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未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
環境と地域経済を両立させる仕組み「PES」とは?
世界で注目される森林を守る仕組み
 水、空気、木材、きのこ、山菜。森は、人間にさまざまな恵みを与えてくれる。中でも木材は昔から建築材としてもエネルギー源としても、最も身近な素材だ。長い人類の歴史の中では、世界各地で過剰な伐採が繰り返されてきた。一方、今の日本で問題になっているのは、手入れの行き届かない人工林の存在だ。森の豊かさを人間が一方的に求めすぎれば、自然の生態系を崩してしまいかねない。  こうした中、注目を集めているのが、「生態系サービスの支払い」と呼ばれる仕組みだ。Payment for Ecosystem Servicesの頭文字を取ってPESとも呼ばれる。これは森林を守りながら経済的に支えるための仕組みなのだという。生態系サービスの支払いについて研究している上智大学大学院地球環境学研究科の柴田晋吾教授に詳しい話を聞いた。 「森などの自然が与えてくれる恵みのことを生態系サービス、または自然の人々の貢献(Nature’s Contribution to People)と呼ばれます。生態系サービスの支払い(以下:PES)とは、さまざまな自然の恵みや環境の価値に対して、消費者や地域住民などの受益者がお金を支払う仕組みのことを言います」  人間が自然から受け取っているものは驚くほど多い。中でも、水や空気は誰にとってもなくてはならないもの。だからこそ、PESは一人ひとりに関わる仕組みと言えるだろう。 「森林はさまざまな生態系サービスを提供する場所。ですから、マルチファンクショナリティ(多機能性)を社会に提供する森林の所有者に対し、インセンティブ(報酬)を提供する必要があります。それを明記したのが、『EU森林戦略2030』です。適切なインセンティブを提供するには、そのための仕組みが必要です。政府が補助金として支払うという方法もありますが、市場取引として成立してうまく回るようになればそれは素晴らしいこと。実際に、世界各地でこの仕組みを取り入れるための取り組みが盛んに行われています」
水や空気、きのこや山菜など、森はさまざまな自然の恵みを人間に与えてくれる。
世界に広がるNbS(自然を基盤とした解決策)時代のPESの取り組み
 今回の英国のCOP26でも人間が作った気候危機に対処するためのNbS(自然に基づく解決策)が話題の一つになっているが、「これからの社会は自然が提供するさまざまな恵み(生態系サービス)を最大限に生かした社会を構築することが不可欠である」ということが、世界の共通認識になりつつある。そのためのドライバー(駆動力)の一つとして期待されるのがPESである。 海外のPESの二大成功例として柴田教授が挙げるのが、ニューヨーク市の水源管理プログラムとフランスの水企業ビッテルの取り組みだ。 「ニューヨークでは1990年代に水道の水質が次第に悪化したため、膨大な建設費用と維持管理費用がかかる浄化装置の導入が検討されました。その過程で、上流の土地利用者に環境に優しい土地利用・農林業を実行してもらい、その対価として900万人の水道利用者がお金を支払うという対案が出され、長年の交渉を経て1997年に合意したのです。著書(環境にお金を払う仕組み)の中で紹介しておりますので、詳しくはそちらを参照いただければと思いますが、ビッテルも同様な経緯です。」  ニューヨークの案に対し、非効率だという指摘もあったが、浄化装置の建設や維持にかかる莫大な費用が不要となり、大幅なコスト減になったうえ、環境を守ることにもつながったという。 「PESの法制化の最初は、コスタリカの取り組みです。コスタリカでは1996年に林業法が改正され、林業支援の補助金が環境サービス確保を目的としたものに変更されました。また、その財源を政府予算から出すのではなく、受益者負担で森林基金を作って確保することになったのです。こうしたPESの取り組みによって急減していた森林の回復が起こったといわれています」  
 海外の例は他にも多い。アジアでは各国でさまざまなPESが始まっており、その筆頭が法制化しているベトナムだという。 「ベトナムでは法律によって、水企業やツアー会社は、上流地域の植林の費用を支払わなければならないことと定められています。また、タイでは、国の開発計画においてPESは『地域の天然資源の保全を行う地域のコミュニティが追加的な収入を生む生物多様性に根ざした経済開発のもう一つの方法』と位置付けられ、各地で取り組みが進められています。タイで最も大きな国家水企業Auraでは上流の自然保護地域に植林の費用を支払っています。また、タイにはプーケットを始め綺麗なビーチがありますが、一方で開発によってマングローブが失われています。そこで、観光ホテルが協力し、観光客から保全費用を集める取り組みも行われています」  さらに、金額的に世界最大規模のPESを行っているのは中国だという。 「中国ではかつて急斜面にも農地が作られ、土砂崩れが問題になりました。そこで国策として急斜面の農地を森に戻す『退耕環林』という取り組みが行われています。また、アリペイの植林活動も有名ですね。本学に多い中国人留学生の多くがスマートフォンの決済アプリを使用しているのですが、利用に応じてポイントが貯まり、植林につながる仕組みがあります。これは自分のアプリ上に木が生えるだけでなく、実際に植林が行われ、それを見ることもできるのです。ゲーム感覚で楽しめるとあって、中国では実に総人口の半分以上の人達が参加していると聞いたことがあります。日本でも似た取り組みが始まっていますね」  ユニークな方法で実際に収益を上げているのは、イタリアの事例だ。 「ある地域では、1日20ユーロでポルチーニ茸を2kgまで採取できるチケットを販売しています。年間数億円にものぼるその収益を森林整備に還元しているのです。別の地域では、トウモロコシ畑を森に戻し、川の余剰水流を引っ張ってきて森の中を通しているのです。その水を水道会社に売ったり、森のカーボンオフセットを販売することで、トウモロコシ畑だった頃より収入が増えたそうです」
日本の源流に必要なこと
 世界各地でさまざまなPESが行われているが、日本でも古くからPES類似の取り組みが行われてきたという。 「日本で最も古いPES類似の取り組みは江戸時代(18世紀)、越後国の水野村(旧柿崎町、現:上越市)の事例だと言われています。川の上流で炭焼きやそのための伐採が行われていたのですが、下流に住む人々が川の水が汚れることを心配し、お金やお米を差し出す代わりに炭焼きをやめてもらったというものです」  これ以外にも、日本では上下流の連携の取り組みや受益者負担の取り組みが以前から各地で行われてきており、このような取り組みが世界的に一般化するのは2000年前後ですから、この意味では日本は世界に先駆けてPES類似の取り組みを進めてきたといえるでしょう。この連載の第63回で紹介したように、大正5(1916)年に横浜市水道局が上流の道志村の森林を購入して管理しているのもPESだという。第105回で紹介した、長野県根羽村と愛知県安城市が矢作川源流を一緒に守っている例も同様だ。
日本では長野県の「森林(もり)の里親促進事業」など企業が森林整備を支援する仕組みも浸透しつつある。
 今、日本の源流地域は少子高齢化や林業の担い手不足など、さまざまな問題を抱えている。そうした中、源流地域で自然環境と地域経済を両立させながら次世代に自然を伝えていく上で、押さえておくべきポイントとは何なのだろうか。 「地域によって条件も歴史も多様ですから、地域ごとの特徴を活かすことを考えることが大事です。源流地域は森に覆われていますから、減りつつある森との関わりを取り戻していく必要があるでしょう。その源泉はやはり生態系サービスになるはず。ドイツなど欧米では森のようちえんや森の墓地など、近年、人々が新たな形で森と関わる動きが台頭しています。」  また、経済については、「環境省が提唱するサーキュラー・エコロジカル・エコノミー(循環型で自然と調和した経済)が求められるでしょう」と柴田教授。ちなみにサーキュラーエコノミーとは限りある資源を有効利用する経済のことで、約500兆円もの経済効果が見込める成長市場として注目を集めている。 「今後は源流地域と下流の都市の流域連携がさらに重要になっていくでしょう。『森は人間がいなくてもいいが、人間は森がなくては生きていけない』という言葉が示すように、人間は森なしに生きていけません。そして、森にはさまざまな可能性がありますから、NbSやPESを持続可能な形で動かしていくことが重要です」  都市に住んでいるとなかなか意識されにくい、自然の恵み。しかし、これがなければ人間は生きていけない。生態系サービスを守る地域や人に経済的に還元するシステムは、日本の源流の未来にとってますます重要になってくることだろう。 写真=田丸瑞穂 教授写真=上智大学柴田教授提供 文=吉田渓
プロフィール
柴田晋吾
上智大学大学院地球環境学研究科教授。東京大学農学部林学科を卒業後、農林水産省林野庁に入庁。国連食糧農業機関(FAO)などの勤務を通じて国内外の環境資源管理政策に携わった後、2013年から現職。ケンブリッジ大学客員研究員、パドバ大学客員教授、カセサート大学客員教授などを歴任。主要著書に、「エコ・フォレスティング」(日本林業調査会)、『環境にお金を払う仕組み=PES(生態系サービスの支払い)がわかる本』(大学教育出版)などがある。