川と釣りと……
今回の川 岐阜県・長良川(郡上ぐじょう

「日本一の清流」とも称される長良川の上流域。大日ヶ岳に源流を発し、奥美濃山地を南流して城下町・郡上八幡で最大の支流・吉田川と合わさる。アユの友釣りやヤナをはじめ、今もなお伝統的な川漁が多く残る希少な川だ。南流しながら多くの支流を集め、木曽三川の一つとして伊勢湾に流れ込む。

郡上で培われた郡上釣りを見せてもらう

郡上漁業協同組合の白滝治郎組合長から連絡が入ったのは、長良川鉄道企画のラッピング列車「長良川わくわくたんけん号」を、自然園前駅近くの川原で待っていた時だった。すぐ目の前の川底にアジメドジョウが普通に這い回っていることに感動していると、携帯の着信音が鳴った。

「明日は朝から雨やろ。午後少しなら時間空けられるけど、どうする? なあに、3時間もあれば、なんとか形にもなるやろー」

張りのある快活な声による提案は、私の願いが通じたかのようだった。一泊二日の旅程のなかで、ぜひとも郡上のアユの友釣り、いわゆる「郡上釣り」を見せてもらいたいと事前にお願いをしていたが、あいにく予定していた明日は一日中雨模様だった。雨の中でも釣りはできるだろうが、せっかくなら天気がもっている今日のうちに、という白滝さんの心遣いがうれしかった。

午後3時から2時間ほど、白滝さんのアユ釣りを見せてもらった。白滝さんは郡上漁協の組合長であると同時に、長年、ダイワのテスターを務める友釣りと渓流釣りのエキスパート。郡上で生まれ育ち、子どもの頃から長良川のアユやアマゴと触れ合ってきた根っからの川びとだ。

郡上漁業協同組合の白滝治郎組合長。郡上市で生まれ育ち、自ら体得した伝統の郡上釣りや郡上のアマゴ釣りを後世に継ぐ役割を果たす。テレビやラジオ出演、新聞・雑誌へのコラム執筆など郡上の魅力をマルチに発信しながら、ダイワのフィールドテスターとして、アユ・渓流の商品開発にも携わる。

手際よくオトリのアユにハリをかけると、長竿を操り、流れへと泳がせていく。ナワバリ意識の強いアユは、侵入するオトリに体当たりして排除する。友釣りは、その習性を利用して、体当たりしてきたアユをオトリに散らしたハリに掛ける釣りだ。

白滝さんは、対岸のテトラに流れのあたる瀬にオトリを送って探りを入れていく。川と対峙する立ち姿に余計な力は感じない。押しの強い流れに力づくで抗するわけではない。武術に長けた達人が、摺り足でスッと分け入るような一連。竿を握る両手にも、力みは感じ取れない。この立ち振る舞いは、数十年で培われてきた技なのか、進化した道具の恩恵なのか、おそらくはその両方なのだろう。

対岸にテトラが並ぶポイントで竿を出す。少しずつ移動しながらアユの反応を探る。曇り空から溢れるように、時折、雨がサラサラと降った。
力の入っていない手元に注目。両手で支え、バランスを取りながら繊細にアユをコントロールする。まるで武術の達人のような自然体。

昭和33年生まれの白滝さんの世代ほど、友釣り道具の革新的な進化を肌で感じられた時代はないのではないか。今でこそアユ竿は9mでも200g台という軽量化を遂げたが、白滝さんが二十歳になるまで使っていた、竹製の郡上竿の重さは1kgほどあったという。

「竿が軽くなって、長くもなりましたし、より細かい釣りができるようにもなりました。あと体が楽になった。昔はアユ釣りを初めて1週間ぐらいは体が痛くて寝れんかった。筋肉痛でね。1週間ほどすると慣れてきて軽々扱ったもんやけど。昔の郡上竿って『4間竿』と言って7.2mほど(1間は約1.8m)が普通やった。これが4間半、5間になると、とてもじゃないけど重くて普通の者じゃ持てんかった。だから元竿1本は川に置いてきて、釣る時だけもう1本その場で継ぐ、なんてこともやりました」

現在のようなカーボンロッドの流通は白滝さんが25歳ぐらいになってからで、それ以前にはグラス製のアユ竿もあったというが、流れの押しが強い郡上では竿の腰(反発力)が足りず、引き抜きもしづらかったため流行らなかったという。

「強い流れがドンッとくる郡上の友釣りは『郡上釣り』と言ってね、今でこそアユ釣りのスタンダードになった引き抜きも、もともと『郡上抜き』と呼ぶ、この地域特有の手法だったようなんですよ」

郡上のアユの友釣りは、元々「友釣り発祥の地」とされる伊豆半島・狩野川の職漁師たちが大正時代に入ってきて急速に進歩したという。水量が豊富で押しの強い流れがある郡上で、友釣りは独自の進化を遂げていった。たとえば掛けたアユを強い流れの中から効率よく取り込むために、胴調子で穂先の硬い郡上竿が生まれた。腰のある郡上竿で、掛けたアユに流れの勢いを利用されずに空中に抜き上げて取り込む技として郡上抜きが生まれた。

「ほかにもオモリを付けることで流れの強い荒瀬にオトリを送り込むガンコ釣りとかね。逆に流れの緩いトロ場ではオバセ(糸のたるみ)を使ってオトリを泳がせる釣り方もある。昔から流れの変化が激しい郡上では、荒瀬とトロ場で剛と柔の二刀流ができて、初めて一人前のアユ釣り師だと言われてきました」

見事な郡上抜きを決める白滝さん。郡上の強い流れから効率よくアユを取り込む技として培われ、今ではアユ釣りのスタンダードとなった。
体高のある見事な郡上鮎。むちむちと張りのある魚体は色つやも際立っていた。
オトリを釣ったばかりのアユに取り替えると、入れ掛かりを楽しむ時間が訪れた。

最初の1匹がタモに吸い込まれ、オトリを天然のアユに交換すると、立て続けに数匹の入れ掛かりを見ることができた。白滝さんは少しずつ下流の白泡立つ荒瀬へと立ち位置を移していく。雲が流れ、時折ザッと雨も降り出した。とてもカメラを首にかけたまま追うことはできず、少し離れたところから白滝さんの釣りを見る。手前の押しの強い流れを避け、狙い定めたところに勢いよくピンポイントでアユが送り込まれる。空中を飛ぶように流れのスポットに吸い込まれていくアユは、大きく竿が曲がると2匹になって、空中を飛んで白滝さんの手元へと戻る。そんな手品のような捌きを楽しんでいると、白滝さんが勢い下流に向って走り出した。

竿先が水面に絞り込まれ、竿を立てることすらままならない。急ぎ、私も川原を走って追った。どのぐらい走ったか。最後はプツッと緊張が解けた。かなりの大物だった。それまで熟練の所作で釣技を淡々と披露してくれていた達人の見せた悔しそうな笑顔に、私は今一度、郡上のアユ釣りの魅力を垣間見た気になった。

「僕らが中学・高校の頃はね、アユ釣りが上手いというのは、ひとつのステータスやったんですよ。学校でも有名人になれるぐらい。当時モテたのは、スポーツができるか、アユ釣りが上手いか(笑)。郡上はそんな時代があったほどの土地柄です。夕涼みしながら歩くと、橋のたもとではたいていアユ釣りの話になるぐらい、アユ釣りが根付いた土地なんですよね」

かなりの大物に耐える。だが直後、白泡立つ急流に走られあえなくブレイク。悔しそうな表情が印象的だった。
薄暗くなるまでの2時間ほどで、10匹のアユを釣り上げた。

実質、釣りをしていたのは2時間ほどだが、白滝さんは10匹のアユを釣り上げた。薄暗くなった帰り際、川辺にしゃがみ込んで作業している男性に白滝さんが声を掛ける。同級生で古くからの友人だという。漁に従事している最中だった。

男性が行っていたのは「登り筌(のぼりうえ)」。春から初秋にかけて、川底を遡上するチチコ(ヨシノボリ類)を、金網でできた筒型の筌で捕らえる川漁だ。水際の浅瀬に石を積んだり板を立てて流れを調整し、下流から遡上するチチコを筌に誘導する。当連載で過去に紹介した新潟県・山北のコド漁や、長野県・千曲川のつけば漁を思い出す。日ごとに変わる水位に応じて石組みや板の高さを変える必要のある、地道かつ知能的な漁だ。今の時期は漁も終盤で、チチコの数は少なく産卵後の痩せた魚も目立ったが、時期によっては1日に1kgを超える漁獲もあり、そうなるとなかなか良い身入りにもなるという。

「がんばってなー。(この漁は)お前がつないでいかんとなー」と白滝さん。

しばしの間、歓談を交わし、笑顔で別れた。

登り筌のメンテナンスをする大坪昌治さん。川を堰き止めて、その一部に鉄網性の筌を仕掛ける。流れを調整して上流へ移動するチチコ(ヨシノボリ類)を誘導して漁獲する長良川の伝統的川漁。
一抱えほどある鉄網性の筌。多い時には一度に1kgもの漁獲があるという。
チチコ。カワヨシノボリだろうか。サイズこそ大きかったが、卵をはたいた後のようで、腹は細く凹んでいた。
チチコの登り筌をしていた大坪さんは、白滝さんの同級生。現在、郡上漁協では、延べ800件ほどの許可漁業登録があり、次世代にさまざまな川漁が受け継がれている。

長良川の上流部を管轄する郡上漁協には、今も約5,000人の組合員がいて、全国でも最大規模を誇る。そのなかで許可漁業の登録数は延べ件数で800ほど。代表的な友釣りをはじめ、長良川全体でも郡上に4カ所だけ残るヤナ漁、夜に網を打つ夜網漁や日中の刺し網漁など、アユを対象とする川漁は多い。ほかにも上流域のアマゴ釣り、それに先ほど紹介した登り筌やアジメドジョウを専門に筌で狙うアジメ筌(あじめせん)など、瀬の流れを分けて魚を誘導する「滝分(たきわけ)」という種類の漁も人気だ。漁に用いる川船も、郡上市内だけで50艘以上はあるという。郡上は、今も生業としてつながりを持つ人の多い全国でも稀有な川なのである。

郡上鮎のブランド価値を高める共同出荷

翌朝は、郡上漁協がシーズン中は毎日のように行っているアユの共同出荷作業を見学させてもらった。共同出荷とは、郡上漁協の管轄区域で友釣りで釣ったアユを漁協で集め、全国でも名高いブランドの「郡上鮎」に商品化して出荷する作業。夏場には夕方になると漁協の前にずらりとアユを持ち込む車が並ぶという。

「出荷登録する方だけで2500人ほど。今年もこれまで600人ほどの方が出荷されています」と教えてくれたのは、共同出荷の重要ポジションである「仕分け」を担当する村瀬和典さん。豊洲などの市場のほか、全国の認定店に向け、毎日のように箱詰めした郡上鮎を出荷する、郡上漁協のリーダー的な存在だ。シーズンを通して約7トンほどの出荷作業を行うというが、それでも郡上漁協管轄内の全漁獲量の3~4%と試算されている。郡上では、それだけたくさんのアユが釣られているというわけだ。

「郡上鮎には定義がありまして、郡上市内の長良川水系で、友釣りで釣ったアユとされています」と村瀬さん。

この条件を満たせば郡上鮎と呼ぶことができる。さらに漁協の共同出荷では、集まったアユを実に10g刻みで仕分けして、大きさを揃えて桐箱に詰め、ラベルを付けて出荷している。手間をかけたことによる付加価値を求める顧客は年々増加をたどり、需要の高まりとともに、郡上鮎のブランドは全国的にも確固たるものとなっていった。

「例えば一人が30匹のアユを釣ってきて、どこかに売ろうとしても大きさも鮮度もバラバラでは利用の仕方は限られますよね。10人、100人のアユをまとめて大きさ別、鮮度別に分けて出荷することで、大きなアユも小さなアユも、ニーズを生み出します」

漁業者が漁協にある生鮎取扱所に持ち込んだアユは、翌日の午前中に、サイズ別に箱詰めされて出荷される。

作業の速さと冷たさが郡上鮎の品質を保つ

ここで少し、共同出荷作業の手順をたどってみよう。作業は池揚げ、締め、自動選別、選別、箱詰めと続き、その先は用途に応じて冷凍や荷造りを行う。池揚げとは、前日に持ち込まれたアユを槽から水揚げする作業。安定した地下水で1日泳がせることで、余分なフンを出したアユが水から揚げられる。締めとはアユを無駄に暴れさせないために氷締めする作業。

自動選別は、小さなベルトコンベアのような選別機器で、アユを10g単位の重量別にトレーに選別する作業だ。分銅を出し入れして重さを定めると、その場所に至ったところでアユを乗せた皿が傾き、アユは氷を敷いたトレーに次々と滑り込んでいく。重さ別に分けたアユを、今度は大きな作業シンクに移し、最後は手作業で一箱1kgとなるように選別されていく。状態の良くないアユや、混入する養殖のオトリアユは、この作業ではじかれる。ブランドとしての高い品質を保つ重要なアンカーは、十分な技量を持つ者しか担えない。ゴム手袋をしているとはいえ、手は常に大量の氷の中にある。冷たくないのか?と聞くと、村瀬さんは「冷たいです」と笑いながらもこう言った。

「基本的にアユの共同出荷は暑い季節の作業ですから。なによりもアユの状態を悪くしないために、この冷たさとスピードが大切なんです」

選別された郡上鮎は、スチロール箱に揃えて並べられ、漁協経由の証であるラベルが乗せられる。そこには郡上漁協が2022年に取得したMEL(マリン・エコラベル・ジャパン)認証」の印も記されている。MELとは、水産資源や生態系などの環境にやさしい方法で行われている漁業や養殖業を認証する国際的な仕組みで、淡水魚の漁業では郡上漁協が全国初の認証を受けた。

一定時間地下水で泳がせてフンを出したアユを絞めるために槽から取り出す「池揚げ」。
回転寿司のように回る自動仕分け機の皿にアユを乗せると、自動的に重さ別に仕分けされる。
セットした分銅の重さよりも重いアユだけが皿から滑り落ちていく仕組み。
同じ重さのアユがトレーに収まっていく。写真は大型の110gと100g。
最終的な選別を行う村瀬和典さん。あらゆることを白滝組合長に叩き込まれた郡上漁協の次世代リーダー。「選別は俺よりも上やわ」と組合長が満足そうに太鼓判を押す。

もともとのアユの美味しさと、良質な河川環境あってこそ

前編の冒頭にも書いたように、郡上鮎を含む長良川のアユは「清流長良川の鮎」として、世界で唯一、川魚として世界農業遺産に登録されている。評価されたのは、流域の人々の暮らしの中で清流が保たれ、その清流で育ったアユが地域の経済・歴史・食文化などと深く結びつく、その循環システムだ。

それ以前に郡上のアユは、全国のアユを持ち寄り美味しさナンバーワンを決める「清流めぐり利き鮎会」で、平成20年のグランプリに輝いている。アユの味は川の石に付着する良質なコケ(珪藻)が決め手と言われ、その元を辿れば清浄な水と栄養とのバランスなのだろう。郡上のアユは美味いからこそ、多くの人に好まれてきた。歴史も文化も含め、これほどまでに価値ある魚となったのは、なによりもベースとなる川の地力あってこそ。もともとのアユの美味しさと、美味しいアユを育む良質な河川環境あってのことなのだ。

全国的に有名な河口堰が長良川本流の完全なる連続性を損ねて久しい今もなお、上流の郡上には、海から多くの天然アユが遡上してくる。漁業権にも絡む増殖義務を果たすために放流も行っているが、種苗の大部分は長良川に遡上したアユを親とするF1(継代第1代)とし、天然遡上アユを増やすことを目的とした放流であるという。なによりも大切にすべきは自然サイクルの持続的な循環であることを共有し、実現のための努力を積み重ねる。そんな郡上漁協の取り組みは、アユのみならず、長良川に棲む魚と人との関係を守るための取り組みなのだろう。数カ月前には郡上漁協の管轄内の支流でスモールマウスバスが確認されたことが全国的なニュースとなった。川に繋がる池への何者かによる密放流が原因とされたが、白滝組合長はこの密放流を「環境テロ」と強い言葉で断罪し、この地域におけるスモールマウスバスを根絶する覚悟を語っている。

サイズを揃えられ箱に納められた大型の郡上アユ。郡上漁協は国際水準の水産エコラベルである「MEL(マリン・エコラベル・ジャパン)認証」を取得している。水産資源や生態系などの環境にやさしい方法で行われている漁業を認証する仕組みで、淡水魚の漁業では全国初となる。

魚を守るために漁協が木を植える

郡上漁協は平成22年(2010年)より、長良川源流域に広葉樹の植樹活動を行っている。

「全国、あるいは岐阜県下の漁協が『魚を守る』という観点で植樹を始めたら、日本の川はものすごく変わると思うんです。古くは北海道・厚岸の牡蠣養殖業者が豊かな水を森から流すために植樹活動を行っていますが、川の魚を守るためにやっているところは少ないんじゃないかな。良い水を育む原点は山ですから。山を守っていかんことには、川に良い水が流れてこんし、海へも良い水は注がんと思います。郡上には水舟という文化がありまして、水路の上流から流れてきた水を生活に利用しながら、少しでもきれいな水を川下に流す精神が息づいています。これは漁協だけの話でも、釣り人や漁師だけの話でもなく、地域の人みんなで考えるべき話やと思います。この川に今もこれだけの天然アユが上ってくるのは、昔から地域の人がきれいな川を求めてきた結果。昭和初期に全国の多くの川がダメになった時、そうならなかったのは、川や水に対する人の関心が高かったからやと思います」

これからの長良川について熱く語る白滝組合長。手元にあるのは竹製の郡上竿。

最後に白滝組合長が今、最も大切にしていることを聞くと、次のような答えが返ってきた。

「後世に繋ぐための人材育成です。漁協の後継者も育てることも、釣り人を増やすことも含めて、今あることをしっかりと後世に伝えていくことが大切だと思います。釣りの技術も伝統漁法もしっかりと残す。そのためには生産力のある川を残すことも大事です。後継者となる人材育成、これに尽きるんじゃないかと思っています」

白滝さんと別れてから、今少し郡上八幡の町を歩いた。くぐもる音を聞きながら、小さな側溝を勢いよく流れる水の行方をたどると、吉田川に出た。そこにはアユを釣る人がいて、その横の道を歩く人がいた。声をかければすぐ届きそうなほど、人の暮らしのそばに川があった。

郡上八幡の町中を通る用水路「いがわ小径」。家屋のすぐ裏を流れ、色鯉や小魚が泳いでいた。
「いがわ小径」の最下流で、暮らしの水は溢れ出すように吉田川へと注ぐ。
吉田川には、アユ釣りと隣り合わせの日常がある。