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未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
絶滅危惧種が棲む川で高校生が泣いた (高津川源流)
雲海に包まれる源流の朝
 窓の外を見ると、早朝の空がピンク色に染まり始めていた。宿を出て、誰もいない街を歩くと、家々と山々の間に真っ白い雲の塊があった。霧と呼ぶには形がはっきりしていて、雲にしか見えない。山の上から見たら、町を覆う雲海に見えるのだろう。  ここは島根県鹿足郡吉賀町。高津川源流の町だ。  一級河川でありながら本流にダムがない高津川は、国土交通省の全国一級河川の水質現況調査で「水質が最も良好な河川」に何度も選ばれている。  その高津川を誰よりも知り尽くしているのが、流域の小学生に環境学習を行っている吉中力さんだ。  「高津川には上流から下流まで、今は60数種類の魚がいます。環境省が絶滅危惧種に指定したオヤニラミをはじめ、イシドジョウ、イシドンコ、オイカワにサクラマス…。中でも、同じ大きさの魚を飲み込むほど獰猛なオヤニラミは、町の天然記念物にも指定されています。こうした魚以外にも、姫梅花藻(ヒメバイカモ)という珍しい水生植物も見られますよ」  高津川は全長が81.1kmとコンパクトな川だが、源流部の吉賀町だけで100以上もの支流がある。その中の一つである福川川に連れて行ってもらった。  翡翠色の川は穏やかで、色づき始めた山の木々が静かな川面に映り込んでいて、思わずため息が漏れる。「まだまだ、この町の紅葉はこんなものじゃありません」と、吉中さんがニヤリと笑った。  「ここでガサガサをやると、いろんなものが網に入ってきます。ギギ、ウナギ、ヤマメ、ゴリ(カワヨシノボリ)、ツガニ(モクズガニ)。タニシを細長くしたようなカワニナという貝は、ホタルの餌でね。カワニナが増えたおかげで最近はホタルが増えています」
ダムのない一級河川・高津川で子供たちに環境教育を長年行っている吉中力さん。
高校生が高津川で涙を流した
 きれいなのは川だけではない。  吉中さんは、自宅前を流れる用水路の水をタモ網ですくい上げた。タモ網をのぞき込むと、細長い生き物が飛び跳ねている。「ドジョウです。こっちはアカハライモリ。ヌマエビもよく入ってきますね。もっと下流に行くとシジミもいますよ。もちろん食べられます」  高津川の水をそのまま引いた用水路の水は、このまま田んぼへと送られる。澄んだ源流の水で育ったお米が美味しくないワケがない。 しかし、この川の美しさは、何もせずに守られたわけではないようだ。  「私が町役場職員(当時は旧六日市町)になった1970年代、地元の婦人会ではすでに環境保護活動をしていたんです。『米のとぎ汁をそのまま流さない』『環境に優しい石鹸を使う』といったことですね。現在の高津川のきれいさは、その女性たちの努力の集大成なのです」  吉中さんは小学生だけでなく、高校生や県内外の大学生に川遊びを教えることも多い。「都会から来た高校生が、『こんなきれいな川、初めて見た』と涙を流したこともありました。私が子供の頃は幼稚園児から高校生まで一緒に川で遊び、その中で人間関係や上下関係を学んだものです。今は川で遊ぶ子供はだいぶ減ったけど、環境学習でガサガサを体験した子は、みんな川遊びに夢中になるんですよ。そのせいか、最近はまた川ガキが増えている気がします」
用水路は高津川の水をそのまま引いているため、ドジョウなど生き物がいっぱい。
源流の町を救った二人の救世主
 水の豊富な吉賀町で、水不足に悩まされた場所がある。四方を山に囲まれた亀田地区だ。この地区では、かつて山を迂回する水路を作って川の水を引いていたが、2kmもの水路は途中で水漏れを起こした。  そこに二人の救世主が現れたのは江戸時代の頃。一人目の救世主は、伊予国(愛媛県)から来た羽生太郎左衛門だ。鉱山師だった羽生氏は「山をくり抜いて水路を作るのがいい」と考えた。しかし、工事にはお金がかかる。そこで羽生氏が資金援助をお願いしたのが、高津川中流の津和野の豪商・青江安左衛門氏だった。二人の救世主によって完成した水路は「亀田の水穴」と名付けられ、今も現役だという。  亀田の水穴をぜひ見てみたい。  そんな源流探検部のリクエストを聞いてくれたのは、役場職員の永田さんだ。永田さんの後について林道を進んでいくと、山肌にぽっかりと穴が開いていた。直径1mにも満たない小さな穴に、水がぐんぐん吸い込まれていく。いかにも硬そうな岩だが、当時は手で掘るしかない。狭い穴の中に大人が入り、全長95mもの水路を掘り続けるのは大変な重労働だったはず。  それほどまでに水が必要だったのだ。「亀田地区では二人のお墓を建てて、毎年3月18日に河内神社でお二人をお祀りしているんです」と永田さん。  大事に使われ続けてきた亀田の水穴は、今もなお亀田の田んぼを潤し続けている。
山の両側から人の手によって掘られた用水路・亀田の水穴。現在も使われている。
天然のダムは雲の上に
 吉賀町には、約600年前に築かれた棚田が今も600枚残っている。 1999年に「日本の棚田百選」に選ばれた大井谷の棚田だ。そのお米は石見一だと言われ、津和野藩に献上された。棚田を守る村上一郎さんは、美味しいお米ができる理由をこう語る。「大井谷は南向きで、田んぼにずっと日が当たるんです。それぞれの田んぼには、飲めるほどきれいな水を谷から引いていますし…」  さらに、お米を美味しくするのが、朝晩の寒暖差だ。春や秋の朝、気温がぐっと下がると棚田の下に雲海が広がるという。源流探検部が朝見た雲も、棚田からなら雲海に見えたことだろう。  美味しいお米を育む大井谷の棚田は美しい。 しかし、一枚一枚が小さく不規則な形なので大型機械が使えず、農作業は重労働になる。 それでも室町時代から続く棚田を守ろうと、20年以上前に中国地方初の棚田のオーナー制度とトラスト制度を導入し、ブランド米に育てた。「棚田は天然のダムです。大雨が降った時も水を保水して、地滑りや洪水を防いでくれますから。さまざまな生き物の棲み処にもなる棚田は、大切な存在なのです」(村上さん)  多くの人に棚田の大切さを知ってもらおうと、令和元年の今冬からは棚田のライトアップに挑戦するという。時代とともに少しずつ形を変えながら、大井谷の棚田は大切に守られている。
棚田百選にも選ばれた大井谷の棚田。ここで穫れるお米は石見一との呼び声も高い。
源流の郷でワサビの食べ比べ
 水の豊富な吉賀町では、昔からワサビ栽培が盛んだ。  「ワサビ栽培に必要なのは水と立地。このあたりの山は広葉樹が多いのがいいんです。広葉樹は、夏は適度な日陰を作り、秋になると落葉して土に栄養を与えてくれますから。この地域で栽培されてきた在来種は赤茎系と呼ばれるもの。島根わさびの中でも香りが強く、山芋のように粘りがあるのが特徴です」  そう教えてくれたのは、祖母の代からワサビ問屋を営む土田裕久さんだ。 「国鉄マンだった私の祖父は、柿木村(現在は吉賀町柿木地区)に住んでいました。当時は鉄道で運ばれてきた物資をトラックに積み替えて柿木地区まで運んでおり、祖父の家が荷物の集荷所になっていたんです。荷物が行き来する中、ワサビを扱うといいと気づいた祖母が、農家さんからワサビを買って卸すようになったようです」  当時、石見地方にはワサビ問屋がいくつもあり、定期的にワサビ市が開かれていたほど。ワサビの収入で子供の教育資金を用意した人もいたそうだ。「最近は、吉賀町にIターンやUターンしてきた方がハウスでワサビ栽培を始めるケースが増えています。夏はトマト、秋からワサビを作ると収入が安定しますし。有機農業とワサビ栽培を兼業する農家さんもいますね」
おろしたての島根ワサビを口に入れると爽やかな風味が鼻に抜けていった。
祖母と父から受け継いだワサビ問屋を営み産地を支える土田裕久さん。
 ワサビは昔から価格が安定していているため、農家にとっては確実に収入が見込める作物なのだという。土田さんはワサビ問屋として、農家さんにさらに安心して栽培してもらおうと、少量からでも必ず買い取ることで産地を支えている。  土田さんがワサビを二本、おろして食べさせてくれた。 一本目は赤茎系。旨味も香りも強く、水分が少ない。滋味にあふれた風味が鼻の中を力強く通り抜けていく。二本目は茎が緑色のワサビだ。こちらはかすかに苦味があり、口に入れるとピリッとした辛味が口の中で跳ねる。刺激が強めで、存在感がある。  「これは違う品種ですが、同じ種類でも作る土地によって出来具合や味が変わるんですよ」  それもまた、自然の粋な計らいなのかもしれない。自然豊かな源流に育まれた味は力強く爽やかで、そして刺激的だった。 写真=田丸瑞穂  文=吉田渓