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川と釣りと……
今月の川 千曲川

長野県、埼玉県、山梨県の県境にある甲武信ヶ岳に源流を持ち、長野県内を縦走するように北進し、長野市で最大の支流である犀川と合流。新潟県に入ると信濃川と名を変え、新潟市で日本海へと注ぐ。千曲川と信濃川をつなぐ流れは367kmで日本最長。今回の舞台である上田市は、千曲川の沖積平野が広がる盆地で、山あいには数多くの支流が伸び広がっている。名将・真田幸村の父である真田昌幸が真田家当主だった1583年、千曲川沿いに上田城が築城された。

白く増水した、初めての千曲川

川沿いの側道に出ると踏切の警報音が鳴り、ちょうど目の前でバーが下がった。赤く大きな単線の鉄橋を、一両編成の車両が向かってくる。このタイミングを待っていたのだろうか、踏切の脇でカメラを構える人がいる。私も窓を開け、川を渡る風の匂いを嗅ぎながらシャッターを切った。幸先の良いスタートだ。

2022年4月末。長野県内を滔々と流れる雄大な清流、千曲川を訪れた。「千の曲がりを持つ川」という名の由来の通り、元来の千曲川は幾多もの蛇行部を持ち、洪水のたびに流路を変えるような広い川原を持つ川だった。目の前の赤い鉄橋は、令和元年の台風19号で崩落し、全国的なニュースにもなった千曲川橋梁。上田駅と別所温泉駅を結ぶ上田電鉄が1年5カ月ぶりに復旧を果たしたのは昨春のことだ。鈍く光るステンレスボディに赤いラインの走る車両、そして真っ赤な鉄橋は、「赤備え」で知られる上田城城主の名将・真田幸村のイメージとオーバーラップする。

「ALL STAINLESS CAR 60TH ANIVERSARY」のパネルを着けて走る上田電鉄のワンマン1両編成。赤いラインが一本、車体に走る。
上田市のシンボルである千曲川橋梁。2019年の台風19号で対岸に接する箇所が崩落したが、2021年3月28日に復旧を果たした。

私にとっては初めての千曲川。まず目についたのは、川原の広さだった。今回は本流の釣りを楽しみにしていた。この広々とした川原でゆっくりとスプーンやミノーを流れに通し、ヤマメやウグイ、ニゴイ、ナマズなど魚種を選ばず楽しめれば最高だったのだが……。

前日にまとまった雨が降った影響だろう。目の前を流れる千曲川は白く濁り、険しく波立っていた。時刻は午前9時。一泊二日の行程で、明日の昼過ぎからは大型の低気圧通過による、さらに強い雨が予報されていた。

前日のまとまった雨により、川全体に強い濁りが残っていた。本流でウグイやニゴイを狙ってみたかったのだが、一見しただけで諦めざるを得ない状況だと知った。

本流の釣りもさることながら、もうひとつの楽しみは、この地に古くから伝わる「つけば漁」を見ることだ。つけば漁とは、春から初夏に川底で産卵するウグイ(この地ではハヤと呼ぶ)を捕らえる伝統漁法。「つけば」とは「種付け場」つまりウグイの産卵場のこと。清らかな流れの砂礫底に集まり群れで産卵するウグイの習性を利用して、人工的に作った産卵場におびき寄せて一網打尽にする。当連載のバックナンバー「川と釣りと伝統漁法と」で紹介した新潟県・大川に伝わる「サケのコド漁」とも重なる魚の産卵習性を利用した漁を、この目で一度見てみたかったのだ。

地元の漁師さんと約束したのは明朝、果たして漁はできるのだろうか。それまでに川の水が平水近くにまで戻ってくれると良いのだが。

いずれにしても今日は釣りのために用意した一日だ。であるならば、まずはこの濁りから逃れなければならない。目指すは上流だろう。川沿いを南へ向かう。普段、関東平野で太平洋に注ぎ込む川に馴染んでいる私には「南に向かう=下流へ下る」という感覚があり「南に車を走らせて上流に向かう」ことにギャップを感じる。その違和感を楽しみながらしばらく走ると、道路脇の木々の間にちらっと大きな堰が見えた。

川はここでも白濁していたが、堰の下流側には動く魚が溜まる。川の状況を知る手がかりが得られるかもしれない。堰の下は釣り禁止の箇所が多く、ここも「堰の下流90mの区間は禁漁」と書かれていたが、まずは竿を持たずに川辺へ降りてみた。

思われている以上に川の魚は上・下流に移動しているものだ。イワナは秋になると産卵のために細い支流に入るし、アユは川を下りながら産卵に適した砂礫の瀬を探す。一方ウグイは春から初夏にかけて産卵のために川を上る。上りながら産卵に適した水通しの良い砂礫底を探す。川を上ってくる魚にとって堰は大きな障壁だろう。魚道が備わっていたとしても、堰の下は一時、魚が溜まる場所となるはずだ。ならば、このあたりでウグイの気配を感じることはできないか? そう思って川をのぞいてみた。

堰の近くにあった石垣は「安政の川除(羽毛山堤防)」の名残。かねてから洪水の被害に襲われていた集落を守るために安政6年(1859年)に作られた石積み堤防だ。
河道にはオニグルミの木が多く、足元にはヒョロヒョロとした実生がいくつも伸びていた。
オニグルミは雄花序を下げていた。これを見て、私の地元である埼玉南部とは半月ほどの季節のズレを感じた。

広い河道には所々に若い木々が生えていた。その向こうには広大な砂礫の川原が続いている。木々の下には草をかき分けるようなケモノ道があり、その傍らに何者かのフンが落ちていた。鼻にツンとくる独特の匂いはおそらくキツネのものだろう。河道には朽ちた木が横たわり、その近くにはオニグルミの若い木がヒョロヒョロと伸びていた。あらゆる川辺で見かけるサイカチの巨木もある。自然豊かな一角の雰囲気を楽しみながら水辺に出ると、ぬかるみにケモノの足跡を見つけた。ひとつはタヌキ。あとはハクビシン? キツネらしき足跡もある。背後の木々からウグイスとキジの声が聞こえる。さほど動いてもいないのに、警戒心の強いアオサギが私の姿を遠目に認めて飛び立っていった。

野生動物たちのランドマークにもなりそうな倒木。周囲にはケモノたちの足跡も散っていた。
大水が出た時に流された草木が岩の間に溜まったのだろう。隙間はまるでキツネの巣にでもなっていそうな雰囲気を持っていた。
直線状の足跡。キツネかタヌキか。川沿いに続いていた。
最も多かったのはタヌキの足跡。
これはハクビシンの前足だろうか……。
堰の右側に魚道が見える。果たしてどれほどの機能を果たしているのだろう。ウグイはさらに上流に上っていくのだろうか。

ふと目を落とすと、水辺に一匹の魚が揺れていた。体に独特の赤い線が数本。それは絶命した産卵期のウグイだった。12〜13㎝といったところだろうか。小さい。私の住む埼玉南部を流れる川には春になると東京湾から40㎝前後のマルタウグイが産卵遡上してくるが、それに混じっているウグイは小さくても25㎝ほどある。渓流のヤマメ釣りでは10㎝ほどのウグイを釣ったこともあるが、それはくすんだ銀色の未成魚だった。赤い婚姻色の出たウグイが手のひらよりもだいぶ小さいことが意外だった。ウグイには海に降って大型化するものと、川で一生を終える小型のものがいて、千曲川のはもちろん後者だ。川の水に手を浸す。思いのほか冷たく、雪代の影響を思わせる。指先がジンジンと痛み出した手で死んだウグイをすくい上げた。

岸際に落ちていたウグイの死骸。ところどころ擦れてはいたが、特徴的な婚姻色が見られた。
お腹には黄色い卵が一粒。無事に産卵を終え、一生を全うした姿に見えた。

体中に擦り傷はあるが、致命傷と思われるような外傷は見られない。腹を押すと黄色い卵が一粒出てきた。とっさに頭に浮かんだのはやはり地元・埼玉の川、秋に産卵して一生を閉じるアユだった。アユは夕方から夜に産卵するため、朝には浅瀬に流れついたアユの死骸や、まだわずかに息の残る姿を見ることができる。天命をまっとうしたと思われる姿に混じりお腹がパンパンに張ったままのメスもいて、そんな時はなぜ死んでしまったのかを傷跡から探ってみる。それらは小型で吻端が欠損していることが多い。上流には竿を立てる数人の釣り人。おそらく食用に向かない小さいアユの針を外す手間をうとんでそのまま力づくで引きちぎり、川に捨てたのだろう。

手の中にいるこのウグイは、ほとんど卵を産み切っていた。生涯一回しか産卵しないアユとは違ってウグイは3年も4年も繰り返し産卵する魚だから、産卵を終えたからといって死ぬわけではない。死因はまた別にあったのかもしれないが、卵をほぼ産み切っていたことに少し安堵した。

秋のアユ同様、春から初夏に浅瀬に集まるウグイは多くの動物たちにとって重要なタンパク源となっていることだろう。カワウやアオサギ、イタチにキツネなど、多くの動物たちが利用しているに違いない。千曲川への最初の一歩で偶然にもキツネのフンとウグイの死骸を見ることができた。そんなことで一気に川に親近感を覚えるから不思議だ。

下流に向かって川原を歩く。大きな石に混じってこぶし大の丸い石がゴロゴロと積み重なっている。まるでビリヤードの球のような丸さは、千曲川の強い流れに削られたためだろう。少し行くと、大きな石が山のように積み上げられた跡が5つか6つ、川原に点在していた。明らかに人の手によるものだが、不思議と風景に馴染んでいるようにも見えた。のちに調べてみると、どうやらウナギなどを獲る「ゴロ漁」の跡らしい。

角の取れた石や岩の砂礫川原が広がっていた。これでも昭和50年代ごろまで盛んに行われた砂利採取によって河床が下がったことで川原が減少してしまい、近年では各地で復元する試みも行われているという。
対岸は川に削られ崖の地層が露わになっていた。小さな沢の周囲には流れてきたと思われる砂礫が溜まっていた。
突如、現れた石積み。増水時にウナギやモクズガニなどをおびき寄せて捕らえる「ゴロ漁」の痕跡と思われた。
おにぎりのように丸い石がゴロゴロと転がっている。長い距離を流れに削られながら運ばれてきたのだろう。
対岸に段丘崖がそのまま接していた。縄文時代に人はこんなところに住んでいたのではないか?なんてことまで思わせる風景だった。

きつい濁りから逃げるように山あいの渓流へ

どうやら濁りは引きそうにない。本流の釣りは諦めて、支流の渓流でヤマメを狙ってみることにした。この辺りでは東西から多くの支流が千曲川に注ぐ。アユ釣りで有名な千曲川は、本流から少し谷筋を上るだけでいくつもの渓流にアクセスできる。地図を見て車道沿いの支流を選び、時折横目で流れの具合を確かめながら、上流に向けて車を走らせた。

ある程度のところで見切りをつけて、濁りの残る流れに入渓する。上流に行けばさらに濁りは引いているとも思ったが、本流の釣りを引きずっていたこともあり、イワナのいる上流よりもヤマメのいる下流側で竿を振りたかった。間違ってウグイが釣れることも少し期待した。

千曲川の一支流。若葉の萌える新緑の間を流れる。

水位は下がっていたが、足を踏み入れると、濁りでウエーダーシューズが見えなくなる。今日はもう雨は降らないはずだから少しずつ条件は良くなるはず……と、信頼するシルバークリークミノーSを結んで釣りを始める。濁りを見て「これはダメかも」と半ばあきらめつつ、「大型が釣れるのはこんな時だ」という釣りのセオリーも思い出し、少しずつ川を遡行していった。

しばらく進んだところで視界が開けた。新しい護岸で固められた大きなカーブ。濁った水の下に、流れの強弱が作り上げた砂礫底のブレイク(段差)がうっすらと見える。その先はやや深い淵になっているようだ。期待もせずにブレイクのすぐそばに立ち、ミノーをキャスト。連続トゥイッチでヒラを打たせながら引いてくると、ほとんど足元近くのブレイクのかけ上がりで、大きな銀色の魚が真下からルアーを食い上げてきた。「うわっ!」とのけぞった時、ミノーは空を舞っていた。この濁りでも食ってくるのか?

すぐさまミノーのトゥイッチを気持ち強めに入れて誘うと、手元に強い衝撃が伝わるとともに30㎝以上もありそうな銀鱗のヤマメが全身を露わに横っ飛びした。同時にルアーが弾き飛ぶ。デカい……まるでサクラマスだ。しばしボーゼン。落ち着いて場所を休める。そして再度ミノーを投じると、今度はしっかりフッキング。うっすらと側線上に朱点が並んだ25㎝ほどのきれいなアマゴだ。続けてもう1匹。

銀鱗が印象的だった良型のアマゴ。白濁りの中、激しく動かしたシルバークリークミノーに襲いかかってきた。
もう一匹には朱点が見られなかった。少し支流を上がればこのようなヤマメやイワナを釣れる川がたくさんあることも、千曲川の大きな魅力だろう。

さらに川を遡行することで、釣果を重ねられる気もしたが、ここで引き返す。今回はヤマメよりも本流のウグイが気になっていたからだ。少しでも濁りが取れていれば、夕まづめにワンチャンスあるかもしれない。そう思って午前中に降りた堰の下の川原に向かう。もしかしたら、日が暮れる間際にキツネを見ることだってできるかもしれない。

竹の新緑がまばゆい。このままどんどん釣り上っていきたい衝動にもかられたが、今回はイワナやヤマメよりもウグイが気になっていたため、夕方を前に退渓を決める。
私の地元・埼玉県の平野部ではだいぶ前に見たツクシ。植物を見比べると、それぞれの地の季節の進み方がわかる。
千曲川が作り出した沖積平野が眼下に広がる。かつては「千の曲がり」で暴れながら、一帯への氾濫を繰り返していたのだろう。

本流に戻る。水位が下がったぶんだけ川底は見えるが、まだだいぶ白い濁りが残っていた。思ったよりも浅い。それでも朝見たウグイはこの上流にある堰下まで遡上したわけだから、ここにだっていないわけがない。そう思い、スピナーとミノーを交互に投じた。反応なし。遠くでアオサギがギャーと鳴いた。

いつしか雲は散って消え、西に傾いた日射しが空気を琥珀色に染めた。丸い石の川原を下流に歩くと、対岸にそびえる高い崖に西日が当たり、地層が浮きだした。長い年月をかけて流れに削り取られたものだろう。漠とした河原には、かまくらのようなゴロ漁のシルエットが転々と浮かんでいる。河道に並ぶヤナギの間に太陽が落ちると、途端に冷えてきた。早々に釣りを諦め、強い風を受けながら誰もいない川原を歩いた。

段丘崖からの流れが白糸の滝を作っていた。その下はいかにも大きな魚が居着きそうなプールに。
河畔林に太陽が落ちると急に空気が冷えてきた。

翌朝、ウグイを獲る古来からのつけば漁を見せてもらう

翌朝、ウグイのつけば漁を見せてもらう前に、千曲川に架かる常田新橋に備えられた展望塔に登り、川を見下ろした。川の中央には大きな中州が広がっている。今回、見学をお願いした「鯉西」の漁場が中州の下流端に見える。その向こうには、赤い千曲川橋梁。広い千曲川を見渡しながら、台風時の増水を想う。自然は大きい。中州につかまっているように見えるつけばが心もとなく思えた。

上田駅近くの千曲川。遠くに見える赤い橋が千曲川橋梁。右には鯉西のつけば小屋の黄色い屋根が見える。
流れの中に設置されたつけば。下流側の木枠の中に人工産卵場である「種付け場」を造成し、産卵をするウグイをおびき寄せて捕らえる。

5時過ぎ、待ち合わせ場所の「つけば小屋」に着くと、ちょうど軽トラが滑り込んできた。

「遅くなっちゃってごめんねー! 弟子がもう入ってるからね。さっそく川に行ってみますか」

張りのある声で、威勢よく迎えてくれたのは、千曲川で38年ウグイのつけば漁やアユの投網漁を続けている鯉西の西沢徳雄さん。まずは川原に積んである丸い石をカゴに入れると、漁を手伝う仲間二人とともに流れの中のつけばまで運ぶ。

「昨日の朝は雨でだいぶ水が上がってたから、とっつけない状況でね。でも今回は水の落ちが早かったから夕方5時ぐらいにのぞいてみたら10匹ほどいた。だから今朝はもうちょっといるとは思うんですけどね」

押しの強い手前の流れを横切ると、そこに木板や杭で囲われたつけばがあった。

中央がつけば漁を38年続ける鯉西の西沢徳雄さん。お弟子さんの酒井明義さん(左)、佐藤宣彰さん(右)と一緒に。

写真・文:若林 輝