国の史跡名勝天然記念物である歌才ブナ林(自生北限地帯)をはじめ、面積の約8割が森に包まれた北海道西部の黒松内町。その森で多くの支流を集めて北流し、「風のまち」寿都町で日本海の寿都湾へと流れ出る、自然豊かな中規模河川。アユの北限としても知られ、管轄する朱太川漁業協同組合は、2013年より放流をやめ、産卵場造成作業による天然遡上アユの増殖に努める。本流にダムや堰堤を持たない連続性の保たれた流域にはアユのほか、サケやサクラマス(ヤマメ)、ヤツメウナギなど、海と川を行き来する回遊魚が生息する。
明るいブナの森を歩く
翌朝早く、朝食前に少し近くを散歩しようと宿を出ると、真っ白な霜が降りていた。鼻がツンとする。吐く息も白い。一夜をまたぎ、また一段と季節が進んだようだ。近くを流れる添別川を少しだけ歩いてみた。サケはここまでは上がってこないかもしれないが、もしかするとサクラマスが上ってきているかもしれない。だが、もやの立ち込める森の中の薄暗い流れを歩いてすぐに、静けさと濃厚な野生の気配におじけつく。ここは北海道、やはりヒグマが怖い。一度そう思うと、いてもたってもいられなくなり、足早に宿へ戻った。
この日はまず、添別ブナ林に向かった。樹齢200年のブナが残る原生の歌才ブナ林にも惹かれたが、添別川沿いの宿にお世話になったことに縁を感じ、添別川上流の添別ブナ林を歩いてみたいと思った。歌才ブナ林とは異なり、添別ブナ林は地域の人が活用しながら守ってきた「暮らしの森」だ。ブナは90年ほど前に一度伐採されたあと、自然再生して二次林となっている。約2kmの散策コースを選び、足を踏み入れた。
静かな朝の明るいブナ林をひとり歩く。この森を歩けば、自然にはヒーリング効果があることを誰もが信じることだろう。名も知らない小さな鳥の鳴き声に包まれる。あとは時折、小枝か何かが地面にコツッと落ちる音ばかり。とにかく空気が美味しい。どこまでも癒される朝のひと時。
それでも陽射しの加減で森が少しでも暗くなると、すぐにソワソワと落ち着かなくなってしまう。試しに「キョッ!」と、エゾシカの警戒した声を真似て自分の存在を森に知らせてみる。森に、というよりも、そこに暮らすヒグマに向けて。
森を歩いていると、ササとともに、たくさんのブナとミズナラの実生が茂っていることに気づいた。普段、私が渓流釣りで歩いている関東地方の森は、かなりの下草をシカに食べられ、土壌が剥き出しになっているところが多い。次世代の森を作る若い木がこれだけ元気な姿を、私はこれまで見たことがなかった。
一度地面に意識が向くと、折り重なる枯れ葉にも目が行く。果たしてこの落葉は今年のものなのだろうか。それとも昨年のもの? 地面に落ちた葉はどれも等しく土に還っていくように思えるが、実は樹種によってその速度には随分と違いがある。構造のしっかりしたブナの葉は分解速度が遅く、そのためいつまでも残った落葉が地面にミルフィーユのように折り重なるという。ブナの森が保水に優れるのは、落葉の層がスポンジのように雨水を蓄えるためだ。森でゆっくりと濾過された水は、少しずつ染み出して小さく細い流れを作る。これがいくつも集まり、清らかな流れとなっていく。
ブナの木に近づき、滑らかな樹皮に触れてみた。思いのほかひんやりと冷たい。なぜ触ってみようと思ったのか。それは前夜、宿のご主人から聞いた話を思い出していたからだ。アユ釣りで黒松内に来る人もいれば、ブナを観に来る人もいる。なかにはブナの樹皮に触りたくて遠くから黒松内に来る人もいるという。
「ブナに触ると安心するって言うんだよね。そんな人もいます」
こんな、ご主人の言葉を思い出しながらブナを触る。その気持ちはよくわかる。ブナは人を安心させる木だ。
ブナの木はまた、模様がとてもユニークだ。艶やかな樹皮には丸い斑紋のような模様が浮いている。コケのようにも見えるが、これは地衣類と呼ばれるコケとは別の生き物で、藻類と共生することで自活できるようになった菌類の仲間なのだそうだ。よくみるとライトモスグリーンの地衣類が張り付いているところ、黒く変色したところ、剥がれたような痕もあり、それらが独特なモザイク模様を作っている。「ブナ色」としか言い表せないような、味わいの深い色模様なのである。
そして誰が最初にそう呼んだのか、サケの婚姻色もまた「ブナ」または「ブナ毛」と呼ばれる。前述のように海洋生活期のサケは、銀白色に輝く体を持っている。それが川に入り、産卵に至る過程で少しずつ体色が変化して、まるでブナの樹皮のようなブナ毛へと染められていくのだ。一般的に、ブナ毛が進むと身の脂が抜けて食味は落ちると言われている。だがサケにとっては、次世代に命を繋ぐ、まさに一生のクライマックスに向けて飾られる舞台衣装であり、死化粧なのである。
瀬に横たわる大きなオスのサケ
添別ブナ林を出た私は、あてもなくサケの姿を探していた。サケの自然産卵が見たかった。だがここまでの2日間、それらしきものを見たのは朱太川本流にかかる橋の上から見つけたオス・メスのペアが一つと、とある支流に仕掛けられたウライの上流でオス同士が追いかけっこをする姿ぐらいだ。いずれも十分に観察できる条件ではなく、半ば諦めて最後に歌才のブナ林を見てから空港に向けて車を走らせようと考えた。もしかするとサケの産卵には時期が少し早かったのかもしれない。そんな考えに傾いていたから、橋の上からその姿を見た時も、すぐにはサケであると判別できなかった。
浅い流れに横たわるサケは、驚くほど大きく立派だった。おそらくはメスを巡るオス同士の争いも有利に進めていたことだろう。そんな風格があった。見開いた目は、このサケがすでに絶命していることを物語っていたが、そうとは思えない生命感を全身から放っていた。つい先日までは、尻尾をつかもうにもつかめないぐらいのパワーをその内に秘めていたはずだ。そんな魚が自らの役割を終えれば、あまりにも潔くその生を閉じてしまう。改めておごそかなる自然の摂理に打たれている自分がいた。
この一匹との出会いにすっかり満足してしまった私は、川を離れると車を走らせた。最後にいくつか目星をつけていた一つのごく小さな支流だけ覗いてみよう。そこだけ覗いたら、この地を離れよう。
小さな支流にサケの音を聞いた
車を停めてドアを開けると、大きなアオサギが「ギャーッ」とひと啼きし、大きな翼で風をつかむと、ふわりと飛び去った。川幅3mほどのごく細いその支流は舗装道のすぐそばを流れていたが、木々に覆われトンネルのようになっている。
藪を漕ぎ、木の間に顔を突っ込みトンネルを覗くと、遠くで水面が波立った。……いる! しばらくの間、身を固くして待つ。すると遠くから「ドドドドド……」と低い音が聞こえてきた。息が止まるほどの興奮を抑えつつ、さらに動かずに待つ。すると遠くから近くから「ドドドドド……」「ドドドドド……」と、川底を叩く確かなドラミングに包まれた。近くの音に目を向けると、いた。サケだ。川底のドラミングとは、サケのメスが横たえた体を波打たせ、川底の砂礫を掘り起こしている音なのだ。
川には多くのサケがいた。今にも卵を産み落としそうなメスを中心に、複数のオスが争うサークルが3~4カ所できている。あるメスのかたわらには1匹の大きなオスがついていた。そのオスの体には燃え上がる炎のような、赤紫色の鮮やかなアザが浮かび上がっていた。流れの下にはやや小型のオスが1~2匹ぶら下がるようについている。
メスを独り占めしようとする優位なオスは、常に近づいてくる他のオスに噛み付いたり突進したりして追い払おうとする。この時、お互いの力が拮抗すればするほど、争いは激しさを増していくという。長谷川さんの研究にもあるように、このためのエネルギーを残さずして、自然下で子孫を残すことは難しいに違いない。
なかにはメスにそっくりの黒く太い縦帯を持つオスもいる。これは「スニーカー」と呼ばれ、模様はメスへの擬態と言われている。メスに自らを似せることで、近くにいながら優位なオスからの攻撃をかわす。そして、いざメスが卵を産み落とそうとする瞬間に、雌雄のペアの間に矢のように滑り込み、精子を放つのだ。スニーカーは英語でsneaker。sneakには「こそこそ近づく」という意味があり、sneakerは「間男」などと訳されることもある。
丸々3時間も産卵行動観察を堪能した私は、こわばった腰を伸ばした。体が冷え切っている。飛行機の時間には間に合うだろうか。だが、数分前からメスの動きが明らかに変わったことに気づいていた私は、その場を離れることができなかった。
砂礫を掘り起こすたびに、盛んに尻ビレを凹みに差し込み、居住まいを正しているようにも見える。そしてスーッとオスが横に並ぶと、その時がきた。スニーカーが突っ込んでくる。そして3匹が同時に口を開けると、体を震わせ産卵に至った。
木々のトンネルから出ると、冷え込みが増していた。朱太川に別れを告げる。
北限のブナの森から出ずる水を集める朱太川は、今の時代には珍しく豊かな自然を残した川だった。多くの魚がその流れを行き来する。サケ、サクラマス、そして北限のアユ。そして自然産卵ーー。人が暮らし始めるよりも遥か昔から連綿と続いてきた自然の営みの一端を見て、あらためて今の川を、魚を、そして釣りを思う。
人がこの先も末長く彼らと付き合っていくためには、どのような関わり合いこそが望ましいのだろうか。