山田 ヒロヒト 山田 ヒロヒト

ソルトウォーター ショア フィールドテスター

SALTWATER SHORE FIELD TESTER

ショア

山田 ヒロヒト

Hirohito Yamada

山田 ヒロヒト

1968年7月28日 奈良県在住
エギング界のカリスマ「ヤマラッピ」。長きに渡りエギング界に身を置き、その数々の経験から導かれた独自の理論より「バックドリフト」などを始めとした様々なテクニックを生み出している理論派アングラー。2017年よりプロアングラーに転身。現場からのフィードバックは本質を捉えたプロダクトを生み出す。

SPECIAL INTERVIEW

スペシャルインタビュー

覚悟で切り開く道。

エギング界のパイオニアが歩んできた軌跡と
プロとして生きる覚悟のその行く先。

山田 ヒロヒト

エギングとの出会い

山田 ヒロヒト

エギングの普及を加速させたのは悔しさという名の馬力。

エギングを始める前は、バス釣りやシーバス釣りに打ち込んでいました。ある時、釣り仲間から「アオリイカが昼間に釣れるらしいで」というのを聞いて、一緒に淡路島に行くことにしたんです。まだ「エギング」という言葉もなかった時代です。そしたら、一緒に行った仲間がめちゃくちゃ釣って、20杯対3杯くらいでボコボコにやられて。それが本当に悔しかった。バス釣りのルアーと違ってエギは選択肢が少ないので、「必要なのは釣る人間の腕だけか!」ということに気づいて、繊細で奥深いアオリイカにハマっていきましたね。昼間にどこでも簡単に釣れるこの釣り方は、近い将来ものすごい人気になるだろうとその頃から感じていました。
それでも当時のフィッシングショーでは、バスのブースには人だかりができているのに、エギングのブースに人は皆無…。来場者から「あんた誰や?」みたいに言われたことがあって、その時に「絶対にエギング界で一番有名になってこの釣りを広めたる!」って決意しました(笑)。やるからには、一番を目指さないと意味ないじゃないですか。その悔しさから雑誌やテレビの出演を増やして、すべての企画で爪痕を残す気持ちでエギングの面白さやテクニックをバンバン発信し続けました。そしたらある時ロケ先で、「どの芸能人よりもヤマラッピに一番会いたかったんです!!」と熱心なファンの方から言われたことがあって。あれは本当にうれしかったですね。僕がエギングの普及に突き進んで来られたのは、悔しさという原動力が大きいです。

  • 山田 ヒロヒト

    代名詞ともいえるテクニック「バックドリフト」の名は、積極的に出演したメディアの取材時に生まれた。

  • 山田 ヒロヒト

    エギングで一番になってやるという意気込みで通い続けた和歌山には、山田を慕う地元アングラーも多い。

プロとして突き進む覚悟

山田 ヒロヒト

僕にとって「ストイック」とは、
「楽しい」をとことんまで突き詰めるということ。

プロのアングラーになる前は、月から金まで会社で仕事をして、2~3時間の睡眠をとってから土日で雑誌やテレビの取材をこなす日々を過ごしていました。自分が好きでやっていたので楽しかったのですが、このままいくと身体を壊してしまいそうで怖かったんです。釣りか仕事、どちらを選ぶのか。40代半ばに訪れたまさに人生の岐路。23年間勤めてきた会社ということもあって社内での立場もあったし、会社勤めなら福利厚生もある。常識的に考えたらやめる理由はありません。だけど、「24時間365日、釣りのことだけを考えて生きてみたらどうなるんやろ?」と想像したとき、絶対に楽しいやろうなと思ったんです。悩みに悩んだ末に、「仕事は何とでもなる。自分が信じて切り開いてきたエギングだけは、人生かけてとことんやろう!」と覚悟を決めました。成功するかどうかはわからないけれど、そうしなければ絶対に後悔すると思ったから。
僕はよくストイックだと言われます。だけどそれは、辛くても我慢してやり続けるという意味ではなく、「楽しいと思えることをとことんまで突き詰める」という意味なんです。釣りが好きでもっと上手くなりたいと思っているサンデーアングラーの人たちだって気持ちは僕と同じだと思うし、楽しいことにはみんな自然とストイックになると思うんですよね。今は自分で選んだこの道に後悔など1㎜もないし、500%満足しています。誰もいない平日の釣りは最高やで(笑)。

  • 山田 ヒロヒト

    自身がプロデュースするエギングロッド「エメラルダス」の開発にも、一切の妥協を許さない。

  • 山田 ヒロヒト

    好きな時間に好きな場所で釣りができる喜びをかみしめながら、海へと足を運ぶ日々を満喫。

愛車と駆け巡るこれから

山田 ヒロヒト

釣りのプロとして生きる道標に。
愛車とともに、新たな道を切り開き続ける。

僕の出身の奈良県は海がないので、海釣りに行くとなれば5~6時間の移動は当たり前。スノーボードにハマっていた30代は毎週のように雪山に出かけていたこともあって、車の運転が苦じゃないんですよ。鹿児島から北海道まで数日間かけて陸路で日本縦断したこともありますし、釣りの聖地である五島列島にもアオリイカ釣りのためだけに行ったこともある。今考えるとなかなかクレイジーですよね(笑)。今は、釣り仕様にカスタムした「EVERY」を相棒にして、日本中を走り回っています。エギング、バス、堤防釣りのタックルはほぼこの一台に積んであるので、まさに走る釣り部屋ですね。車高も4インチアップして、オフロード仕様のブロックタイヤを装着。屋久島へ釣りに行った際も悪路を難なく走行できました。絶好の磯場までたどり着くことができるタフな一台です。
全国を走り回っていると、若いテスターとの交流も増えてきて、彼らの勢いや進化に「自分ももっとがんばらな!」と刺激をもらうことが多いです。釣りのプロとして生きていける人が増えることは、釣り業界にとっても良いこと。そういう意味でも今後は、若い才能たちの活躍をサポートしていく立場からも釣りと関わっていけたらと思っています。
フィッシングショーに出ていると、若い人から「僕もテスターになりたいです!」と言われることがあります。その夢に対して、「やめといたほうがいいよ」なんて僕は絶対に言えない。タフな道のりではあるけれど、こんなにおもろい生き方、他にないからね。

  • 山田 ヒロヒト

    トランクそのものがまるでタックルボックス。状況に応じて車内泊もできるフラットシートも設置。

  • 山田 ヒロヒト

    降りられる磯を見つけてはランガンを繰り返すスタイルゆえ、車の累計走行距離はすぐに10万kmを超える。