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未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。 会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
北の大地の清流が生んだ地酒と男しゃく芋(後志利別川)
北の大地を田園風景に変えた水の道
 暑さが肌にまとわりつく東京を飛び出して訪れた北の大地は、長袖が心地よい風が吹いていた。ここは北海道瀬棚郡今金町。これまで「水質が最も良好な河川」として18回も選ばれた後志利別川(しりべしとしべつがわ)の源流の里だ。  狩場山地の麓に広がる田んぼでは、風が吹くたび黄金色の稲穂が波打っていた。 「この辺りの田んぼは、ピリカからの水を使っているんです」 田んぼの持ち主である田中稔さんが言う。田中さんが言う「ピリカ」は、後志利別川の源流域のこと。ピリカとはアイヌ語で「美しい」という意味だそうだ。 「ミネラルが豊富な後志利別川の水は、米作りに適しているんです。水温は低いけれど、田んぼに水を薄く広げれば、お日さまの熱が温めてくれるし、地温も上がるんです。また、田んぼに水を張ることは、水田雑草の生育を抑制し、畑の草の侵入防止に役立っているんです」  しかし、この美しい田園風景は、簡単にできたものではない。 今金町で本格的な開拓が始まったのは明治時代の中期以降のこと。開墾初期は雑穀類と芋類の作付けに使われていたが、内地(本州)出身の人々は年々白いご飯が食べたくなり、米作りへの思いが強まっていった。しかし、田んぼに水を引く水路がない。 「そこで、ここに水路を作ろうと、大正9年に南利別土功組合が設立されました。北海道庁に申請をして、たった2年で約25kmもの水路ができたんですよ」  田中さんが誇らしげに胸を張るのは当然のこと。  今と違って重機もないので岩をツルハシで砕いて、土砂をもっこで運ぶという人力の工事は、壮絶を極めたようだ。しかし、その甲斐あって後志利別川から各田んぼに水が行き渡るようになった。 「今のような水田地帯になったのは、先人と水路のおかげですね。この水路を使っている田代や稲穂という地名からして、米への思い入れの強さがわかるでしょう。でも、昔は北海道の米は美味しくないと言われ、『やっかいどう米』なんて言われていたんです。悔しかったですねえ」  その後、北海道の気候に合うお米を作ろうと品種改良が重ねられ、日本穀物検定協会の食味ランキングで特Aを獲得した「ななつぼし」や「ゆめぴりか」などが誕生。今や北海道は人気米の産地となっている。  田中さん自身も、美味しい米を作ろうと努力を重ねる中で、ある思いが芽生えた。 「米どころには必ず美味しい酒があるでしょう。今金町の米作りも100年を迎え、地元のお米で作ったお酒を地元の人に楽しんでもらいたいと思って。先人が水路を作って稲作を始めたように、新たに地酒を作ろうと考えたのです」。  田中さんの呼びかけで「今金地酒の会」が設立された。原料の酒米も作り始めたが、地元には蔵元がない。引き受けてくれる蔵元を探す中で出会ったのが、二世古酒造だった。今金町から車で2時間の倶知安町にある、正しくこだわりの酒蔵だ。ここに酒米だけでなく後志利別川の水を運ぶことで、今金町の地酒を作ってもらえることになったのだ。
今金地酒友の会の副会長の田中稔さん。今金町で唯一、酒米を作っている。
酒米専用の田んぼは1.8ヘクタール。現在作っているのは「彗星」という品種だ。
情熱とこだわりの化学変化が生んだ特別な酒
「昔から“名山あるところに名酒あり”と言うでしょう。山に貯まった水が降りてくるので、有名な山の麓には良い蔵元があるということなんです」  そう話してくれたのは、大正5年から続く二世古酒造の専務取締役・水口清さんだ。 実は、田中さんに「米だけでなく、水も今金町のものを使おう」と提案したのが、この水口さんなのだ。 「うちが大切にしてきたのは、生の原酒をそのまま販売すること。水で薄めたら嵩は増えるけど、そんなことをせずにできたままの酒の方が美味しいに決まっていますから。そして、酒の三大原料は水・米・麹。米と麹は田中さんが作っているので、水も今金町のものを使おうと伝えたんです」  今金町の水とは後志利別川のこと。酒米もこの水で育てている水で作るのが良いと水口さんは考えた。 「地下水はミネラルが多すぎるから、酒づくりに適さないんです。それと、海辺の水も塩分が入っているからだめ。山から下りてきた水で、なおかつ沢の水など地表に出ている水がいいですね。後志利別川はきれいな水を好む魚とか、いろんな生き物が生きているでしょう。そういう水は、やっぱりいい水だと思います」  今金町の水と米、そして麹は揃った。唯一、今金産でないもの。それは空気だという。 「やはり、どこで作るかによって味は変わりますね。今金町より倶知安町の方が豪雪地帯ですが、ここはすり鉢の底にあるような土地。ですから、雪が降っても風が当たりません。かまくらの中にいるようなもので、発酵に適した一定温度を保ちやすいんです。そんなニセコの地理気候を生かしつつ、地産地消に近い酒づくりを行っているのです」  こうして生まれた今金町の地酒は4種類。そのうちの一つ、「純米吟醸 今金」は新酒鑑評会純米の部(主催:札幌国税局)で2010年と2011年の2年連続で金賞を受賞した。 「しぼりたて=うまいというイメージを持っている人も多いかもしれませんが、必ずしもしぼりたてが一番うまいとは限らないんです」
今金町の地酒づくりを引き受けた二世古酒造の専務取締役・水口清さん。
「純米吟醸 今金」など清酒3種類と米焼酎1種類、4つの地酒が作られている。
 水口さんが、「試飲してみてください」と今金の地酒「特別本醸酒 万太郎」の原酒を2本取り出した。1本は今年の2月にできたもので、もう1本は2年前のもの。  別々のお猪口でいただいて、納得した。今年のお酒は十分美味しいが、若さがシャープさとなって現れている。一方、2年前のお酒は角が取れたまろやかさが感じられる。 「最低でも3ヶ月、できれば6ヶ月は冷蔵庫などの低温で寝かせてから飲むのが一番美味しいんですよ。理想は、1年くらい寝かせること。ご自宅でじっくり寝かせることで、蔵元にもない、ご自分だけの美味しいお酒を楽しめるはず。一回封を切っても栓で密封すれば大丈夫です。ぜひ、ご自分好みの原酒に育てて楽しんでください」
川と農家さんの努力がブランドを押し上げた
 農業の盛んな今金町の中でも特に有名なのが、日本でもトップクラスのブランドじゃがいも「今金男しゃく」だ。今金町農業協同組合・営農部販売課の山内拓弥係長が言う。 「今金男しゃくの条件は、ライマン価が13.5%以上であること。そして、種芋だけでなく、その前の原種から今金産であることが定められています」  ライマン価とはデンプンの含有率を表しており、味に大きく影響する。「今金男しゃく」のライマン価は13.5%以上と定められており、平均16%もある。そのため、ホクホクして旨味があって美味しいと評判だ。あまりにもデンプン含有率が高いため、一般的な製造方法でポテトチップスにしようとすると焦げてしまうほどだという。
今金町農業協同組合の山内拓弥さん。農業に欠かせない水のため、支流の下草刈りを担当したこともある。
「今金町で馬鈴薯の作付けが始まったのは、本格的な開拓が始まった明治24年のこと。当初は食用として栽培されていましたが、冷害で米や麦がダメな時でも収穫できたこともあり、加工でんぷん用に栽培されるようになったのです」  今金町では1953年(昭和28年)には品種を男爵に統一し、1955年(昭和30年)に「今金男しゃく」の名前で銘柄が確立した。当時は俵に入れて出荷していたのだが、一俵に1つでも腐ったものが見つかれば、すぐに飛んで行って対応し、市場からの信頼を高めていったという。さらに、種子馬鈴薯(種芋)だけでなく、種子馬鈴薯の元となる原種馬鈴薯も今金産のものに限定した。原種馬鈴薯や種子馬鈴薯は基準が厳しく、畑自体も検査されるため、専門の農家が専門の畑で育てているそうだ。 「今金男しゃくが作れるのは、肥沃な大地のおかげ。後志利別川流域では開拓が始まる前から洪水があり、そのたびに上流から栄養を含んだ土壌が運ばれてきたのです」  しかし、同じ作物を作り続ければ土地は痩せてしまう。そこで、今金町ではじゃがいもを作ったら、その後の3年は毎年違う作物を育てる「4年輪作」を厳守しているそうだ。 「また、清流日本一と称される後志利別川の水で育っていることも、ブランドに大きな価値を与えています。農家さんにとっても、私たちにとっても大切な川なのです」
100軒の農家が今金男しゃくを生産しており、その畑は全部で330ヘクタールにもなる。
 現在、「今金男しゃく」のほとんどは東京など関東で消費されている。「今金男しゃく」がじゃがいもの価格の基準になっている市場もあるそうだ。 「今金男しゃくのブランドは、農家さんが互いに切磋琢磨し、みんなで築きあげてきたもの。ですから、基準に達していないものはお返しすることもあります。農家さん同士も『それじゃダメだ』と意見を言い合う姿をよく見かけます。みんなで基準を守ることがブランドを守ることに繋がっているのです」  町内の料理店で、「今金男しゃく」のポテトフライを食べて驚いた。もっちりとした食感と滑らかな舌触り、そして凝縮された旨味に、ついつい食べ過ぎてしまう。 暴れ川でもある清流がもたらしたその味は、自然の恵みそのものだった。
参考資料
  • メップ 種川百年のあゆみ」(種川開基百周年記念誌編集委員会)
  • 「今金町地域おこし協力隊通信」