TOP
検索する

PRODUCTS製品情報

FISHING INFO釣り情報

D.Y.F.C

NEW AGE

NEWS

  • INFORMATION
  • TIMELINE
  • 重要なお知らせ

DAIWA BRAND

  • VISION -ビジョン-
  • TECHNOLOGY -テクノロジー-
  • HISTORY -ヒストリー-
  • CATEGORY BRAND -カテゴリーブランド-
  • NETWORK -ネットワーク-
  • CM VIDEO -CM動画-

SUPPORT

  • お客様センター
  • 営業所一覧
  • お客様の声WEBアンケート
  • オーナーズサポート
  • アフターサービス
  • パーツ検索システム
  • カスタムサービス

OTHER

  • SITE MAP
  • PRIVACY POLICY
  • SOCIAL MEDIA POLICY
  • GROBERIDE TOP

SOCIAL MEDIA

ページトップへ
DAIWA 源流の郷 小菅村
DAIWA 源流の郷 小菅村
豊かな森が水を育み、水がいのちを育みます。
次世代を担う子どもたちに、水の尊さを自ら体感して欲しい、と考えております。
源流の山里、そこに暮らす人々が森林を育て、その森林が生きた水を育み、そして海をも豊かなものへと保ちます。
水がいのちを育む、その源とも言える豊かな森林「源流の郷」をお伝えします。
源流探検部が行く 第8回
清流が育む村の名産・ワサビ
清流が育む村の名産・ワサビ
豊かな沢の水が育てる日本の味

村の総面積の95%を森林が占める、山梨県北都留郡小菅村。村の中心には多摩川の源流である小菅川が流れ、山のあちこちから湧く水が沢を形作る。

山間にある小菅村の人々は、この豊かな水を活用してさまざまな産業を育て、特産品を生み育ててきた。その代表的な存在が、きれいな水で育つワサビである。地形に恵まれた小菅村は、山梨県内でもトップクラスのワサビ栽培量を誇っているのだとか。

「小菅村郷土小誌」によると、江戸時代初期にはワサビは自生していたそうだが、江戸時代中期には栽培が始まったとのこと。江戸時代から栽培が続くワサビは、まさに小菅村を代表する農作物と言えそうだ。

そこで今回のBE EARTH-FRIENDLY源流探検部は、源流が育む沢の宝石・ワサビを見に、小菅村のワサビ田を訪ねることにした。

車はカーブを繰り返しながら山道を登っていき、山中のわずかな駐車スペースに停まった。ワサビ農家の小泉洋作さん・妙子さん夫妻は車を降りると、鬱蒼とした山の中へと入っていく。

二人が先をゆく山道は、ちょうど一人分の幅しかない。左の斜面から草木が迫り、右手にはイノシシ避けの防護ネットがあるものの、ネットの向こうは谷へと続く急斜面だ。

現在75歳の洋作さんは脳梗塞と心筋梗塞を経験して以降、平地でも杖を使って歩いているが、舗装されていない山道を確かな足取りで進んでいく。夫妻にとっては、通い慣れた道なのだろう。

道を指差して、洋作さんが教えてくれた。

「この道は旧道でね。郵便屋さんが丹波山村に郵便を届けに歩いたから、郵便道とも言われているんだよ」

谷に作られたワサビ田へ行くには、細い山道を通らなければいけない。歩き慣れたその道を、小泉さん夫妻は杖をつきながらも確かな足取りで進んで行く。
肥料も手間もいらず、小さい株は再利用

夫妻の健脚ぶりに圧倒されっぱなしの源流探検部は、二人の後を追って斜面を降りた。すると、そこには小泉さんのワサビ田が一面広がっていた。石積みの堤防に囲まれた20坪ほどのワサビ田が、階段状に8面続いている。

「小菅村のワサビ田は地沢式と言って、沢の水をそのまま引き込んでいるんだ。ほら、堤防の向こう側に流れているのが沢の水だよ。親父から引き継いだ時と同じやり方で育てているの。このワサビ田は水口(沢)からすぐだから、水がきれいなんだ」

すぐ隣を流れる沢から、きれいな水がワサビ田に流れ込む。階段状のワサビ田に均等に水を行き渡らせるためには、豊富な水が欠かせないのだという。

堤防の上から、ワサビ田を覗き込む。敷き詰められた砂利の上を透明な水が転がるように流れ、若草色の葉を揺らしている。

「ワサビ栽培で一番大切なのは、やっぱり水。8~9℃が一番いいんだ。それと水量。水をワサビ田に均等に流さなきゃいけないからね。でも、肥料はいらないし、草取りも年に2~3回やれば充分。大雨が来ると、崩れた砂利をなおしたり、水門に入った砂利や流木を取ったりするけどね」

手がかからない上に現金収入になるワサビは、農家にとってありがたい作物だったようだ。

「今、小菅村で作られているワサビは伊豆から伝わったもの。明治時代に小菅村の山沢地区の人が伊豆に行った時、弁当箱に7本、ワサビをもらって来たのが始まり。もともと小菅村で栽培されていたワサビは辛みが強くて小さいものだけど、伊豆のわさびは成長が早くて大きいんだよ。普通は収穫まで2年かかるところ、伊豆のワサビは1年半で収穫できるからね」

石積みの堤防でぐるりと囲まれたワサビ田で、手際よくワサビを収穫する妙子さん。緑に囲まれたワサビ田は、小菅村の源流文化そのもの。

洋作さんがワサビのことを教えてくれている間に、長靴でワサビ田に入った妙子さんが、よく育ったワサビを手際よく抜き、堤防の上に乗せてくれる。

すらりと伸びた茎の根元を手早く株分けしながら、洋作さんが解説してくれた。

「ワサビは一つの株に大きい根っこと小さい根っこがくっついているんだ。一番大きく育っている緑色の根っこが、ワサビとして1本丸ごと出荷できるもの。小さい根はワサビ漬けに使って、もっと小さい根は苗としてもう一度ワサビ田に植えて、大きくなったらまた収穫するんだ」

ワサビ田から引き抜かれたばかりのワサビ。よく見ると、一株に根がいくつもくっついた状態になっている。
1株の中で最も根が大きかったのが左の写真。この茎や細い根を切ると、1本の本ワサビとして出荷できる状態になる。一方、同じ株でも右の写真のように小さいものはワサビ漬けに使用されるほか、根についた泥を洗い流し、再びワサビ田に植え直される。

洋作さんが株分けした小さな根を渡すと、妙子さんはそれを再びワサビ田に植えていく。

「今年は7月に雨が少なかったせいか、まだ小さいね。秋になって葉が落ちると、もうちょっと大きくなるんじゃないかな」

洋作さんがワサビ田を眺めながら言う。小菅村のワサビは秋頃から収穫が始まるが、最も辛くなるのは冬場だと言う。

「季節によっても違いますが、1本のワサビの中でも辛さが違うんですよ」と教えてくれたのは妙子さんだ。

「うちの孫が小学5年生の時、自由研究でワサビの辛さを調べたことがあってね。甘辛いのは、茎に近い上の方。砂利や土に植わっている下の方は、色は良くないけど、辛いの」

小泉さん夫婦が育てているワサビは、お孫さんにとっても身近な存在なのだろう。

イノシシやシカまで食べたがるワサビ

源流探検部も、茎や葉がついたままのワサビを手に取らせてもらった。顔を近づけると、あの独特の爽やかな香りが鼻をくすぐる。思わず大きく深呼吸すると、洋作さんがワサビの茎を指差して言った。

「春は茎がもっとやっこい(柔らかい)から、茎だけでも売れるんだよ」

収穫まで2年かかるワサビ。源流探検部が4月に小菅村を訪れた時、村内では白くて可憐な花が谷のワサビ田を明るく彩っていた。

瑞々しいワサビを味わいたいと願うのは、人間だけではないらしい。妙子さんが教えてくれた。

「冬場は餌がないでしょう。だから、イノシシやシカが植えたばかりのワサビを食べちゃうの。前は芽だけだったけど、最近では根っこまで食べちゃうんですよ。辛いのにねえ。ワサビ田には防護ネットもあるけど、斜面からポーンと飛んで、軽く飛び越えちゃうんです」

時にはイノシシや鹿が防護ネットを壊してしまうこともあるそうだ。壊されたら、再び貼り直さなければならないし、台風や大雨の時は、崩れた石積みを直したり、流れ込んだ流木を取り退かなければいけない。そんな時は、息子さんが活躍してくれるそうだ。

イノシシや鹿、台風や雨から守り育てたワサビも、茎が伸びると今度は虫たちが葉を食べにやってくる。これはきれいな水で育ったこのワサビが安全で美味しい証拠と言えるだろう。

ワサビ田を見せてくださった小泉洋作さん・妙子さんご夫妻。洋作さんが「あれがいいんじゃないか?」と指差したワサビの株を妙子さんが収穫と、長年連れ添った夫婦の見事な連携プレーを見せてくれた。

「このワサビ田は、もともと桑の畑だったんだ。昭和38年・・・、40年くらいまでかな。うちではお蚕をやっていたからね。俺も桑の葉を取ったり、手伝いをしたよ。昔は、ここまで歩いて来たからね。大変だったよ」

この谷は、洋作さんが子供の頃から歩き回った、いわば庭のようなもの。だからこそ、今も自在に歩き回れるのだろう。

「今、何をしている時が一番楽しいですか?」

洋作さんにそう尋ねると、穏やかな洋作さんは迷うことなくこう答えた。

「やっぱり畑かな」

小泉さんご夫妻はワサビ田の他にも畑を持っている。ワサビやこんにゃくといった現金収入になるものだけでなく、家族が食べるための作物を自分たちで育てているのだ。

「今ならキュウリだね。今年はナスの出来があんまりよくなくてね」

洋作さんの隣で、「じっとしていられないのよね」と妙子さんが微笑む。

村の自然とともに生き、作物を育てることを何よりも楽しむ。そんなお二人が育てたワサビは沢の澄みきった水を浴び続け、ますます瑞々しさと風味を増していくことだろう。

このような豊かな水。健やかな森林が育み続けた証しだろう。貴重な自然を次世代に伝えることが大切と思った一日であった。