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DAIWA 源流の郷 小菅村
DAIWA 源流の郷 小菅村
豊かな森が水を育み、水がいのちを育みます。
次世代を担う子どもたちに、水の尊さを自ら体感して欲しい、と考えております。
源流の山里、そこに暮らす人々が森林を育て、その森林が生きた水を育み、そして海をも豊かなものへと保ちます。
水がいのちを育む、その源とも言える豊かな森林「源流の郷」をお伝えします。
源流探検部が行く 第16回
多摩川源流域で山を守り続ける人たち
多摩川源流域で山を守り続ける人たち
木を伐る作業は源流の村の冬支度

林道の終点に車を止め、木々の間の路を登っていくと、山の上の方から唸るような機械音が聞こえてきた。

冬の澄んだ青空を突き刺すように、まっすぐに伸びる木立。その間から、オレンジ色の重機の姿が見えた。わずかな平地に積み上げられた丸太に、鍛えられた上腕二頭筋のようなアームが伸びる。

多摩川の源流にある小菅村。村の95%を森林が占めるこの村は、まさに水が生まれ育む場所だ。北都留森林組合の参事・中田無双さんから話をお伺いした源流探検部は、小菅村内の林業の現場にお邪魔させていただくことにした。

源流探検部に気づき、重機を止めて迎えてくれたのは、職員である磯貝建三さんだ。

北都留森林組合の磯貝建三さん。環境問題に興味を持ち、「身体を動かす仕事がしたい」と13年前に東京から山梨にIターンし、林業の道に入った。

東京出身の磯貝さんは、建築関係の仕事をするうちに環境問題に興味を持ち、13年前にIターンして林業の世界に飛び込んだという経歴の持ち主だ。

「木は夏の間は水を吸い上げていますが、冬になると葉を落として水を吸い上げなくなります。そのため、夏の間は木を切らずに下草を刈ったり、作業道を整えておき、冬になってから木を切るのです。今回伐ったのは、50年生の杉や桧ですね。杉と桧の見分け方、知っていますか? 葉が全然違うんですよ」

そう言いながら、磯貝さんは落ちていた枝を二つ拾って並べて見せてくれた。

「葉がシュッと細長い方が杉です」

並べて見せてもらうと、確かに全然違う。杉も桧も、葉が高いところにあるので知らなかった。丸太の近くにいるせいか、木の鮮烈な香りが鼻をくすぐる。桧の匂いです、と磯貝さんが教えてくれた。

戦後、日本各地の山に盛んに植林された桧(左)と杉(右)の葉。遠くから見るとよく似ているが、葉を見るとその違いは一目瞭然だ。

「林業では、だいたい10~15年に1度の割合で間伐を行います。質の良い木が育ちやすいよう、周囲の木を切ります。一つのエリアで3~4割の木を伐り、6~7割ほど残すイメージです。その際、太い木を残すとは限りません。周りに比べて太すぎる木はぐにゃぐにゃしていたり、腐りやすかったりすることもありますし。これ以上育たないと思われるもの、曲がりすぎているものも伐ります。残すのは、形が良くて年輪が詰まっている木ですね。どれを残してどれを伐るかは作業する人間が決めるので、この仕事を始めたばかりの頃は緊張しました」

場所によって作業できる広さや道の整い具合など、条件は異なるという。

「勾配が急な場所で作業することもありますが、今日は比較的、やりやすい方ですね」と磯貝さんはこともなげに言う。

さっきまで行なっていた作業を見せてもらうことにした。磯貝さんが扱っている重機は、伐倒造林機械と言われる高性能林業機械だ。アームにはチェーンソーと円形のカッターが装着されている。そのため、この1台で「立木を伐り倒す」「枝を払う」「設定した長さに切る」「丸太を集積する」と言う作業を行うことができるそうだ。

アームが届かないところまで源流探検部が離れたことを確認すると、磯貝さんはオレンジ色の重機を動かし始めた。

アームがゆっくりと動き、集積されていた枝がついたままの丸太を1本つかんだ。探検部員の一人が「UFOキャッチャーみたいだね」と呟く。確かに、と頷いた次の瞬間、カッター部分が丸太をしごくように動き、あっという間に枝を払っていく。間髪入れずにモーター音とともにおが屑が舞い、20m近くあった丸太が均等な長さに切りそろえられていく。あまりの速さに唖然としてしまった。整えられた丸太はトラックに積み、いったん森林組合の事務所に運ばれてから、原木市場に出荷されることになる。

冬の山の一日は短く、林業の仕事は日没までが勝負だ。仕事が残っている磯貝さんに別れを告げ、山を降りた。

以前は人がチェーンソーで行なっていた伐倒、枝落とし、玉切り(所定の長さに伐ること)といった作業に加え、集積まですべてこの重機で行う。
村の長老が語る、驚きの効率的植林方法

磯貝さんたちが伐っていた木が植えられた50年前に林業に携わり、苗木を植えていた人がいる。以前、小菅村の水路について話をしてくれた、青柳一男さんだ。現在85歳の青柳さんは、桧の苗木を植え方について、絵を描いて説明してくれた。

「まずは冬のうちに雑木を伐って、山の斜面に対して水平に並べて乾燥させておく。8月になったら、斜面の上の方にある方から火をつけて、並べておいた木を燃す(燃やす)の。火が広がらないよう、3~4人で周りを囲みながらやるんだ。燃え残った木はまとめてさらに燃す。そこにソバの種を蒔くんだ。燃した木は栄養になるからね。ソバは穀物の中で一番早く収穫できるから、9月には収穫できちゃう。そして、翌年の4月、ソバを収穫した場所に桧を植えるんだ」

小菅村で生まれ育ち、林業に携わった青柳一男さんは今、85歳。桧の苗を植える方法を、自分で描いたイラストで説明してくれた。

30~40年で売れるサイズに育つ桧は経済効率が良く、戦後盛んに植えられたという。

「3月頃、苗木を仕入れたら、山に植えるまで自分の畑に植えておく。せっかく山に植えても、雨が降らないと苗木が乾燥しちゃうからね。そうして4月になって雨が降ると、背負子(しょいこ)に1反(約10a=1,000㎡)分の苗を入れて、担いで山に上がったんだ。350本の苗が入った背負子は重かったねえ。地下足袋を履いて、50~60度の傾斜を登るんだもの」

人力で運んだ苗を斜面に植えるワケだが、それで終わりではない。桧の苗の周りに、アワやアズキを蒔くのだという。

「アワやアズキを蒔いておくと、他の下草が生えてこないんだ。すると、草刈りをしなくてもいいし、桧がちゃんと伸びるからね。3年くらいは桧の周りでアワや小豆を育てるんだよ」

草刈機が普及する前、鎌を使っていたこともあり、草刈は今以上に重労働だった。アワやアズキを一緒に植えるのは理にかなっていたのだ。

総面積の95%が森林の小菅村、役場も木造に

世代から世代へと受け継がれてきた、源流域の山の木々。小菅村では2015年3月に新庁舎が完成したが、そこには山梨県産・小菅村産の木材が使われている。小菅村の庁舎を訪ねると、小菅村役場 源流振興課の中川徹さんが庁舎の中を案内してくれた。

「それまで村内で木材をふんだんに使った公共施設はあまりなかったため、村が率先して木材を使おうということになりました。この庁舎は、1階がRC(鉄筋コンクリート造)、2~3階は強度のあるカラマツ集成材を使っており、RCと木造の混構造になっています」

庁舎内でも木の魅力がふんだんに活かされた作りになっているのが議場だ。あえて梁を見せる構造になっているほか、演台の背後には間伐材のような小径木を連ねたスクリーンが設置されている。まさに、木に囲まれた議場なのだ。

「通常、議場は議会以外に使われることはありませんが、議会のご理解をいただき、会議や催しなどでもここを使えるよう、机も動かせるようになっています。成人式もここで行われるんですよ」

山梨県産や小菅村産の木材をふんだんに使った庁舎を案内してくれた中川徹さん。2階にある議場には間伐材をイメージした小径木のスクリーンも設置されている。

2024年から導入される森林環境税を財源として、山林の整備や林業を成長産業へと変えようという動きが進む中、小菅村でも森林資源の活用方法を模索しているという。

「山の所有者が細分化されており、急斜面が多い小菅村では、昔から施業(手入れ)が難しく、炭焼き中心の林業が行われていました。しかし、戦後の植林された木が伐期を迎えている今、事業体と一緒に山から木を運び出す方法を考えていく必要があると思っています。さらに、伐り出した木をどう活用するかという点も課題です。赤ちゃんが生まれた時に木のおもちゃを送る『ウッドスタート』として活用したり、それほど高品質でない木材はバイオマス(燃料)としての利用を考える必要もあるでしょう。しかし、木の価値は貨幣に換算できるものだけではありません。山を守る人の思いなど、背後にあるものを含めて、源流域の木の価値を多くの方に感じてもらえたらと思っています」

生きる上で必要なあらゆるものを木で作ってきた日本では、「木を伐り、苗を植え、育てる」というサイクルを続けることで、自然と一体となって暮らしを成り立たせてきた。

都市で暮らしていると、自然を守ることは自然に手を加えないことだ、と思い込んでしまうこともあるだろう。けれど、木を適切に伐り、それを活用することが自然を守ることにもつながる。今回、そんな大事なことを教えてくれたのだった。