川と釣りと……
今回の川 岐阜県・長良川(郡上ぐじょう

「日本一の清流」とも称される長良川の上流域。大日ヶ岳に源流を発し、奥美濃山地を南流して城下町・郡上八幡で最大の支流・吉田川と合わさる。アユの友釣りやヤナをはじめ、今もなお伝統的な川漁が多く残る希少な川だ。南流しながら多くの支流を集め、木曽三川の一つとして伊勢湾に流れ込む。

郡上鮎は水を大切にする地域の誇り

2015年、「清流長良川の鮎」が世界農業遺産に認定された。世界農業遺産とは、世界的に重要な伝統的農業・水産業を営む地域を、FAO(国際連合食糧農業機関)が認定する国際的な認定制度。流域の人々の暮らしの中で清流が保たれ、その清流で育ったアユが地域の経済・歴史・食文化などと深く結びついた、この稀有な循環システムが評価され、川魚を利用する地域としては、世界初にして唯一の認定を得た。

なかでも郡上と呼ばれる長良川上流域の「郡上鮎」は、全国の友釣りファンが憧れる聖地のアユとして、また美食家の舌を満足させるブランドアユとして、古くからその名を全国に轟かせてきた。郡上ではその昔、1日に20尾から30尾もアユを釣れば商売になったという。役場のひと月の給料を1日のアユ釣りで稼いだ、なんて逸話もあるのだから驚きだ。郡上のアユは、はるか昔からその価値を認められてきた魚なのである。

今回、郡上に初めて足を運んだ私は、一見してその太い流れに逞しさを感じた。強いうねりの中に透明感のあるブルー、深いグリーン、若草色など、同系色をいくつも混ぜた深みのある色合いが次々と現れては白い飛沫とないまぜになり、時に激しく、時に滔々と流れゆく。目にしただけなのに、くぐもる瀬泡の音が腹の底に響くような生命感を受け取った。

同時に流域の町風景には「暮らしが川に近い」という印象を抱いた。長良川と支流・吉田川とともにある城下町の「水風景」は、なぜか私に温かい懐かしさを感じさせた。

長良川の上流、郡上の風景。シーズンになると多くのアユ釣り師が長竿を立てる。押しの強い流れに磨かれた「郡上鮎」は釣り人の憧れであり、食通垂涎の逸品。
長良川最大の支流・吉田川。郡上八幡の町中を東西に流れる川沿いには、背後に山を抱いた家々が並ぶ。

郡上市の中心をなす郡上八幡は、江戸時代の永禄2年(1559年)に築かれた郡上八幡城の城下町。江戸と大正の年代に起こった大火の歴史を受け、町中には防火用水の水路網が巡らされている。山水や湧水を利用した防火用水は、生活用水ともされてきた。その名残は今でも町の至るところで見ることができる。なかでも有名なのは、水路から家の敷地内に水を引いた「水舟」と呼ばれる段々式の木製水槽だ。最上段の槽は飲料水、次段の槽は食器洗いなど、用途に応じて使い分けられ、食べものの残りは下の池で飼われているコイや川魚が食べ、生活に用いられながらも自然に浄化された水が川に注ぎ込む。川上に住む者は川下の者を思ってできるだけきれいな水を流し、川下の者は川上の気遣いに感謝して流れてきた水を使う。このような暮らしを重ね、代々この地域には、水を大切にする心が育まれてきたという。そして、暮らしの水も合わさった吉田川や長良川に息づいてきたのが、地域の誇りである郡上鮎、というわけだ。

木製の板で作られた水舟。写真は観光用だが、同様のものが今もなお個人の家の敷地内に残る。上段では飲料水や野菜を洗い、下の段では食べ終わった食器を洗うなど、用途を変えながら用い、最後はできるだけきれいな状態で下流へと流す。このような暮らしが「水を大切にする」地域の人々の心を育んだ。
新町通は郡上八幡駅から郡上八幡城に向かう商店街通り。そのアーチには、郡上のアユとともに郡上踊りを舞う人々の姿が掲げられていた。

長良川鉄道の車窓から長良川を見る

翌朝未明、郡上八幡から20kmほど北上し、まだ人気のない美濃白鳥駅に着いた。長良川と並走するローカル線・長良川鉄道に乗るためだ。ヘッドライトを灯した一両の始発列車が駅前の車庫から出庫すると折り返し、朝靄に包まれながらホームに入る。垂れ込めた雨雲の空が映り込む車両は「We LOVE 長良川」とラッピングされている。5時50分発、美濃太田行きの始発に乗り込むと、乗客は私のほか、年配の方がもう一人だけ。ワンマン運行なのだろう。運転手が乗り込み一通りの安全確認を済ませると、列車はピッと短く鋭い汽笛を鳴らし、駅を離れた。列車はモーターの唸りを上げながら低速ギアでぐんぐんと速度を増していく。思いのほか速い。視界が広がると眼下に、まだほの暗い長良川の流れが現れた。

早朝の美濃白鳥駅で朝靄に包まれ定刻を待つ始発列車。一両のワンマン運行。
季節は9月下旬、収穫した稲を干す稲架掛け(はさがけ)が見られた。
川は釣り竿を伸ばせば届きそうなほど近い。鉄道を利用する学生は、毎朝この風景を見ながら通学している。

意外だったのは、ポツポツと学生が乗り込んできたことだ。てっきり観光用列車の気分でくつろいでいたのだが、通学に利用する中学生や高校生が駅ごとに乗り込み、郡上八幡駅の手前でいっぱいになってしまった。耳にイヤホンをさして目をつぶる男子生徒。参考書を黙々と手繰る女子生徒。そして吊り革を握りながら友人と話を交わす姿。目前には郡上の流れ。彼らにとって、川とともにある暮らしは日常そのものなのだ。

郡上八幡を過ぎると山あいが広がり、車窓には川沿いの畑や黄金色に染まった田んぼ、時に牛舎など里山の風景が流れる。何度目かの鉄道橋を渡ると、列車は八坂駅に着いた。小さな小さな無人駅。降りるのは私ひとり。「ここでいいんですか?」と車掌に確かめられながら、降りた。駅を出る列車を見送ると、しんとした朝の空気に包まれた。

八坂駅。田園風景にプレハブ作りの駅舎がポツンとたたずむ。
駅には「日本まん真ん中の駅」との看板が建てられていた。1992年に当駅の東北東約650mの位置が日本人口重心の地(すべての人が同じ重さと考えた時に日本の人口を1点で支えて平衡を保つことのできる点)となったことから。現在、人口重心の地はさらに南東へ移動している。
どのような意図があるのだろう。大量の瓦で畑のシートが抑えられていた。
駅の近くにある八坂神社の奥に鎮座していた木製の狛犬。一度見たら忘れられない顔立ち。
長良川に架かる鉄道橋を、一つ上流側の橋から撮影。

川は少しにごっていた。郡上八幡よりも上流ではもう少し澄んでいたから、吉田川のにごりが入ったのかもしれない。天候は不順で、明日は朝から雨の予報が出ていた。鉄道橋を走る列車を頭に思い浮かべながら、アングルを定める。いわゆる撮り鉄のロケハンだ。2時間後にラッピングを施したお目当ての列車がここを通るのだ。

折り返し、美濃白鳥駅に向かう列車を待って、乗り込むと、やはりたくさんの学生の姿があった。車窓の長良川には早くも竿を出すアユ釣り師の姿。子どもの頃から日常的にアユ釣りを見る暮らしは、どのような心象風景を育むのだろう。

八坂駅に入る下り列車。通学の学生たちが多く乗車していた。
美濃白鳥駅に戻る車窓からは早くも鮎釣り師の姿が見られた。

「長良川わくわくたんけん号」が魚たちとともに川を疾駆する

9時39分、ほぼ定刻通りに八坂駅そばの鉄道橋に姿を現した列車は、思っていたよりも小さかった。焦りながらズームして、数枚シャッターを切ると、すぐに通り過ぎてしまった。長良川に架かる鉄道橋を疾駆するスカイブルーの小さなラッピング列車は抜群の存在感を放っていた。なぜだか私は誇らしさに似た気持ちを抱いていた。

この列車、「長良川わくわくたんけん号」は、長良川鉄道が2023年にクラウドファンディングを活用して企画したラッピング列車だ。コンセプトは「列車で水中探検!? 長良川の生きもの列車を作ろう!」というもの。川好きの私にとっては実に魅力的な企画であると同時に、その絵を描かれるのが、兼ねてから魅力的な水際世界の表現に魅せられていたイラストレーターの安斉 俊さんとあって、私もクラウドファンディングに参加していたのだ。

できたら乗車してみたいとも思ったが、この日はあいにく一部メディア取材のための貸切日。ならば川沿いを走る姿を観てみたいと、事前に駅員さんにいただいていた時刻表を凝視しながら、カメラを構えて出待ちしていたのだった。

2時間前にロケハンしていた八坂駅近くの鉄道橋を渡る「長良川わくわくたんけん号」。長良川と一体になったリバーブルーの車体には、たくさんの川の生きものが描かれている。
郡上八幡駅で停車する間に先回りして自然園前駅近くの川からも撮影。長良川を小さな一両が元気いっぱい走り抜けた。

取材運行を終えた「長良川わくわくたんけん号」は、終点の北濃駅から折り返し、車庫のある美濃白鳥駅に戻ってきた。そのタイミングでようやく間近にラッピングを見ることができた。前面には躍動感あふれるアユの姿が描かれ、サツキマスやウナギ、ナマズ、テナガエビ、オイカワ、ニゴイなどなど、長良川の魚が次々と現れる。水面上にはこれらの魚を釣る人や投網を打つ人、さらに川に飛び込む子どもたちの姿も。青い空にはサツキマスをつかむミサゴや落ちアユをつかむトビ、石の下にはモクズガニまで、長良川に関わる生きものが実に生き生きと、一体となって描かれている。

「長良川わくわくたんけん号」。安斉俊さんの描く長良川の生きものが全面にラッピングされている。前面には長良川を代表するアユ、片方の側面には中流域、もう片方には上流域の風景が描かれている。当日は中流域の面しか見ることができなかった。
川底を這うナマズ、カワヒガイ、テナガエビ。
アユと並び長良川のシンボルであるサツキマスも堂々と泳ぐ。上方には鮎釣り師の姿も。
ウグイ、オイカワ、カワムツ、アブラハヤ、スナヤツメにニゴイ。中下流域で行われている伝統漁の鵜飼も。
コケを食むアユ、川底の石に集まるアジメドジョウやカマツカ、ヨシノボリの姿も。そして川に飛び込む元気な「川ガキ」もいる。

後日、絵を描いた安斉 俊さんに、この絵に込めた想いを聞いた。埼玉県出身で現在は北海道在住の安斉さんが、長良川鉄道から「長良川わくわくたんけん号」の絵を依頼されたのは、長良川で川漁師をしている友人が以前販売していた焼魚醤油があり、そのパッケージに描いたアユやイカダバエ(オイカワ)の絵を、長良川鉄道の魚好き職員が見たのがきっかけ。

「なによりも川で子どもがわくわくするような電車にしたいというコンセプトがありました。そして地元の方々に長良川をもっと知ってもらい、いつまでも川を守りたいという気持ちを持ってもらえるような電車にしたいと思いながら描かせていただきました。長良川って、人との繋がりが強い川だと思うんです。アユの友釣りや鵜飼にはじまり、川に飛び込んで遊ぶ子どもの姿もそう。そんな絵を見て、地元の方々に喜んでもらえたらうれしいです」

「上流面」の後ろ側には渓流魚とそれを狙う釣り人の姿も。石の陰にはアカザやカジカ。イワナはこの水系に昔から息づく「ヤマトイワナ」であることも安斉さんのこだわり。(写真:長良川鉄道株式会社)
当日見ることのできなかった「長良川わくわくたんけん号」の「上流面」。オオサンショウウオや婚姻色に染まったサツキマス、アマゴ、カワガラスなど、川の上流域に生息する生きものが描かれている。(写真:長良川鉄道株式会社)

安斉さんの描く絵には、魚も鳥も人も皆楽しげで、同じ世界の生きものなんだという一体感がある。そう伝えると、「人と野生動物の理(ことわり)は違うので互いの介入には限りがありますが、隣り合ってはいるんですよね」とのこと。絵に込められた人と自然の適度な距離に、改めて安斉さんの描く絵の魅力を感じた。

釣り人がこの絵を見たらどう思うだろう。アユやサツキマス、イワナやオイカワ、ニゴイなど、おなじみの魚もたくさん描かれている一方、知らない生きものも多いのではないだろうか。

「釣りや漁の対象になっていないものも含めて、長良川の水の中には、こんなにたくさんの生きものがいるということも知って欲しかったんです。あと、知っている人はフフッとなるような絵も描きたいと思って、イワナはこの川に棲むヤマトイワナにしたり、中流域ではアブラハヤ、上流域ではタカハヤと描き分けたりもしています。アユも夏場の姿だけではなく、落ちアユも描いてみたかったので、秋にヤナ場で狩りをするトビがつかんでいるシーンを入れてみたり。植物もカエデや杉など流域の『市の木』を描いたり、川の石も赤いチャートなど長良川で見られる石にこだわって描きました。本来、このような絵は、細やかな自然の移ろいをよく知る地元の方が描いたほうがいいことも多いのですが、逆に地元の人が気づいていない魅力もあると思います。今回は外の者である私が長良川に感じている魅力、すごさや羨ましさを存分に描いてみたいと思いました」

郡上八幡やなで、季節の異なるアユを食べ比べ

昼食は「郡上八幡やな」でアユを食べた。ヤナ(簗)とは、秋になって産卵のために川を下るアユ、いわゆる「落ちアユ」を狙う漁の一種。川の一部に竹で作ったすのこ状のヤナを水面に斜めに差し込むように設け、落ちてくるアユがそこに引っかかる仕掛けになっている。「郡上八幡やな」は、ヤナにかかったピチピチと跳ねるアユを手づかみにする漁体験とアユ料理をセットで楽しむことができる観光ヤナで、夏から秋にかけて長良川の風物詩となっている。最盛期は10月下旬だから、まだひと月も早いが、滑りそうな竹のすのこの上を怖々歩いて白い波飛沫の立つ水面に近づいてみた。やはりアユの姿はない。流れ着いたオニグルミの実ばかりが、たくさん引っかかっていた。

ヤナ場に降りての見学や、塩焼きなど天然アユ料理を楽しめる郡上八幡やな。
ヤナに降りると白泡立てる川の力強い流れを体感することができる。タイミングが良ければ竹のすのこに躍り出るアユの姿を見ることもできる。
上流から見たヤナ。シーズンが終わるとすべて取り壊し、漁期の前にまた一から作り直すというから大変だ。
座敷でゆったり長良川を見ながら食事をとることができる。
アユ料理のほか、屋外ではバーベキューも楽しめる。

夏場の若アユと、成熟した秋の落ちアユを塩焼きで食べ比べることのできるコースをいただくことに。まずは夏の若アユをがぶり。その瞬間、夏の香りがふわっと鼻腔に広がる。アユはワカサギなどとともに「キュウリウオ科」に属する魚で、キュウリに似た香りを放つ。さらにがぶりと頬張ると、苦味の効いたワタ(内臓)が舌に広がった。たまらない夏の味わいだ。

続けて昨秋漁獲して熟成させた落ちアユにかぶりつく。若アユよりも皮も身もしっかりと張りがあり、その腹にはプチプチとした卵をたっぷりと蓄えていた。香りは薄いが、代わりに皮目の香ばしさと卵の歯ごたえがうれしい。

さらには、味が身と卵にしっかりと染みて固く締まった甘露煮。そしてフライを頭から1匹丸ごとバリバリとかじり、最後はさっぱりしながらも旨味の凝縮したアユ茶漬けをさらさらと喉に流し込んだ。柚子のゼリーで口直し。清流のせせらぎを聞きながら、長良川の幸を存分に堪能することができた。

若アユと落ちアユの塩焼き食べ比べ定食。2種類の塩焼きに加え、甘露煮とフライも合わせ、丸々4匹のアユに加え、爽やかなアユの香りが漂うさっぱりとしたお茶漬けも。デザートはツルッとした冷たい食感がたまらない柚子ゼリー。