川と釣りと……
今回の川 埼玉県・黒目川

東京都小平市の小平霊園内の湧水場「さいかち窪」を水源として東久留米市を東流、埼玉県との県境付近で湧水豊富な落合川と合わさり埼玉県新座市・朝霞市の町中を流れ、新河岸川に注ぐ。新河岸川との合流部付近はかつて縄文海進の時代には海の内湾(奥東京湾)であり、付近には貝塚など縄文遺跡が多い。現在も海まで大きな障壁はなく、マルタやアユ、ボラ、モクズガニ、マハゼなど海から遡上する魚も多い。魚はもちろん、河道を利用する鳥やケモノ、両生類や爬虫類など、多くの生きものの大切な緑の回廊となっている。

「キング・オブ・外道」とも言われてしまうが……

「ニゴイ」と聞くと、皆さんはどんなイメージを頭に浮かべるだろうか? キツネのような細長い顔に分厚いクチビル。季節によっては真っ黒い顔にブツブツとニキビのような点が散らばり、目は白眼の目立つ三白眼で、言うなれば死んだ魚のよう。これは、つい5年ほど前まで私がニゴイに抱いていたイメージだ。似たような印象を持たれている方も多いのではないだろうか。雑食性でさまざまなエサを食べてくるし、コイ科の魚でありながら思いのほか魚食性が強く、ミノープラグなどのルアーにも襲いかかってくるものだから、釣り人にはおなじみの魚だと思う。「キング・オブ・外道」なんて不名誉な(?)呼び方をされることもある。私の場合は、近所の川でシーバスやナマズを狙っている時の外道という位置付けだった。彼らのある行動を知るまでは……。

賑やかな春の黒目川。冬の間、私の目を楽しませてくれていたヒドリガモやオオバンが北国に去り、代わりに南方からツバメやイワツバメが飛来する。川の中では、マルタ、コイ、ニゴイが次々と産卵のために瀬に現れる賑やかな季節だ。

春、近所の町中を流れる都市近郊河川の黒目川では、カラシナやアブラナなどの菜の花が咲き盛り、一面を黄色く染める。川の中では海から遡上してきたマルタや、でっぷりと身を太らせたコイが産卵期を迎え、瀬でバシャバシャ、水際に生える草の周りでバシャバシャと賑やかな音を立てる。その音は、土手を歩く人も足を止めるほど。橋から川を覗き込む人からは「コイかしら……」「サケじゃない?」なんて声が聞こえてくる。

この時期、川にかかる橋の欄干では、南から繁殖のために渡ってきたイワツバメが巣作りに大忙しだ。白と黒に染め分けたペンギンのミニチュアのような体で、川辺をついばんでは巣に戻る。彼らの巣の材料は主に湿った泥で、巣材を集めやすい川を選ぶのだろう。使い終わった巣は翌年にはボロボロに崩れているが、それを修復するように泥を足して、毎年新しい巣を作っている。一度、イワツバメのついばんでいる泥場の泥をつまんでみたことがある。ひんやりと冷たく、ちょうど耳たぶほどの柔らかさで、やや粘り気もある。いい場所を選んでいるんだろうなと身近な川に誇らしさを感じ、嬉しくなった。他にもツバメやムクドリが子育てに勤しみ、それまでのひっそりとした冬の川から、一気に生命感が花開く。カルガモの親子が人々の目を和ませる。新年度を迎え、行き交う人の姿も多い。

そんななか、川の中でひっそりと命をつなぐ営みをしているのが、今回の主役であるニゴイだ。3年ほど前に、ここ黒目川ではじめて観察してから、毎年この時期が楽しみになった。私を惹きつけたのは、なによりもその産卵行動が、私が大好きなサケやマスにそっくりだったということだ。

5月中旬、親子連れのカルガモ。警戒するお母さんガモ視線はつねに斜め上に注がれている。
川沿いの建物の通気口では、エサを求めてムクドリの子どもたちが賑やかに騒ぐ。
川辺の泥場で巣材の泥をついばむイワツバメ。
3月中旬、激しく水面を洗うコイのハタキ(産卵行動)と、北に帰る直前のヒドリガモ。
砂礫底の瀬で産卵行動中のニゴイのペア。色の薄い左側がオスで、小刻みに震わせた体をメスに擦り付ける「求愛行動」を行う。その行動様式は、私の大好きなサケマスの産卵行動にとてもよく似ている。

興味を引いたサケやマスとの類似性

サケやマスの仲間、いわゆるサケ科魚類の産卵行動観察は、私の一番の趣味だ。毎年、渓流釣りが禁漁期を迎えると、竿を畳む寂しさ以上に、これから始まるシーズンのワクワクが優ってしまうほど。秋から冬にかけて行われるイワナやヤマメなどサケ科魚類の自然産卵は、釣りのシーズンを通して遊んでくれた魚たちを慈しむ気持ちを育んでくれる。

彼らの産卵行動については、当連載でもたびたび取り上げてきたからご存じの方も多いと思うが、ここであらためて基本的な行動パターンについて紹介しておこう。

まず、サケマスの場合、メスが横たえた体を波打たせることで川底の砂礫を下流へ飛ばし、産卵床と呼ぶ卵を産む巣を作りあげる。オスはメスの少し下流側に並ぶように位置取り、時折、震わせた体をメスに擦り付ける「求愛行動」を行う。そしてメスが卵を産もうと口を開いた瞬間に、隣に滑り込み、メスが産み落とした卵にみずからの精子を振りかける。この瞬間、メスとペアになっているオスのほかに、複数のオスが下流側から突っ込んでくることがある。彼らは「スニーカー」と呼ばれる劣位のオスたちで、ペアのオスは、彼らからメスを独占しようと、メスが巣作りをしている間、しきりに威嚇したり、噛み付いたり、押し出したりして、メスから遠ざけようとする。劣位のオスたちは、ペアオスからの威嚇行動や攻撃行動をかわしながら、メスがいざ卵を産み落とす瞬間に、みずからも精子を振りかけようと必死だ。そしてさらに小さな同種・異種の小魚たちもメスの周りに群がっている。これらの目的は卵を食べること。ペアによる放卵・放精の瞬間、産卵床の川底に頭を突っ込み、流れる精子で白く煙った水中にまぎれ、巣から溢れた卵をせしめるのだ。

この一連の命のドラマは、何度見ても飽きることがない。産卵行動を覗き込む観察は、直接的には彼らに多少のプレッシャーをかける行為でもある。だが、命をつなぐ営みの観察は、釣り人に新たな視点を授けるだろうと信じている。

バックナンバー「川と釣りと戻らない魚と」取材で観察した、サクラマスの産卵行動。もっとも右側(上流側)がペアのメス、その左がペアのオス。左下に見える小さなベージュ色の魚は劣位のオス(スニーカー)となる。
ペアのオスに威嚇され、下流側へ逃げる劣位オス(スニーカー)。写真左上にも小型の劣位オスが見える。
サクラマスのメスは、横たえた体を波打たせ、川底の砂礫を動かし、卵を産むための産卵床をつくる。ニゴイのメスには見られない行動。

話をニゴイに戻そう。はじめてニゴイの産卵行動を見た時、印象的だったのはペアとなるオスの行動だった。メスに寄り添っては時折、震わせた体を擦り付ける「求愛行動」や、ほかのオスに対する激しい威嚇行動や攻撃行動は、まさにサケマスを思わせるものだった。私の目には、メスへの求愛も、ほかのオスへの攻撃も、サケマス以上に激しく情熱的にすら感じた。サケマスと大きく違うのは、メスが産卵床を作らない点だ。砂礫の底に卵を産み落とすのはサケマスと同じだが、サケマスの卵は直径5mm前後と大型であるのに対し、ニゴイの卵は直径2mm前後しかないため、わざわざ産卵床を作らなくても砂礫のすき間にうまく収まってくれるのだろうか。

手前にいる色の薄い方がオス。メスに対して斜めに横切りながら、震わせた体を擦り付ける「求愛行動」。
落ち着いている時、オスの体色は黒いが、写真の「求愛行動」や、放精の瞬間などの興奮時は、体色が明るいベージュ色になることが多い。
オス同士の闘争。大きさや力加減に差がないと、延々と数十分も戦い続けることもある。横並びになると、一斉に上流に向かってダッシュ。激しく水飛沫があがる。相手よりも優れていることを誇示しているかのようだ。
ヒゲの剃り跡のような「追星」が目立つ大型のオス。産卵適地に陣取っているのだろうか。メスが産卵床を掘ることのないニゴイの場合、オスが瀬にナワバリを持つような行動を見せる。強いオスは訪れるメスと次々につがい産卵行動へと誘っているようにも見える。

ニゴイの産卵行動は、オイカワにも似ている。オイカワのオスは長く伸びた尻ビレが特徴となるが、これは産卵行動をみると納得の形態で、ペアとなるオスは川底に伏せたメスに尻ビレで包むように覆いかぶさることで、受精成功率を上げているのだろう。ニゴイの場合、オスの尻ビレは長くないが、その代わりに長い体をメスの体に寄り添わせることで、卵が流失しないように受け止めているようにも思える。余談だが、海外の魚ではグレイリングという背ビレが帆のように長い魚が、ニゴイやオイカワと似たような放卵・放精の瞬間の形をとっていて、とても興味深い。オイカワ・オスの長い尻ビレとグレイリング・オスの長い背ビレは似たような役割を持っているようにも見える。

青い婚姻色に染まったオスのオイカワ。著しく伸長した尻ビレが目立つ。
オイカワのオスはライバルを威嚇する際、背ビレと尻ビレをバッと大きく広げる。
オイカワの放精・放卵の瞬間。メスは砂礫の底に伏せ、もっとも目立っているオスの背後に包まれながら卵を放っている。放精しようとするオスのほか、卵を食べようとする未成熟らしきオイカワも多数突っ込んでくる。

魚の行動と形態は関係が深い。ニゴイの下向きの口は、川底の生きものを食べるのに適した形と考えられている。水中にカメラを沈めて観察してみると、産卵行動中のニゴイも時々、川底に口を突っ込んでは小石を吸い込み、まるで飴玉を口の中で転がすようにモゴモゴしてから吐き出す様子をしばしば観察することができる。コイも似たようなことをするが、おそらくはシジミなどの小さな貝を、「咽頭歯」と呼ばれる喉の奥にある歯で潰して食べたりもするのかもしれない。川底の砂礫にはシジミのほかにもユスリカやカゲロウ、トビケラの幼虫やミミズが潜んでいるので、そのような底生動物を食べてもいるのだろう。ニゴイはエッグイーター(卵食い)としても有名で、マルタウグイが川底に産み落とした卵をスパスパと美味しそうに食べる姿もよく見ている。一方で、70cmの大ニゴイがネズミの形をしたトップウォータールアーで釣れたこともあれば、水面をかき回すバズベイトにもよくかかる。フィッシュイーターとしての性質も兼ね備えているようだ。

産卵行動中のニゴイペア。右側がオスで左側がメス。いずれもカメラのレンズを少し意識した表情に見える。
メスはしばしばこのように川底の砂礫をスパスパと吸うような行動をとる。なにかを食べているのか、それとも卵を産み落とす川底を掃除しているのだろうか。
マルタ(写真奥)の産卵場によく現れるニゴイ。目的はおそらく……。
口をスパスパして産み落とされたばかりのマルタの卵を食べているのではないか。
ミノープラグを食ってきた40cmほどのニゴイ。思いのほかアグレッシブにルアーにアタックする魚食性の強い魚だ。

私のニゴイへの興味は、サケマスに似た美しい産卵行動に始まった。それにも増して気になっていたのはニゴイの古い名前のことだ。当連載の「川と釣りと」にご登場いただいた那珂川の川漁師でありハンドクラフトワークを営む綱川孝俊さんから「ニゴイはかつて『サイ』と呼ばれていた」と教えてもらってから、ずっとその名前が頭を離れずにいた。…なぜ、ニゴイがサイなのだろう。

調べれば、ニゴイことサイは、かつてこの黒目川でも川漁の対象とされていたのだ。

5月初旬、産卵場となる瀬の下流側にあるトロ場で群れていたニゴイ。かつて黒目川でも、ニゴイは「サイ」と呼ばれていた。