未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。 会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の 皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
修験道の祖・役行者の名水(熊野川源流天ノ川)
身を清める湧き水
標高2,000m近い山々が連なる紀伊山地。その降雨量は日本国内でもトップクラス。たっぷりと降った雨は深い山林に受け止められ、蓄えられ、そして湧き水となって流れ出す。水は生きる上で欠かせないもの。水が生まれるこの場所は、昔から人々を惹きつけ、山岳修行の場として歴史を重ねてきた。2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている。 日本の歴史や文化に大きな影響を与えた、神秘的な源流域をぜひ見ておきたい。そこで、今回は奈良県の吉野地域を訪ねることにした。  世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の中心とも言える大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)。「吉野・大峯」(奈良県)と「熊野三山」(三重県)を結ぶ山岳道だ。吉野から熊野までの大峰山脈には75カ所の靡(なびき=霊場のこと)があり、修験道の修行の場として知られる。中でも代表的なのが、熊野川の源流域・天川村にある山上ヶ岳だ。 さて、役行者が苦行を行なった山上ヶ岳の山頂には、現在も修験道の根本道場である大峰山寺(おおみねさんじ)がある。蔵王権現をご本尊とする国の重要文化財であり、世界遺産にも登録されている名刹だ。 現在、五つの寺が大峰山寺を管理しているのだが、その一つが天川村の洞川(どろかわ)地区にある大峯山 龍泉寺だ。 龍泉寺住職の岡田悦雄さんによると、龍泉寺は水と深い関わりを持つお寺だという。 「およそ1300年前、大峯修行をなさっていた役行者様が山の麓に降りてこられた時、こんこんと湧き出る泉を発見されました。その泉のほとりに八大龍王尊をお祀りし、水行をなさったのが、この龍泉寺の始まりとされています」  その泉こそが、境内にある龍の口(たつのくち)だ。そして、八大龍王尊をお祀りした八大龍王では、弘法大師が雨乞いの修法を行ったという。  「昔から、当寺の水行場で身を清め、安全祈願を行ってから山に入るのが習わしです。修験道では、お山が仏様であり、神様です。その山に入るということは、仏様や神様の体の中に入るということ。だからこそ、自分の身を清めるのです。龍の口は、身を清めてくれる聖水であり、清浄水です。現在でも、まず当寺の水行場で身を清めてから大峯山に登るという方が多いですね」
天川村の洞川地区にある大峯山 龍泉寺。大峰山寺を管理する護持院の一つでもある。
修験道と水の関係について話してくださった、大峯山 龍泉寺の住職、岡田悦雄さん。
修験者が山に入る理由と水の関係
 一般的に、修験道というと厳しい修行というイメージが強いが、岡田さんは「必ずしも、修験道=厳しい修行ではないのですよ」と穏やかな笑顔を見せた。  「修験道の根本には、自然に対する感謝や畏敬の念があるのです。大切なのは、感謝や畏敬の念を持って自然を大切にすること。水は、山に降った雨や雪が山の成分を吸収し、濾過され、湧き出るもの。つまり、お山からの恵みなのです。水だけでなく、空気も生き物もお山からの恵みです。お米も、水がなければ作れませんよね」  確かに、水は山で作られるもの。しかし、現代は蛇口をひねれば水が出て、好きなだけ使うことができる。便利な世の中になったことは決して悪いことではないが、その水がどこから、どうもたらされているのかを忘れていまいがちだ。  「昔の人は、水が自然からの恵みであるということをよう知っとったんですね。お山とは神様や仏様そのものですから、最初は感謝と畏敬の念を持って遠くからお山を眺めていたことでしょう。そのうち、麓に遥拝所を作ってお供えし、感謝を伝えるようになりました。そのうち、直接ご挨拶に行こうと思う人たちが現れ、さらに中腹や山頂に祠を作るようになったのです。ですから、修験者がお山へ入ることは、自然への感謝を伝えるという意味が第一にあるのです」  大峰山寺の門前町とも言える天川村の人々の心には、自然に対する感謝や畏敬の念、そして「一木一草に魂が宿る」という考えが浸透しているのだという。 「同時に、地元の方々の中には、『役行者様が、この土地の水を守ってくださっている』という思いが受け継がれているように感じますね」  龍泉寺の境内を歩いてみた。龍の口へ行ってみると、大きな岩の下がぽっかりと空いていて、そこから水が湧き出して小川となっている。その姿はまさに龍の口だ。注連縄が張られた場所から柄杓で水をすくう。うだるような夏の暑さのなかでも、その水は冷たくて心地よい。この湧き水は、年間を通して10℃を保っているそうだ。  目線を上げると、お寺の背後の山が青々とした葉を揺らしている。龍泉寺の自然林は、モミを中心に、ツガやイタヤカエデ、トチノキ、イヌブナ、スズタケ、クロモジなどが混じっており、奈良県の天然記念物に指定されている。この自然林が名水を支えているのだと思うと、龍の口から枯れることなく湧き続ける湧き水が、いっそう尊いものに思えた。
役行者が見つけた当時、龍の口は底が見えないほど深い泉だった。そばに八大龍王堂を祀ったのが龍泉寺の始まりだという。
本堂の前にある水行場。龍の口の水で身を清めてからお山に入るのが、今も修行者の習わしなのだという。
古代日本の歴史を変えた水の神様
 天川村には、水と関わりの深い場所がもう一カ所ある。それが、天河大弁財天社だ。その歴史は、皇位継承争いで窮地に立たされた大海人皇子が吉野を訪れた時から始まる。大海人皇子が勝利を願って琴を奏でると、その音に乗って天女が現れ、戦勝を祝福したという。これに力を得た大海人皇子は壬申の乱に勝利した。この天女こそが、山上ヶ岳で役行者の前に現れ、弥山に祀られた弁財天(弥山大神)である。天女の加護に感謝した大海人皇子は、山の麓に「天の安河の宮」という神殿を作ったという。これがのちに天河大弁財天社となったというわけだ。  天河大弁財天社は神仏習合の形態を今も残しており、弁財天と熊野権現、吉野権現(蔵王権現)を祀っている。そして、この弁財天こそが、水の神様なのだ。弁財天は、川の流れを神格化した古代インドの神様「サラスヴァティー」と日本の水神信仰が融合したのだという。水の神様であると同時に、音楽の神様としても知られているのは、水のせせらぎが音楽を思わせるからのようだ。  大祭を控えた天河大弁財天社の鳥居をくぐり、手水場で手を洗う。ふと横の池を見ると、手足の生えたオタマジャクシみたいなが泳いでいる。 いや、体長が5cm以上はあるから、オタマジャクシじゃない・・・、「これ、イモリじゃない?」と、源流探検部のメンバーが池をのぞき込んで言った。本州に生息する日本固有種のアカハライモリは環境省のレッドリスト2018で準絶滅危惧種に指定されているという。  このイモリがアカハライモリかどうかまでは確認できなかったが、水の神様を祀る神社の池を、小さな体で悠々と泳ぐ姿は、どことなく自信に溢れていた。
日本三大弁財天の一つである天河大弁財天社。神仏習合を今も残し、弁財天、熊野権現、吉野権現が祀られている。
 関西の避暑地と言われる天川村は、奈良県の中でも涼しいことで知られる。けれど、源流探検部が訪れたのは、暑さ厳しい7月中旬のこと。歩いていると、汗が止まらない。洞川地区のごろごろ茶屋へ行ってみた。ここには洞川湧水群の一つ、「ごろごろ水」の採水所があるのだ。古くは、「仏水秘水(ぶっすいひすい)」とも呼ばれたこの湧き水で、大峯山の修験者たちも喉を潤したと言われている。コックをひねると、水が勢い良く飛び出す。手ですくって口に含むと、生き返ったような気になる。龍泉寺のご住職の「水はお山からのいただきもの」という言葉が蘇った。役行者が修行するずっと前から湧き出ている、山の恵み。その恩恵を今もうけることができるのは、水の源である自然が守られているからなのだと改めて実感した。
参考資料