ダイワアングラー
バスプロスタッフ
BASS PRO STAFF
バス
川村 光大郎
Kotaro Kawamura
ルアーマガジン「陸王」やBasser「オカッパリオールスター」など、オカッパリの競技で無類の強さを誇る岸釣りのスペシャリスト。そのノウハウを活かしてSTEEZロッドのSC(ショア・コンペティション)シリーズを手掛ける。プライベートでは長年に渡ってジョンボートやレンタルボートでの釣りも楽しんでいる。
SPECIAL INTERVIEW
スペシャルインタビュー
水槽のかなたに滾るBASSの炎。
幼い日の憧憬から、初代「陸王」の栄光、そして開発者としての現在地まで。
水槽の前でバス釣りの可能性を追い求め続ける男の軌跡。
川村 光大郎
水槽の前から始まった憧れ

ブラックバスという魚の造形美に魅せられて。
水槽越しの初恋と、DAIWAルアーで掴んだ運命の一匹。
幼稚園の頃、従兄弟が飼っていた60cm水槽のブラックバスを、正座してずーっと眺めていました。背ビレのトゲトゲ、横縞、突き出た下顎……他の魚とはまったく違う凛々しい面構え。気がつけばバスの絵ばかり描いていました。今大人になって改めてその絵を見てみると、画用紙の片隅にはちゃんとルアーまで登場しているんです。まだルアーなんて使ったこともないのに、ですよ? 父も釣り好きで、釣りを楽しむ環境が身近にあったことも大きかったのですが、幼少期の僕は釣る前からこの魚に心を奪われていました。“ブラックバス=造形としてカッコいい”という第一印象が、僕がバスフィッシングにハマった原点だったように思います。
初めてバス釣りに連れて行ってもらったのは、小学校2年生の時のこと。当時の僕にとって、図書室が何よりの学びの場でした。図書室にあった「釣り入門」や「ルアー入門」などの教則本を読み漁っていたので、ブラックバスが障害物の際にいる魚だという知識はインプット済みだったんです。日に日に強くなる「早く釣ってみたい!」という気持ちを胸に従兄弟と自転車にまたがって向かったのは、茨城県土浦市の乙戸沼。本で学んだことを思い出し、睡蓮帯の向こうへ投じたDAIWAの赤いシースネークをただ巻きしていたら、リリーパッドの下から、バスの大きな口が突然飛び出してきて。あのダイナミックなバイトは今でも忘れません。そこからはもう無我夢中で、獲るのに必死でファイトもへったくれもなくて(笑)。
僕のバス愛は、釣ったそのあとにもつながっていきます。初めて自分の手で獲った記念すべき一匹目がうれしすぎて、逃がすのが惜しかったこともあり、家に持って帰ってそのバスを飼おうと思い立ったんです(※2005年6月施行の外来生物法による規制前)。先に帰った従兄弟のお母さんにお願いして、祖母の家の庭にあった水槽に水を張って入れてもらったはずだったのですが、帰った時にはなぜかいなくなっていて……猫が周りにいたので、多分持って行かれたのかなと思うのですが、すごくショックでしたね。あの喪失感までが初バスの想い出になっています。
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この絵を描いたのは5歳のとき。左上に大きく描かれたバスの先には、ルアーがしっかり泳いでいる。川村の観察力と好奇心は、この頃にはすでに出来上っていた。
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初めてバスを釣った茨城県土浦の乙戸沼。川村が釣ったエリアは現在釣り禁止となっているが、当時はバス釣りのスポットとして、少年たちに愛されていた。
バスで切り開いた人生と青春

バスフィッシングに全てを懸けた青春。
W.B.S.トーナメントの敗北を糧に掴んだ栄光が、人生を切り拓いてきた。
中学生になった僕はもはや“オタク”という言葉では足りないほどの熱量でバス釣りに没頭していました。ルアー雑誌は辞書のように読み込み、プロアングラーのビデオは台詞や広告のキャッチコピーまで暗記するほど。知識を仕入れ、それを水辺で実践する。そのサイクルこそが、僕のスキルを爆発的に進化させた燃料でした。当時特に心を奪われたのは、TEAM DAIWAの存在です。彼らが放つオーラに憧れ、僕の頭上にはいつもTEAM DAIWAのロゴが輝く帽子がありました。そんな熱狂の最中、僕は仲間と共にW.B.S.(World Bass Society)のオカッパリトーナメントに参戦しました。目標は明確――年間1位の栄誉、そしてその証として贈られる名前入りのW.B.S.オリジナルロッド。当初は苦戦の連続でしたが、次第に成績が上向き始めた矢先、中学3年で最も近いライバルである友人が、先に年間1位の栄冠を手にしたのです。その時の悔しさ、その敗北が僕の闘志に火をつけました。その後、僕は2年連続で年間1位の座を勝ち取ることができたのですが、あの時の燃えるような悔しさこそが、僕の限界を押し上げ、その後の原動力になったと確信しています。
高校卒業後の未来への明確な羅針盤を持っていなかった僕に、母が「バス釣りの一芸一能で大学へ進学した人がいる」と教えてくれました。書類選考を通過し、集団面接で並んだのは、甲子園優勝チームのレギュラーだった人、ジュニアオリンピックの金メダリスト……まばゆい経歴を持つ精鋭たちを前に、僕は正直「これは厳しいかな…」と。気持ちで勝負するしかないと思いました。面接官から「最後に何か言いたい人はいますか?」という問いかけがあり、僕が絞り出した言葉は「僕には、釣りしかできません。しかし、めいっぱいやります!」。シンプルですが、偽りのない言葉でした。自らのすべてをバスに懸ける本気度だけは、誰にも負けたくないと思ったんです。
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優勝者に贈られるW.B.S.オリジナルのネーム入りロッド。「Kotaro Kawamura」の文字が刻まれている一本は、当時の川村少年の心を幾度となくときめかせた。
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学生時代は新聞奨学生をして貯めたお金で買っていたタックルを、今では開発する立場に。川村が開発を手掛けるDAIWAショアコンペティションシリーズでは、ブランクス、リールシート、グリップなど、各分野の匠と連携して開発を進めている。
ルアー職人・アングラーとしての野望

挑戦はまだ終わらない。
独立と開発、そして陸王・オールスター制覇に燃える炎。
大学を卒業し、一度はサラリーマンとして会社勤務をしていました。それでもバスへの情熱を捨てることはできず、28才の時にバスフィッシング業界で働く道を選びました。ルアーメーカー勤務を経て2016年に独立。その時にどうしても手に入れたいものがありました。それが、ルアーの泳ぎを完全に把握するための「フルオープン大水槽」です。強化ガラスの特注で、見積もりは200万円規模。小窓式水槽の選択肢もありましたが、「それではルアーの理想の挙動を見切れない」と思い、妥協しませんでした。この情熱を託したクラウドファンディングでは、目標額の150万円に対し、驚きの1,000万円超もの支援が集まりました。この圧倒的な応援は、驚きと同時に、その後も僕の身を引き締める存在となり、今も僕の心の道しるべになっています。
ルアービルダーとしての僕の開発哲学は明快です。「世の中にあるけど自社にないから作る」という安易な理由では開発しないということ。ニューアクションを生み出すことは簡単ではありませんし、その完成度の天井を見定めるのは難しい。それでも僕は、「後発の余地を残さないギリギリのライン」まで、製品を磨き上げたい。時には1年後、2年後にマイナーチェンジを施し、その時点で最適解を更新することもあります。それでも来る日も来る日も、寝る時以外は新しいタックルのことを考える。それは大変なことですがやっぱり楽しいですし、考え続けているからこそひらめくこともありますから。
バス人生を生きて40年以上になりましたが、アングラーとしての僕の挑戦はまだ終わっていません。「陸王をもう一度獲りたいし、オールスターも優勝を目指したい」という炎が、今でもまだ胸の奥で静かに燃え続けています。バスフィッシングという趣味が仕事になったのは運と縁だと思っていますが、もう一度、フィールドでひと花咲かせたいという気持ちが強くて。だからこそ今日も僕は、水槽の前に立ち、バスの挙動に思いを巡らし続けていくのです。
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オカッパリのイメージが強い川村だが、ここ最近ではボートでの釣りにも挑戦中。初代陸王の進化は止まらない。
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奥様と愛犬と。大切な家族の支えと癒しがあってこそ、バス業界でチャレンジし続けることができると語る川村。

