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未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会 ~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。 会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
江戸幕府に守られた源流の天然生林
 山の中に、江戸時代の名残りをとどめる場所がある。  木曽路だ。木曽路は江戸時代の五街道の一つである中山道の一部であり、その周辺の地域のことを指す。  中山道には六十九の宿場町があり、そのちょうど真ん中に位置するのが、現在の長野県木祖村にある薮原宿だ。江戸時代、善光寺参りのお土産として大人気となったお六櫛の産地として栄えた宿場町である。お六櫛とは、斧さえ折れるほど硬いことから「オノオレカンバ」とも呼ばれる「ミネバリ」の木から作る櫛。幅10cmほどなのに100本もの歯のある櫛だ。硬いだけでなく、狂いが出ないミネバリの木を選び、精巧な工芸品を作り出せるのは、この土地の人々が木や森林、そして山とともに生きてきたからだろう。  事実、山や森林はこの土地の人々にとって生活の場であり、木は資産だった。耕作地が少ない木曽では、秀吉の時代には米の代わりに木を年貢として納めていたそうだ。この木年貢を納めることで、米が支給されたという。  21世紀となった現在も、木祖村の面責の87%は山林が占めている。そんな自然豊かな木祖村に、とっておきの森林があるという。その名も、水木沢天然生林だ。  木祖村の唐澤一寛村長が、こんなことを教えてくれた。 「水木沢天然生林は国有林ですが、木祖村にとっても財産なのです。水木沢は木曽川の源流の一つであり、一日に8,000トンもの美しい水が絶えることなく湧き出しています。環境省が平成20年に発表した『平成の名水百選』にも選ばれているんですよ。樹齢200年を越える木曽ヒノキやサワラ、ブナなどの木が残っているのですが、この森林が珍しいのは、針葉樹と広葉樹の天然生林であるということ。もっと多くの人にこの貴重な森林に親しんでもらおうと、平成3年に当時の長野営林局(現:中部森林管理局)と保存協定を結び、一部に遊歩道を整備し、郷土の森林として一般に解放しているのです」
村役場職員時代から、木祖村の山や森林、水を守ることに情熱を傾けてきた唐澤一寛村長。
郷土の森林として解放されている水木沢天然生林。その水は平成の名水百選にも選ばれている。
木曽川の水が生まれる森林、しかも珍しい森林。源流探検部としては、行かないワケにいかない。さっそく、水木沢天然生林を訪れることにした。
木一本伐ると首が飛ぶ 森林を守った厳しいお触れ
 水木沢天然生林の入り口にある管理棟で、久保畠賢一さんに出会った。この森林を知り尽くしている、水木沢天然生林の管理人だ。  久保畠さんは、この珍しい天然生林が残った理由を教えてくれた。 「木曽谷は尾張藩の領地だったため、江戸時代に入ると、尾張藩は木曽の木を伐って築城や城下町整備を行ったのです」  しかし、たくさんの木を伐ったことで、下流では災害が頻発したという。 「そのため、木曽谷の木を伐ることが禁じられたのです。『木一本首一つ』つまり、木を一本伐ったら誰かの首が飛ぶのでは、と恐れられるほどだったそうです」  ここで、こう思う人もいるだろう。「それほど厳しく伐採が禁じられていたのに、なぜ藪原宿では善光寺参りの定番土産になるほど、お六櫛を作ることができたのか?」と。  実は、巣山・留山と呼ばれる山は住民の立ち入りが禁止されたが、それ以外の明山と呼ばれる山林には自由に入ることができたそうだ。何せ、木曽は米の代わりに木を年貢にしたほどの土地なのだ。ただし、明山でも木曽五木の伐採は厳しく禁じられていたという。木曽五木とは、木曽ヒノキ、サワラ、ネズコ、コウヤマキ、アスナロの五種類の針葉樹である。
木や草、生き物など、水木沢天然生林を誰よりも知り尽くした管理人の久保畠賢一さん。バードコール作りなどのワークショップの講師も務める。
 針葉樹が守られた木曽の山々。上松町にある有名な赤松休養林も、針葉樹の木曽ヒノキの林だ。なぜ、水木沢天然生林は針葉樹と広葉樹が一緒に残っているのか。 「ここは木曽谷の奥で、搬出が大変だったのです。江戸時代の初頭、尾張藩はもっと下流の森林から木を伐っていったはず。木祖村の木を切り始めた頃、伐採禁止のお触れが出たのでしょう。曲がった木や細い木など、利用価値の低い木は山に残っており、そうした木が大きくなったり、その種から増えていったようです。さらに、明治に入っても、この森林は守られたのです」  それはなぜか。この辺りの土は花崗岩が風化したもので、味噌土と呼ばれるほど崩れやすい。そのため、昔から下流では「水木沢の木を伐ると荒れる」と言われていたほどだ。しかし、水木沢天然生林には針葉樹だけでなく、ブナやトチノキなどの広葉樹がしっかりと根を張っていた。そのため、土砂災害を防いでくれる森林として大切に保護されることになったそうだ。
水木沢の土は花崗岩が風化したものなので、雨が降ると崩れやすい。しかし、天然生林の木々がしっかり根を張って山を守ってくれている。
「水木沢は、木曽谷でも北のはずれでとても寒いんです。そのため、木曽五木のうち、ヒノキとサワラ、ネズコの三種類しか育ちません。人工林では経済的に効率の良いものが選ばれますが、いくら植えても土地に合っていないと、根付かないないんです。一方、自然と芽吹いたものはしっかり根付きます。水木沢では、江戸時代の初期に大量に木が伐採された後、残った木から新しい命が芽吹き、自然に育っていきました。ですから、ここは伐採によって更新された天然生林なのです。その後、大切に保護されてきたので、この森林では樹齢550年の大サワラや樹齢300年の巨大ヒノキと出会うことができるんですよ。人工林では人の手入れが必要ですが、ここは天然生林ですので、なるべく人の手を加えないようにしています。ただ、今は郷土の森として解放していますから、木々に負担をかけないよう、ウッドチップを敷いて木の根を保護しています。この森林にやってきた人が、森林は水や酸素を作ってくれる大切な存在だと気づいてくれたら嬉しいですね」
水木沢天然生林の入り口にある管理棟では水木沢の情報がいっぱい。ここで見られる木のオブジェは久保畠さんのお手製。
針葉樹と広葉樹が抱き合っている神秘の森林
 源流探検部も、水木沢天然生林の中に入ってみた。この日の木祖村は、カラッと乾燥した快晴なのに、天然生林に一歩入ると、空気がしっとりと湿り気を帯びている。  「←人工林 天然林→」と書かれた看板を見つけた。見上げると、道を挟んで右と左で広がる風景が違う。道の左側を見ると、まっすぐに伸びたヒノキの幹がリズミカルに視界に入ってくる。それに対して右側は、萌黄色のカーテンで覆われているかのように、広葉樹が青々とした葉を広げている。あまりにも鮮やかな針葉樹と広葉樹のコントラスト。その樹間を縫うように、澄みきった沢が走ってゆく。  途中、ウラジロモミの芽がニョキニョキと生えている場所を見つけた。大木が倒れると、それまで大木の枝葉で遮られていた日が差し込む。赤ちゃんみたいなウラジロモミも、大木が倒れた好機を狙って必死に生き残ろうとしているのだろう。  一緒に森林に入ってくれた木祖村役場 商工観光課 課長の東大平さんが、「水木沢にはヤマトイワナが棲んでいるんですよ」と教えてくれた。ヤマトイワナが産卵しやすいよう、今年は産卵場所を確保する予定だという。
水木沢ではかつて植えられた針葉樹の人工林と天然林が隣り合っている場所もある。
 案内板が現れた。右に進めば巨大ヒノキのある太古の森林が、左に進めば大サワラのある原始の森林が広がり、さらにその先には尾根に続く源頭の森林がある。巨大ヒノキが見てみたい源流探検部は、太古の森林へ向かうことにした。 森林の奥からカジカガエルの声と鳥の鳴き声が何層にも重なって響いてくる。その音の複雑さに、森林の奥行きの深さを知る。遊歩道のすぐ脇では、ひと抱え以上もあるトチノキや、手のような葉のハウチワカエデが伸び伸びと根を伸ばし、枝葉を広げている。 「これ抱き合わせの木と呼ばれているんです」  東さんが指差す方を見ると、ちょうど幹の太さがほぼ同じくらいの針葉樹と広葉樹が並んでいる。右がサワラで、左はトチノキだろうか。針葉樹と広葉樹がぴたりと寄り添うように立っている光景は、天然生林ならではだろう。
抱き合うようにして立つ針葉樹と広葉樹が見られるのは、水木沢天然生林ならでは。
滋養に溢れたこの森林では、1日に8,000トンもの水が日々生み出されている。
 それからしばらく歩き、道幅が広くなったな、と思ったら、目の前に巨大ヒノキが現れた。末広がりの樹形で途中にコブもある、野性味溢れる姿。まっすぐに伸びるよう、人が手をかけた人工林のヒノキとはまったく違う。何かが宿っているような神聖さが漂っている。その神々しさは、水を生み出し続けるこの水木沢そのもののようにも思えた。
水木沢天然生林の太古の森林に静かに佇む巨大ヒノキ。樹齢300年とも言われている。

江戸幕府に守られた、木曽谷の奥の天然生林。平成の世になり、木祖村はダムを擁する村となった。きれいな水を下流に送るため、源流の村の人々は、その貴重な自然を大切に守り続けている。ここで生まれた木曽川の水が美味しくないはずはない。

稀有な森林とその環境を守る人々に畏敬の念を抱きながら、太古の森林を後にした。