盛岡市東端の山間部を西流して盛岡市街地で北上川と合流する一級河川。根田茂川は簗川ダムで簗川に合流する支流。ともにサケやサクラマスの産卵に適したこぶし大の礫が敷き詰められた美渓だが、2020年に湛水した簗川ダムにより、それよりも上流の簗川と根田茂川は、サケやサクラマスなど遡河性魚類の遡上が妨げられた。北上川は東北地方を約200km南流し、宮城県石巻で追波川・旧北上川を通して太平洋に注ぐ。
現在、簗川には「簗川ダム計画」が進行し、支流の根田茂川下流域は、大きく姿を変えた。根田茂集落への打撃は甚大で、下流域半分の住人は集団移転を余儀なくされ、その跡地は無残に破壊された。
これは2014年に文芸社より発行された『もりおか根田茂 せせらぎの詩』(稲川悟著)のまえがきにある一文である。
岩手県盛岡市の根田茂集落は、東北随一の大河川である北上川の支流・簗川の上流域に伸びる支流・根田茂川の流域に広がる小さな最奥の集落だ。本書はダムにより集落の半分が失われた根田茂の自然と、集落の伝統芸能である「剣舞大夫」をまとめた小さな写真集で、上の一文には「桃源郷」と称する根田茂集落への著者の悲哀が込められている。
簗川ダムは根田茂川と簗川の出合いに建設された堤高77.2mの重力式コンクリートダム。下流域の洪水調節や水道用水、水力発電などの用途をもつ多目的ダムとして、いまから46年前に予備調査が開始された。以来、たびたび建設の是非を問われながら、じつに40年もの期間を経て2015年にダム本体の工事が開始され、2020年の10月2日に湛水式を迎えた。これにより根田茂集落の下流域半分はダム湖に沈むことになる。『もりおか根田茂 せせらぎの詩』は著者にとって、沈みゆく集落への哀悼とも言える作品なのだろう。
私が初めて根田茂川を訪れたのは2014年の秋だった。すでに川の流れは工事によりトンネル状のバイパスを潜るように切り替えられてはいたが、そのバイパスを潜って根田茂川上流に遡上したサクラマスの産卵行動を観察することができた。山々に囲まれた流域の集落に広がる黄金色の田園風景がとても美しかった。
あれから9年。サクラマスが上るためのバイパスは閉ざされ、ダムには水が湛えられた。
いた。200km川を上ってきたサクラマスだ
橋ごとに車を停めて眼下の簗川を見下ろす。簗川ダムよりも下流域なのだから、時期さえ外していなければ見ることはできるはずだ。この玉石を滑る清らかな流れに辿り着くために、サクラマスたちは東北を縦走する大河を200kmも遡上してくる。今回は、2年ぶり5度目となる来訪だ。
下流から3つ目ほどの橋の下をそっと覗くと、いた。楕円状に白く洗われた砂礫底に45cmほどのメスが一匹、体を波打たせて川底を掘っている。オスはいない。いや……よく目を凝らせば周囲には小さなヤマメがちらほらと見える。これが「サクラマスのオス」なのだ。大型のメスの下流部に広がるように複数の小さなオスが群れている。これが北上川の支流では普通の姿なのだろう。初めて見た人は驚くかもしれないが、重さにして10倍以上もあるサクラマスとヤマメは同じ魚なのである。
サクラマスはヤマメの降海型だ。ここで生まれたヤマメたちの多くはこの渓流で一生を終えるが、一部は北上川を降り、遥かな海洋へと旅に出る。東北地方を南北に縦走する北上川が海に注ぐのは、盛岡からじつに200km以上も南方の宮城県石巻である。川を降るヤマメは「銀毛」という銀色の鱗に衣替えして塩水に適応し、太平洋に泳ぎ出ると、今度は一路、北方を目指す。夏の間を冷涼なオホーツク海で過ごしたヤマメは40cmを超すほどの大型魚に成長してサクラマスと名を変える。そして翌春、彼女らは産卵のため再び北上川の水を飲む。
北上川は牡鹿半島を挟んで下流域が二分されている。北側は北上大堰を擁する追波川で、南側は旧北上川と呼ばれる元々の流路だ。いずれもサクラマス釣りの聖地とされ、毎年3~4月になると、遠近からのアングラーが集中する。私もこの川のサクラマスの魅力に取り憑かれたひとりであり、これまで運よく手にすることができた3匹は、いずれも深く心に刻まれている。
下流域で待ち構える私たち釣り人の誘いをくぐり抜けたサクラマスは、夏を通して200kmの流程を遡上しながら、各々の生まれ故郷である母川へと帰っていく。サクラマスはサケ同様、母なる川に帰る帰巣本能である「母川回帰性」が強い魚だ。おそらく簗川で生まれ育ったサクラマスの多くは、途中で疲れを感じたとしても、母なる簗川に匂いを嗅ぎ分け、流れを上っていくのだろう。
2014年、根田茂で目にしたサクラマスのジャンプ
2014年、私が初めて根田茂を訪れたのは、本州で最も長い距離を遡上するサクラマスを見てみたいと思ったからだった。ほとんど情報も持たずに車を走らせ、運よくその日にメスのサクラマスの周りに小さなヤマメが群がる根田茂川ならではの産卵行動シーンを見ることができた。だが、その夜から降り出した秋雨は翌日も続き、川を茶色く濁らせた。用意していた水中撮影は早々に諦め、それでもサクラマスがどこまで遡上するものなのかを見てみたく、当てずっぽうに車を走らせた。行き着いたのは、集落のどんつきにある人家の前を流れる幅1mほどの水路状の小川だった。50cmほどの小さな段差に行く手を阻まれ、その下流域に溜まったサクラマスが、白泡立つ濁流で虚しくジャンプを繰り返していた。2mぐらいなら垂直の滝でも越えることのできるサクラマスだが、それには「助走」を得るための深みが必要で、コンクリートを張られたフラットな川底では50cmの段差を越えることすら至難の業となる。堰堤の脇には柿だったか一本の木が立っていた。そこには日常的に使われていると思われる投網がかけられていた。
2年前の2021年は、夏に根田茂を訪れていた。すでにダムには水が張られ、上流と下流の連絡は途切れていたが、それでももしかしたら……と、少しだけ根田茂川で竿を振ってみたのだ。もちろんサクラマスの気配はなく、田んぼで会話を交わした地元のご老人は、サクラマスがもう根田茂川に戻ってこないことを知っていた。ダムができたから、もう戻ってはこないのだと。その老人は、はるばる関東からサクラマスを求めてやってきた酔狂な釣り人に気を許したのか笑顔で昔を懐かしく思い出しながらも、「もうサクラマスは戻ってこない」と何度も繰り返していた。
ダムを越えて上流へ。根田茂川に入る
しばしの間、簗川本流でサクラマスを観察した私は、車を上流へと走らせた。確か2014年には未完成だった長いトンネルの直線を抜ける。以前と変わらない根田茂の田園風景が眼前に広がった。湿り気と、カツラの甘い香り。山の紅葉はもう少し先のようで、ツタウルシだけが一足早く、朱色を目立たせている。田んぼの稲はもう半分ほどが刈り取られていた。宝石のような玉石をなめらかに滑る根田茂川の流れが美しい。一見、なにも変わらない。変わったのは、海から遡上するサクラマスがもうここにはいないこと。
ふと、かつて山村で「マス」と呼ばれていた大きな魚は、この地に暮らす人々にとってどのような存在だったのだろうと想像する。夏になると、それまで小さなイワナとヤマメだけだった田んぼ脇の渓流に突如姿を現す、大きくてたくましくてとても美味しい魚。
午後の短い時間にヤマメの産卵行動を3カ所で見ることができた。その一つでしばらくの間、パタパタと川底を掘り起こすメスに小さなオスがまとわりついている様子を観察していると、その下流側から突如、ヌッ……と大型のオスが現れた。35cmほどはあるだろうか。目を凝らす。ヤマメだとしたらかなり立派な尺超えだ。体側の炎が燃えたような色彩はパーマークのようにも見えるし、そうでないようにも思える。下流には小さなヤマメが5匹以上、いずれもが明るいベージュ色に身を染めた「スニーカー」と呼ばれる劣位のオスである。それらに比べると、ペアのオスは明らかに大きくて色も鮮やかだ。もしかすると……と私は色めき立った。
私が今回、もしかすると……と期待したのは、湛水して3年目となる簗川ダムから遡上する「湖沼型」のサクラマスがいるかもしれないということだった。根田茂川生まれのサクラマスは本来、北上川を200km降って海洋を旅するライフサイクルを繋いできた。だが、その生活史をダムに断たれたいま、川を降るものはいないのかといえば、おそらくそうではないだろう。以前と異なるのは、彼らが行き着く先が200km先の大海原ではなく、根田茂川を堰き止める簗川ダムであることだ。海の代わりにダム湖で大型化する「湖沼型」のサクラマスやサツキマスが現れることは、当連載のバックナンバーである「川と釣りと生き物の暮らしと」にも書いた。そんなダム湖育ちのサクラマスを目にすることはできないだろうかと思っていたのだ。
目の前にいる35cmほどのオスは、熱心に身を震わせメスを撫でる「求愛行動」を繰り返した。まとわりつく小型のヤマメ(劣位のオス)をそのつど追い払い、メスの掘り起こしをエスコートしつづける。ふと、メスは産卵床に腹ビレを差し込むと、口を開いて身を震わせた。オスが滑り込む。一瞬遅れて小型のヤマメも矢のように突っ込んでくる。ついにペアは白煙を巻き上げ、放卵・放精の瞬間を迎えた。産卵床に頭を突っ込み卵を漁る小さなヤマメに囲まれながら、メスは急いで上流側を掘り始め、産み落とした卵に砂礫をかぶせた。
最後まで大型のオスがダム湖育ちであるかどうかはわからなかったが、この時の私には大きなことではなかった。猛禽が空高く舞っている。マムシグサの赤い実が点々と目立つ下草を踏んで川を上がった。満たされた気持ちで薄暗くなった根田茂の里を後にした。長い県道43号のトンネルを抜け、盛岡市街のビジネスホテルに投宿した。
夜、地元の岩手放送では、遅れに遅れて報じられた中津川へのサケ遡上第一報が誤報だったと訂正されていた。5日前の10月11日に一匹のサケが泳いでいる姿が確認されていたが、それはサクラマスだったという。同日には地元のテレビ局も「長旅終え古里の川へ サケの遡上始まる」と報じていたが、これもサクラマスだったかもしれない。盛岡市街の中心を流れる中津川のサケは、街のシンボルとされている。10月中旬でサケがまだ姿を見せないのは異例の事態だそう。ならば明日は早朝から中津川を歩き、サケの姿を探してみよう。そんなプランニングを立て、床に就いた。