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川と釣りと……
今月の川 埼玉県・柳瀬川

埼玉県所沢市の山口貯水池(狭山湖)を水源とし、村山貯水池(多摩湖)からの流れや空堀川、東川などと合わさり東村山市、清瀬市を経て埼玉県に入り、志木市で新河岸川と合流する一級河川。途中、東京都清瀬市にある下水道処理施設「清瀬水再生センター」からの処理水が流れ込む。新河岸川の流れは途中、荒川とも接しながら隅田川と名を変え、東京湾に注ぐ。「海なし県」の埼玉にして、スズキ(シーバス)やアユ、マハゼ、ボラなど海の魚が遡上する貴重な都市近郊河川だ。今回の舞台は、埼玉県内の区域。周囲は所により田畑や雑木林と接するが、岸辺の多くは護岸され、河畔林も少ない。

都市近郊河川のイメージは……「景観」と「広場」

都市近郊河川と言うと、どのようなイメージをもたれるだろうか。周囲には住宅が並び、休みの日の河川敷には花見やバーベキューの人が集う。川沿いの土手には桜が植えられ、ジョギングや犬の散歩、それに通勤・通学の人々が行き交う。プラスチックごみや空き缶が風に転がり、倒れかけた岸辺の木の枝には大雨時の水位を知らせるゴミ袋の花。水際はチョコレート護岸や流下物が堆積してできた土手、そして茶碗や植木鉢の欠片が散らばる川原には、白く乾いたシルトや付着藻類が浮きあがる。そこを流れる水は、多かれ少なかれ浄化槽を経ていたりいなかったりする生活廃水や工業廃水を取り込み、瀬に立った白泡は時に、流れの淀みをしばし漂う。

自然豊かな地方の川に親しむ人から見たら、川とはまるで違ったモノに見えてしまうだろう。それでもコンクリートひしめく都市近郊生活者にとっては、ちょっとしたオアシスで、流れに浮かぶカモなどを見ながらノンビリするには悪くない空間だ。流れる水は眺めるだけでも余計なことを忘れさせてくれるし、日の射し方によって川面はキラキラと美しい。おそらく川に訪れる多くの人は、その広がりや緑を感じることのできる景観を求めているのだろう。

私が長年通っている柳瀬川も、ある意味ではそんな都市近郊河川のイメージそのものだ。

冬晴れの柳瀬川(埼玉県内)。開けた川原や河川敷は近隣住民のちょっとしたオアシスになっている。
4月になると土手沿いにソメイヨシノが咲き、出店も並ぶ。

海魚がやってくる海なし県の川

埼玉県志木市役所で新河岸川と分かれる柳瀬川は志木市、新座市を経て、東京都の清瀬市、東村山市を上り、最終的には東京の水がめである狭山湖(山口貯水池)に行きつく一級河川。新河岸川は途中、朝霞水門等で荒川と接しながら、流れ下ると隅田川となり、東京湾に注ぐ。埼玉県内の柳瀬川は、両岸こそ護岸も目立つが、河床は泥底の区間と交互して玉石底もあり、そんな場所は淵や瀬が連続するなど比較的変化も多い。詳しく調べたわけではないが、柳瀬川の「ヤナセ」は「簗のある瀬」が語源ではないかと想像している。簗とは産卵前に川を下るアユなどを捕るための、竹などの簀で作られる構造物だ。今も4月ぐらいから東京湾から遡上する稚アユが姿を現し、釣り人が川辺に立ち並ぶ様子が見られるが、その昔は簗が作られるほどアユの魚影が濃かったのではないだろうか。

瀬に群れるアユ。盛夏には大きいものだと20cmを超える。
10月後半の落ちアユ。黒ずんだ錆び色が特徴。一般的には産卵のために川を下ると言われるが、柳瀬川では夏の生息域でも産卵を行っているようだ。

語源についてはあくまでも想像にすぎないが、海なし県の埼玉にあって、海と行き来する魚が上ってくるのが、この柳瀬川だ。私が確認をしただけでもアユの他にボラ、マルタウグイ、マハゼ、スズキ(シーバス)、モクズガニが海とこの川を行き来している。毎年、2月後半には海ではないが下流から太ったコイがハタキ(産卵行動)のために川を上り、5月になるとアユやハク(ボラの幼魚)の遡上に混じってこの川の二大底生魚とも言えるウキゴリとヌマチチブの稚魚が多勢動き出す。深みの底に溜まっているのだろうか、その頃になるとオイカワも動き出し、暖かくなるとユスリカや小型カゲロウを狙って水面でライズする様子が観察できる。

マルタウグイの産卵行動。瀬でもみくちゃになりながら砂礫底に付着卵を産みつける。
柳瀬川に海から溯上したマルタウグイ。婚姻色の赤腹が鮮やかだ。

先ほどアユを狙う釣り人がいると書いたが、他に釣り人が狙っている魚はコイ、スモールマウスバス、ナマズ、スズキ、ニゴイ、マルタウグイ、そしてオイカワといったところだろうか。ちなみに漁協も存在し、遊漁券も販売している。季節ごとに異なる魚種を狙って竿を振る人の姿がポツポツと見られるが、規模の小さな川だけに稚アユが遡上する時期はともかくとして、釣果を望む人にとっては、さほど面白くはないだろう。手網ではテナガエビ、スジエビ、ヌマエビ、カワムツ、ヌマチチブ、ウキゴリ、それに数種類のヤゴ類などを捕ることができる。動きが素早く捕まえるのはかなり難しいが、ミドリガメ(ミシシッピーアカミミガメ)が護岸で甲羅干しをする姿はよく観察できるし、クサガメやスッポンも珍しくない。夏場はアマガエル、トウキョウダルマガエル、ウシガエルの声もにぎやかだ。

ナマズ。一度、大型のものがコガモに襲いかかるのを目撃したこともある。
スズキ。シーバスの名で人気のフィッシュイーター。小魚を模したミノーなどのルアーで狙う。冬にはほとんどいなくなってしまう。
ニゴイ。アグレッシブにルアーにアタックを仕掛けてくる。青い目が美しい。
コイ。春に産卵のために上ってきた太い一匹。パンくずを模したスポンジルアーで釣ったのを撮影させてもらった。
ウシガエル。ボーッボーッと鳴く夏の柳瀬川の風物詩的存在。
テナガエビ。梅雨時期になると産卵のため浅場に上がってくる。スジエビやヌマエビの仲間もいる。
クサガメ。甲羅に三本の隆起線を持つ。ミドリガメよりものんびり屋。
ミドリガメ。正式名称はミシシッピーアカミミガメ。暖かい日中は護岸や土手で甲羅干しをしているが、逃げ足はどこまでも早い。

ここまで書いてきたように、水辺の生き物たちに直にコンタクトを取ろうとする者にとっては、都市近郊河川でありながらも、なかなか出会える種類は多いと言えるのではないだろうか。一見、とてもそんなに多くの種類の生き物が棲んでいるとは思えない都市近郊河川にも、興味を持ってまなざしを向けることで、見えてくる物は多い。

川原でハシボソガラスがニゴイをついばんでいた。なぜかニゴイは犠牲になりやすい。

目の前でオオタカがコサギを襲う

私が柳瀬川の近くに事務所を移転したのは3年ほど前のことだ。昼食後のリバー・ウォーキングが日課となった。そこで、ある12月の曇りの日に、思いがけないこの川の一面を見た。

川の護岸をひとり歩いていると、頭上でアオサギがギャーギャーと鳴きわめいた。見上げると大きなふたつの鳥がもつれ合っている。片方はアオサギで、もう片方は……カラスだろうか? いや、カラスはその周りに2羽、やはり大声でわめきながら飛び交っていた。アオサギではない大きな鳥は一度、上空へと舞い上がっていった。見失ってしまった……と思って空を仰ぎ見る私の頭上に突然、そいつは風のように現れた。見ると白い鳥を追っている……コサギだ。私の頭をかすめたかと思うと二羽はもつれ合い、コサギはそいつに蹴落とされて川に落ちた。そいつも川に飛び込んだ。カメラを持っていたので構えたが、なぜかオートフォーカスが狂った動作を繰り返し、ようやくピントが定まると、瀬に立ち尽くす大きな鳥を捉えた。それは猛禽……タカだった。

それにしても、なぜ瀬に立っているのだろう。コサギはどこにいったのだ? そう考えてすぐ、ギュッと心臓が掴まれた気がした。脚の下に何かをつかんでいる……。10秒、20秒、30秒ほどすると、タカは大きな翼をばたつかせて水面から飛び立った。その下には黄色い脚にしっかりとつかまれ、だらりと首を垂らしたコサギがいた。川原に持ち上げると口でつかんで引きずり、枯れたススキの陰に納まると、ガツガツとクチバシでコサギの羽根をむしり、その下の皮膚を切り裂いて内臓と肉を美味そうに食べ続けた。

川に沈めて息の根を止めたコサギを引きずりながら川辺へと運ぶオオタカ。右上に黒く見えるのはハシボソガラス。終始、オオタカの狩りをじゃましていた。
草の陰でコサギを食べるオオタカのメス。おそらくは幼鳥だろう。1時間ほどですっかり内臓と肉を食べてしまうと、飛んで行った。

タカはコサギの腹をあらかた食べてしまうと、飛び立っていった。後で調べると、若いオオタカのメスであることがわかった。

オオタカが飛び立った後、対岸に渡り、現場を見ると、コサギの首から頭にかけてと翼、それに脚が残されていた。周囲にはむしり取られた真っ白な体羽が散らばっていた。コサギが引きずられた痕を見ると、そこにはコサギが吐き出したのだろう未消化のヌマチチブとウキゴリが数匹散らばっていた。期せずして、人間とは無関係の、川の野性を目撃してしまったのだ。

翌日、気になって現場に行くと、もうコサギはいなかった。白く散らばった体羽だけが残され、その周囲にはネコよりも少し大きな爪のついた足跡が散らばっていた。

おそらくはオオタカに襲われたコサギが吐き出したのであろうヌマチチブとウキゴリ。ほんの数分前まで小魚にとっての恐ろしい捕食者は、より高位の猛禽の餌となった。

この体験は、それ以降、私のこの川への見方をがらりと変えた。まず最も顕著だったのは、コサギが食べられた痕、おそらくはオオタカによる食痕が次々に目に付くようになったことだ。新しい食べ痕もあったが、明らかにこれまでウォーキングで通りすがりながら気付かなかったものも多かった。慣れてくると、遠目にも食痕を見つけられるようになり、ひと冬だけで、なんと10例ものコサギが食べられた痕を見つけた。その期間中、しばしば空にオオタカの滑空を見たが、なぜだかゾクッと身震いがして恐怖を感じた。オオタカに狙われるコサギに親近感が芽生えたのか、しばらくの間、コサギにばかり目が行くようになった。

コサギ。くちばしが黒く、脚先が黄色い。水生植物や石の間に脚を差し入れてガサガサとゆすり、驚いて飛び出してきた魚を捕える。
岩の間から出てきたヌマチチブを捕まえた。

コサギの観察を続けると、もう少し大型のチュウサギやアオサギとは異なる方法で魚を捕っていることもわかってくる。コサギは脚を石や岸際の近くでブルブルと震わせて、そこに隠れていた小魚(主に底生魚?)やエビ類を追いだしてついばむが、チュウサギやアオサギは、アユやオイカワ、ボラなどもう少し遊泳性の強い小魚が通るルートの一点でジッと立ち尽くして待ち、通りがかった魚にクチバシで一撃を食らわせて捕らえる方法をとることが多い。遠目から観察していてもサギ類はよく目立つ。彼らがエサを狩る場所はすなわち小魚の多い場所だから、自然とフィッシュイーターをルアーで狙う釣り人にとっての好ポイントにもなる。鳥が釣るべき場所を教えてくれるのだ。

チュウサギ(もしくはダイサギ)。ハゼの仲間を捕まえた。
アオサギ。最も大型のサギで、時折瞳孔をギュッと引き絞る様子はまるで恐竜のよう。

鳥に教わる……といえば、秋から春にかけてはるか北方から越冬飛来するカモ類も、釣りに役立つ。川辺にいるカモは人が来ると逃げてしまうから、そのちょっと前に人がそこにいたかどうかを推測することができる。開けた川で釣りやすさを決めるのは、魚がおびえているかいないかだから、カモが安心して群れているような場所は、しばらく乱されていないと判断できる。もちろん、自分がカモに近づく際には少しずつ遠方からプレッシャーをかけて、じわじわとその場所から立ち退いてもらうようにする。いずれにしてもカモたちには迷惑な話だが……。

柳瀬川はヒドリガモの飛来数が多い。ピーウィーと可愛く鳴き交わす。

川は生き物の交差点。常にそこにいるわけではない

ある程度の長い間、川を観察し続けていると、あらゆる生き物が常にそこにいるわけじゃないことに気付く。たとえば柳瀬川の川辺にはタヌキの足跡が散らばっているが、日中にこの川辺でタヌキを見たことは一度もない。なぜならタヌキは夜行性で、人間が活用しない時間帯に川辺を闊歩し食べ物を漁る。オオタカが食べ残したコサギは、おそらくかなりのご馳走になったことだろう。サギ類で言えば、コサギやチュウサギは日中にエサを獲るが、ゴイサギが夜行性だ。日中、川でゴイサギを見かける時は、ほぼ木に止まって眠っている。昼と夜で狩り場としての川を使い分けているのだ。

タヌキとイタチの足跡が散らばる川辺。中央やや左上寄りにある比較的大きな足跡がタヌキ。その他はほとんどがイタチ。それに混じってイソシギだろうか、鳥の足跡もある。
ホシゴイと呼ばれるゴイサギの幼鳥。これは2月に川近くの水路で見かけたもの。昼間はほとんど眠って過ごしている。

冬場に目立つカモ類は、カルガモを除いて前述したように北方から越冬しにやってくる。柳瀬川ではマガモ、コガモ、オナガガモ、ヒドリガモ、ハシビロガモなどを見ることができるが、これらは皆、春になると静かにひそやかにいなくなってしまう。柳瀬川を活用するのは晩秋から春先の数カ月だ。

オナガガモのオス。尾と首が長いのが特徴。この川では他のカモよりも人を怖がらない傾向がある。
コガモ。右上にいるのがオス。左側の2羽がメス。
マガモのペア。オスは首のメタリックグリーンがとても映える。
飛翔するヒドリガモの群れ。

水の中の魚もまた、多くが行き交う旅人である。

年が明けるとまずニゴイが姿を現し、次いで2月下旬あたりに丸々太ったコイが産卵にやってくる。3月に入ると海からハク(ボラの幼魚)が群を作って遡上し、それを追いかけるようにスズキやナマズが姿を表す。マルタウグイが一斉に産卵遡上するのもこの時期だ。4月に入ると今度はアユがやってきて、岸辺には釣り人が立ち並ぶ。そのまま初夏から秋にかけて川は賑やかになるが、気温が下がるにつれて少しずついなくなっていく。

もちろん定住者である鳥や魚もいるが、それだけではないところに柳瀬川の魅力はあるような気がしている。「今年もやってきてくれた」と喜んだり、「今頃どうしているかな?」と想いを馳せてみたり。目の前の川の「現在の姿」を見ながらも、その川を利用する生き物たちを、時間軸を広げていきながら想像してみる。ついさっきまでそこにいたカモを、昨晩川原を歩いたタヌキを、昨春に川を真っ黒に染めたマルタウグイを、かつてオオタカに食われてしまったコサギを……。川を行き交う旅人を想うことで、時間の旅を楽しむことができるのだ。

迫力のある産卵行動は「ハタキ」と呼ばれている。
数尾でこのように入り乱れてしまうこともある。

時間の旅……と言えば、この場所はかつて海だった。およそ6000年前の話。今よりも海面が高く東京湾が内陸に伸びた縄文海進の時代、ここは森と湧水を背後に備えた浅く静かな入り江だった。人は丸木舟を滑らせスズキやマダイを獲り、ヤマトシジミやカキを採取し、秋にはカモたちの到来を心待ちにしていたに違いない。

川にかかる橋の赤信号を待ちながら、そんな夢想まで楽しんでいる。

人の営みと自然界が交差する夕暮れ。