明でとてもきれいなんですよ」  アンデス山脈の氷河の一滴から始まり、南米大陸を横断してブラジルで大西洋に注ぐアマゾン川。  その長い流域には、ブラジルを代表する人口218万人の都市、マナウスもある。「アマゾン川の上流でゴムが採れたことから、19世紀末から20世紀にかけてマナウスはゴムバブルで栄えていました。1900年初頭にはアメリカの自動車メーカー、フォード・モーターも車の大量生産を始めたほど。タイヤにはゴムが欠かせませんからね」  ゴムバブルに沸いたマナウスには、ヨーロッパと比べても遜色ないオペラ劇場ができたほど。そんなマナウスの近辺には不思議な名所がある。アマゾン川支流のネグロ川とソリモンエス川が合流している場所だ。ここでは、黒い水と白い水が混じり合わずにしばらく2色で流れているのだ。  「黒い川という意味のネグロ川は源流の水にタンニンが含まれているため黒いのです。一方、ソリモンエスは白い川と呼ばれています。この二つの川が合流してしばらく流れた後、マナウスあたりでアマゾン川に合流します。マナウスは海抜50m。そう聞くと河口に近い街なのだろうと思うでしょう? ところが、マナウスは河口から2,000kmもあるんですよ。つまり高低差が小さいということなのですが、水量があるので勢いで流れていくんです。しかし、高低差が小さいからこそ、アマゾン川では驚くようなことが起こるんです。それがポロロッカです」  ポロロッカとは新月や満月の時に川の水が河口から上流へと逆流する現象のこと。海のように広い河口から数百kmにも渡って波を立てて逆流するのだ。この川の持つエネルギーがいかに凄まじいかがわかるだろう。
アマゾン源流のアウサンガテ山(6,384m)
アマゾン川に分水嶺がない理由
 アマゾン川のダイナミックさが感じられるのは、これだけではない。 「南米三大河川の一つであるオリノコ川はベネズエラの南端から始まり、大西洋へと注ぎます。そのオリノコ川とアマゾン川は世界で唯一、分水嶺なしにつながっている川なんですよ。ちょっと考えられないでしょう?」  分水嶺とは水系の境界線のこと。  日本には分水嶺がたくさんあるが、この連載の第9回目で取り上げた山梨県の笠取山もその一つ。笠取山の西側の斜面に降った水は富士川へ、東側の斜面に降った雨は荒川へ、南側の斜面に降った雨は多摩川へと注ぐ。つまり、笠取山は富士川と荒川、多摩川の分水嶺というわけだ。  しかし、オリノコ川とアマゾン川に分水嶺がないというのはどういうことなのだろう。  「オリノコ川にはカシキアレ川という派流(※)がありましてね。そのカシキアレ川が、アマゾン川支流のネグロ川に注ぎ込んでいます。つまり、カシキアレ川は、オリノコ川とネグロ川をつなぐ天然の運河のような役割をしているのです。そのため、オリノコ川の水の3分の1はネグロ川に注がれているんですよ。しかもこのあたりは標高が低いため、雨季になると水浸しになって、湖のような光景が広がります」  豪快で雄大なアマゾン川。この川に魅せられ、世界中を旅することになった関野さんの探検の続きは、中編でお伝えしよう。
オリノコ川派流のカシキアレ川。雨季には浸水林になる
※派流…川が海に注ぐ前に本流から枝分かれした流れのこと。洪水防止目的で人工的につくられることも多い。 取材・文=吉田渓