川と釣りと……
今回の川 北海道・朱太川

国の史跡名勝天然記念物である歌才ブナ林(自生北限地帯)をはじめ、面積の約8割が森に包まれた北海道西部の黒松内町。その森で多くの支流を集めて北流し、「風のまち」寿都町で日本海の寿都湾へと流れ出る、自然豊かな中規模河川。アユの北限としても知られ、管轄する朱太川漁業協同組合は、2013年より放流をやめ、産卵場造成作業による天然遡上アユの増殖に努める。本流にダムや堰堤を持たない連続性の保たれた流域にはアユのほか、サケやサクラマス(ヤマメ)、ヤツメウナギなど、海と川を行き来する回遊魚が生息する。

風のまちで、サケ釣りを眺める

秋が深まる頃に北方へ足を運ぶと、季節が一気に進んだ感覚に襲われる。シャキッと冷たい西風が、丘に立つ風車の白く巨大なブレードを回している。ふんわりと鼻先をかすめる甘い腐臭は、おそらくサケのもので、私にとっては好ましい香りだ。この時期特有の「北の大地の香り」といったところだろうか。

綿雲が風にちぎられて雲間から斜陽が射し込むと、河口に立ち並ぶ人影が黒く浮かび上がった。ここは北海道西部の寿都湾。風力発電が盛んな「風のまち」だ。札幌と函館を細く繋ぐ「くびれ」のあたりと言ったらわかりやすいだろうか。西隣は厳冬期の海アメ(海のアメマス)釣りで有名な島牧村、北西に広がるのは日本海。そこに注ぎ込む川が、今回の舞台となる朱太川(しゅぶとがわ)だ。

朱太川の河口付近から東方の積丹半島を眺める。冬の風がダイレクトに沖から吹き込む寿都湾には風力発電の施設が立ち並ぶ。この日は「微風」だったのだろう。それでも随分と体感温度は低く感じた。
「だし風」と呼ばれる局地的な風の吹く寿都町は、全国の自治体で初めて風力発電施設を設置した「風のまち」。巨大な風車は観光資源ともなっている。

「アキアジ(秋味)」とも呼ばれるシロザケ(以下、サケ)の釣りは、秋の北海道の風物詩。その釣り味と食味に魅せられた多くの釣り人が、休日に、平日の出勤前に、出勤後に、そして仕事の合間に(?)竿を振る。釣り人の多くは大きな発泡ウキを用いた、いわゆる「アキアジ仕掛け」を使っている。先には40~50gのスプーンにタコベイトがセットされ、ハリには食紅で染めたサンマやカツオなど青魚の切り身を付ける。これをキャストして時折竿をあおって誘い、ウキがズボッと海中に消し込むのを待つ釣りだ。

ほどなく、近くの釣り人の竿が大きく曲がる。不用意に「溜め」を作ることはせず、後方に下がりながら一気に寄せる。右へ左へと海面を激しく疾走するサケの動きに合わせながらも、主導権は与えず一気に砂浜へと引きずり上げた。

体の中央を境に背は黒く、腹は白い。ウロコがパールのように白光りするのは、空を覆う白い雲を反射するからだろう。グッと下を向いた目には力強さを感じるが、同時に諦めに似た光も放っているように思える。

「おう、こいつはいいサケだ!」と、周囲の誰かが叫ぶ。まだまだ体色は海洋生活期のそれで、釣り人はそのことを喜んだ。もう少ししてオリーブやベージュ色のくすんだ婚姻色が出てくると、身に蓄えられた栄養は卵巣や精巣へと移り、肉の脂が抜けていく。

一匹を釣り上げた老齢の釣り人が、すぐにまた次の一匹をかけた。秋のサケ釣りは場所取りの激しい釣りだと言われるが、その理由がわかるような気がした。河口付近には川に入るためのサケの通り道があり、そこにエサを投げ届かせられるかどうかが、釣果の大きな分かれ目なのだ。

熟練の釣り人に見せていただいたアキアジ仕掛け。スプーン+タコベイト+短冊型の切り身がワンセット。
エサの切り身はサンマやカツオなどの青魚。塩漬けにして食紅で赤く染めている。大きさや塩漬けの具合など、釣り人ごとのこだわりが見られる。
ヒット! 竿が大きく曲がる。サケの激しい突っ込みに合わせて釣り人は砂浜を駆け回る。
激しく海面を走るサケ。みなぎる生命感を体感する瞬間だ。
一気に寄せることで主導権を得ることがファイトのコツであるようだ。
黒く濡れた砂浜に、白く光る銀鱗の魚体が横たわる。体にはうっすらと赤紫の婚姻色が浮かびかけている。サケは川に入るとほとんどエサを取らなくなると言われるが、河口部では積極的に摂餌するらしい。

サケとともに朱太川を上る

ひとしきり釣りの様子を眺めると、海を後にして、サケとともに朱太川を上った。朱太川の名の由来はアイヌ語の「シュッキ・ブト(アシの多い河口)」だそうだ。川の流れが固定され、下流域にかつて広がっていただろう広大なアシ原を見ることはできないが、それでも護岸などの人工物は少なめで、豊かな自然環境が伺える。

河口から少し流れを遡ると黒松内町だ。川は緩やかに蛇行し、サケの産卵に適したこぶし大の礫が豊富な瀬が目立ちはじめた。

この瀬では夏にアユが釣り人を誘う。実は朱太川は「アユの北限の川」と言われている。本流にダムや砂防堰堤など魚の行き来を妨げる遮蔽物の一切ない朱太川は、現在、地元漁協の方針ですべてのアユ資源を自然産卵・自然遡上に頼っているという。北国のアユらしく低水温に適応した脂の乗ったアユで、その味を求めて道外からの釣り人も多い。

朱太川下流の風景。河口のある寿都町から、この先は町の面積の8割が森という黒松内町へ。
朱太川の看板。川の名の由来と、ふくよかな北限のアユが刻まれていた。
朱太川中流域。曇天のため写真に収めることはできなかったが、サケの産卵に適した砂礫底の瀬が連続していた。
橋の上から川を覗くと産卵床を掘り起こすサケのメスを見ることができた。黒い縦帯のある体を横たえて波打たせ、川底の砂礫を堀り、すり鉢状の産卵床を作る。

朱太川がアユの北限の川ならば、黒松内町はブナの北限のまちだ。面積の8割が森と言われる黒松内町の中央部、朱太川中流域と支流の歌才(うたさい)川流域に広がるブナの原生林は、国の史跡名勝天然記念物に指定されている。ブナ林は清らかな水の代名詞。ミルフィーユのように折り重なった落葉で濾過された清水が、支流を通して朱太川へ注がれる。この水で良質な珪藻が育ち、それを食べて北限のアユが育まれるというわけだ。

この日は支流の一つ、添別(そいべつ)川の上流にある民宿に泊まった。添別川の上流には、樹齢90年ぐらいまでの木肌の美しい若いブナが立ち並ぶ添別ブナ林がある。添別の語源はアイヌ語の「セイベツ(貝殻の多い川)」。ちなみに歌才はアイヌ語の「オタセイ(貝殻のある砂地)」。流域の地質は貝殻化石の多い石灰質で、染み出す水はミネラルをたっぷり含んでいるのだという。

夜、宿の夕食ではもっちりしたユメピリカの新米と甘く艶やかなミニトマト、地元ならではの味である豆フグの唐揚げ、そして朱太川で獲れた北限アユの塩焼きをいただいた。夏期にはアユ釣りをしながら1週間も泊まる道外の釣り人もいるという、とびきりの味覚だ。

この地で生まれ育った宿のご主人と杯を傾けながら、かつての川風景をお聞きした。箱メガネで水中を覗き、小さなかけバリでアユやヤマメを獲った話にはじまり、マス(サクラマス)は主に産卵後を狙う「下りドウ」で獲ったことや、川の水を一度飲んだマスが美味いこと。また、サケはできるだけ川の水を飲んでいないやつが美味いという自説など。サケ、マス、そしてアユ。川と海を行き来する大好きな魚たちの話を聴きながら、心地よい夜が更けていった。

夏に朱太川で釣られたアユ。背中の盛り上がりが素晴らしい。尻ビレ近くの傷は友釣りで釣られた証(オトリにした時の傷跡)。塩焼きでほくほくした肉質と良質なワタの苦味を存分に堪能した。

サクラマスの産卵床調査に同行させてもらう

翌日は、国の研究者が朱太川の支流の一つで行うサクラマスの産卵床調査に同行させてもらった。調査のリーダーは、水産研究・教育機構の長谷川功さん。サケ科魚類の競争関係研究の第一人者であり、多くの魚種同士の関係性から在来種を保全する方法を探っている。たとえば全国の自然河川に蔓延する外来種のブラウントラウトが、イワナから生息域を奪っていくプロセスを読み解いたり、サクラマスの放流魚が野生魚に及ぼす影響を競争関係の見地から調べ、種の保全や水産資源の管理に役立てたりしている。

水産研究・教育機構 水産資源研究所さけます部門資源生態部資源管理グループの長谷川功さん。サケ科魚類の競争関係をテーマに在来魚の保全を目的とした研究を続けている。

今回のサクラマスの産卵床調査は、野生魚を活用した資源管理の手法を解明する一環として行われており、この年で2回目。サクラマスの産卵期は、北海道では主に9~10月に集中する。この時期に親魚が掘り返した産卵床をカウントすることで、自然産卵による資源への貢献度を測ろうとしているのだという。

ウエーダーを履いて準備を整えた長谷川さんが言う。

「サクラマスの産卵に適したこの支流で、私たちは毎年産卵床数を数えています。多い年で100個ぐらい確認できますが、昨年は30個ほど。今年は9月中旬に一度きて、その時は1つしか見つかりませんでした。2回目の今日(10月上旬)はこの川のサクラマスの産卵の最盛期ですから、いくつかは見られると思うんですけどね」

朱太川の一支流を実際に歩いて踏査する。この日は両岸をヤブに覆われた約3kmの小河川を遡行し、目視でサクラマスの産卵床を探していった。

ササの生い茂った川を3kmほど歩くという。驚いたのは長谷川さんの歩くペース。スタスタと、まるでアスファルト道を歩いているかのようなスムーズさで進んでいく。同行の研究者もやや追っ付け気味に後に続くが、私はほとんど駆け足(の心境)で追いかける。水深は平均して膝下と浅いが、流れに抗って歩くには少々コツがいることは渓流釣りをする方なら理解してもらえるだろう。案の定、すぐに軽く転倒。前回の佐藤拓哉さんの調査同行でも感じたが、限られた時間内に定めた距離を踏査するフィールドワーカーの仕事は実にスピーディーでタフだ。しばらく先で待つ長谷川さんらに追いつくと、小さな流れに覆いかぶさる笹の下を指差しながら、立ち止まった理由を教えてくれた。サケがいたという。

サケのいた流れ。遡上の途中か、産卵する相手を待っていたのだろうか。この支流で見るのは珍しいという。
目を凝らしたがサケの姿はすでになかった。ボサの下にいたのかもしれないが、確認することはできなかった。

「この支流でサケを見る機会はなかなかありません。途中に堰堤があるわけではないのですが、なぜか上ってこないんです。だからこそ(似たようなサケの産卵床がないからこそ)、サクラマスの産卵床調査がしやすいんですけどね。3年前の調査で一度だけサケの産卵を確認したことがありまして、その時に生まれた稚魚が海に出たとしたら今年あたり帰ってきているのかもしれません。それにしてもサクラマスがいませんね。今回の調査区間では多い時に100個ぐらいの産卵床が見られるのですが、今年は産卵のピークが遅いのか、本当に回帰数が少ないのか……」

さらに進むと川の横に農場の牧草地が広がった。川岸に巨大なフンがあった。一瞬、クマかと思って肝を冷やしたが、長谷川さんに聞くと、川がウシの水飲み場になっているという。「この調査区間は牧場の方にも許可を得て行っています。いかにも北海道らしいでしょ」

その後も産卵床は見つからない。その代わりに先頭を行く長谷川さんが、ヤマメの稚魚の群れを見つけた。

「我々が近づいたので逃げてしまいましたが、20~30匹ほどの群れでした。次の春(4月ごろ)になると、降る者は海に降ります。北海道だとオスの一部と、ほぼすべてのメスが海に降ります」

ちょうど一年前の今ごろ、彼らの親はこの支流で自然産卵したのだろう。サケは生まれて川底から浮上するとすぐに川を降るが、サクラマスの幼少期の姿であるヤマメは約1年を川で暮らしてから海に降る。オスの場合は海に降らず「河川残留型」としてそのまま川に留まる者もいれば、さらに翌年に海へと降る者もいる。生活史を決定づけるシステムの基盤となるのは、各々の川の自然環境だ。川にはその川に適応した魚が独自の生き方を形作ってきたのである。

「僕ね、いつも本州の人と話す時に『ヤマメやイワナは渓流魚じゃない!』って言うんです(笑)。だってここは渓流ではないでしょう。北海道では、平野部を流れる川にもごく普通にたくさんいる魚ですから」

所変われば棲む場所も変わる。彼らは環境に応じて多様な暮らしを営む魚なのだ。長谷川さんの何気ない言葉に、そんなことを思った。

牧草地の横を流れる朱太川。空が開けると同時に、あたりには牧歌的な雰囲気が漂う。
森の中に暮らすウシ。川は彼らの水飲み場にもなっている。

結局この日、産卵床を見つけることはできなかった。ここ数年、地域によってはサクラマスの資源量がやや減少傾向にあるが、もしかすると今回の結果も、その一つの表れなのかもしれない。だが、野外調査の成果は一朝一夕では語れない。幾重にも積み重ねた末に見えてくる糸を手繰り真実に近づいていく。そんな作業なのだろう。

川を降りながら、長谷川さんに話を聞く。これまでの研究で見えてきたこと。それはとりもなおさず、各々の川の野生魚を大切にすることの重要性だった。

「近年、漁獲されるサクラマスの70~80%は自然産卵で生まれた野生魚であることがわかっています。さらにここ数年の研究で、過剰に放流しても河川内の野生魚が放流魚に置き換わるだけで資源が増える可能性が低いことや、放流魚との競争によって野生魚の成長が抑制され、海に降る個体が減ってしまうこともわかってきました。遺伝的な交雑により、その川に適応した野生魚の習性を損ねてしまうこともあるでしょう。一方で、放流をしていない川で増えていたり、機能していない魚道による分断を解消したら分布域が広がったという結果も得られています。最近の私たちの研究では、サクラマスの放流数が減っているにもかかわらず、沿岸漁獲量が増加していることや、一部地域では放流数が増えた地域で逆に沿岸漁獲量が減少したことも明らかになりました。さらには養殖場で継代飼育されたヤマメは感覚器官である感丘(側線等にある点々)の数が減ってしまうこともわかりました」

ことサクラマスに関しては、放流効果はかなり疑わしいという科学的な証拠が積み重なってきた。さらに気候変動による海水温の上昇など、環境が激変する今の時代、サクラマスの資源を持続的に維持するためには、常にその環境で競争という取捨選択に晒されながら生き残っている野生魚の強さに頼ることが必要であるとわかってきた。

「放流自体がすべて悪いとは思いません。ですが、放流に効果がないのであれば、やめたほうがいいでしょうし、もっと増える方法がわかってきたのであれば、それを試したほうがいい、ということです」

ところで北海道の孵化放流事業といえば、サクラマスよりも圧倒的にサケで行われてきた。サクラマスに比べて河川生活期の短いサケの場合、川の環境収容力に左右されづらいこともあるのか、孵化放流事業が資源量を増やしてきた時代があることも確かだとされている。

それでも近年、海水温の上昇をはじめ、日本のサケにとって環境が厳しくなるにつれ、孵化放流事業のもつ負の側面が目立ち始めてきたのも事実。サクラマス同様、孵化放流の魚が野生魚に比べて生き残りづらいのではないか?という研究結果が積み重なってきたのだ。そんななか、長谷川さんらが2021年に発表した論文は大きな話題を呼んだ。

研究により、自然産卵で産み落とされたサケの卵は、高緯度の川ほど卵が大きい(一粒が重い)ことがわかった。高緯度で低水温・貧栄養の川は、サケが孵化してから海に出るまでの春季にエサが少ないため、初期成長のための栄養を少しでも多く卵から得られるよう卵径が大きく進化してきたのだという。言い換えれば、高緯度の川では大型の卵を産めるタイプのサケばかりが生き残ってきたというわけだ。

ところが人工孵化放流が繰り返されると、孵化場で十分な餌が与えられることから、小さな卵から生まれた小さなサケの子どもも生き残ることができる。その結果、サケは卵を大きくする必要がなくなっていくという。高緯度の川のサケが進化の過程で身につけてきた「大型の卵を産む」という性質は、孵化放流による家畜化ならぬ「家魚化」によって、損なわれてしまっているという。

また研究により、孵化放流を繰り返し家魚化されたサケは、卵巣が大型化する傾向があることもわかった。自然産卵で世代交代しているサケは、川に入ってからも産卵場まで遡上するためのエネルギーや産卵行動に費やすエネルギーを体内に残しておく必要がある。対して、家魚化されたサケは、河口で一括採捕され、人工孵化放流で世代交代を繰り返す。遡上も産卵行動も省かれてしまうため、そこに費やすエネルギーを必要としなくなる。つまり、孵化放流を繰り返したサケは、余剰のエネルギーを卵巣や精巣に回しているのではないかと考えられたのだ。

長谷川さんらの研究により、家魚化されたサケは、それぞれの川の環境に応じて備えてきた性質を失い、卵が小さくなったり卵巣が大型化する傾向が示された。孵化放流事業の大きな弊害は魚の均一化だ。本来はそれぞれの川で移りゆく環境に適応しながら長年命を繋いできたサケがいた。ところが、人の手が加わることで移りゆく環境に適応する機会を奪われ、自活する力を失っていく。他水系から持ち込まれたされたサケにいたっては、そもそも新天地で生きていく能力を持ち得ていないのではないか。

「放流魚はね、いわばカップラーメンなんですよ」と長谷川さんが話す。

「それぞれの地には美味しいご当地ラーメンがあるじゃないですか。全国に流通するカップラーメンはどこでも手軽に買えて便利ですけど、味は均一化していますよね。魚も同じだと思います。そして魚を相手にする釣りもそう。釣りってそれぞれの川の魚の性質に応じた楽しみ方がありますよね。北海道のヤマメ釣りだと当歳魚を数釣る『新子釣り』が文化として根付いています。ヤマメの密度が濃くなければ成り立たない釣りです。また、日本海側の海には60cmを超えるような大型のサクラマスもいますが、それを求めて遠くから訪れる釣り人もいると思います」

それぞれの川にはそれぞれの魚がいて、それぞれの釣りがある。まさに当連載「川と釣りと」で取り上げていきたいことそのものだと感じた。

当日の調査のメンバー。中央の長谷川さんと、同グループの研究支援職員である小倉裕平さん(左)と大門純平さん(右)。彼らの仕事は釣りの将来に大きく関わっている。
小さな支流にかけられたウライ。ここで捕らえられたサケの多くは人工孵化放流用の親魚となる。

とある支流にかかるウライ(一括採捕用の罠)を見た。その上流には増水時にウライを乗り越えたサケが、背ビレで水面に飛沫の線を描いていた。

私たちは間違いなく人工孵化放流の恩恵を受けてきた。今すぐ孵化放流事業を大きく縮小する方向に舵を切り、自然産卵ばかりに頼るのも現実的に難しいことだろう。川に多くのサケが戻ったとして、浅瀬で身を露わにして自然産卵するサケを人間はなかなか放っておかないだろうから、密漁の問題だって軽くはないはずだ。それでもサケのもつ野生の力をもう少し信じてみたい、とも思う。それは資源量の回復のみならず、現代人が忘れてしまった大切な何かを取り戻す試みでもあるのではないか。

翌日、朱太川の中流域で、産卵行動をまっとうして息絶えたオスザケが瀬に横たわっていた。虚空を見つめる目と真っ黒な顔を見て、今回はこれを見にきたのだ、と実感した。見事なブナ色に染まったサケは、どこまでも完全に川の一部だった。

瀬に横たわるオスザケの死骸。「ホッチャレ」とも呼ばれる。死んでなお、自然にとって大切な一部分であることを感じさせる風景。