イワナ・ヤマメの渓流釣りやアユの友釣りに多くのファンが訪れる関東随一の清流は、透き通る流れが広葉樹の張り出す下で玉石の底を洗う。源流は栃木・福島県境の帝釈山脈東端。支流を集めて南西に下り、五十里湖で湯西川と合わると、さらにその下流で川治ダム下流の鬼怒川と合流する。今回は、男鹿川を管轄するおじか・きぬ漁協のご協力を得て取材を行った。天然イワナの棲む男鹿川水系をはじめ、全国的に有名な温泉地(鬼怒川温泉・川治温泉)を流れる鬼怒川本流を含めた総延長30km以上もの広大な区画をゾーニング管理する、先進的な漁業協同組合の取り組みも合わせて紹介したい。
知る人ぞ知る、穴場的な山あいの清流
日光江戸村や東武ワールドスクエアなど、温泉とセットで楽しめる全国的にも有名な行楽地を横目に、鬼怒川に沿って国道121号線を北上する。鬼怒川温泉の北端、川治温泉街の入口を通りすぎ、鬼怒川本流と分岐すると、風光明媚な五十里湖が眼前に現れる。細長く穏やかな湖の風景は少しずつ山あいを狭め、いつしか湖は流れの際立つ川となる。ウインドーを開けると、ひんやりとした空気とともに、眼下には玉石を洗う清らかな流れが光った。関東屈指の清流、男鹿川である。
2022年5月31日、晴天。おじか・きぬ漁業協同組合の管轄区で、この年からスタートするアユのルアー釣り、通称「アユイング」を占う試し釣りが行われる1日に、足を運んだ。男鹿川はいわゆるアユ釣り場というよりも、ヤマメやイワナまで狙えそうな雰囲気。山あいを流れるやや広めの渓流といった様相だ。
おじか・きぬ漁協は、栃木県今市市の中岩堰堤より上流の鬼怒川と、その支流である男鹿川を含め、実に総延長30km以上もの広大な区画を管轄する。「ゾーニング」と呼ばれる、各区間の自然状況やニーズに合わせた多様な釣り場管理を行っている先進的な漁協だ。なかでも2021年よりスタートした「三依地区テンカラ専用C&R区間」は、日本初となるテンカラ釣り専用のキャッチアンドリリース区間として、大きな話題を呼んだ。そして2022年には、従来のアユの友釣りができる区間の一角を共有する形で、男鹿川上流の中三依地区を中心とする約5kmの区間を「アユイング区間」としても開放する運びとなった。
男鹿川は、アユ釣り以上にイワナやヤマメなどの渓流釣りで有名な川だ。山間を流れる清流は、開けた川原の広がる一般的なアユ釣り場のイメージとは少し異なる。どことなく、知る人ぞ知る、穴場的な雰囲気を醸し出している。下流側には川を堰き止める五十里ダムがあるため、男鹿川に天然アユの遡上はない。釣れるアユはすべて漁協が放流したものだ。それでも男鹿川の魅力を知る人は、県外の遠方からも通い込む。それはなによりも、男鹿川のアユのもつ味覚を知っているからにほかならない。
男鹿川は関東屈指の名水で知られる。清らかな水は、良質のコケ(珪藻などの付着藻類)を育む。アユの味と香りを決めるのは水であり、コケである。全国の川のアユを集めて味覚を競う「聞きアユ会」で準優勝を獲得したこともある、お墨付きの味だ。この上質な食味に惹きつけられた釣り人が、リピーターとなって足を運んでいるのだ。
アユ釣り人口は減り続けている
アユ釣りといえば、なんといっても人気は友釣りだ。アユは石に付着した良質のコケを独り占めしようとナワバリを張り、侵入してくるものを追い払う習性を持っている。これを利用して、生きたアユのオトリを誘導してナワバリへ送り込み、体当たりを誘ってハリにかける釣りだ。実に釣趣あふれる唯一無二の釣りではあるが、釣り人の高齢化にともない、友釣り人口は全国的に少しずつ減少を辿っているという。
7~8m以上もの長い竿でオトリアユを操る妙味のある友釣りは、一度ハマると抜け出せない「沼」のような釣りとも言われる。だがその反面、手軽に始めるには、やや敷居が高いのも事実だ。そこで近年、もっと手軽にアユ釣りを楽しんでもらおうと、オトリの代わりにルアーを用いた「アユイング」に釣り場を開放する漁協が少しずつ増えている。若年層をはじめ、少しでも多くの釣り人にアユ釣りの魅力を知ってもらいたいという気持ちの現れだ。
今回、試し釣りを案内してくれた小野田祥一さんは、主にルアーフィッシングで渓流釣りを楽しむ、おじか・きぬ漁協の若き組合員。この川辺で生まれ育ち、子供の頃から川遊びに興じてきた、根っからの男鹿っ子だ。アユイングの広報担当として、魅力を広める役割を担っている。すでに他河川では何度か釣り込み、おおよその釣り方は覚えたが、男鹿川で試すのはこの日が初めてとのこと。まだまだ手探りの段階だという。
「アユイングは、特に夏の川遊びの新たな楽しみ方を広げてくれると思います。暑い真夏の炎天下になると、渓流のイワナやヤマメはどうしても釣りづらくなります。自分はこれまで日中に一度釣りを休憩して、のんびりと水遊びやカジカ釣りを楽しんでいました。でもアユは太陽が照っていたほうが釣れる魚ですから。午前中は渓流でイワナやヤマメを釣って、午後はアユイングを楽しみ、また夕まずめに渓流で釣る。そんな楽しみ方もあるのではないでしょうか。さらに言えば、釣りだけじゃなくてもいいと思うんですね。川辺で仲間とバーベキューを楽しみながらアユイングをして、釣れたらその場で焼いて食べる。そんな楽しみ方もできると思います。友釣りと違って、とにかく手軽なタックルで楽しめるのが、アユイングの良いところですから、ぜひ、男鹿川のアユ釣りを多くの人に楽しんで欲しいですね」
ナワバリのアユにいかにしてルアーを見せつけるか
アユイングは渓流・本流のミノーイングタックルで、ほぼ代用が効く。アユイング専用のルアーに変えて、専用のフックを付ければ、あとは渓流のイワナやヤマメ釣りと同じように流れの中で誘って釣るだけだ。
アユイングと渓流ミノーイングの間に最大の違いは、この誘い方にある。渓流のミノーイングは、上流側に向けてキャストしたら、小刻みなトゥイッチングを入れて誘うのが王道だ。一方のアユイングは、下流に向けてキャストしたらゆっくりと引いて、アユのナワバリの中に導いていき、あとは基本的に、ほとんどその場でステイさせながら誘い、アユからのアタックを待つ釣りとなる。
これがなかなか難しい。流れの真ん中にルアーをとどめておくためには、竿が長いほうが有利だ。友釣りで長いアユ竿を使うには、それなりの理由があるというわけだ。だが、ルアーの場合は、短い竿で手返し良く、小さなスポットを次々と撃ち進むことができる。じっくりと1カ所にとどめられない代わりに、何度も撃ち返すことはできる。
丹念に流れを探りながら釣り下ったが、この場所ではまだ、しっかりとナワバリを張ってコケを食むアユの魚影が薄かったようだ。
「今日はこのあと追加放流がありますから、その後にもう一度、場所を変えて釣ってみましょう」。
川と向き合い、良いアユを育てる
男鹿川ではこの日、試し釣りをするとともに、解禁に向けてアユの追加放流も行った。小さなハサミと麻酔薬を手に組合員が集まり、アユを待つ。養殖場から運ばれてきたアユを麻酔を溶いたバケツに放ち、アブラビレをカットしていく。ヒレのカットは標識代わり。こうして放流し、後に釣れた魚を調べることで、移動や成長の度合いを知ることができるという。
「今年(2022年)の放流は、一番最初に1万5千匹、その後に1万匹。さらに先日、標識のためにアブラビレをカットした5千匹を放流し、今日は追加で右の腹ビレをカットしたものを2千匹。ヒレをカットした魚を釣ったら教えてもらえるように釣り人の皆さんにも呼びかけながら、アユの状況を追跡しています」
自らもハサミを手に取り、標識放流を指揮していた石山成典組合長(当時)が、アユの標識放流について説明をしてくれる。水量はもちろん、日照時間など気象条件により、川の状況は毎年変化する。少しでも状態の良いアユを釣ることができるように、放流時期や放流場所が適していたかどうかのデータを集める。答えは常に、川に聞かなければならないのだ。
標識をつけたアユをバケツで流れに運んでいく。坂道を行ったり来たり、完全な手作業で大事にアユが運ばれ、流れに放たれた。カワウ避けだろうか、銀色のテープがキラキラと川面に瞬いている。その下には放されたばかりのアユの群れが、戸惑うように時折、びゅっと大きく形を変える。多くはまだ流れの緩い溜まりに群れているが、少しずつ流心に出ていく様子を目で追うことができた。
「これから夏にかけてコケを食んで、一気に成長していきます」と小野田さん。男鹿川のコケを食み、男鹿川の水を飲み、少しずつ確実に男鹿川のアユへと育っていく。
午後、もう一度アユルアーを手にして流れに浸かる
放流作業を終え、昼食をとると、再び川へ。あくまでもシーズン前の試験的な釣りだから、15時には終えなければならない。タイムリミットはあとわずか。先ほど放流した場所で、以前に放流したアユの姿を見ていた小野田さんは、その少し下流側に入ることにした。
青い空に白い雲。これぞ盛夏の釣り!という、むし暑くも心地よい夏晴れの下、竿を振る。途中、スコールのような雨が通り過ぎた。これもまた、夏らしい。それでも両岸を山に囲まれた流れには、太陽光を遮る木陰もあるから、暑さにうだることもない。じゃぶじゃぶと透明な流れに足を浸すウェットウエーディングスタイルは、まさに夏の川遊びそのものだ。
この日、唯一のチャンスは終了間際に訪れた。ルアーを回収しようとした小野田さんがふっと笑顔になる。そして抜きあげ。アユルアーの先に、まだまだ成長しそうな若いアユがぶら下がっていた。男鹿川のアユの魅力を教わりながら、短い時間で釣果も出していただき、アユイングのイメージはばっちり。シーズン中の釣りを楽しみに、川を後にした。