佐野 ヒロム 佐野 ヒロム

ソルトウォーター オフショア フィールドテスター

SALTWATER OFFSHORE FIELD TESTER

オフショア

佐野 ヒロム

Hiromu Sano

佐野 ヒロム

1970年6月26日 静岡県在住
相模湾キハダキャスティングにおけるトップランナー。豪快な釣りの中に繊細なテクニックを持ち合わせ、常に技術の向上に余念がない。日本国内はもとより、海外遠征の経験も豊富。20SALTIGA18000-Hで釣りあげた五島列島海域の超大政32kgは記憶に新しい。

SPECIAL INTERVIEW

スペシャルインタビュー

愛するものと生きる逆境力

不屈の⼼で何度でも蘇る。
家族愛あふれる男が突き進むワインディングロード。

佐野 ヒロム

父と釣りとアメリカンカルチャー

佐野 ヒロム

豪快な⽗の背中を⾒て学んだ、釣りとアメリカの魅⼒。
さまざまな釣りのルートを経てたどり着いたマグロ釣りという境地。

僕が⽣まれ育ったのは、静岡県の⽥舎町。⽗が多趣味で、海外で俳優活動したり、ボウリングのプロをやったり、とにかくバイタリティ溢れる⼈でした。⾒た⽬がブルース・リーみたいな感じで、いつも「アチョー︕」とかいいながら⼩突かれていました(笑)。そんな⽗の影響もあり、幼少期のころからアメ⾞やバイク、アメカジなど、アメリカンカルチャーに⾃然と触れていました。そして、⽗が鯉のぶっこみ釣りをやっていた影響で僕も釣りに⽬覚めます。近くの富士川に初めて釣りに行ったとき、60cmくらいの鯉がかかり、ズドンとくる重量感ある引きと綺麗な魚体をみて心躍りました。釣った鯉を家に持って帰ったら、⽗が庭に池を作ってくれて、そこで飼ってくれたんですよ。なかなかワイルドな⽗ですよね(笑)。
僕が釣りにどハマりしたのは、ルアーフィッシングに出会った少年時代。友人と田貫湖にブラックバス釣りに行きました。朝からずっとキャストを繰り返すもまったく釣れず……それもそのはず、スピニングでルアーを投げるには太すぎるナイロンラインを使い、同じ場所でずっと投げ続けていたんですよね(笑)。でも諦めずにひたすら投げ続けていたら、日暮れ間際に45cmのブラックバスが釣れたんです。オモチャみたいなルアーで釣れる不思議さと面白さ、そして「ここまで熱くなれるものがあるんだ!」と感動したのを覚えています。
ルアーフィッシングは道具もスタイルもとにかくカッコよくて、アメリカンカルチャー好きな僕は夢中になってのめり込んでいきました。その後、サクラマスやトラウト、シーバス、タチウオやカンパチといった、ルアーで狙えるさまざまなターゲットを追い求め、やがては最高にデカくてカッコいい魚「ヒラマサ」と「マグロ」をキャスティングで狙う釣りに辿りついたんです。そんな釣り人生を謳歌しているなか、病気を発症しました。30歳のときでした。

  • 佐野 ヒロム

    昔からお世話になっている富士宮の「太陽釣具店」で大将とお母さんと。若かりし日の佐野の写真が飾られている。

  • 佐野 ヒロム

    父の形見のリールも大事に保管。愛着のあるプロダクトは、すべて今日の佐野を作り上げたピースのひとつだ。

不屈の男の逆転劇

佐野 ヒロム

デカいマグロを釣った写真を残すまでは死ねない。
病魔を乗り越えることで得た究極のポジティブ思考。

本栖湖でニジマスを釣っていたら、いきなり吐き気がしたんです。「胃潰瘍かなんかかな」と思って病院へ⾏ったら肝臓の病気と診断されて……。あまりのショックに⾔葉も出ませんでした。17歳のときにバイク事故を起こして意識不明の重体になった際に、緊急⼿術で⼤量に輸⾎したことがその原因だったんです。さまざまな治療法を試してみましたが効果が出ず、残りの選択肢は、国内初の新しい治療法の治験をやってみるかどうか。治る確率は30%以下。その可能性にかけるしかないと思いました。
治療をはじめてみると薬が強すぎて、髪の⽑が抜けたり、⼣⽅になると毎日のように熱が出たりして、⾝も⼼もズタボロに……しかもその時、ちょうど結婚したばかりで、⼦どもが⼀⼈できたところでした。「死ぬかもしれないけれど、家族になんとか家だけでも残そう」と思って、治療しながらも、それこそ死に物狂いで仕事をして、なんとか⼩さいながらも家を建てました。そして家を建てた記念に「⾃分が⽣きた証にでっかいクロマグロを釣った写真を⼦どもたちに残そう」と思い、その覚悟をモチベーションに変えて釣りをしながら闘病しました。結果、約2年かかりましたが奇跡的に完治したんです。
諦めないことがどれだけ⼤事か。それをあらためて実感しました。だから僕は、どれだけピンチだろうと希望を捨てずに可能性を模索し、全力でガムシャラに向き合い続けるんです。

  • 佐野 ヒロム

    年代物のタックルやサーフボードが並ぶガレージ。常にカルチャーやファッションの最先端を走ってきた佐野にとって、「カッコいいプロダクト」は開発の絶対条件だ。

  • 佐野 ヒロム

    愛車はハーレーダビッドソンの通称ショベルヘッド(フルカスタム)。戦闘機のようなエンジン音が轟くマシンにまたがって風になると、自然と気持ちが前を向く。

愛するものに捧ぐ人生

佐野 ヒロム

⼈⽣というビッグゲームをフルスイングで謳歌する。
家族に誇れる⽗、釣り師であり続けるために。

僕、野球も⼤好きなんです。⼩学⽣の頃に、⽗がソフトボールチームの監督をやっていたこともあって、昔から野球には馴染みがありました。学⽣時代は軟式野球をやっていて、年を重ねた今でも草野球チームで汗を流しています。野球好きのメンバーばかりだから点差が開いても諦める⼈はいないし、若い子からベテランまでみんな全⼒プレーでめちゃくちゃ楽しんでいます︕うちはスポーツ⼀家で、⻑男は社会⼈でピッチャーをやっていてプロを⽬指していますし、次男はボクシングでプロライセンス取得を⽬指していて、⾼校⽣の⻑⼥は強豪校でソフトボールをやっています。⼦どもが野球をやっている親御さんって、審判や⽗⺟会の⼿伝いが⼤変なので嫌がる⼈も多いのですが、僕は「⼦どもたちが頑張っているんだから、こっちも本気でやろうぜ︕」と思うタイプ。休みの⽇は審判をしたり運営のサポートをしたりと、もっぱら⼦どもたちの習い事に付き合う⽇々で、釣りは仕事を調整して通っていました。⼟⽇は家族と過ごしたいので、⾃分の草野球も平⽇の朝5時からやっています。⽗としても、釣り師としても、野球⼈としても全⼒投球したいんです。つねに家族のみんなに「パパも釣りで頑張っているんだ︕」と勇気を与えたいなと思っています。
いまの目標としては、家を建てたときに家族に残そうと決意して撮ったアメリカで釣ったマグロの写真。あのサイズにはまだ満⾜していないので、それを超えるスゲェやつをソルティガで釣るって決めているんです。人生は決まっているのかもしれないけれど、諦めずに全力でやっていれば、いつか奇跡は起こせると信じています。これからもデッカい夢を追い続けて、突き進んでいきますよ!

  • 佐野 ヒロム

    愛猫のツナ、ゾロ、ルアは癒しの存在。16歳の時から長年連れ添う奥様が佐野の波乱万丈な人生を支え続けてきた。

  • 佐野 ヒロム

    ガレージには愛車のハーレーとKAWASAKIマッハなどオールドバイク達が鎮座。自ら手を入れて大切に乗り続けている。