今回は、岐阜県の木曽川水系にあるダム湖の流入河川で2022年9月に行われた京都大学生態学研究センターの佐藤拓哉さんと京都大学大学院理学研究科修士課程の中西勇太さんによるフィールド調査に同行させていただいた。ダム湖と川を行き来するサツキマスの生活史や遺伝的特性を調べる今回のフィールドワークを含め、佐藤さんらの研究は、私たち釣り人がこの先も末長く自然の中で釣りを楽しむための、大切な手がかりを与えてくれるものだ。
2日目の朝イチは山道のジョギングから
快晴の2日目。起床早々、佐藤拓哉さんはジョギングスタイルに身を整え外に出た。木漏れ日が射し込む。これから山道を1時間ほど走ってくるという。調査の一環で川の水質を調べるため、いくつかの地点に採水ポイントを設けており、車の通れない山道の先であることも多い。今回は上り下りの激しい往復約6.5kmを朝のジョギング代わり(?)に走るというのだ。一瞬だけ同行したいとも思ったが、足手まといになることは明らかだ。私はその間、宿近くの小さな沢でハリガネムシを探すことにした。
ハリガネムシは見当たらず、佐藤さんは先頭でゴールテープを切るマラソンランナーのような爽やかさで帰還した。前日は10kgもあるエレクトロフィッシャーを背負って一日中流れの激しい川を歩いたかと思えば、今朝は早朝マラソンだ。精力的に活動する第一線のフィールドワーカーは、まず心身ともにタフであらねばならないのだろうと感じた。
その後は同じ水系の別のダムで協力してもらっている地元の釣り人と合流し、意見交換を行い、見込みがあれば、ダムから川に遡上した降湖型サツキマスを求めて調査に入る。そんなプランニングとなった。
地元の釣り人や漁協との協力関係
佐藤さんは渓流魚の野外調査を行うにあたり、地元の漁業協同組合(以下、漁協)や釣り人との協力関係を築くことがある。渓流魚の生態を知る上で、その川に入る機会の多い人々に協力してもらうことが有効であることを実感しているためだ。一方の漁協や釣り人は、主に自分たちが普段から親しんでいる川の渓流魚がどのような魚なのかを知りたいという動機から、佐藤さんに情報提供やサンプリングなどの協力を行っている。
「その川で長く釣りをしてきている人って、魚に対して自分の仮説を持ってはるんですよね。釣りながら自分が渓流魚について考えてきたことは、果たして正解なのかどうか。そのことをデータに基づく科学的な研究で確かめたいと思っている人がいるんです。また、漁協の方々は、どうすれば魚が増えるのかを知りたいと思っています。今、長良川では、地元の漁協や釣り人の皆さんにサンプリングなどの協力をいただきながら、サツキマスが減少している理由を探る研究を進めています。サツキマスの耳石を調べることで、その魚がどのように海と川を移動してきたのかという生活史の履歴を追うことができるんですね。一匹一匹が生きてきた歴史を知ることができるんです。それらを地図上に落としてまとめることで、保全の糸口が見えてくるのではないかと思っています」
調査に協力する釣り人の思い
地元の釣り人・Aさんと合流して意見を交わす。どうやら大型の降湖型サツキマスが川に遡上してきているようだ。これまでの調査ではなかなかアプローチできていなかったダム湖を複数年回遊するタイプのサンプルを得られるかもしれない。一日中曇天だった前日とは打って変わって青空の広がる爽やかな秋晴れの下、2日目の実地調査が始まった。
この日の調査に参加した釣り人のAさんに、佐藤さんに協力する理由を聞いた。Aさんは長良川流域に暮らし、長良川のサツキマス調査にもアングラーの一人として協力している。
「私は昔から長良川のサツキマスを釣り続けてきましたが、ここ10年ほどでサツキマスはかなり減ってしまったように思います。このままだと本当に何もわからないまま、彼らがいなくなってしまうのではないかというおそれを持っています。長良川でもダム湖でも、佐藤先生に機会をいただけたことで、少しでもサツキマスの生活史を明らかにするための協力をしたいと思っているんです。釣り人は常日頃から自分が釣っている魚について、意外と知らないものです。釣り方は知っていても、彼らがどう生きているのかという生態については、ほとんど知りません。『おそらくこうだろう』という持論はありますが、それはあくまでも個人的な経験則であり、根拠に乏しいものです。いくら釣り人がサツキマスを守りたいといっても、根拠がなければ周りは動いてはくれません。佐藤先生が科学的に明らかにしてくれることは、釣り人がその魚を守る時に重要な根拠にもなると思っています」
出た! 59cmの降湖型サツキマス
エレクトロフィッシャーをかけていた佐藤さんが、瞬時に体をひるがえすと、ものすごい勢いで下流へ駆け下っていった。股下まで水に浸かりながら手網を二、三度流れに差し込むと、網口から体の半分も飛び出すぐらいの大きな魚がネットインした。かなりの大物だ!
「これこれ! これまでまったく出会えてなかった魚ですね」と佐藤さん。これがおそらく話に聞いていた複数年ダム湖を回遊しているタイプなのだろう。鼻先から尾ビレの付け根までの「標準体長」で59cmもあるオスのサツキマスだ。尾ビレまで入れた「全長」ならば、60cmを超えている。真っ黒な顔から伸長するアゴは、ぐにゃりとカギ状に湾曲し、その隙間から、白く鋭い歯が剥き出している。まるで恐竜のような顔つきだ。さらに、その顔が小さく見えてしまうほど、後方に続く胴は幅広く、鮮やかな桃色に染まっている。体側の縞模様は、まるで燃え上がる炎のようだ。背中には細やかな朱点と黒点が密に散らばる。朱鷺色に染まった分厚い尾ビレがウチワのように広がっている。なんて風貌なのだろう。これが人の造ったダム湖の育てた身体なのだと思うと、混乱もある。ダムによって川の連続性が絶たれ、サツキマスは従来の生活史を人に奪われた。それでもなお、太古から受け継がれてきたDNAが、多様な生活史の一つとしてダム湖を利用する形を発露させ、このような姿まで可能にしてしまうのだ。
生活史の多様性が命をつなぐ
この日は他にもさまざまなタイプの降湖型サツキマスやアマゴが姿を現した。「河川残留型」を思わせるパーマークが残ったまま成熟したオスのアマゴや、銀色のウロコが光を放ちながら朱点や体側の桃色も際立った美しいメス。河川生活期の若く艶やかなアマゴもいれば、パーマークのほぼないスモルト(※「スモルト」については前編を参照)らしき銀ピカの魚体など。サツキマス(アマゴ)の持つ多様な生活史の一端を強く実感する一日となった。
サツキマスの生活史は、実に多様性に富んでいる。研究の対象にサツキマスを選んだのは、魚類の中でもとりわけ多様な生活史を持つためなのだろう。そう思い佐藤さんに問うと、意外な答えが返ってきた。
「むしろ逆です。サツキマスの多くは2歳(3年)で死んでしまいますから、まだ生活史の多様度は限られているんです。たとえば同じサケ科魚類でもイワナになると、寿命が倍ほどになりますし、一生の間に何度も産卵を行うやつが普通にいたりして(サツキマスは主に一回産卵)、生活史のパターンはかなり複雑になります。同じオスのイワナが5年間産卵に参加するのを見たこともあります。そのオスは最後の年に6回、メスとのペアリングに成功し、その最後の1回はメスが卵を産み落とした瞬間、精子が出なかったんです。あとでその産卵床に産み落とされた卵を調べたら、すべてが死卵でした。『こんなことまで起こるんや!』と驚きました。そんなにギリギリまで産卵に参加することもあります。僕はなによりもイワナが好きで、イワナのことをもっともっと知りたいと思っていますが、イワナは生き方が柔軟すぎて、生活史がサツキマスに比べて圧倒的に多様なんです。10年以上生きるやつがいくつも出てきたりすると、僕の寿命ではとても彼らの生活史を明らかにするための時間が足りません(笑)」
人間はまだまだ、彼らの暮らしがわかっていないのだ。サツキマスにしても、かつてはおおむね河川残留型と降海型(降湖型)という2タイプであると考えられてきた。それが少しずつ研究を重ねることによって、どうやら生活史のパターンは思いもよらずバリエーションに富んでいるようだとわかってきた。さらに佐藤さんらが、そうなる理由を遺伝的に求め、探っている段階だ。
「いろんな生き方をしているやつを見つけては記録して、その理由もわかったら、それはそれで楽しいです。ただ、そこからさらに、もう少し全体につながるようなストーリーを明らかにすることも大切なんやないかとも考えています。たとえば魚が100匹おる時に、100匹が同じ生き方をするよりも100匹がそれぞれ違う生き方をしているほうが、全滅してしまうリスクを減らすことができる。上手く行かないやつがたくさんいても、なかには上手くいくやつもいるというわけです。ある年に生まれたサツキマスの中に1年目に卵を産むやつと、2年目で卵を産むやつと、3年目に卵を産むやつがおったら、1年目の産卵期に台風がきて、その年に産み落とされた卵がほぼ全滅したとしても、2年目や3年目に産むやつらによって個体数の急激な減少は緩和されますよね」
サツキマスがなんとかこれまで生きながらえてきたのは、多様な生活史があってこそなのだろう。河口堰が作られても、ダムで連続性が断たれても、海水温が上がっても、釣り人にたくさん釣られても、生き方が多様であればあるほど、これらの困難をかいくぐって生き延びるやつらがいて、それらが次世代へ命を繋いでいく。
子どもが釣ることのできる理想の川を目指して
佐藤さんの研究が大きな科学的成果として認められるとともに、人の心をつかむのは、研究で明らかにされたストーリーが人々を惹きつけるトピックでもあるからだ。サツキマスの多様な生活史も、森と川をつなぐハリガネムシが渓流魚に果たす役割も、それ自体が生き物の神秘に満ちた驚きの発見だ。だが佐藤さんは、その先も目指す。さまざまな話を聞くなかで、「生き物を知ることが守るための大きな一手になる」ことを強く意識した研究者なのだと感じた。佐藤さんは自身の研究と生き物の保全とを結ぶ言葉として、次のように語った。
「自然科学から学ぶことは大きく二つあります。一つは逆説的ではありますが、知れば知るほど自然の仕組みがあまりにも複雑で多様であり、容易に窺い知れるものではないと知ることです。計り知れないからこそ、自然は簡単に破壊してはならないのです。もう一つは、わからない中で少しずつわかってきたことの積み重ねである科学的な知見からの学びです。科学的な知見を私たち人間は共有することができます。その先にどのような行動が取れるのか。今まさに問われているのは、このようなことではないでしょうか」
人の手がさほど加わっていないかつての自然環境であれば、イワナやアマゴは放っておいても増える魚だったかもしれない。でも今は違う。ダムや堰堤により、渓流魚の多様な生活史を支えていた川の連続性が断たれ続けている時代だ。森林伐採や護岸によって、ハリガネムシの恩恵も得られづらくなった時代なのである。養殖魚の放流に対するネガティブな知見も積み重なっている。無制限に釣っていい魚ではないことは間違いない。とはいえ佐藤さんは、いわゆる「キャッチアンドリリース」至上主義にも懐疑的な思いを抱いているという。
「僕は子どもの頃から川で釣った魚を食べてきましたからね。『なんで逃してあげないの?』と言われると『食わへんのやったら釣らへんほうがよくない?』とも思ってしまう。『食べるのは野蛮』という人までいて、それはさすがに歪んでへんかなと思うわけです」
それぞれの釣り人が、それぞれの釣りを楽しみながら、魚をいつまでも釣ることのできる川とは……。そんな難題を解くためのカギを求めて聞いてみた。佐藤さんにとって「理想的な川」とはなんでしょう?と。
「うーん、難しいですね……」と言ったまま、しばらく間が空いた。そして、こんな答えが返ってきた。
「夕方に子どもと一緒に釣りをして、晩御飯に家族で食べる分だけの魚が釣れる川、でしょうか。今、子どもが簡単にイワナやアマゴを釣れる川ってなかなかないでしょ? 数匹でもいいから子どもにも釣れるぐらいの魚がおる川が理想ですね。日本全国をキャッチアンドリリースの川にしなくてもいいと思いますし、かといって大のおとなが7,000円の年券で一年中釣りまくった魚を持ち帰るのもダメやと思います。渓流魚はそんな魚ではありません。海のイワシやないんやから、そんなことをしたらすぐにいなくなります。その辺のバランスを、釣り人や漁協や研究者も含め、みんなで今一度探りたいですね」
川と釣りと生き物の暮らしと。そのすべてを損なわない道を考える。私も、あなたも、一人でも多くの釣り人が今の時代こそ。