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川と釣りと……
今月の川 栃木県と茨城県・那珂川

栃木県北部にある那須岳を源流とし、同県と茨城県を流れ太平洋に注ぐ関東平野屈指の清流。栃木県と茨城県の県境を中心とした中流部はアユの本場として知られ、夏から秋には天然アユを狙う友釣りで賑わうほか、多数の観光やなも設置されている。カヌーやカヤックで長い流程を楽しむロングトレイルも人気。魚道も介して海からの連絡が通じているため、春にはサクラマスやアユ、マルタウグイ、モクズガニなどが、秋にはシロザケが遡上する。なかでも海から遡上して森で産卵するサクラマスは、関東地方ではとても貴重な存在。今回、取材をさせてもらったのは栃木県と茨城県の県境で職漁活動とハンドクラフトワークを営む「Riverline(https://riverline-system.com/)」の綱川孝俊さん。

関東平野屈指の清流・那珂川を遡る

今回、訪れたのは、栃木県と茨城県を流れる関東平野の清流・那珂川だ。同じ関東に住みながら、これまで那珂川を訪れた記憶がほとんどなかった。下流部で連絡する涸沼川や涸沼にはシーバス(スズキ)の釣りの取材で数回訪れたことがあるが、それぐらい。良いアユが釣れることと、サケが遡上することは知っていたが、実際に足を運んだことは、たぶんない。今回、那珂川に行くことになったのは、この川に格別な思いを寄せる人に会うためだ。

栃木県那珂川町の那珂川中流域。滔滔とした流れはカヤックのロングトレイル人気も高い。

綱川孝俊さん。1985年に茨城県との県境にある栃木県茂木町で生まれ、子どもの頃から那珂川流域に親しんだ。三陸にある水産学部の名門・北里大学で修士課程までヨシノボリの耳石解析による回遊生態の研究を行い、その後は栃木県水産試験場で7年間、主にミヤコタナゴや淡水二枚貝、そしてヤマメやサクラマスの保全研究に従事した。その後、宇都宮大学バイオサイエンス教育研究センターの特任技術職員を経て、今年の夏より実家稼業の農家を継ぎながら、那珂川でアユやウナギなどの職漁活動やランディングネットなどのハンドクラフトを行っている。綱川さんは自身の活動をホームページ「Riverline(リバーライン)」で発信。美しい写真と独創的な文章、そしてアカデミックな知識を活かして撮影した水中動画等で、那珂川やそこに棲む生き物たちを魅力的に紹介している。

私も大学は水産学部卒なのだが、当時お世話になった同じ恩師を持つ先輩が水産試験場時代の綱川さんの上司でもあり、前々から「栃木県で最も早くアユの遡上を察知する男」として聞かされてきた。その縁もあって、ホームページをたびたび拝見していたのだが、川に遊ぶその独自の感性に大きな興味を抱き、今回、アユ釣り(職漁活動)に同行する形で初めてお会いすることになった。

綱川孝俊さん。那珂川流域の自然を日々、独自の視点で発信中。独創的なハンドクラフトのランディングネット作りも行っている。

会ってすぐ、橋の上から川の様子を探ると釣り場を定め、「少し遠回りすることになりますが、ダムの方を見にいってもいいですか?」と言う。日々、カワウの群れの様子をチェックしているのだという。カワウは内水面漁業にとっての大敵だ。川に大きな群れが飛来するようになるとアユやヤマメを飽食し、甚大な被害が及んでしまう。その対策は綱川さんの勤めていた水産試験場にとっても大きな課題だったに違いない。

ダムには数十羽のカワウが水面に浮いたり木に留まったりして休んでいた。こいつらが食事時になると一斉に川へと押し寄せてくるそうだ。綱川さんは金網越しに双眼鏡で観察し、ビデオカメラで撮影している。

「こうして記録しておくと、あとで数が把握しやすいんです。でもこの子らを見ているとアユの居場所がわかるんですよね。海から遡上してくる時は河口の方に飛んでいきますから……」。

今でも時折、カワウ対策をする研究者と情報を共有しているという綱川さん。「ひとり水産試験場みたいなノリなんです」と屈託のなく笑う。その笑顔を見ながら、おそらく業務的には憎むべき相手であるカワウのことを「この子ら」と呼ぶんだな……なんてことを考えていた。

那珂川に注ぐ支流を堰き止めたダム湖でカワウの休息場を観察する。双眼鏡で観察してビデオ撮影も行い記録に残す。
この日は数十羽のカワウを確認した。この群れが那珂川本流へ飛び、アユなどの魚を食べるという。

最初に橋の上から覗いた所は栃木県、そこから少し下って茨城県に入ってすぐの瀬を今回の漁場と定め、竿を出した。県が変われば漁期などのルールも異なるが、川は繋がっている。綱川さんの自宅は茨城県、漁やハンドクラフト活動の拠点は栃木県にある実家で行っており、那珂川での漁は栃木県と茨城県を股にかけて行っている。子どもたちを保育園に送ってから迎えに行くまでの時間が、活動の時間帯だ。

「魚捕りは親父の影響です。うちはひいじいちゃんから農家の家系で、釣りをするのは親父と僕ぐらい。父はアユ釣りも大好きです。小さい頃はマスの釣り堀に連れていってもらったり、家の前の川でフナ釣りをして遊んだりしてました。那珂川の本流に出たのは中学ぐらいから。その頃はバス釣りでした。三陸の大学時代は海でアイナメやソイ釣りばかり。アユやサクラマスは地元に戻ってきてからですね。アユはまだまだ全然なんで、研究中です。この時期は瀬付きといって産卵で集まってくるアユの群れに当たれば大釣りも期待できるんですけどね」。

果たしてアユの状態はどのようなものか。川を歩き期待が高まる。
竿は銀影MT早瀬抜90・J。那珂川の大アユを浮かせるパワーを持つ瀬釣り竿。
生まれ育った那珂川でのアユ釣りが始まる。
岸際にはアユの食み跡がたくさんついた石がゴロゴロ転がっていた。

はたして、友釣りをしたこともなければ取材経験もない私の目には、綱川さんの竿さばきはとても上手に見えた。大きく竿が曲がるとしばらく溜めて、鹿角の柄の付いた自作のアユダモを腰から抜くと、モミの木を曲げた円形のフレームに2匹のアユが吸い込まれるように飛び込んでくる。馴れた手つきでオトリを入れ替え、流れに泳がせるとすぐにまた竿が曲がった。

すぐに一匹目がかかりホッと一安心。笑みがこぼれる。
腹に一筋の山吹色が美しい秋の那珂川アユ。
友釣りはオトリアユとの共同作業。繊細に操る。
新しいオトリの尻ビレに手早く逆針をつける。
アユダモに吸い込まれていくアユたち。

雲の合間から時折日が射し綱川さんを照らす。深い緑色をした押しの強い川の水が、瀬に立つ一本の杭を洗っているようだ。カワウの群れが下流へと飛んでいった。

短い時間で20匹ほどかけただろうか。アユは産卵前のいわゆる「落ちアユ」で、金と真鍮と赤銅と灰が混ざったような深い色に背中から黒鉄色が被さっていた。メスは産む前の卵をたくわえ、夏のアユとはまた異なる味わいがあるという。

「今日は良かったです。釣れました。最初は瞬間時速的にやばかったですね(笑)。80とか100匹ぐらい釣れちゃうんじゃないかと思いました」。

時折射し込む陽光に竿が照らされキラキラと輝く。
自分で作り身体に馴染んだ美しい道具で一尾一尾アユを釣る。
短い時間だったが満足の釣果が得られた表情。
真っ黒に錆びた落ちアユ。アユは年魚。同い年でこれだけ大きさに差が出る。

お昼には綱川さんが握ったおにぎりをいただいた。チキンライスと五目ご飯のように見えたそれは、モクズガニの身と味噌をあえたものと、落ちアユの身と卵をほぐして混ぜたものだった。もちろん、ともに那珂川産。モクズガニの甘みとアユの香ばしさが口の中に広がる。

おにぎりを食べながら、話を聞いた。

左がモクズガニの身と味噌をあえたもの、右が落ちアユの身と卵をほぐしてまぜたもの。

大学の研究室と水産試験場でアカデミックなアプローチを学び、その知識も活かして川を把握しようとする。その一方、ブログで写真や文章を用いて魚や鳥の良さを表現する際は、ほとんど情緒的(本人は「妄想」とも表現)。ハンドクラフトへのこだわりもそう。そして一年目の職漁活動は、体で覚える修行の身だ。そんな、一本の川を通してトータルな発信をする綱川さんが、那珂川をどのように見ているのだろう。

懐の大きな清流・那珂川。

「トータルな発信……そうですね。ただ、試験場にいた時は科学的に実証するのが仕事ですから適当なことは言えませんでしたけど、今は自分が思ったことや感じたことを、そのまま発信している感じでしょうか。川にいる時間は長くなりました。現場で見たことと科学的な考えを両立できればもっと色々知ることができると思いますが、今はまず、目で見たり感じたりしたことを吸収して伝えられたらと思っているんです。魚捕りは上手くなりたいですけどね。ここらへんには専業の漁師さんはほとんどいないと思うんですけど、それでもどういう時に捕れるとか、どういう場所がいいとか、全部頭に入っている人たちばかりです。今年からウツボ(竹筒状のウナギ用漁具)の許可も取ってはじめてみたんですね。年配の漁師さんにウツボで一匹も捕れないことは絶対にない!って言われまして。ところが絶対にあったんです。一匹も捕れなかったんですよ(笑)。僕はそういう経験が一切ない、いわば当歳魚です。ゼロプラですね」。

〝ゼロプラ〟とは「0+」。卵から孵化して1年経つまでの魚を指す研究者間の用語だ。

釣りをしている最中に頭上を下流へと飛んで行ったカワウの群れ。

好きなものが全部ある場所

「那珂川の魅力ですか。まず……魚がいるところ(笑)。そうですね。過ごしやすいかどうかで言えば、学生時代を過ごした三陸はとても過ごしやすかったです。いっそのこと三陸に住もうかと妻とも話しているぐらいなんです。三陸は過ごしやすくて呼吸もしやすい。那珂川は、やっぱり地元なんですよね。特に実家はひいじいちゃんの代から土地を手に入れて耕して、代々少しずつメンテナンスというか作り上げてきたものがあって、そこに自分が生まれて今もいる。畑から寛永何年とかの銭が出てきたりするんですよ。そういうのを見ると、思うところがありますよね。でも不思議なことに全部好きなものばかりなんです。那珂川はもちろんですけど、その周りには山もあるしキノコもあるし、カニも鳥も、木の模様も、好きなものが全部ある場所なんです。うちの畑で採れる透き通った石の模様とか、流木の形とか、那珂川の流域を構成しているものすべてがいいというか。感覚的なものですよ。でも好きなものがいっぱいあって、それを今度は自分の子どもに……。まあ、ここに住んでくれというわけじゃないですけど、子どもたちにも好きになってもらえる場所にできたらいいなと思うんです」。

川辺には落葉広葉樹が多い。黄葉のピークはもう少し先。
海と森を繋ぐモクズガニ。川底を数十キロも歩く旅をする。
那珂川では「サイ」と呼ばれるニゴイの若魚。これも川を大きく移動する魚だ。

綱川さんは6歳の長男と3歳の長女、二児の父親だ。

「長男が生まれるとわかった年がちょうどアユの大量遡上の年でして、茂木で大きな群れを見つけたんです」。それで遡上の〝遡〟という漢字を用いた名前をつけたという。「娘には晴れた日に水面が青い空を反射して真っ青になる那珂川をイメージしてつけました」。

目の前の深い緑色の流れを見ながら、青い那珂川を見てみたいと思った。

当日の釣果。背中は一様に黒いが体側は様々な色合いを見せる。

物語の断片を求めて早朝の川を歩く

朝もやに包まれた那珂川。河畔林のシルエットが幻想的だった。

翌日。朝4時にセットした目覚ましが鳴る。那珂川はシーバス釣りのメッカだ。サケの遡上期だから中流域のルアー釣りは禁止されていたが下流域まで下れば竿を振ることもできる。一年のうちで最もランカーが狙いやすいシーズンでもあるため、出発前に手に入れたシーバスロッドのラテオ83Mを振るつもりだった。だが、前夜に茂木町のホテルで熟考して出した結論は「上流へ行こう」だった。「川と釣りと……」という当コラムのもつ意味合いとして、竿を振るのも悪くない考えだったが、数十キロ下流に下ってシーバスを釣るよりも、もっと〝今回〟のリバーウォークストーリーに即した時間の使い方があるはずだと思った。

この日の集合時間は10時。今からそれまでの6時間、たった6時間だけど綱川さんが「好きなものだらけ」と言った那珂川を歩いてみよう。そして春に遡上し、今は下流へと下るアユやモクズガニと行き違うように、海から遡上してくるサケを探してみよう。

アユのナワバリ漁が行われていた。川幅を通して鉄杭を打ち込み横に竹を渡して小さな段差を作る。すると産卵のために川を下ってきたアユが一時段差の手前に溜まる。それを段差の下流側に設けた足場から投網を打って捕らえる漁だ。「魚堰」や「まわしアユ漁」とも呼ばれている。
那珂川で見た鳥たち。アオサギ。
トビが川沿い山で舞う。
キセキレイ。
セグロセキレイ。
サケの産卵床。地元の人は「ホリ」と呼ぶ。メスが川底を掘って作るためだろう。
川辺にはタヌキかイタチの足跡が散らばっていた。
一本竿でサケ漁をしてる人がいた。

今回、あらためて那珂川が海からの連絡を強く意識させる川であることを知った。そのイメージをさらに強めたい。海のイメージを強く持ちながら、森に囲まれる那珂川を見てみたかった。

青く晴れ渡った空とともに幸運が訪れた。力強く遡上してきたオスザケと、晴れた空が染め上げた青い那珂川を、この目にすることができたのだ。今回の旅に必要なピースを得た気がした。

炎が燃えるような見事な婚姻色の出たオスのサケ。遥か北方の海からやってきた、海と森をつなぐ者。
繋がれていてもサケは生命力と力強さを感じさせる。
砕ける波は、この川が生きていることを実感させてくれる。
もやが晴れ、太陽が射し込むと那珂川の「青」が映えた。