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未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。 会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
「自伐型林業」で守る山林と高津川
川とともに生きてきた城下町の人々
「これはこれ 日本一の鮎どころ」  大正時代から昭和にかけて活動弁士や作家、俳優として活躍した徳川夢声が、故郷を流れる高津川を誇った言葉である。  島根県の吉賀町に水源を持ち、津和野町、益田市を通る高津川。本流だけでなくすべての支流にダムを持たない一級河川だ(※1)。  津和野町で生まれ育ち、高津川漁協で鮎の中間育成(※2)に30年間携わった高津川倶楽部代表取締役の田中誠二さんによると、昔から流域に住むほとんどの住人は、鮎漁が解禁になる日を心待ちにしていたそうだ。竿釣りだけでなく、川舟から長い竿で水面を叩いて網へ追い込む丈高漁や、川舟から松明を振って網へ追い込む火振り漁といった伝統漁法が行われてきたという。冷蔵技術のない時代には、囲炉裏で乾燥させて保存の利く干し鮎にし、タンパク源にしていたとのこと。  人々の生業と暮らしの中心にある高津川。その流域では、どのように川を守っているのだろうか。津和野町の自然を守るための取り組みを担当する町役場の農林課を訪ねた。  ともに高津川中流域に位置し、津和野藩の城下町を中心とする旧津和野町と、徳川幕府の天領を中心として栄えた旧日原町が合併し、新生・津和野町になったのは2005年(平成17年)のこと。津和野町役場の本庁は日原地区にあるが、津和野庁舎は旧津和野町の中心部、殿町通りにある。津和野藩の家老だった大岡家の敷地に、大正時代になって旧鹿足(かのあし)郡役所として建てられたものだ。今も現役として使われている木造建築の津和野庁舎の裏手に、農林課はあった。
今年の源流サミットが開催された津和野町
江戸時代に防火用として整備された城下町の掘割。蚊の発生を抑えるために始まったという鯉の養殖は、いざという時の食料としても考えられていた
「川を守るためには森を守らないといけません。そこで、町の面積の9割を山林が占める津和野町では2011年 (平成23年)に、『山の宝でもう一杯!プロジェクト』を始めたのです」と、津和野町役場 農林課 課長補佐の桑原正勝さんは、開口一番こう言った。   これは、町内の山林を所有する人に、かつてのように山に入ってもらおうと始まったもの。間伐材を町内の指定チップ業者に出荷すると、チップ業者からの現金とは別に、町内で使える地域通貨券(1トンあたり3,000円)がもらえる。町民または町内の森林を所有する人に事前に出荷者登録と伐採届を提出してもらい、プロジェクトに参加してもらうのだという。  そんな中、2013年(平成25年)7月、島根県と山口県の県境一帯を集中豪雨が襲った。津和野町では1時間当たりの降水量が91mm、日最大雨量が381mmと観測史上最大を記録、激甚災害に指定されるほどの被害をもたらした。 「普段からもっと山の手入れをしておけば、被害はもっと少なかったのではないか。そんな思いから、津和野町では町づくりの柱の一つに森林づくりを掲げ、平成28年に『津和野町美しい森林(もり)づくり条例』が制定されました。さらにその翌年には『美しい森林づくり構想』が策定されたのです」  目指したのは、景観の美しさだけでない。よく手入れされた、川を通じて海へと繋がり、水質保全の役割を担う豊かな山林だ。この理想を実現する手段の一つが、自伐型林業である。
自然を守る町の取り組みを担当する津和野町役場 農林課 課長補佐の桑原正勝さん
 現在、日本の林業は山林所有者から依頼を受けた林業事業体が施業を行うスタイルが主流だ。大型重機を使用するため、設備投資や稼動時の燃料、故障時の修繕コストは高い。また、林業事業体は依頼のあった山林へと順次移るため、それぞれの山林と関わる期間は短くなる。  一方、自伐型林業では、特定の山林に小型の3トン未満のバックホー(ユンボやショベルカーとも呼ばれる小型の重機)で幅員2.5m程度の作業道を作って間伐を繰り返し行い、2トン程度の車で木材を搬出することで、長期に渡って手入れを行う。低コストで済むうえ、自然への負荷も少ない。  津和野町における自伐型林業の担い手となっているのが、2014年(平成26年)から募集している地域おこし協力隊だ。とはいえ、彼らのほとんどが林業初心者だ。そのため、町では自伐型林業の作業道作りの第一人者である奈良県清光林業の岡橋清隆さんや、森林資源の持続的な管理技術に詳しい京都大学の竹内典之名誉教授など、専門家を招いて講習を行っている。  専門家による講習を受けられるのは、地域おこし協力隊員だけではないという。 「『山の宝でもう一杯!プロジェクト』を始める時、『お小遣い稼ぎになれば、山に入ってくれるのではないか』と考えていたのですが、町民の皆さんの思いは違いました。『山の手入れをしたいけど、知識や技術、きっかけがない』『お金より道具の使い方を教えて欲しい』という声が多く聞かれたのです。そこで、5月と11月にチェンソーの講習会を開催するようになりました。毎回、10人前後が参加し、年代も30〜80代と幅広いですね」  その結果、「山の宝でもう一杯!プロジェクト」の出荷登録者は150人まで増えたそうだ。
都会からやって来た若者が担う山に優しい林業
  町内で自伐型林業に取り組む地域おこし協力隊、通称「ヤモリーズ」。「山を守る」という言葉を元にした造語だ。ヤモリーズが作業している造林地を訪れると、原和弘さんと中村龍治さんが待っていてくれた。彼らは、自伐型林業がやりたくてこの町にやってきたという。原さんは2017年に名古屋から、中村さんは今年、神戸から家族とともにこの町に移り住んだ。ヤモリーズの証である真っ赤なアウトドアジャケットがよく似合っている。二人が乗る軽トラックも、黒い塗装に真っ赤なシートととてもオシャレだ。このスタイルの理由を農林課の桑原さんが教えてくれた。 「一つは、子供たちに『林業はカッコいい仕事』と思ってもらうため。もう一つは、町民の方々に一目で地域おこし協力隊だと認識してもらうためです。そうすれば、『うちの森林の手入れをお願いしたい』と声をかけてもらいやすくなりますからね」  実際、彼らは町内の子供たちにも大人気だ。
津和野町地域おこし協力隊・ヤモリーズの4期生の原和弘さん
5期生の中村龍治さん。カッコいいヤモリーズは地元の子供たちにも大人気だ
 ヤモリーズが作業しているのは、町内にある町有林や町行分収造林だ。町行分収造林とは「町が造林経費を負担するので、山林を長期間貸してください」という契約を結び、収益が発生したら両者で分配する山林のこと。  ヤモリーズが二人一組で作っている作業道を歩きながら、原さんが説明する。 「この山に壊れにくい作業道を作り、間伐を行うのが僕らの仕事です。まずは山の上の方まで粗道を作り、修正を重ねて仕上げていきます」(原さん)  山に道を作る際に使うのは、バックホーだ。これで山の斜面の土を掘り、移動させ、踏み固めていく。道を作る上ではどうしても伐らなければならない木が出てくるが、自伐型林業では極力その数を抑えるのだという。通常、山に道を作る際は道の法面の木を伐採してしまう。すると、山林に風が入りやすくなり、台風の時などに風害が起こりやすくなる。それを防ぐために、余計な伐採は抑えているそうだ。 「土を取った山の側面から水が出たりと、道作りは水との戦いですね。雨が降ると、せっかく作った道を水が掘ってしまうので、路面から素早く排水できるよう、道の前後の勾配を調整しています。場所によっては、あえて道の崖側を低くして、法面に木や石を使って排水路を作ったりもします。作業道作りの第一人者の岡橋さんは、『この植物があるからここには地下水脈が通っている』ということまでわかるんですよ。僕らはまだまだですね」(原さん)
自伐型林業では2トンダンプが1台通れる「壊れにくい作業道」を作る。
まざまな工夫を取り入れ、最終目標である「壊れない作業道」を目指している。
壊れにくい作業道で山や川を守る
 自伐型林業の作業道作りは、単に2トンダンプで走れるよう、路面を処理して終わりではなく、土留工や裏積工なども行う。というのも、土を削り取った山の斜面は、雨や凍結で崩れる可能性がある。そこで、山林で伐採した木を丸太として縦横交互に積みながら土を押し固め、補強していくのだ。これが「壊れにくい作業道」と言われるゆえんだ。  ヤモリーズの5期生の中村さんが言う。 「こうした壊れにくい作業道があると、土砂崩れを防ぎやすくなると言われています。山に優しい自伐型林業に携わっていることは、僕たちにとって誇りです。自分たちが作った道が何十年と使われていくと考えると、ロマンを感じますね」(中村さん) 津和野町に来る前は、IT企業でシステムエンジニアをしていたという中村さん。自然の中で体を使う仕事は、以前と比べて体力的にキツいが、とても楽しいという。  地域おこし協力隊の任期は3年間。ヤモリーズのメンバーは、この間に林業家としての知識や技術を身につけるだけでなく、自治会や消防団など地域の行事にも積極的に参加している。 「そうした交流を通して山林所有者と知り合い、卒業後に自伐型林業を続ける山林を見つけてもらえれば」と町でも期待している。 「僕らは、まだまだこれからです」と何度も繰り返す原さんと中村さん。しかし、自分たちの仕事について話してくれるその表情は、やる気と希望に満ちていた。
透き通った水を湛える高津川。その中流域である津和野町では、昔から高津川の水が田畑を潤し、鮎やモクズガニなど豊かな川の幸を育んできた
 津和野町を流れる高津川。川を見下ろす高台に家と棚田が並び、川へ降りる道にはエンジンのついていない小舟が裏返して置かれている。この土地で連綿と続いてきた、自然と生業が近い暮らし。その舞台となる自然を、都会からやってきた若者が守っている。高津川とともにある津和野町は、新たな歴史を紡ぎ始めた。  日本の豊かな水(川や海)は、川の源に住む人々の努力によって培われることを改めて知る古都・津和野の旅であった。
※1厳密には支流の福川川に洪水調整のための砂防ダムがあるが、普段は貯水していない。 ※2人工的に採取された鮎の種苗を一定の大きさまで育てること。