東京都小平市の小平霊園内の湧水場「さいかち窪」を水源として東久留米市を東流、埼玉県との県境付近で湧水豊富な落合川と合わさり埼玉県新座市・朝霞市の町中を流れ、新河岸川に注ぐ。新河岸川との合流部付近はかつて縄文海進の時代には海の内湾(奥東京湾)であり、付近には貝塚など縄文遺跡が多い。現在も海まで大きな障壁はなく、マルタやアユ、ボラ、モクズガニ、マハゼなど海から遡上する魚も多い。魚はもちろん、河道を利用する鳥やケモノ、両生類や爬虫類など、多くの生きものの大切な緑の回廊となっている。
古くは川の重要な水産資源
現在、琵琶湖や那珂川などの一部を除いて、漁獲されたニゴイが食用として利用されている地域は、ほとんど見当たらなくなっているが、昭和40年代ぐらいまでの民俗をまとめた地方の郷土資料を読むと、コイやフナ、ウナギやウグイとともに、中~下流域の漁獲物の一つとされてきた記録が多数残されている。主に関東地方では「サイ」という呼び名で広く川漁の対象とされてきたようで、黒目川が流れる朝霞市の『朝霞市史』(※2)にも「川でとれる魚には、ウナギ・ナマズ・コイ・フナ・ハヤ・サイ・ギンギョバチ・アユなどがおり」とある。ちなみにハヤはウグイ、ギンギョバチはギバチのことだ。
黒目川の隣の支流である柳瀬川では、ニゴイは「サイタンボ」と呼ばれ、やはり漁の対象とされていた。『志木市史』(※3)によると、例えば浅瀬にハの字型に網をかけ、その上部に集まった魚を、タモ網で捕る「瀬張り漁」では、マルタバヤ(マルタ)やサイタンボが捕れたという。だが、ウナギやコイに比べると、小骨の多いサイタンボの値は安かったという。当地では売り物にならずに自家消費する漁獲物を「喰い料」と呼んだが、「喰い料にはマルタバヤ・サイ・セイタンボ・ウグイなどを食べた」とも記されている。
関東の大河川では、さらに本格的なサイ漁もあった
新河岸川の支流である中~小規模河川の黒目川や柳瀬川だけでなく、むしろ荒川や利根川、那珂川などの大河川でこそ、「サイ」ことニゴイは大規模に漁獲されていた記録が残されている。例えば荒川の流れる『戸田市史』(※4)には、前述の瀬張り漁(セバリアミ)のほかにも「サシアミ」や「ジビキアミ」、潮の干満差を利用した「タテボシ(スダテ)」や「ソコダテ(カケアミ・ツカミドリ)」、延縄状の「サシバリ」など、さまざまな漁法で捕られたと記されている。サシアミの網にはコイ専用の「コイガケ」のほか、ニゴイやマルタ専用の「セイガケ」があったという。さらに「セイド」と呼ばれる長径60cmほどの、風呂にある座椅子のような形をした筌や、「セイナ」と呼ばれる漁獲した魚のエラに通し生かしておく、いまで言うストリンガーのような用具もある。「セイ」もニゴイのことだから、ニゴイ専用の漁具・用具というわけだ。
栃木県の那珂川中流域では、ニゴイ(サイ)は産卵前の冬が旬であり、2艘の舟で35間(約64m)ほどの「サイアミ」を張り、川に石を投げて網に追い込む「サイタタキ漁」が行われていたという(※5『那珂川の漁撈用具』より)。『茂木町史』(※6)によれば、那珂川では「サイはニゴイとも呼ばれ、体長三五センチにもなる冬の淵の王様。サイタタキの漁法で獲られ、干物にもなる」とある。高崎や前橋にも近い利根川中流域の群馬県佐渡郡玉村町五科区による『利根川の漁撈 中流域の漁法と漁具』(※7)には「ニゴイは通称サイ、セイタロウなどと呼び、(利根川支流の)烏川で1年を通して捕獲できた」と書かれており、サイ専用の漁具である「ササリアミ」や、小骨が多いため煮込んで食べたことや、安価で漁師にはあまり歓迎されなかったこと、また妊婦が食べると体に良いという伝承も記述されている。
郷土資料を読むと、「外道の王様」と呼ばれてしまいそうないまの時代では考えられなかった、川に生きる人とニゴイとの厚い交渉の歴史が見えてくるのだ。
ニゴイはなぜ「サイ」と呼ばれたのか?
黒目川・柳瀬川・新河岸川だけでなく、荒川や利根川、那珂川など関東の大河川でもかつてニゴイが漁業対象魚とされてきたこと。そして主にサイと呼ばれてきたことを、上で紹介してきた。では、なぜニゴイがサイなのか。サイとはどのような意味なのかを、探ってみたい。最初にお伝えしておくと、魚名の由来にはさまざまな説があり、一概にこれが正しいとは言えない。今回紹介するのは、あくまでも一人のニゴイ好きな私による考察と捉えてほしい。
まずはニゴイという名について。釣り人ならば知る人も多いだろうが、ニゴイの漢字には「似鯉」が充てられることが多い。つまり「鯉に似た魚」という意味だ。実際、ニゴイの風貌は、コイの顔や体を長細く伸ばしたようである。ちなみに私は仲間内でニゴイを「スマートさん」と呼んでいる。そしてコイは「ファットさん」。この場合、コイとニゴイを似たものと捉えて、太っているかスマートかで呼び分けている。「似鯉」について考えてみると、まず先に人と馴染み深いコイがいて、そのコイに似ているから「似鯉」という名がついた。そんな過程が浮かび上がってくる。だが、ニゴイのことを「ニゴイ」と呼んでいた地域は意外にも少ない。『日本産魚名大辞典』(※8)によれば、岐阜・滋賀・三重・新潟の一部ぐらいに限られていたようだ。この辞典には実に41種類ものニゴイの方言が書かれているが、「ニゴイ」と呼ばれていたのは、ほんの一握りだとわかる。ざっと一部を紹介すると、アラメゴイ(長野県など)、カワゴイ(岐阜県など)、キツネゴイ(大阪府)、セータッポ(東京付近)、ヒバチゴイ(奈良県)、ホリコイ(広島県)、マジカ(琵琶湖など)、ミゴイ(琵琶湖など)、ミノゴイ(津軽)などなど。その中で「ニゴイ」の名が全国に広まり一般化したのは、日本魚類学会が「標準和名」を「ニゴイ」と定めたから、という理由が大きいだろう。コイとワンセットで語られることも、「ニゴイ」という名称の周知には役立ったかもしれない。
だが関東一円では、古くから圧倒的にサイだった。そこから転訛したと思われる呼び名も多い。例を挙げるとサイカンボウ、サイゾウ、スイ、セイ、セイタッポ、セイタンボ、セイロク、セエ、セータ、セータッポ、ソイ……。なぜ、ほんの数十年前まで、これほどまでに広い範囲で呼ばれていたサイの名は聞かれなくなってしまったのか。そもそもサイとはどのような意味なのか……?
「サイ」は小刀や刀剣を表す言葉だった
ニゴイの古名がサイであると聞いた時、私の頭に浮かんだのは「細」という漢字だった。音読みで「さい」、訓読みでも「ほそ・い」と読める。コイに比べて細い魚だから「細(さい)」と呼ばれるようになったのではないかと思った。ネットには「顔が動物のサイに似ているから」とか「コイの次の魚だから、(五十音のコの次のサを用いた)サイなのだ」など、面白い説もあったが、十分に自分自身を納得させるには至らなかった。ネットの海を泳ぐ中、気になる記述が目に留まった。民俗学者の野本寛一氏が『動物のフォークロア 「遠野物語」と動物』の中で「サイというのは刃物です」と語ったとある記述だった。
急ぎ、広尾にある東京都中央図書館に向かった。書庫より原本を借りて該当箇所に目を通すと、そこには野本氏の言葉として、こう書かれていた。
『古事記』の中に「佐比持の神」という神が出てきます。サイというのは刃物です。鍬という字を書いたりしますが、つまり刃物を持った神だというのはサメの殺傷力を象徴していると思われます。
「さい」を調べると、確かに小刀や刀剣を表すものとある。『デジタル大辞泉』では「鉏」の字で「刀や小刀。刃物」とある。また「鋤(すき)」のことだとも記されていた。サイは刃物であり、鋤(すき)や鍬(くわ)のことだった。つまり「サイ」という名前は、「細く長い刃物のような形をした魚」もしくは「平べったい鋤や鍬のような形をした魚」というニゴイの形状を表した名称だったのではないだろうか。確かにニゴイは、そのような形状をしている。シュッとした体も、ピンと伸び上がった背ビレや尾ビレも刃物のそれを思わせる。さらにいえば、産卵行動時にペアのオスが他のオスに突っ込む際には、まるで水面を日本刀でスパッと切ったような波紋が走るのだ。ちなみに日本刀の鞘(さや)は、「さいの屋根」が由来という説もあるそうだ。刀を入れる鞘の入口には「鯉口(こいくち)」という名称が付けられていることも興味深い。
さらに思いがけない記述を見つけた。昭和49年発刊の『魚名考』で、著者の栄川省造氏が関東で呼ばれる魚名の「サイ」について、こう記していた。
ウグイの古名は「佐比」である。古語で「佐比」は直刀のこと。魚体が直刀の形に似ているためによぶのであろう。
私の調べた限り、ウグイの方言に「サイ」はない。これはニゴイのことを間違えたのではないだろうか。いずれにしても、直刀のような魚をサイと呼ぶ記述を見つけることもできた。
おそらくサイは刃物だったのだ。あくまでも私の考察に過ぎないが、これまでのなによりも自分に納得のいく説明ができた。そこでふと思った。サイが刃物だとしたら、逆に刃物のような魚には「サイ」と付けられているべきではないか?と。
まずパッと思い浮かんだのはタチウオだったが、一部「サーベル」という地方名があるぐらいで、ほぼ「タチウオ(太刀魚)」で統一されていた。次にサンマを見てみると、驚いた。そこには「サイラ」と呼んでいた地域が多かったことが記されている。さらに「サイラ」はサヨリの方言でもあった。そもそもサヨリという名前自体がサイラから転訛した名前だったりはしないか?さらにサワラの地方名には「サーラ」とあった。サンマにサヨリにサワラ、これら細長い刃物のような体をもつ魚のいずれもが「サイ」を思わせる地方名を持っていたのである。
思わぬ展開に、手に汗を握りつつ、サイをめぐって書物を泳ぐ冒険はもう少し続いた。私にとっては、ある意味ここからが始まりとも思えるような事実に気がついたのだ。きっかけはこのような問いだった。
なぜ、「サイ」という地方名が関東や東北地方に偏っているのだろう?
サイが関西にほぼ存在しない理由
『魚類地方名検索辞典』(※9)は、北海道・東北・関東・甲信越・東海地方をまとめた北日本編と、近畿・北陸・中国・四国・九州・沖縄地方をまとめた南日本編に分けられている。ニゴイの地方名を調べると、興味深いことがわかった。北日本編では主流を占める「サイ」系の地方名が、南日本編では、唯一琵琶湖のみとされていたのだ。あることにピンときて、ウグイの地方名を調べてみた。やはり……。
関東以北でニゴイが広く「サイ」と呼ばれてきたのは、そこに対となる比較対象の魚がいたからなのではないだろうか。「鯉に似ているから似鯉」という解釈が「ニゴイ」の名を広めたように、かつてのニゴイ、つまりサイには、「サイ=刃物のような魚」と呼ばれやすくなる理由があったのだ。それはおそらく、海に降って大型化する降海型のウグイ、そしてマルタの存在によるものなのではないか。ウグイには小型のまま成熟する河川残留型と、海に降って大型化して遡上する降海型がいて、緯度が高くなるにつれて降海型が多くなることが知られている。関東では、ウグイの地方名に「マルタ」が複数見られるが、それらは主に大型で丸々太った降海型のことなのではないか。降海型ウグイの少ない地域をまとめた南日本編でウグイの地方名を調べても「マルタ」は福井県の一例のみである。一方、種としてのマルタは春になると海から遡上する、40cmを超える大型魚だ。『朝霞市史』にはこう紹介されている。「マルタはマルタバヤともいい、ウグイの一種で、その名のとおり丸太のような形をした大きい魚である」。
マルタと降海型のウグイ。そしてニゴイ。彼らの大きさは似通っていて、漁獲する場所や漁具の重なりも大きい。丸っこい魚体のマルタや降海型ウグイのことを「マルタ」と呼び、その存在と対応するシュッとした刀剣のようなニゴイを「サイ」と呼ぶ。つまりこの同所的な2種類の漁獲物を姿形のキャラクターに応じて呼び分けたことが、サイやマルタが関東以北で広まった背景なのではないだろうか。こう考えると「セータ」の対義語はまさに「マルタ」であり、「セイタンボ」は「丸太ん棒」の対義語のような気がしてくる。
残念ながら、いま現在、マルタや降海型ウグイ、そしてニゴイを積極的に漁獲する地域はほとんどない。食を通した人との関わりがほぼ絶たれたことにより、マルタもウグイもニゴイも、一部地域を除いて釣り人が主に(外道として)相手にするくらいの魚となった。「マルタ」という名前は標準和名として残ったが、かつて関東一円で一大勢力を誇っていた「サイ」の名は、「ニゴイ」にとって代わられた。
最後にいま一度、『朝霞市史』に戻ろう。「サエギリ」というサイの漁法が記されている。少し長いが全文を引用したい。いかに黒目川流域の人たちがサイを詳しく知っていたのかを教えてくれる漁法だ。
サエギリ(遮)は四、五月に産卵に上がってくるサイをとる方法で、夕方に行った。川の一メートル程度の浅いところを選び、川を横断して、底まですべてカスミ網を張って遮断し、そこから二間くらいあけて下流に同様に川を横断して網を張った。ただし、下流側の網は底の部分を一〇~一五センチメートルほど開けておく。魚は遡るとき、腹をこするようにして底の近くを泳いでくるが、下るときは浮いて川面近くを泳ぐ習性があるので、それを利用した漁法である。つまり、下流から上がってきた魚は下流側の網の下をくぐってくるが、その先でさえぎられて戻ろうとすると川面近くを通ることになるので、網にかかって戻ることができなくなるので、そこに入ってタモアミですくう。
来年の春、黒目川の瀬には、きっとまたニゴイが上ってくる。刃物のようなしなやかな体で川面を斬り、美しく尊い産卵行動を見せてくれることだろう。
引用文献
※1矢野加奈(2014)美しく未知なズナガニゴイ. 長田芳和編著, 『淡水魚研究入門 水中のぞき見学』, pp222-232, 東海大学出版部
※2『朝霞市史・民俗』
※3『志木市史・民俗』
※4『戸田市史・民俗』
※5『那珂川の漁撈用具』栃木県立博物館
※6『茂木町史』
※7『利根川の漁撈 中流域の漁法と漁具』群馬県佐渡郡玉村町五科区
※8『日本産魚名大辞典』
※9『魚類地方名検索辞典』