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未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。 会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
サケが遡る川を取り戻した海と湖の漁師(網走川)
サケの水揚げ量日本一の網走の秘密
 羽田発女満別行きの飛行機が高度を下げると、厚い雲が少しずつ薄くなっていく。窓から覗き込むと、綿菓子みたいな雲の下で何かがキラッと光った。オホーツク海だ。 海岸線のギリギリまで迫る密度の濃い森に気を取られているうちに飛行機が旋回し、海のそばに広がる湖の上を飛び始めた。網走湖だ。  今回、源流探検部が目指す網走川は、この網走湖に注いでから再び川となり北の湖オホーツク海へと注ぐ。その流域では経済と環境保全を両立する取り組みが実を結びつつあるという。   そこで今回は、網走川を河口から源流まで遡りながら、この川の流域で何が起こっているのか、調べることにした。  飛行機から見えた豊かなオホーツク海。北海道で獲れるサケの半分以上は、網走から知床半島までの海域で獲れる。そこで操業する網走漁協はサケの水揚げ量日本一を誇る。 ちなみに網走漁協の年間水揚げ量は実に124億円。そこにはホタテやカニ、キンキ、さらにはワカサギやシジミも含まれる。というのも、網走では海岸に沿って4つの湖が並んでおり、この汽水湖がワカサギやシジミなどの豊かな漁場になっているのだ。西網走漁協が網走湖と能取湖で漁を行い、網走漁協はオホーツク海に加えて藻琴湖と濤沸湖で漁を行っているそうだ。  豊かな漁場に恵まれた網走の漁業だが、危機にさらされたことがある。 2001年の台風で、網走湖に大量の土砂が流入したのだ。 「網走では川の水は湖に入ってから海に注ぐので、湖を見ると川と海の状態がわかります。中でも網走湖はサケやマスが上る川につながっていて、水質が悪化するとサケマス漁ができなくなるのです」と語る網走漁協組合長の新谷哲也さん。
網走川の流域連携を牽引する網走漁協の新谷哲也組合長。
全長約115kmの網走川は北海道有数の穀倉地帯を支えている。
 なぜ、こんな事態が起こったのか…。新谷さんたちは問題の根幹を探っていった。 「雨が降ると流域の農地から窒素などを含んだ土砂から流入し、富栄養化してアオコが発生します。また、網走湖は満潮時に湖内に海水が逆流するのですが、海水は淡水よりも重いため底に沈んで『躍層』を形成します。このように、網走湖は海水と淡水の二層構造となる全国的にも珍しい湖なのです。下層の海水は微生物などによって酸素が消費され、無酸素で富栄養化した水となり、水質が悪化してしまいます。また、温暖化などで海面が上昇して下層の無酸素層が上昇し、全体の水質が悪化してしまうのです。海水の逆流は国が堰を作って食い止めましたが、上流からの土砂や栄養の流入はどうにもできませんでした」  流域では昭和50年頃から山を崩し、沢を埋め立てて広大な農地が造成された。欧米の大規模農業を取り入れた、全国でも有数の畑作地帯となっている。沢には排水用のパイプを埋設し、埋め立てているが、近年の異常気象で短時間に集中して大雨が降ると造成後40年以上経過した農地は山が崩れるように崩落し、川に土砂が流れ込む。平成13年の大雨の際は網走湖が土砂で真っ赤に染まったという。濁りの発生源を探るために川を遡ると、広大な農地が崩落していたそうだ。流出した土砂の量はおよそ3万㎥。ダンプカー5,000台にもなる。
湖の危機は海と川の危機
 これまでも網走湖を守る動きはあった。 「私が子供の頃の網走湖は底が見えるほどきれいな湖でした。それがだんだん濁るようになってきたこともあり、国をはじめとした関係機関により浄化を図ってきました。網走湖は二層構造であり上層は酸素が豊富なごく薄い塩水、下層は酸素が全く無い海水。下層は酸素が無いためワカサギやシラウオは上層に生息しています。海水の流入が増加し下層の水が増え生物の生息域が狭まったため国が堰を作りました。すると生息域は増えましたが上層の塩分濃度が薄くなりました。わずかな変化でも生き物にとっては大きく、さまざまな問題が出てきています。このように、いったんは環境が安定したように見えても、周囲の状況や気候の変化によって湖の状況は常に変化しているのです」と、西網走漁協組合長の清野一幸さんは語った。
網走漁協とともに流域連携に取り組む西網走漁協の清野一幸組合長。
網走川が注ぐ網走湖からワカサギの受精卵が全国に供給されている。
 もっと根本的なところを変えなければ、自然を守れないのではないか…。 そう考えた網走漁協と西網走漁協はタッグを組んで対策に乗り出した。まず始めたのは、網走川流域の農業者との対話。それが平成14年(2002年)のこと。 先頭に立った網走漁協の新谷組合長は、「最初は『漁師がどんな文句を言いにきたんだ』という顔をされましたよ(笑)」と、微笑みながら当時を振り返った。 このような関係だったものの、源流の津別町に何度も通って話しているうちに、農業者と漁業者の距離が少しずつ近づいていった、という。その津別町では早くから有機農業に取り組む農家があり、環境保全型農業を推進していた、といった背景もあったようだ。 「そんな中、元北海道開発局の染井順一郎さんの発案で『網走川サーモンアクションプラン』が始まりました。これは川の近くで環境保全型農業を行っている農地の農作物を『サケを守っている産品』として付加価値をつけている欧州の取り組みをモデルとしたもので、網走川の上流と下流で産業間連携を行い、安全安心な農作物とサケを育む環境を共に守っていこうというもの。漁業と農業の連携フォーラムも行われ、『水は漁業だけのものでも農業だけのものでもない。地域全体の財産である』という共通認識がお互いに生まれていったのです」(新谷さん)  このような試みから、網走川流域農業漁業連携推進協議会(略称:だいちとうみの会)が設立された。それは漁業と農業が手を組むといった全国的にも珍しいモデルが始動した。 「上流のJAつべつと下流の網走漁協・西網走漁協がお互いに学校で出前授業を行ったり、食材を給食に提供しています。また、環境保全型の農業を行っている生産者には我々下流の漁業者が敬意を表して応援証を贈呈しています。農業と漁業が共に手を取りあわないと流域の環境も産業も守ることはできません」と新谷さんは当時を振り返った。
流域や自治体も動かした粘り強さの源
 時期を前後して、もう一つの動きがあった。平成16年(2004年)網走川で改修工事の計画が持ち上がったのだ。 「サケやマスは環境が変わると生まれた川に戻ってこなくなるため、工事が心配でした。北海道はもともと年間雨量が800mmほどと少ないのですが、近年は集中的に大雨が降って川の水が農地に溢れるようになっています。平成16年の計画では、毎秒400tだった川の流水量を600tにすることになっていましたが、川岸ギリギリまで畑地が広がっているため、川を横に広げることはできません。そのため、川を縦に掘るしかなく、そうなると魚の産卵や生息場所がなくなるのです」(新谷さん) 治水工事は必要であるがそのために川の両岸をコンクリートで固めまっすぐな「樋」のような川にして良いのだろうか。 そう考えた新谷さんたちが出会ったのが、この連載のvol.35でも紹介した近自然河川工法だ。コンクリートで固められた川に石などを置き、自然に近づけることで魚の住処や産卵場所が確保できるというもの。この工法ならば、治水と生態系が両立できると考えた。 「この頃ちょうど、河川改修工事を行う際に漁業者の意見も取り入れてもらえるようになりました。そこで、近自然河川工法を提唱された福留脩文先生の指導で直線だった川を淵や瀬のある川に戻したところ、サケが戻ってきたのです」(新谷さん)  2018年のサケ水揚げ量日本一は、こうした努力と孵化放流技術の向上が伴った結果であった。
新谷さんたちは、こうした流域連携をさらに広げようと「だいちとうみの会」とは別に、網走川流域の会を立ち上げた。すると、JAめまんべつやJAびほろ、自治体や森林組合、企業、大学、個人と会員の幅が広がった。その中からエコツーリズムが始まるなど、流域の会は網走川環境保全のプラットフォームになりつつある。 日本には一級河川だけでも1万4,066本もの川があるが、網走川ほどの大規模で実践的な流域連携は珍しい。 なぜ網走川ではそれが実現できたのだろうか…、そう尋ねると、網走漁協の新谷組合長は「辛抱強さと粘り強さじゃないかな」と笑った。 「ホタテの稚貝を海に撒いたり、網走湖からワカサギの受精卵を供給したりと、網走の漁業は作って育てる漁業。だから、水環境の保全が欠かせません。最初はなかなか理解されませんでしたが、言い続けていたら理解してもらえるようになりました」(新谷さん)  西網走漁協の清野組合長は、次世代への思いがこの粘り強さを支えていると言う。 「川からの土砂が溜まるスピードが早くなっており、網走湖には大きな負荷がかかっています。川の上流の地域と連携することで、次の世代も漁ができる湖を引き継いでいきたいですね」(清野さん) 自治体として流域連携を支える網走市の水谷洋一市長はこう話す。 「網走川流域は北海道でも有数の穀倉地帯ですが、網走市は漁業も発展している稀有な地域。基幹産業である農業と漁業がともに続いていくには自然環境だけでなく、産業や文化が多様であることが大切です。濤沸湖は北海道最大の渡り鳥の中継地としてラムサール条約に登録されていますが、水鳥が集まるのは漁業ができるほど魚がいるため。産業が関わっているからこそ、自然や生態系が守られているとも言えるでしょう。網走市としても、こうした流域連携をバックアップしていきたいと思っています」(水谷市長)  多くの人々を動かした漁業者の声。 その声に、上流の人々や農業者がどう応えたのか、次回ご紹介しよう。
流域連携を自治体として支援している網走市の水谷洋一市長。