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川と釣りと……
今月の川 埼玉県・大場川

東の江戸川、西の中川という大河川に挟まれた吉川市の中央を南北に流れる人工河川。江戸時代に幕府管轄の二郷半領(現在の吉川市と三郷市周辺)で広大な二郷半沼を干拓して新田とした際に掘削された用水路。市内を南流して、並走する第二大場川と葛飾区の水元公園で合流して中川へと注ぐ。古くから稲作が行われていた吉川市は江戸時代の大規模新田開拓により、江戸への年貢米を生産する米どころとして栄えた。現在も田んぼの脇を通る大場川は中川や江戸川とつながっており、春になるとナマズやコイが本流・支流を通じて市内のいたるところに入り込んでくる。

水田沿いの川で竿を振る。甘い香りに包まれる

あたりを早稲の甘い香りが包んでいた。

薄っすらともやのかかった水田は湿り気を帯びた空気をまとい、ぼうっと白んだ稲穂が頭を垂らす。季節は8月の下旬。ふくよかな実りは、雲間から差し込む朝日を静かに待っているようだ。昨晩のラジオでは「いよいよ秋の始まり」と告げていた。だが、そこまでではない。風はふんわりと日中の蒸し暑さの予感を運んでくる。大丈夫、夏はまだ残っている。遠くの空でオナガがギューッと鳴いた。

水田の横を流れる大場川。市の中央を南北に掘削された歴史ある人工河川だ。

水田の脇を流れる大場川のほとりに着いて、この川で竿を振るのが初めてではなかったことを思い出した。もう12年前にナマズ釣りの専門誌を作った際、ここ埼玉県吉川市を「ナマズの町」として取材した日の夕まずめに少しだけ狙ってみたのだ。釣れなかったが、川面に映った夕焼けのピンクがとても美しかった。

吉川の農耕の歴史は古く、千年以上前の万葉集にこのあたりの稲作の風景が詠まれている。
田んぼにいた小さなザリガニ。
ヌマガエルの子どもも多い。

朝日が差し込み、金色とグリーンの入り混じる美しい稲穂を照らす。周囲の明るさが増しルアーを投げる動作にも慣れてきたところで、狙いを対岸の流れ出しに絞った。途中で同じようなルアーを竿先にぶら下げた釣り人と行き交ったから竿抜けではない。目立つポイントだからきっと狙われているだろう。さほど期待はしていなかったが、ナマズはやはり一度も出なかった。それでも稲の甘い匂いで気持ちがゆったりしていたからか焦りも失望感もない。そんな時は周囲に目が行くもので、結構な量の水を吐き出す流れ出しのその先が気になり、橋を渡って裏に回ってみた。

田んぼの用水からの流れ出し。入口はご覧の通りコンクリートで固められているが、少しでも増水すればナマズはたやすく登れるはずだ。
昆虫やカエルを川へと流し、酸素も豊富で小魚も集まる。ナマズ釣りの一級スポット。ただし、先行者がルアーを投じていなければ、だが。

流れ出しへと続く水路は見慣れたコンクリート張りではなく土を掘って固めただけの簡素なものだった。水田の畔は一部凹んでいる。その凹みは用水から水を引き込んだり排出するためのものに違いない。あらためて川と用水をつなぐ流れ出しをじっくりと眺める。川が少し増水すれば段差はなくなり魚は容易に水路へと入り込めるだろう。そして田んぼへと自由に行き来できるはずだ。

コンクリートで固められていない土を掘った用水。左手の畔が崩れている所で田んぼと水が通じている。
水の落ちた田んぼにはタヌキの足跡。ザリガニでも食べているのだろうか。
抽水植物が繁茂する水路もあった。中にはコンクリートで固められた水路もある。
暑すぎる日中、こんな時間帯こそ流れ出しがいいポイントになる。今回使ったタックルはロッドがモアザンAGS810MB、リールがミリオネアCT SV70H。そしてルアーはフッキングノイジーブレードチューン。ラブリーなカラーリングがナマズ釣りを盛り上げる。

江戸時代中期まで関東にナマズはいなかった?

ナマズは元々フォッサマグナ以西の生き物と言われている。三重県あたりまでは人が住むよりも前に分布を広げていたという説もあるが、関東地方より北には生息していなかったという説が有力だ。今から300余年前の宝永6年(1709年)に出された『大和本草』(当時の学術書)には「箱根より東に之れ無と云う」と書かれており、享保21年(1736年)の『日東魚譜(序本)』(当時の図鑑)には、利根川の支流でナマズが人目に触れるようになったのは享保13年の洪水の後からという記述もあるという。このように多くの資料が、ナマズが利根川水系に出現したのは江戸の享保年間(1716~1736年、8代将軍徳川吉宗の時代)であったことを伝えている(※『鯰 イメージとその素顔』八坂書房参照)

遺跡などに残る遺物を調べても、関東地方では最も古くて江戸時代の物だという。

「吉川」の名の由来ともなったと言われる芳川神社は鎌倉時代初期(1187年)に創建された歴史ある神社。料亭の並ぶ平沼地区にある。
現在の拝殿は嘉永3年(1850年)に再建されたもの。見事な彫刻も一見の価値あり。
ナマズのお守りステッカーとストラップ。由来を聞けば「吉川はナマズで有名ですから」とのこと。

元々河川の氾濫原などを産卵場として利用するナマズは、それに似た環境として水田を選び、稲作地域の拡大とともに西日本から東へと分布域を広げてきたと推測されている。大きな氾濫原のような沖積平野であった関東平野はナマズにとって、とても棲みやすい新天地だったのかもしれない。人間は氾濫原や湿地の代わりに水田という環境をナマズに与え、ナマズはその代替環境を利用して生息域を広げてきた。そして人はナマズを水田や用水で獲っては食べ続けてきた。人とナマズはとても結びつきの強い生き物なのだ。

「なまずの里」吉川市

埼玉県吉川市が「なまずの里」として町おこしを始めたのは1995年のこと。地方創生の名目で全国の自治体に配られた1億円の補助金の一部を、吉川市は黄金のナマズモニュメント制作に投じた。と同時にナマズをモチーフとした様々な商品を売り出したり、キャラクターをデザインして「なまずの里」としての存在感をPRしていった。今も、市内を歩くとあらゆるところでナマズと出会うことができる。

陽光を浴びて金色に輝く親子のナマズ。金閣寺や平泉の金色堂と同じ「金胎漆塗り金箔仕上げ」が施されている。
駅舎を見下ろす親ナマズ。絶好の角度から見るには高台に登るほかない。リアルさと質感がナマズ好きにはたまらない。

そもそもなぜ吉川市は「なまずの里」なのか。市内の図書館で『吉川市史「民族編」』を見ると、その由来に触れることができた。

東西を中川と江戸川に挟まれた吉川は沼の多い平野の湿地であり、古くから稲作に適した地であった。天正3年(1575年)には当時、中川流域で最大の沼であった二郷半沼を開拓して新田を開いた。その幹線排水路として開かれたのが大場川だという。

大場川には並行して流れる第二大場川もある。今回、歩いたのは写真の大場川。

縦横にめぐらされた用水や水田には中川や江戸川から多くの魚が入り込み、水田は稲作と漁労が重なった場であった。筌やカイボリでコイやフナ、ウナギ、ドジョウ、そしてナマズを獲っては重要なタンパク源として活用していたという。ちなみに戦前、ナマズはあまりにもありふれた魚で売り物にはならなかったと市史には書かれている。豊富な淡水魚の中でも特にナマズは最も身近な魚として、この里地の民に親しまれてきたのだ。「なまずの里」の町おこしは、そんな最も身近な魚だったナマズに町を活気づけてもらおうという試みだったのだろう。

吉川駅南口にあるラッピーランド。吉川のナマズ土産が揃ったアンテナショップだ。
店内には「まちなか水族館」と称し、生きたナマズが展示されている。
タイミングよくナマズが塩ビパイクのねぐらから出てきてエサをねだった。金魚に与えるようなペレットを静かにパクパクと食べていた。
吉川市公式キャラクターの「なまりん」は可愛らしい女の子。ラッピーランドでキャラグッズも販売している。
もう少し歴史を感じさせるナマズデザイン。ナマズを探す「吉川ナマズ散歩」も楽しい。
街中のあらゆる所にナマズをモチーフにしたデザインがある。
デザインもさまざま。ナマズが愛されてきた吉川の歴史を思わせる。
ナマズエキスの入った「なまずコーラ」。ラベルデザインがとてもよい。コーラにナマズの味を感じる必然性について少し考えたが単純に美味い。酸味の立った味わいはコカコーラよりもペプシに近いか。
上から時計回りに「なまず最中」(まるしん菓子店)「なまず煎餅」(平野せんべい)、「なまずせんべい」(まつざわ煎餅)
水路の橋で見つけたナマズの胴彫刻。思わず磨いてピカピカにしたい欲求にかられた。

市内ではナマズの養殖も行われている

田んぼ仕事をするついでのおばあさんが捕まえて夕食のおかずとなっていたような時代は昭和35年ぐらいまで。以降、中川の水質悪化が進むにつれて捕まえたナマズを食べる習慣は激減したという。市内には中川の舟運で栄えた江戸時代より続いている老舗の料亭が現在三軒あるが、いずれも地元の川や水路で獲れたナマズを使わなくなって久しい。

かつて吉川を舟運の集積地として栄えさせた中川。江戸に運ぶ年貢米を集める一大河岸として吉川は栄えたという。

ここで特筆すべきは吉川市ではナマズの養殖が行われていることだ。黄金ナマズのモニュメント完成の翌年、埼玉県水産試験場の協力のもと大場川のほとりにあった休耕田を利用したナマズの養殖が開始され、以降、市内でナマズを出す料亭への提供が続いている。

ナマズの養魚池。元気なナマズは底でジッとしてるからなかなか見ることができないという。出荷時には仕掛けられた底引き網で捕らえる。
かつてはナマズの人工授精も行っていたというが、今は稚魚を業者から仕入れて育てているとのこと。

養殖池を営む吉川受託協会の宇野克己さんに話をお聞きすると、往時には年間2トンもの生産量があったが、このところはコロナの影響を受け、仕入れ量がだいぶ減ってしまったとのこと。幼魚を仕入れて2年間育て、1kgぐらいまでの成魚にして出荷するという。宇野さんは吉川で生まれ育ち70歳を超える。養殖業は難しい時期を迎えているがナマズの話となると目を輝かせて幼少時の思い出を語ってくれた。

「吉川の魚と言えば、やっぱりナマズだなぁ。昔はコンクリートの水路なんてなかったからコイもナマズも田んぼに上がり放題だった。コイなんて一抱えもある大きいのが江戸川から入ってきてね。ナマズは田植えの代掻きにまじって入ってくるんだけど、そこらじゅうで巻きついて産卵してたよ。昔は食べ物には困らなかった。どんどん入ってくる魚を食べればいいんだから。今はちょっと臭いかな。それでもナマズやコイが入ってくる田んぼはまだあるよね」

子どもは切り出した竹を竿にして、ハリとオモリだけつけて川底をトントン叩いてナマズを釣ったという。餌はザリガニのむき身が一番だった。「ナマズは残すところのない魚だから、アラは頭もろとも包丁で細かくたたいて団子にして揚げて食べたもんだよ」と宇野さん。

私は朝の釣りで目にした素掘りの用水を思い出していた。田植えの時期になると大場川を通ってナマズが田んぼにやってくる。子どもたちはそれを釣りあげ、大物を手に意気揚々と家に帰ったのだろう。食べるナマズは養殖のものに変わったが、田んぼに入って産卵をするナマズは今もいる。そんな風景が残されている限り、ナマズ釣りを楽しめ、ナマズ料理を美味しく食べられる料亭も残されている吉川は「なまずの里」に違いない。

今回、あらためて吉川を訪れてみて、歩き、そんなことを思った。

街中にナマズの気配が溢れている。目立つのはナマズ料理やキャラクターとして。
だが住宅地にめぐらされている何気ない水路にもきっとナマズはたくさんいるはず。
川を歩いていると、70歳を過ぎた元気のよいおじいさんが「釣れるかい?」と話しかけてきてくれた。聞けば子どもの頃は、釣りはもちろんのこと、手づかみでナマズを獲っては「タタキ」などにして食べていたという。そして今でも時々、古タイヤを用いたドウなどでナマズを獲っては井戸水に2カ月さらし、臭みを取って食べることがあるという。素敵なデザインの「なまずの里マラソン」キャップを見せてくれた。
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