



山梨県、埼玉県、長野県の県境にある標高2475mの甲武信岳を水源に持つ、幹川流路延長173kmの関東を代表する大河川。奥秩父の山塊に刻まれた多くの支流から水を集め、ライン下りなどで有名な観光地の長瀞渓谷を下った先が、今回の舞台となる荒川上流域。さらに下ると関東平野へ入り、途中で都幾川や越辺川、高麗川、そして今回ご協力をいただいた戸門秀雄・剛さん親子の営む「ともん」の傍を流れる入間川など、多くの支流が合流して東京湾へ注ぐ。
年の瀬の冷えた朝、今年初めてのカジカ漁に同行する
流れに削られた対岸の崖の上には、葉の落ちた木立が広がっていた。彩度の落ちた冬の薄い曇り空。空気の冷えた、しんとする静かな朝。戸門剛さんは車から降りると、肘まである青いゴム手袋をはめて準備を整えた。片手に小さな箱ガラスを持ち、もう片手にはヤスを手にして、茶色い付着藻類に覆われた滑りやすい川底に足を踏み出した。流れの緩い岸際には氷が薄く張っている。
ここは埼玉県・秩父市の荒川上流域。渓流釣りで人気のある奥秩父の沢の水を集めた山ふところの本流だ。埼玉県入間市でご両親とともに郷土料理「ともん」を営む剛さんが店から1時間ほど離れたこの川に訪れたのは、この年初めてのカジカ突きをするためだ。


膝ほどまである緩やかな流れまで進むと、腰を深く折り、水面の小さな箱ガラスに顔を着けて川底を覗く。すぐに顔を上げ、対岸に向けてさらに進む。流れをザブザブと膝で受けながら、対岸にそびえる崖の下までくると、再び腰を深く折り曲げて水面の箱ガラスに顔を着けながら、いくつかの石をはぐ。顔を上げると「いました」と身振りで合図。その後、指揮棒ほどの小さなヤスで水中をトンと突き、持ち上げると先端にぎゅっと体を曲げた小さな魚が付いていた。
カジカだ。近づいて、見せてもらう。
「とりあえずホッとしました。もちろん獲れたことの喜びもありますが、なにより今年もカジカがこの川にいてくれたことに、安心しましたね」
冬に旬を迎える清流の小さな川魚
カジカとは、イワナやヤマメと同じく水の冷たい清流の川底に棲む、10cmほどの小さなハゼに似た川魚だ。丸く大きな顔はどことなくユーモラス。イワナやヤマメに比べると肉は少ないが、秋口にしっかり食べて脂身を蓄えた冬は、天ぷらや唐揚げが美味しい。さらには素焼きにして熱燗に浸けるカジカ酒は、知る人ぞ知る絶品の味わいだ。入間市で剛さんがご両親と営む郷土料理の店「ともん」でも、カジカは冬になくてはならない食材となっている。
カジカは大切な冬の旬であると同時に、一年の川漁を占う指標にもなっているという。「今年もカジカがこの川にいてくれた」という言葉は、決して大袈裟な表現ではない。環境の変化に敏感なカジカは、川が荒れると途端に姿を消してしまう魚なのだという。一年を通して川漁を続ける剛さんにとって、カジカは川の健康度を測るバロメーターなのだ。
「2019年の台風で、この場所のカジカは一時、ほとんどいなくなってしまったんです。上流のダムの影響なのか、かなり濁りも入りましたしね。全くいなかったわけではありませんが、おそらく今このカジカを獲ってしまえば絶えてしまうだろうという恐れはありました。この年は漁をせず、翌年も様子を見ただけで1匹も獲りませんでした。2021年から川が落ち着いてきて、今年で3年目。まずは、いてくれてよかったです」


カジカは清流の魚だ。まず適度な水の流れがあること、そして砂に埋もれていない浮石があることもカジカが棲める川の条件となる。カジカの数は、年をまたいでカジカの漁期を終えたあとの渓流釣りを占うことにもなるという。カジカが隠れることのできる浮石は、カゲロウやカワゲラなど渓流魚の餌となる水生昆虫を育む場でもあるからだ。
その後、剛さんは続けざまに3匹ほどのカジカをヤスで突いた。突かれたカジカは腰に下げた竹製びくの口で外されると、つるっと滑り落ちていった。
「川を見る限り、昨年よりも良いとも悪いとも言えません。浮石が砂に埋まり、ずいぶん減ってしまっているように思います。ぎりぎり悪くならずにとどまっているという感じでしょうか」



見事な石化け。周囲に体の色を同調させる
ひとつの平たい石をはいだところで剛さんが手招きしてくれる。箱ガラス越しに覗くと、岩と砂の混じった川底が見える。だが、すぐにはカジカの存在に気づけない。目を凝らすと石と石の間に丸い頭を突っ込んだ姿が浮かび上がってきた。体を底にピタッと固めたまま微動だにしない。見事なカモフラージュ能力だ。
「完全に同化してますよね。石を剥いでしばらく経つと、周囲に合わせて体の色が明るくなってきます。ピョンピョンと逃げて石と石の隙間に嵌まると、またその石の色に体色を合わせていくんです」
川底にある石の色だけでなく、石の表面に付着した藻類や砂泥にまで擬態しているのは、どのような理屈なのだろう。剛さんは「かわいそうですが、突きます」と言うと、ザクッとヤスを川底に立てた。カジカは川底で固まったように体を曲げ、うちわのような胸ビレを目一杯広げて上がってきた。カジカの体を覆っていたぬめりがヤスの先端から一筋、白い蜜のようにツーッと垂れた。




約2時間で10匹ほど突くと、剛さんはこの冬初めてのカジカ突きを終えた。カジカのほかには20cmほどのギンタ(ギバチ)、小さなカマツカ、大ぶりのサワガニ。まだまだ、ひっくり返せそうな石はいくらでもあるように思えたが、剛さんはいたずらに漁の範囲を広げない。短い時間にも、今季の手応えは感じられたようだった。
「この川のカジカにしては、型もよかったので満足です。川の規模によってカジカが大きくなれる限界があります。大きな川に行けば、さらに大きなカジカが獲れますが、この川では今日獲ったぐらいがいいサイズ。川によって基準が違うんですね。この川ならこの大きさと自分で決めて、小さいカジカは突きません。逆に、特に大きなヌシのようなカジカにも手をつけないと決めています。大きく育ったということは、強い遺伝子を持っているわけですからね。大きく育つ子孫を残してほしいです」





一年の始まりの漁であり、一年を締めくくる漁でもある
一年を通して漁や採集を行う剛さんにとって、年の暮れから始まる冬のカジカ漁にはどのような思いがあるのだろう。漁を終えてお店に向かう車中、話を聞いた。
「11月末から始まるカジカ突きは、その年の締めくくりでもあり、年を越して初めて行う一年の開幕でもあります。漁期は1月末までですから、年明け最初の漁撈となります。怪我がないように祈りを込めて、今年も頑張りますと。カジカが終わると徐々に山菜採りが始まり、渓流のイワナやヤマメが始まり、夏にはアユを捕り、秋のキノコを経て、シーズンの締めくくりに、またカジカの季節がやってきます。年越し前に、今年も一年お世話になりましたという気持ちで行う漁ですね」
剛さんの一年は、著書『ぼくの市場は『森』と『川』 〝奇跡の料理店〟食味歳時記』に詳しい。春夏秋冬、四季折々の旬の幸を野山に追う様子がみずみずしく描かれるが、カジカ突きはここでも一年の節目として紹介されている。それにしても、首都圏からもほど近いベッドタウンの入間市において、店主自らが各地へ足を運び得た食材で郷土料理を振る舞うともんは、かなり稀有な存在だ。関東近郊はもちろんのこと、関西や北海道など、遠方からの客が多いことも、その唯一無二の味と特別なひとときを求めてのことだろう。
「郷土料理というと、普通はその地域でとれた食材を振る舞うものですが、うちの場合は近くの山里から遠くは新潟の魚野川まで、各地に足を運んで旬の食材をとってくるスタイルが珍しいかもしれませんね」と剛さん。ともんは2026年で創業50年。元々は祖父の代に精米屋の傍ら定食屋としてカレーライスなどを振る舞ったのが始まりなのだという。
「もちろん僕は、その時代を知りません。聞いた話では次男だった父が定食屋を継ぐことになった時、ただ継ぐのではなく、それまで自分が夢中になってきた渓流釣りや山菜採りなどの知識を活かせればと、今のともんのスタイルを始めたようです。父が渓流釣りを始めたのは高校生の頃。それ以前は店の裏を流れる入間川で毎日のように遊んでいたようです。精米屋は色々な機械があって子どもがちょろちょろしていると危ないから、むしろ川で一日中遊んでいると誉められたのだとか。子どもの頃から入間川に慣れ親しみ、そのうちに渓流釣りを知るとのめり込み、各地への旅を始めていったそうです。僕も入間川では、夏休みの自由研究でお魚調査をしたり、台風が通過した日以外は約40日間あった夏休みの毎日を川で過ごしたりと、一番の遊び場でした。コイやナマズを釣ったり、潜ったり、ウナギを獲ったり。父も僕も入間川があっての今、なんです。でも僕が生まれた時代は、入間川に限らずですが、都市近郊の川が『死の川』と呼ばれていた時代ですから、魚を獲っても食材にはなりません。今は入間川もだいぶきれいになりましたから、うちの前で獲った魚がお店で使える時代だって、いずれ来るかもしれませんよね」
ハンドルを握る剛さんが「でもやっぱりいいな、入間川は」と、まさにその川を見ながらつぶやいた。ほどなく、ともんに着いた。

「余してとる」に込められた思い
店に着くと、剛さんの父である戸門秀雄さんが出迎えてくれた。私は一年前の秋、初めてともんに客として訪れたが、その時と同じ柔和な笑顔。たっぷりの卵を腹に蓄えた秋アユと、初めて食べる香茸の天ぷらに衝撃を受けたことを思い出す。そして秀雄さんのお話の面白いこと。店に飾ってある古い漁具や写真をつまみに聞くお話は、これもまた、ともんだけの「味」なのだ。






秀雄さんは今朝の漁果を剛さんに聞くと、かつてのカジカ漁を思い出すかのように語り始めた。
「川底の石がひっくり返っているとわかるんです。ああ、もう誰か入っているなと。石の表面に焦茶色のコケが付いているでしょ。あれがひっくり返ると白く見えるから。でもあそこでカジカ突きをしてるのは剛さんぐらいになりましたよ。僕の時代には熱心なおじいさんがいてね、胴長を持っていないから、剛さんも僕も、そのおじいさんのために浅い所はやらないんです。『なんだよ兄ちゃん、えれえ獲っちゃってよー』なんてのも可哀想でしょ。おじいさんの分も考えて場所を取っておくんです」
「今朝僕が向こう(対岸)でやっていたのは、あまり人が入らないから。かつて同じ場所で何年か一緒にやっていたおじいちゃんがいたんです。ここ数年見ないから、もうやってないのかなぁ」と剛さんが言う。強い流れをわざわざ跨いで対岸に渡った意味を初めて知って、はっとする。秀雄さんが言葉をつなぐ。
「自然の食材にお世話になっているので、いっぱい獲るのは喜びです。でも『余してとる』ってのが、まずは一番大事ですよね。これは山のプロフェッショナルの方々に教わったこと。ある程度釣れたら『あとは後からくる者のものでいいんだよ』という考えです。人以外の動物も、魚も木々も、すべてが仲間という感覚ですね。これには感動しました。無駄な殺生はしないというか、今日はこんなもんでいいかーっていうね。達人の域と言いますか、そんな人には見えない線が一本、ぴーんと張っているような気がしますよね」
期せずして耳にした「余してとる」については、店までの車内で剛さんからも聞いていた。こんな話だった。
「『余してとる』は、父が言葉でも行動でも示してくれた教えです。釣りだと技術が足りなければ釣り切ることはできませんが、山菜やきのこは場所さえ知ってしまえば根こそぎにできてしまいます。だからこそ、山に暮らす人は本当に気を遣いながら間引くように採っています。来年のことや再来年のこと、もっと言えば子どもや孫の世代のことまで考えながら。僕らはあくまでも、その山におじゃまさせてもらっている立場。だから余計に気を遣わなければなりません」
山菜やキノコ採りで山に入るには、あらかじめその山を所有する個人や集落に挨拶をして、顔通しをした上で許可を得るという。一方、釣りは遊魚券を買えばレギュレーションの範囲内で自由に楽しむことができる。だが長く続けていくには、そこにも山菜やきのこと同じ気持ちを持つ必要があると剛さんは語った。
「例えばイワナを1日20匹までOKというレギュレーションがある川でも、本当にその通りにみんなが持って帰ってしまったら絶えてしまうことっていくらでもあると思うんです。お金を払っているからいいではなくて、枠組みの中であっても自分なりに川のことを考えなければ、結局は自分たちの首を絞めてしまいますから」
渓流釣りは一般的に、イワナやヤマメの産卵期を迎える10月1日から禁漁になることが多い。だが剛さんは近年、漁は8月いっぱいまでと決めていると言う。
「シーズンを通して僕がキープする数は一般の方々に比べたら明らかに多いわけです。殺生に時期は関係ありませんが、9月に入るとイワナもヤマメも腹に子を持ち始めますから、その時期に僕が傷つけるのは、やめておこうかなと……」
釣り人が皆、そうするべきという話ではない。剛さんの言葉から受け取るべきは、自然との付き合いの中で、自分の中に芽生える節度なのではないだろうか。
「父は本当に感謝を忘れません。山や川など自然に対する感謝もあれば、地域の方々に対する感謝もあります。慢心すれば自然はすぐに牙を剥く。惰性にはならず、常に感謝や畏怖の気持ちをもって臨みなさいと、自然と教わった気がしています」
