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未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。 会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
真冬の2ヵ月で5万5千人が訪れる源流の試み(荒川源水系尾ノ内沢)
龍の棲む沢で住民が起こした奇跡
 西武鉄道秩父駅から車で約20分。荒川の源流域である小鹿野町に、冬のたった2ヵ月間で、5万5千人もの観光客がやってくる場所があるという。最近、脚光を浴びている場所、それが、尾ノ内渓谷だ。人々を魅了する源流スポットの秘密を探るため、源流探検部は秩父駅から西に向かった。  国道299号を左折し、龍頭神社を通り過ぎて山の方へ上っていくと、尾ノ内渓谷の入り口に到着した。すぐ下に、尾ノ内沢が流れている。両神山を源流とする尾ノ内沢は赤平川と合流し、やがて荒川へと注ぐ。梅雨明け間近の湿った空気がひんやりと感じる。  そんな尾ノ内渓谷で待ち合わせたのが、北孝行さんだ。北さんによると、「尾ノ内」という地名は、この土地の自然だけでなく、信仰や文化を一言で表すものらしい。 「両神山は龍頭山とも言われています。そして、両神山が龍の頭、沢が龍の身、そして赤平川に合流するところが龍の尾だと考えられてきました。そのため、龍の尾の内側に当たる地域を尾ノ内と呼んだのです。ここへ来る途中、龍頭神社という神社があったでしょう。その奥社が両神山の上の方にあって、昔はそこで雨乞いをしたんです。奥社で雨乞いをしてから山を降りてくると、途中にある油滝のあたりを通る頃には雨が降ったそうですよ」  さすが、水を操る龍神様を祀る山だけある。北さんは、雲の間から一瞬顔を出した山の頂を指差し、「あれが両神山です」と教えてくれた。  そんな北さんの名刺には「尾ノ内自然渓谷氷柱実行委員会 会長」の文字。そう、冬にやってくる5万5千人のお目当ては尾ノ内渓谷を埋め尽くす氷柱なのだ。北さんは、圧巻の光景を作り出す会の会長を務める。 「ここは、冬になると最高でマイナス14℃まで下がるほど寒いんですよ。何しろ、私が子どもの頃は凍った川でスケートをしていたくらいですから。今は廃校になってしまいましたが、昔は龍頭神社に小学校があったんですよ。その前の川はスケートリンクにぴったりだったので、なるべく平らに凍るよう、寒くなる前に大きな石をどけておいたりして。そして、下駄に竹をくくりつけたお手製のスケート靴で滑ったもんです」
尾ノ内自然渓谷氷柱実行委員会 会長の北孝行さん。氷柱づくりのキーパーソンだ
尾ノ内渓谷そばの龍頭神社の狛犬は狼。傍らを流れる川が凍るとスケートをしたという
それほど寒い土地なので、小学校より上流にある尾ノ内渓谷では、木々にかかった水しぶきが凍って氷柱ができるのだという。 「昔から『きれいだな』とは思っていたけど、それを観光客に見てもらおうという発想はありませんでした。ところが、商工会の青年部に相馬くんという面白い若手がいましてね。尾ノ内渓谷にもっと氷柱を作って、冬場の観光の目玉にしようと提案したのです」  
あえて子どもの手が届く場所に氷柱(つらら)を作る
 相馬さんと北さんの息子さんが中心となり、氷柱づくりが始まった。渓谷の木々に人工的に水しぶきをかけて、氷柱を作るという作戦だ。 「私が小学生の頃は水道がなかったから、沢からそれぞれの家々まで水を引いていたんです。私の家も、五軒で協力して山の中に延べ3,000mものホースを張り巡らせて、それぞれの家に振り分けていました。しかし、平成に入って町の水道が完備されると、山の中に張り巡らせたホースが使われなくなりました。相馬くんたちは、それを使って渓谷の木々に水しぶきをかけて氷柱を作ろうとしたのです」  しかし、古いホースの直径は2〜3cmほどしかなく、水量は十分とは言えなかった。青年部が始めたことだからと、当初は見守るだけだったという北さん。しかし、北さんは、給排水工事や浄化槽工事なども手がける工務店を営んでいる。若手の奮闘ぶりに手を貸さずにいられなくなり、太いホースを提供して敷設も手伝うことに。水量が増えたことで、渓谷内の氷柱も増えた。それ以後、ホースと水量を増やしていき、まばらだった氷柱は渓谷をびっしりと覆うまでになった。
渓谷を覆い尽くす見事な氷柱。1月の初めから2月の終わりまで楽しめる絶景だ
氷柱づくりのために山の中に張り巡らせたホース。その整備は夏の終わりから始まる
 ターニングポイントは、2009年(平成21年)。町内在住の写真家・山口清文さんが撮影した氷柱の写真が朝日新聞に載ったこと。 「すると、8千人もの方が氷柱を見にきてくれたんです。それからどんどん増えて、今では1シーズンに5万5千人もの方が来てくれるようになりました」  人気の秘密は、地元の人々のおもてなしにあるようだ。甘酒を無料で振舞うほか、売店では地元の女性たちが郷土料理の「つみっこ(ほうとう)」(300円)や「たらし焼き(お好み焼きのようなもの)」(100円)を作って販売している。役場の協力で観光バスが入れる駐車場やトイレなども整備され、受け入れ体制も整えた。現在では氷柱の時期のみ、環境整備協力金として中学生以上に200円をいただいているのだという。 面白いのは、敢えて子どもの手が届く位置に、小さめの氷柱(つらら)を作っていること。 「都会の子どもは、氷柱なんて触ったことがないでしょ。だから、みんな喜んで触るんですよ。親御さんは『触っちゃダメ!』と慌てて叱るけど、『このエリアの氷柱は、どんどん触ってください。折って持って帰ってもいいですよ』と伝えています。氷柱もきれいな沢の水で作っているから、安心して触れますし。『去年よりすごい!』と思ってもらいたくて、毎年バージョンアップさせています」
小さな渓谷にリピーターが集まる理由
 吊り橋から見る夏の尾ノ内渓谷は、水がほとばしる一の滝を包み込むように広葉樹が広がっている。ここが一面氷の渓谷になったら、さぞ圧巻だろう。 「氷柱を見にきてくれた方が、新緑の季節や夏、紅葉の季節にも来てくれるんですよ」  春から秋までの楽しみは、渓谷周辺の散策。ボランティアメンバーで作った散策路や子ども向けの遊具も用意されている。さらに、秋には町内のダリア園とコラボし、1日だけ尾ノ内吊り橋をダリアの花で装飾するイベントも開催。地域の人々の手で一つひとつ飾られた花は、お客さんが持って帰ることもできる。 「氷柱を始めてよかったなと思うのは、みんなの結束が高まったこと。最初はホースを敷設するための作業道作りから始めました。今も、夏の終わりからボランティアメンバーが集まって、ホースの点検や修理をしています。この辺りは河原沢と呼ばれ、3つの地区があるのですが、昔は地区同士の交流はほとんどなかったんです。今は氷柱のボランティアメンバーを3地区から募っており、その数は53人にものぼります。地域に一体感が生まれたのが、何より嬉しいですね」  現在76歳の北さんは、ボランティアメンバーのグループラインに参加するため、スマホでラインを始めたそうだ。
龍の身に例えられる尾ノ内沢。緑に抱かれた夏の龍はどこまでも澄んでいて美しい
秋に1日だけ行われるダリア園とのコラボ。ダリアの花が渓谷を鮮やかに飾る
 最近では、尾ノ内百景氷柱とともに、秩父市の「三十槌の氷柱」、横瀬町の「あしがくぼの氷柱」をめぐる「秩父三大氷柱めぐり」が冬の人気アクティビティになっている。三十槌の氷柱は岩肌に滲み出た湧水による天然氷柱だが、あしがくぼ氷柱は北さんらが「ぜひ、やった方がいい」と勧め、サポートしたそうだ。JR横瀬駅から近いこともあり、こちらも多くの人が訪れる人気スポットになった。「隣町に観光客を取られる」なんて考えは、北さんたちにはないようだ。 「自然を生かした氷柱は、何もないところに観光の目玉を作ることができますから。ここは山間部だから、これ以上駐車場も作れないし。うちに来てもらったお客さんに、周辺も回って楽しんでもらった方がいいでしょ。この間は息子と一緒に福島県の源流の町まで氷柱づくりの指導に行ってきたんですよ」  地域を盛り上げたい、みんなに喜んで欲しい。その一心で仲間とともに氷柱を作り続けてきた北さんの笑顔は、どこまでも優しかった。
 昔から、人々が源流とともにたくましく生きてきた小鹿野町。そんな源流の町を率いるのが、小鹿野町で生まれ育った森真太郎町長だ。町長もまた、赤平川で魚を捕まえたり、泳いだりして少年時代を過ごした。 「山間部にある小鹿野町では、集落が点在していたため、昔から住民の皆さんがそれぞれ努力して自分たちの水を確保してきた歴史があります。現在は上下水道が整備されましたが、今でもお風呂などに沢から引いた水を使っているご家庭も多いですね」。  そんな小鹿野町の強みは、地域力と自然の豊かさだという。 「小鹿野町の山林は民有林が多いですね。人工林の価値がもっと高くなって売れることも大事なのですが、ここは源流の町ですし、広葉樹も増やしていきたいと思っています。ただ、広葉樹も適度に間伐するなど、手入れをして良い循環を作り、山の再生をしていければと考えています。そのためには、伐った木の使い方も考えなければいけませんね」  そして現在進められているのが、町役場庁舎の建て替えだ。 「町の木材を利用した、木造庁舎にできればと考えています。それを機に、町民のみなさんにも木に着目していただき、山の再生や資源の有効利用につなげられたらいいですね」  小鹿野町の山々から始まるいくつもの沢や川はやがて荒川に注ぎ、首都圏の人々の生活を支える。山間部と年をつなぐ荒川を通じた流域連携も、今後は考えていきたいという。 「都市に暮らすお子さんたちに、小鹿野町で森林に親しんでいただくような取り組みができればと考えています。既にある『みどりの村』といったキャンプ場などもありますし。町としても、自然を学ぶ場を提供できたらいいですね。今、考えているのが、『冒険遊び場』とも呼ばれる『プレイパーク』です。従来の公園とは違い、自由な空間で子どもたち自身で遊びを作り出して楽しめる空間です。学校単位で利用できるようにするほか、町内の子どもたちも自由に遊べるようにしたいですね」
小鹿野町の森真太郎町長。山間部の源流域であることを生かした町づくりを進める
町内で食べられる毘沙門氷のかき氷。果実の風味をそのまま生かしたシロップでいただく
 そう言えば、と町長が切り出した。 「毘沙門氷は召し上がりましたか?」  毘沙門氷とは、vol.54で紹介した毘沙門水の氷で作るかき氷だという。町内のこんにゃく工場で作っているシロップを使っており、町のあちこちで食べられるという。 「美味しいですよ。ぜひ食べてみてください」  実感のこもった町長の言葉にどうしても食べたくなって、毘沙門氷販売店の一つである須崎旅館を訪れた。  出てきたのは、緑色の器にうず高く盛られた氷の山。シロップは、ブルーベリー、トマト、イチゴ、ゆずの4種類で各700円。  純白の氷は綿菓子のようにフワフワだ。まずはシロップのかかっていない氷を口に入れると、ふわりと溶けていく。ジャムのようにとろりとしたイチゴのシロップがよく合う。ゆっくりと凍らせているからなのか、夢中で食べても頭がキーンとしない。人々が大切に守ってきた源流が生んだ毘沙門凍りに、源流の新たな可能性を感じた。 写真=田丸瑞穂 文=吉田渓