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DAIWA 源流の郷 特別編
DAIWA 源流の郷 特別編
豊かな森が水を育み、水がいのちを育みます。
次世代を担う子どもたちに、水の尊さを自ら体感して欲しい、と考えております。
源流の山里、そこに暮らす人々が森林を育て、その森林が生きた水を育み、そして海をも豊かなものへと保ちます。
水がいのちを育む、その源とも言える豊かな森林「源流の郷」をお伝えします。
源流探検部が行く 第13回
奈良前編 流域のために原生林を買った川上村が目指す未来
奈良前編
流域のために原生林を買った川上村が目指す未来
ダム計画で問い直された村のあり方

ものごとには必ず始まりがあるように、川にも必ず始まりがある。山から生まれた水は沢となり、それらが集まって川となる。水は自然からの贈り物なのだ。だからこそ、自然を守ることで水を守っている人たちがいる。源流域に住む人々だ。

吉野杉で知られる奈良県南部に、水源地の広大な森林を購入して環境を守っている村があるという。その名も川上村だ。自分たちのためだけではなく、川の下流に住む人々のことまで考えた取り組みを続ける川上村とは、いったいどんなところなのだろう。我々源流探検部は、さっそく奈良県の川上村を訪れることにした。

京都駅から近鉄特急で1時間弱。橿原神宮前駅から車に乗り、古代日本の歴史と文化が息づく土地を通り抜け、走ること1時間。山々に囲まれた川上村に降り立つと、太陽に温められた木々と土の匂いがした。

川上村のダム湖畔にある森と水の源流館で待っていてくれたのは、川上村役場 水源地課 課長の今福和男さんと、森と水の源流館事務局長の尾上忠大さんだ。

水源地の森林を購入する川上村とはどんな村なのかを知りたがる探検部に、今福さんはこう教えてくれた。

「川上村は吉野林業の中心地として、昔から山や木と生きてきた土地なんです。500年前には植林が行われており、日本の林業は川上村から始まったと言われています。村にある日本最古の人工林には樹齢250年から400年の吉野杉や吉野檜もあるんですよ。この村の暮らしは、山の生業とともにあったのです」

川上村役場 水源地課 課長の今福和男さん。先達からバトンを渡された「水源地の村づくり」に情熱を注ぐ。

吉野林業とは、吉野川流域の川上村、黒滝村、東吉野村などを中心に行われてきた林業のこと。昔から良質な杉を育てる産地として知られている。

「和歌山市の海へ注ぐ吉野川は、奈良県内では吉野川と呼ばれますが、和歌山県内に入ると紀の川と名前を変えます。吉野川は、昔から暴れ川と言われていました。というのも、川上村の南東に隣接する大台ケ原は全国でも有数の大雨が降るところ。大台ケ原で降った大量の雨が吉野川に注ぎ、流域でしばしば洪水を引き起こしてきました」(今福さん)

1963年(昭和38年)には伊勢湾台風が紀伊半島を襲った。それを機に持ち上がったのが、大滝ダム建設計画だ。国土交通省による多目的ダムで、治水・利水・発電を行う。吉野川の清流はもとより、村の中心部を沈めるという国の大事業は、吉野川とともに生きてきた村の穏やかな暮らしを一変させた。ダム建設に反対する声が上がり、紆余曲折を経ての決着およびダム建設までに、約50年を要した。

2013年(平成25年)に完成した大滝ダム。上水道用水、工業用水、水力発電、洪水対策といったさまざまな役割を担っている。
「水源地の役割を積極的に果たしていこう」と決めた川上村

「下流からのダム建設の求めに対し、村はダムを受け入れることになります。これを機に、村では『世の中が川上村に求めているものとは何か』を改めて問い直すことになりました。そして、平成6年(1994年)の第三次総合計画策定の際に、コンクリートのダムを受け入れ、かつ村が暮らしの中で守ってきた緑のダム(山や森)も守る。自然と共生してきた村の暮らしの価値を改めて見つめ、次代に繋げていくという『水源地の村づくり』を掲げました。そのことを五つの条文にまとめ、平成8年(1996年)に全国に発信したのが」『川上宣言』です」(今福さん)

川上宣言
  • 一.私たち川上は、かけがえのない水がつくられる場に暮らす者として、下流にはいつもきれいな水を流します。
  • 一.私たち川上は、自然と一体となった産業を育んで山と水を守り、都市にはない豊かな生活を築きます。
  • 一.私たち川上は、都市や平野部の人たちにも、川上の豊かな自然の価値にふれ合ってもらえるような仕組みづくりに励みます。
  • 一.私たち川上は、これから育つ子どもたちが、自然の生命の躍動にすなおに感動できるような場をつくります。
  • 一.私たち川上は、川上における自然とのつきあいが、地球環境に対する人類の働きかけの、すばらしい見本になるよう努めます。

川上宣言は、森と水を守りながら、村の暮らしもしっかり築いていこうという指針だ。村では川上宣言を全国に発信するとともに、一つひとつ実現することで水源の村づくりを目指すことになった。今ほど環境意識は高くなかった1996年(平成8年)に、小さな村が目指した村づくりは画期的なものだったと言えるだろう。

「下流にはいつもきれいな水を流します」。川上宣言の最初にあるこの宣言を実現するため、村はある大きな決断をする。

「川上村は昔から林業が盛んだったので、大半は人工林なのですが、源流域に原生林が残っていました。その原生林を保全するために村で購入しようということになったのです」(今福さん)

原生林の購入は、村議会で満場一致で議決された、というからすごい。村長、村民の代表である村議、村役場職員。この計画に携わった人々が見据えていたのは、この村の未来だけではないのだろう。

こうして村は1999年から2002年にかけて、源流域の740ヘクタールもの原生林を段階的に約10億円で購入、吉野川源流「水源地の森」とした。

普通なら、これだけお金と時間をかけて取得した原生林を観光活用しようとするだろう。しかし、川上村ではそうしなかった。なぜなら、この原生林は下流にきれいな水を流すために取得した「水源地の森」だからだ。実際、水源地の森は現在も村の条例で一般の入山が制限されている。

短期的に見れば、これほどお金をかけて購入した水源地の森が川上村にもたらすリターンは必ずしも大きいとは言えないかもしれない。「なぜこの村がそこまでしなければならないのか」という声もなかったわけではないようだ。

「村にとって山は暮らしの場であり経済でした。しかし、山には公益性があるからこそ、『世の中に役に立つ村であり続けよう』と決めたのです。その思いはきっと多くの人に届き、この村を応援してくれるに違いない。当時の村長や村議、役場の先輩たちは、そう信じていたのだと思います」(今福さん)

水源地を守ることで生まれた流域の交流

水源地の森を購入し、水源地の村として歩み始めた川上村では2002年に森と水の源流館を開設し、その運営主体となる「公益財団法人(現在)吉野川紀の川源流物語」が設立された。事務局長の尾上さんは言う。

「森と水の源流館は、川上宣言を具現化するためのエンジンです。その役割は、川上村がなぜ森を購入してまで水源地の森を守っているのかを伝えること。さらに、水源地の視点で環境問題や水資源問題を考えてもらったり、環境学習や体験プログラムを提供するといった活動も行っています」

吉野川・紀の川の自然や文化、歴史まで学べる森と水の源流館には、県内外の学校が校外学習に訪れるという。また、この森と水の源流館をベースに、村内の森林で環境学習や、企業を含む団体の体験プログラムも行われているという。

川上宣言を具現化するための施設として誕生した、森と水の源流館。館内では吉野川・紀の川の自然や流域の生業や文化などについて学べる。

「和歌山の人が使う紀の川の水の源流域ですから、和歌山県からいらっしゃる方も多いですね。実は、川上村には「和歌山市民の森」が3ヘクタールあるんです。水源地の村づくりを進める中で、流域の方々との交流も広がりました。また、吉野川の水は、『吉野川分水』という農業用水路で、かつては水不足に苦労した大和平野にも届いています。平成23(2011年)の秋には、その地域から『おかげ米』と銘打った新米9トンが水源地への感謝の気持ちとして届きました。田んぼのない川上村に住む子供が流域の橿原市で田植えをしたり、紀の川が流れ込む和歌山市のしらす祭りを川上村民が訪れたり。しらす祭りに参加した方は、『水をきれいにしておくと、美味しいしらすが食べられるんやな(笑)』と喜んでくださっています」(尾上さん)

森と水の源流館(公益財団法人 吉野川紀の川源流物語)事務局長の尾上忠大さん。川上村の川や自然だけでなく、「川上宣言」とともにある取り組みに惚れ込み、この村にやってきた。

水源の村として歩みを重ねてきた川上村では、3年前に大きな出来事が起こった。海のない奈良県の川上村が、「第34回全国豊かな海づくり大会」の開催地に選ばれたのだ。これは、水源地の森を守ってきた川上村が豊かな海づくりに貢献したと公的に認められたということだ。

この海づくり大会では天皇皇后陛下をお迎えし、大滝ダムのダム湖・おおたき龍神湖にアユとアマゴが放流された。村では水源地を守る大切さをさらに広めようと、海づくり大会が行われた11月16日を条例で「源流の日」に制定した。

「川上村ではトガサワラやナガレヒキガエル、アマゴやオオダイガハラサンショウウオなど、独自の動植物と出会える一方で、人の営みがあるからこそ残る植物もあります。多様な動植物が本来のサイクルで生きているのが、水源の村・川上の魅力ではないでしょうか。そして、そうした自然も、自然とともに生きてきた人々の源流文化も、いつか消えてしまうかもしれません。水源の村の自然と触れ合うことで、そうしたことに気づいてもらえたら嬉しいですね」(尾上さん)

源流域には、水がきれいな場所にしかいないナガレヒキガエル(左)やオオダイガハラサンショウウオ(右)といった、ここならではの生き物も棲んでいる。

林業は孫の代に切ることを想定して木を育てる、長期的な視点が必要な生業だ。その林業を長く生業としてきた川上村が選んだ「水源の村」というあり方は、森林大国である日本が進むべき姿を体現しているのではないだろうか。

お二人と話し終えて森と水の源流館を出ると、西の山に沈んだ太陽の代わりに、満月が山の稜線を美しく浮かび上がらせていた。