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2021.11

いつかボートハウスで

クリエイター山本海人の創造力の原点に迫るインタビュー

東京と真鶴の二拠点生活を送っているクリエイター山本海人さん。十代からスケートボードを乗りこなし、破天荒な生活を送り、奇想天外でなおかつクールな世界観を作り上げている山本さんのクリエイティブ魂は、何によって突き動かされているのか? そして、彼にとっての「釣り」とは?

クリエイター・山本海人。27歳の時にトレイラーハウスを購入し、目黒の空き地を借りて住み始め、その敷地内に仲間とスケートプールを作ってコミュニティースペース〈サノバチーズ〉を創設。以来、同名のアパレルブランドを作って注目を集め、34歳の時には長らく構想を練っていたサンドイッチショップ〈バイ ミー スタンド〉もオープン。現在は数々ショップや洋服のプロデュースも手がけている。

「僕は自分がお金を払っていることを仕事にしちゃうんですよ。〈サノバチーズ〉も僕の暮らしやスケボーが始まりですし、サンドイッチ屋も美味しいホットサンドが食べたかったから。ボクシングをやっていた時は選手の衣装なんかを作らせてもらったり、最近は釣りも仕事に繋がってきました。“生業”って言葉がぴったりだと思うのですが、好きなことがライフワークになっているんですよね。だからそこに業種の垣根はありません」

片道1時間半の移動。東京との適度な距離を保っている。

現在は平日の4日間を東京で過ごし、週末の3日間を真鶴で家族と過ごしている山本さん。週末の自宅に伺うと時がゆっくりと流れるような空間が広がっていた。ここは7年前に山本さんとご両親と出資して建てた一軒家で、最初は別荘として使っていたものの、今は家族で東京から移住してきたという。ブラジルのリゾート地、ポルト・デ・ガリーニャスのホテルをイメージしたという海が似合う風流な母屋は、海を見下ろせる小高い半島に建ち、家の東からも西からも相模湾を望むことができる。

「3年前、家庭の事情で最初は嫌々ながら真鶴に住み始めたんですが、なんだかんだで居心地が良くなって。いまは月曜日に息子を小学校に送って行った後にそのまま東京に仕事しに行って、東京の借りた家で寝泊まりして、金曜日の夕方に子供を迎えにくるタイミングで真鶴に戻っています。子どもも幼稚園の頃から真鶴で暮らしているんですが、東京の時と比べてご飯の量も倍ぐらいになったし、笑顔も増えた。太陽の下で遊ぶことが多くなったからか運動能力も上がって。僕自身も東京に住んでいた頃は仕事も飲み会もエンドレスで永遠に週末が来なかったんですが、真鶴に住み始めて適度な距離を置けるようになりました」

本格的に釣りを楽しむようになったのは、ここ数年のこと。

「うちの親父は大の釣り好き。僕が子どもの頃は、釣り道具と一緒にクルマのトランクに積まれて山梨の渓流に連れてかれました。僕が一番最初に触れた釣りはフライフィッシングだったんです。渋いでしょ(笑)。それから川でルアー釣りに移行していったんですが、その時から食べれない魚に興味が持てず、バス釣りブームには乗っかりませんでしたね。だけど、中学生ぐらいから遊びはスケボーになって、そのうち夜遊びになっていって釣りからは離れてしまった。そして今のように本格的に釣りを再開したのは、こっちに住み始めた3年前からですね」

真鶴に暮らし始め、都会型の生活から田舎の生活スタイルになった山本さんだが、更に釣りに専念するようになったのは、昨年からだという。

「去年僕がカラダを壊しちゃって。頭の中に脳腫瘍っていうのが出来てしまって。そして、手術をして脳の一部を取っちゃったからバランス感覚がなくなっちゃったんですよ。それまではスケボーを結構やっていたんですが、それからはフェードアウト。続けていた格闘技も頭を叩かれるからNG。上半身を使った動きは幸い大丈夫なので、釣りが楽しみとして残ったんですよね。基本はルアーで狙って、釣れなかったら鯖の切り身を使って穴釣り。街にはローソンが一軒あるぐらいで何もないし、家にいてもしょうがないから朝夕釣りに行っちゃってます。
今でこそ東京の釣り仲間と一緒に釣りをする機会は減っちゃいましたが、月締めで釣れたシーバスのサイズを報告して競い合っています。ただ、結局釣りの相手は野生の生き物なので、思い通りにならないことばかり。ボウズの日もザラにあって、釣れるまでヒゲを伸ばすって自分ルール設けたりしながら、魚との駆け引きを楽しんでいるんです。隠居生活の娯楽と誤解されることもある釣りですが、本質的にはハンティング。釣れた時はエキサイトしますよ」

「自分はすごいラッキーなんですよね。真鶴に移住したのも離婚の結果だったんですが、今となっては二拠点なんて最先端っぽいし。僕の患った病気の手術の成功率は30%しかなくて、後遺症がこのレベルでないのも100万人に1人と言われましたし。導かれているというか、生かされているって感じます。不幸中の幸いじゃないですが、僕が病気になる前までは家族で全然仲良くなかったんですけど、病気してからはこの真鶴にみんなが住むようになって、核家族だったのが、昭和の家族の風景みたいな感じになったことも良いことだと思います」

乗り物と暮らす、山本海人の新たな目標。

大都会でのトレーラーハウス生活から始まった、山本さんと乗り物の切っても切り離せない関係。それは今も変わらず、遊びも暮らしも乗り物なしには彼の生活は成立し得ない。仕事場である東京と憩いの場である真鶴を緩やかに繋ぐ1時間半のクルマ移動の時間は、山本さんにとっての気持ちの切り替えの時間。それは二拠点生活において重要な役割を果たしている。

「今は週3日は真鶴に住んでますが、つまりは実家住まい。僕もプライベートな空間も欲しいと感じ始めて、最近はまた新たな野望を持ち始めました。それっていうのがボートハウスを買うこと。ボートハウスというのは、アメリカとかの湖や海に浮かんでいる家で、サイズも100平米あるものもあるので、トレーラーハウスよりも快適。近所の港の停泊料は月々1万円ぐらいなので、土地を買うより安いんですよ。しかも固定資産税かからないし。その目標を実現するため、頑張って船舶免許の勉強中なんです。
息子が6歳なんですが、早くボートハウスを手に入れて、朝起きたら海入っちゃったりとかさせたい。そんな環境は子どもにとっても良いでしょうし、高校生になってボートハウスなんかで住んでたら楽しい青春を送れるだろうと思って。それにボートハウスはエンジン付きなので、条件さえ揃えば芝浦とかにも乗っていって、停泊できる。だから僕としたって東京の方で船に住めるかもしれない。家から釣りができること考えたら最高ですし。使わないときは貸してお金も儲けられそうですし、うまくいったらホテル業もできるかもですね(笑)」

人生ゲームを遊ぶように、自分の人生を楽しい方向に導いている山本海人さん。その常識にとらわれない生き方はこれからも自身を喜ばせると共に、その姿を目にすることになる我々をも熱狂させてくれるだろう。

プロフィール

山本海人
アメリカ生活での経験を活かし、都会の真ん中にスケートプールを敷地内に設けたトレーラーハウスのオーナーとして注目を浴びる。アパレルブランド〈サノバチーズ〉のデザインをはじめ、サンドイッチ店〈バイ ミー スタンド〉、蕎麦バー〈ソバートウキョウ〉の立ち上げなど、多方面で活躍。
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いつかボートハウスで

2021.11.01